From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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生の先、ひたすら続く茨の道
苦悩の果てに薔薇は咲く


77話『壊れた救世主』

 

 地を揺るがす駆動音と、無数の軍靴の足音が重なり合い、不気味な空間に反響を呼んでいた。

 

 再構成された戦車、装甲車、そして低空を鋭く滑空していく軍用ヘリ。それら硬質な兵器の鉄錆の匂いに混じり、各学園の生徒たちが手にする銃火器から放たれる、冷たいオイルの香りが大気を満たしている。彼女たちは整然と隊列をなし、赤く爛れた極彩色の空。個体名『Agony』が待ち受ける、決戦の地へと次々と進軍を開始していた。

 

 これほど大規模な混成軍の指揮を、当然、一人の人間に統括できるはずがなかった。

『シャーレの先生』。彼は今、この巨大な指揮権のメインに座っているわけではない。数万、数十万にも及ぶ軍勢を機能させるための、巨大な意思決定共同体……その歯車の一部に過ぎなかった。

 

「ゲヘナ第一、第三戦車小隊は予定通り左翼へ! おい! そこ、トリニティの救護騎士団と救急医学部の搬送ルートが被ってるぞ! 早く調整しろ!」

 

「ミレニアムの演算ノードを共有します。各学園の戦術情報端末、同期を急いでください!」

 

 各学園から集まった、戦術指揮や後方支援の秀才たちが通信越しに怒号と指示を飛ばし合っている。

 かつて現世のキヴォトスで、幾度となく反目し合い、血を流し、いがみ合っていたはずの学園同士。今でもふとした拍子に小さな言葉の刺し合いや、多少のいざこざは残っている。だが、そんな火種を強引に圧殺しているのは、他でもない目の前の『恐怖』だった。

 

 失敗すれば、二度と生き返ることは叶わず、世界線ごと綺麗さっぱり消滅する。

そ の絶対的な破滅を前にして、彼女たちはただ、自身の生存を勝ち取るために、泥をすするような思いで団結を成立させていた。綺麗事ではない。剥き出しの生への執着が、この奇跡的な混成戦線を形作っているのだ。

 

「“……うん。ゲヘナ風紀委員会の防衛線の座標、これでトリニティ側とも共有できたね”」

 

 その喧噪の只中で、一人の大人が、久方ぶりの『人間の肉体』の重みを確かめるように息を吐いた。

 二頭身の白い落書きではなく、かつてシャーレのオフィスで書類仕事に追われていた、あの等身大の頼りない大人の身体。名無しが用意した肉体を得た先生は、支給された汎用の情報デバイスを両手で持ち、サポートの体勢を整えていた。

 

今、彼の手元には、かつて数々の奇跡を起こした『大人のカード』も『シッテムの箱』も存在しない。

 そして、どんな理不尽な銃弾からも彼の身の安全を絶対に守り続けてくれていた、あの愛らしいAIの姿もここにはなかった。

 

 厳密に言えば、彼はもう、キヴォトスにおける『先生』としての役割を完全に喪失しているのだ。デバイスに表示される戦況マップを睨むその身体は、一発の迷い弾で容易に風穴が空く、ただの脆い人間の肉体でしかなかった。

 

「“画面の更新が少し遅いかな……。でも、ミレニアムの回線が生きているなら、まだあちこちの戦術補助には入れそうだ”」

 

 それでも、彼は献身を辞めなかった。

 役割を失っても、無敵の盾を失っても、傷つき倒れた生徒たちのために、ただ一人の大人としてそこに立ち、デバイスの画面へ必死に指を走らせ続ける。

 

「先生、そちらのセクターの処理、ゲヘナの風紀委員会が引き受けます。……あまり、前に出すぎないでくださいね」

 

「先生! トリニティの補給物資、こちらのルートで回せます! 指示を!」

 

 そして周囲の少女たちもまた、彼の変わらぬ姿に、当然のように応じていた。

特権的な力があるから従うのではない。彼がこれまで積み重ねてきた、見返りを求めないあまりにも純粋な徳の高さ。それが、死後の世界の地獄において、何よりも強固な『信頼』という名の絆となって、彼女たちを突き動かしている。

 

 マフラーをきつく巻き直したシロコが、アサルトライフルを構えながら、先生の斜め前へと静かに滑り込んできた。その狼の耳は、背後の先生の息遣いを一言半句漏らさぬように、じっと張り詰められている。

 

「戦力が二分されて、あっちの『Nihilism』に向かった名無しの人たちももうじき接敵するはず。私たちは私たちの戦いを終わらせよう。……みんなで、現世に帰るために」

 

「“うん。行こう、シロコ。僕たちの大切な日常を、今度こそ奪い返すために”」

 

 先生の力強い言葉とともに、混成軍の銃口が一斉に、赤く爛れた黒い太陽へと向けられた。

 

「ん。先生、ここからは私、本隊の先頭に合流する」

 

 冷たい装弾音を響かせながら、シロコが静かに振り返った。

 ホシノ、ノノミ、アヤネといったアビドスの仲間たちもまた、それぞれの武器を固く握り締め、彼女の背後に並び立つ。これより先は、銃弾と硝煙が吹き荒れる最前線だ。ヘイローを持たず、生身の肉体しか持たない先生をこれ以上連れて行くわけにはいかない。

 

「“うん。気をつけて、シロコ。みんなも、絶対に無理はしないで”」

 

「ん、大丈夫。先生も、オペレーターの指揮所まで下がって。……これからは、通信で」

 

 シロコは短くそう告げると、アビドスの面々を引き連れて前線へと駆けていった。

 

 見送った先生は、各学園の混成オペレーターたちが陣取る、遥か後方の簡易コマンドポストへと身を退く。手にした汎用情報デバイスの画面には、数え切れないほどの緑色の光点。生徒たちの生体反応がひしめき合っていた。ここから先、彼女たちとの繋がりは、ノイズ混じりの無線通信だけが頼りになる。

 

 指揮所のモニターの向こう、そして少女たちの頭上に広がるのは、赤く爛れた極彩色の空と、光を吸い込む不気味な『黒い太陽』。

 ただそこにあるだけで、五感を直接内側からかきむしられるような、悍ましく、かつ正気を削るような不快感が空間全体に立ち込めていた。戦車やヘリの駆動音すら、その不気味な静寂に吸い込まれていくかのように錯覚する。

 

 敵の姿は、いまだ見えない。

 『Agony』と名付けられたその個体が、一体どんな姿形をしているのか、ミレニアムの誇る演算能力を以てしても見当すらついていなかった。際限のない負の集合体。それが、ただ不気味に座標の奥でうごめいている。

 

 混成軍の先頭が、その未知なる反応の座標へと、いよいよ肉薄した。

 全軍が息を呑み、トリガーにかけた指に力を込めたその刹那。出来事は起こる。

 

 ずるり、と。ひどく鈍重かつ生々しい音が響いた。

 

 天空に浮かぶ『黒い太陽』、そこから『ずろり』と悍ましい何かが引きずり出されるように垂れ流されたのだ。排出され、虚空から自由落下したその巨大な質量が地面へと叩きつけられ、激しい衝撃波が周囲の土壌を爆発的に吹き飛ばす。

 

 爆煙が狂ったように舞い上がる中、最前線にいたシロコが、信じられないものを見たようにその隻眼を限界まで見開いた。

 

「あれは……まさか……っ!?」

 

 動揺に震えるシロコの悲鳴が、無線を通じて後方の指揮所へと牙を剥く。

 無理もなかった。なぜならその巨大なシルエットには、この場にいる一部の生徒たち、そして何より先生にとって、あまりにも鮮烈な見覚えがあったからだ。

 

 かつて砂に埋もれたアビドスを脅かし、震撼させた、デカグラマトンの預言者・第三セフィラ。

『理解を通じた結合』をパスに持ち、『違いを痛感する静観の理解者』の異名を持つ砂漠の巨蛇。

 

 『ビナー(BINAH)』。

 

 だが、その姿は大いに異常であり、彼女たちの記憶にあるものとは決定的に異なっていた。

 本来であれば、神聖ですらある美しい白い装甲を持つ大蛇のような巨大ロボット。しかし、目の前に転がっているそれは、金属の肌がまるで血を流したかのように赤く錆び付き、不気味な茨のような植物に全身を締め上げられ、歪に蝕まれていた。

 

 頭上に輝くべきヘイローはなく、かつてその巨体から溢れていた、あの厳かな橙色の輝きも完全に消え失せている。

 それはまるで『屍』のよう。

 

 死屍累々の巨躯。しかし、地面にぐったりと倒れていたその鉄の骸が、突如として電流が走ったかのように激しく痙攣し、軋みを上げて起き上がった。

 

 開かれた大顎から放たれたのは、無機質な咆哮ではない。

 数千、数万の人間が同時に絶叫し、呪詛を吐き散らす断末魔が一つに混ざり合ったかのような、脳を直接破壊しかねない文字通りの“苦痛”の轟音だった。それは、かつてのビナーには決してなかった、あまりにも悍ましい行動。

 

「っ……! 各学園、交戦開始!! 予定通りの陣形で、あの怪物を叩き潰して!!」

 

「ミレニアム前衛、障壁展開! 砲撃班、照準を固定してください!」

 

 咆哮の衝撃に耐えながら、各学園の指揮陣が一斉に交戦開始の命令を怒号に変えて叫び、最終作戦の火蓋が切って落とされた。

 

 かつての預言者すら呪いの道具として使い潰す、無名の司祭どもの執念。

 現世への帰還を賭けた戦いは、最初の一歩から、これまでにないほど険しく、凄惨な激戦になることを誰もが確信する。

 

 もはや『ビナー』と呼んで良いかもわからない、赤錆と茨に塗れた“残骸”が、絶叫を撒き散らしながら突進してくる。

 

 それはかつてアビドスの砂漠で生徒たちを翻弄した、あの厳かで計算され尽くした巨獣の動きでは断じてなかった。ビームで理路整然と地を焼き払い、正確無比なミサイル攻撃で敵を殲滅するような秩序はどこにもない。ただただ巨大な質量を狂ったように振り回し、地表を激しく狂い噛む姿はまるで狂犬病を患っているようですらある。

 

 かつての異名である『静観の理解者』とは似ても似つかないその狂乱。

 

「前衛、回避ーーっ!」

「 駄目です、衝撃を殺しきれません!!」

 

 無線越しに悲鳴が響く。ミレニアムの誇るエネルギー障壁すら紙切れのように食い破り、狂える鉄の骸は混成軍の陣形へと深く突き刺さった。数万トンの超巨大質量が全速力で暴れ狂うのだ、防衛線がさっそく瓦解しかけるのも無理はなかった。

 

「“落ち着いて、みんな! 各自、衝撃に備えて! 予定のプランを前倒しするよ!”」

 

 後方の指揮所でデバイスを握りしめる先生の声に応じ、混成軍の指揮陣が即座に動いた。陣形が崩されたのは想定内。だからこそ、この大軍勢には最初から『切り札』が用意されていたのだ。

 

「全演算リソースをトリガーに回します! みなさん、耳を塞いで!」

 

 鋭い指示とともに、後方の射撃座標に据え付けられていた“それ”が起動する。

かつてエデン条約を決裂へと追いやった、無名の司祭たちが遺した古代のオーパーツ。文字通りの超兵器たる、あの『巡航ミサイル』。

 

 名無しとアリスの手によってこの虚無の空間にて完全再構成された兵器が、不気味な起動音とともに一斉にその火蓋を切った。

 

 大気を引き裂き、赤く爛れた空を貫いて放たれた巡航ミサイル。かつて先生を、そして生徒たちを絶望させた神罰が、今は彼女たちの生還を勝ち取るための絶対的な牙となり、暴れ狂うビナーの巨躯へと的確に直撃する。

 

 直後、極彩色の視界を真っ白に染め上げるほどの、圧倒的な爆鳴と熱量が炸裂した。

 

 もうもうと立ち込める白煙が爆風に吹き払われ、視界が開ける。

 そこには、巡航ミサイルの直撃によって首から上の頭部装甲を木端微塵に吹き飛ばされた大蛇の無残な姿があった。

 

「やったの……?」

 

 通信の向こうで、誰かが祈るようにそう呟いた。

 だが、その微かな希望をあざ笑うかのように、頭部を失ったはずのビナーの巨体は即座に動き出した。

 

 それは生物としての意志でも機械としての制御でもないようだ。まるで内部に無数の寄生虫が這い回り、死体を無理やり痙攣させているかのような、ただただ悍ましく、もがくような狂乱の暴打。頭を失ってもなお、のたうつ尾が大地を叩き割り、前線の戦車を弾き飛ばしていく。

 

「“みんな、まだだ! 動きを止めてない! 各員、第二陣形へ移行して!”」

 

「仕留め損ねましたか……! ゲヘナ、トリニティの前衛部隊は速やかに散開! 砲撃班、包囲網の形成を急いでください!」

 

 先生の叫びを受け、リンが間髪入れずに冷徹な号令を飛ばす。混成軍の指揮陣は一歩も引くことなく、訓練通りに陣形を展開。即座に戦車を総動員し、のたうつ巨躯を全方位から圧殺するための集中砲火包囲網を作り上げていった。

 

 重々しい一斉射撃がビナーの錆びた装甲を叩き割る中、ミレニアムサイエンススクールの技術者たちもまた、死に物狂いで端末を叩いていた。

 

「ヴェリタスより各オペレーターへ、解析データを共有!」

 

 ノイズ混じりの通信に飛び込んできたのは、チヒロの緊迫した声だった。

 

「あのガラクタの構造線、機械としての制御系は完全に死んでる。……何かが内部に潜んで、あの巨体を内側から強引に動かしているという憶測が極めて高い。つまり、外側の装甲をいくら叩いてもラチが明かない。あの内部の“何か”を引きずり出さなければ、奴の動きは止まらない!」

 

「装甲を落とすのが先決、ということですね。了解しました」

 

 指揮系統に居たナギサが冷徹に応じる。とにもかくにも、外殻を限界まで削り落とさなければ、その胎内に潜む本尊を抉り出すことはできない。全生徒の銃口から放たれる火線が、一点に集中していく。

 

 凄まじい砲撃の嵐に晒され、肉を削がれるように金属片を撒き散らしていたビナーだったが、突如としてその動きをピタリと止めた。

 

 巨躯が内側から激しく膨張し、まるで生き物のようにおぞましくえづき始める。

 

「様子がおかしい! 退避して!」

 

 シロコの警告と同時に、ビナーの大顎の残骸から、大量の吐瀉物が勢いよく吐き出された。

 

 崩れた瓦礫、どす黒い泥、悪臭を放つ重油、出所不明の化学物質。そしてそれらすべてを汚染するように混じる、ねっとりとした濁った赤色。それらが津波となって地平線を覆い尽くしていく。

 

「っ、うああっ!? 装甲が溶ける……っ!?」

「ダメです、このエリアの足場が完全に潰されました! 後退、後退してください!」

 

 それが明確な攻撃の意思によるものかは分からない。だが、吐き出された文字通りの苦痛の澱みによって大地は一瞬で腐食し、激しい環境汚染を引き起こしていく。混成軍の行動範囲はそれによって制限される。

 

 激しくもがき苦しみ、のたうち回る。

 

 それは、こちらを明確な敵と定めた攻撃の意思による行動のようには到底見えなかった。ただひたすらに己の内側を蝕む何かに狂わされ、耐え難い苦痛に喘いでいる。そんな様。

 もしやあの預言者は微かにでも意識が残った状態で何かに寄生され、終わりのない生き地獄を味わわされているのではないか。戦火のただ中でその姿を見る者に、そんな悍ましい想像すら抱かせるほどに悲惨を極めていた。

 

 だが、戦場は彼らを感傷に浸らせてはくれない。

 ビナーが撒き散らした重油と泥、そして瓦礫の山が激しく波打ち、そこから次々に何かが這い出してきたのだ。

 

「あれは……“あの時”の!? でも、様子がおかしいわ!」

 

 ユウカがデバイスの向こうの光景に息を呑む。

 現れたのは、かつてミレニアムサイエンススクールの廃墟で観測されたシステムプログラム『Divi:sion』。電源ボタンも、接続ポートすらも持たない例の不気味なロボットたちだった。

 

 しかし、それらもまたビナーと同様に、内部から不気味な茨が突出し、錆び付いた残骸の姿へと変わり果てていた。狂ったように電子ノイズを撒き散らしながら、泥を撥ね上げて襲いかかってくる。

 クモに似た四本足の『Type.F』、球状のボディに触手がついた『Type.M』、六本脚に尻尾を持つサソリのような『Type.B』。かつてミレニアムを騒がせた自律機械の数々が、どれも壊れかけていたり、不自然に変形してパーツ同士が混ざり合っていたりと、強烈に歪んでいた。

 

「(“あの機械は前に見たことがある……。だけど……”)」

 

 先生はあれらの残骸を見てDivi:sion、つまり名もなき神々に由来するものが原因かと推測した。だが違和感は拭えない。これは名もなき神々の機械もデカグラマトンも利用されているだけにすぎず、それらを利用できるほどの何かがいるのだろうと結論を出す。

 

 死屍累々の瓦礫の山からは文字通りゾンビの如く、際限なくロボットの残骸が這い出し続け、黒い大群となって押し寄せてくる。

 ヒマリが予測していた通り、この『Agony』という存在の本質は一つの圧倒的な力ではなく、無数の負の遺物で構成された数の暴力であった。

 

「キキキッ! 数だけが取り柄の出来損ない共が……! 総員、火力を惜しむな! 叩き潰せぇ!!」

 

 将軍の如く君臨するマコトの鋭い大号令……と同時にアコが出した合図を機に混成軍の陣形が、波打つように滑らかに変形していく。

 突進してくる巨蛇を抑え込む単体包囲網から、押し寄せる無数の残骸どもを網羅して迎撃する、想定通りの『多対多』の広域防衛陣形への移行。

 

無尽蔵に湧き出る残骸の波。そして泥に塗れてのたうつ巨獣。その混沌を極める戦場において、混成指揮陣からアドリブを利かせた、ある特殊な命令が全体の通信網に下された。

 

「各員、前方の進路を確保せよ! キヴォトス全校の“最高戦力”を一点に集中、これよりビナーの強行破壊に移行する!」

 

 その号令とともに、広大な防衛陣の各所から、戦場の空気を一瞬で塗り替えるほどの圧倒的な『圧』を持った四つの影が飛び出した。

 

 ミレニアムサイエンススクールからはC&Cのリーダー、美甘ネル。

 トリニティ総合学園からは正義実現委員会委員長、剣先ツルギ。

 ゲヘナ学園からは風紀委員長、空崎ヒナ。

 ……そしてアビドス高等学校から生徒会長、小鳥遊ホシノ。

 

 三大強豪校、そしてかつてキヴォトス最強の一角と謳われたマンモス校。各学園が誇る名実ともにトップの“最強”たちが、ここに集結したのだ。

 狙いはただ一つ。ビナーの外殻を完全に破壊し、その泥塗れのはらわたの奥底に潜む『元凶』を引きずり出すこと。

 

「きひひひひひひいっ~~きゃははははは!」

 

 奇怪な笑い声を上げながら、壊れた人形のように首を傾げて突撃していくツルギ。その血生臭い戦闘狂のオーラに、ネルが「イカれたツラしてやがる! 負けてられっかよ!」と不敵に口角を上げてツインマシガンを乱射し、そのすぐ横を並走する。

 

「……少し邪魔するわね」

 

 空中を優雅に舞うヒナが、愛用の機関銃から冷酷無比な弾雨を降らせ、ビナーの横腹の装甲を容赦なく削り取っていく。その視線の先、ビナーの真っ正面の地上には、巨大な戦術シールドを構えて突撃するホシノの姿があった。

 

「へへっ、おじさんも若い子たちに負けてられないからね。……一気にいくよ!」

 

 四人は互いに面識があったりなかったりする。当然、綿密な戦術連携など取れるはずもないが、そんなものは彼女たちの前には些細な問題でしかなかった。

 とにかく、一人一人が理不尽なほどに強い。ホシノに至っては前にテラー化した名残で『恐怖』由来の力が乗り、前にも増して戦闘力が増強していた。

 

 ツルギがビナーの尾を引き裂くように破壊し、ネルがその傷口に超至近距離から銃弾の嵐を叩き込む。怯んだ巨蛇の頭上からヒナの絶大なる火力が降り注ぎ、体勢を崩したところを ホシノの盾がその巨躯ごと強烈に撥ね上げる。

 連携など皆無。各々が望むように攻撃を仕掛ける。しかし、それぞれの圧倒的な個の力が組み合わさった結果生み出される破壊力はビナーを翻弄し、その錆びた巨躯を文字通り粉砕していくに十分すぎる威力だった。

 

「“みんな、すごい……っ! 各部隊、彼女たちの周囲に群がる敵の処理を最優先に! !”」

 

 後方の指揮所でデバイスの画面を睨む先生が、興奮と確信に満ちた声を張り上げる。

 

 最強の四人がビナーを解体していくその後方では、瓦礫の山からゾンビのように湧き出る『Divi:sionの残骸』に対し、各学園の生徒たちが死に物狂いで対処していた。

 トリニティの救護騎士団が傷ついた者を迅速に前線から引き抜き、ゲヘナの風紀委員会が圧倒的な面制圧で敵の進路を塞ぐ。ミレニアムのヴェリタスやエンジニア部がリアルタイムで汚染環境のデータを解析し、安全な足場を指示していく。

 

 誰も、足を引っ張る者などいない。

 誰一人として、この戦場に必要じゃない存在などいないのだ。

 

 かつては傷つけ合い、終わりなき地獄を彷徨っていた彼女たち。しかし今、この死後の世界において、みんながいて、みんながそれぞれの役割を全うし、誰かの役に立っているのだ。

 

 もはや原型を無くし、ただの鉄屑と血錆の塊へと変わり果てたビナーの残骸。

 

 その活動が完全に停止したと見なしたホシノが、巨大な盾を構え直し、その息の根を完全に止めるべく一歩を踏み出そうとした、その瞬間だった。

 

「ホシノ先輩、待って!!」

 

 空間がぐにゃりと反転する。かつて現世を脅かした『色彩』の輝きを伴った唐突な瞬間移動。ホシノのすぐ目の前に、弾かれたようにシロコが姿を現した。彼女は一切の躊躇なく、ホシノの華奢な身体を力任せに後ろへと突き飛ばして静止させる。

 

 直後、空気を引き裂く音が響いた。

 ビナーの引き裂かれた装甲の隙間から、槍のように鋭利な『茨』の束が猛烈な速度で射出され、ほんの数センチメートル前、シロコが突きだしたアサルトライフルの銃身に激しく火花を散らして弾かれたのだ。

 

 間一髪。あと一歩、ホシノがそのまま踏み込んでいれば、その眉間は確実に貫かれていた。

 

「……あ、危なかったね。ありがとうシロコちゃん……」

 

 冷や汗を流すホシノの元へ、周囲を警戒しながらネル、ツルギ、ヒナの三人も即座に集結する。

 敵の最後の悪あがきを潰した。誰もがそう確信し、今度こそこの不快な鉄の死骸へ総攻撃を加えようとしたが、シロコだけはそれを許さなかった。彼女は銃口を向けたまま、微塵も身体を動かそうとしない。その狼の耳が、見たこともないほど恐怖に怯え、激しく震えていたからだ。

 

 シロコは、肌を刺すような決定的な“気配”を敏感に感じ取っていた。

 

「何かが……来る……!」

 

 シロコが喉を震わせ、掠れた声で呟く。

 彼女の視線の先。ビナーの残骸の内部には、機械の配線などではなく、悍ましい血肉と引き裂かれた茨がぎっしりと、隙間なく詰まっていた。周囲に漂う重油の匂いを上書きするような濃厚な生物的異臭が爆発的に鼻腔を突く。

 

 むくり、と。その赤黒い血肉の塊が、内側からおぞましくうごめいた。

 

 ブチ、ブチブチッ、と、濡れた肉を内側から無理やり突き破る音が響き渡る。

 爆発が起きるわけでもなく、派手なエフェクトが周囲を彩るわけでもない。ただ静かに冒涜的な忌み子が産み落とされるかのように、重油と血の海の中から“それ”は這い出してきた。

 

 その全貌が露わになった瞬間、キヴォトス最強と謳われた少女たち全員が、言葉を完全に失った。

 

 そこにいたのは酷く汚れた人型だった。

 だが、その両腕は肩の付け根から引きちぎられたかのように無残に欠損している。両足もなく、代わりに骨組みだけの歪んだ義足が濡れた地面に金属音を立てて突き刺さっていた。

 

 泥を被ったような黒髪を持つ“何か”。

 腕のないその人型は、ビナーの死骸の頂点で、ただ微動だにせず直立している。

 そして、その口元は言葉を失うほどに醜悪に、ただ歯を剥き出しにしながら硬直したような笑みを浮かべていた。

 

 そこから思考を読み取ることなど、到底不可能だった。なぜなら、その存在の『目』が見えないからだ。

 鋭く長い棘を持つ血に濡れた赤い茨の冠。それが、その怪物の目隠しになるように、目元を深く、容赦なく左右から貫き、頭部へ幾重にも巻き付いていた。

 

 静かだった。ただひたすらに、世界が静まり返る。

 だが、その場にいた生徒全員、そして通信越しにモニターを凝視していた後方の先生までもが脳髄を直接掴まれたかのような激しい悪寒と強烈な嫌悪感に襲われていた。

誰もが直感的に、全く同じことを思考する。

 

 “アレ”はどう考えてもまともじゃない。この世に存在していいものではない。

 

「……っ、うそ、でしょ……?」

 

 直後、シロコはその怪物の胸元に気づき顔を青ざめさせながら、恐怖したように呟いた。

 

「どうして……アレが、“それ”を持っているの……?」

 

 その怪物の、血に汚れた胸の中心。

 『シッテムの箱』が突き刺さっていた。

 





[補足]
-鉄屑のビナー
 預言者ですらなくなり、ただ苦痛を味わった。まるで生物として生きて拷問されているような。
 厳密には混ざり合う途中だった。

-Agony
 “茨の冠”を持つ穢れた何か。苦悩であり、歓喜。
 なぜかシッテムの箱を持つ。世界は醜く美しい。
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