From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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Vengeance


81話『Mechanized Memories』

 

 その日は晴れていた。自分が誰なのかも曖昧だったあの頃。

 ただ空が眩しく、青く蒼く透き通った晴天の下で目覚めた事を覚えている。それより前の記憶は朧げで、だが強烈な憎しみと痛みの記憶だけは鮮明であった。

 

 砂漠ではない。ただごちゃごちゃと周囲に広がる都市の景色。自分の知っている世界じゃない。そんな中でも真っ先に感じたものが在った。

 

 『恐怖』だ。千匹の百足が足から脳天へ這い上がってくるような、暗い深海の底で正体のわからぬ漠然とした何かに凝視されるような、そんな悪寒が身体中を駆け巡った。

 

 表の視界で見えたのは輝かしい世界と様々な制服に身を包んだ少女たち。裏の視界で見えたのはただ形容できず、言語化できず、見るだけで震えと怯え、そして激しい怒りと憎しみが収まらない化け物ども。

 

 自分はかつて誰かから聞いた別の領域、『キヴォトス』に流れ着いてしまっていたのだ。そして当然、誰も知る者はいなかった。誰も自分のような者はいなかった。

 

 たった一人、孤独なまま深海へと放り込まれたように未来は見えず、また光のない暗闇に閉じ込められることに。この時期はもはや憤る余裕もなかったのだろう、『輪っか付き』共から離れるために都市を離れ、ただ廃墟へと身を潜めた。

 

 自分が何者なのか分からない。誰だったのか、アイデンティティが燃え尽きたようで自分といえるものがなんだったのか思い出せない。ただ一つ言えたのが身にまとっていた裂傷まみれの黒いコートと、背負っていた分厚い金属の板、これらだけは手放してはいけないと感じていた。

 

 鏡を見ればやせ細り、傷跡だらけの若者の姿。女のようだが胸がない。男だったのだろうか。みすぼらしく、痛々しく見ていられない。これが自分なのだろうか。

 

 『輪っか付き』の気配が絶えない地獄のような世界。憎しみこそ感じてはいながらも戦意は湧かずただ怯えて生きていた。恐い。だが復讐する気力もない。そもそもなぜ憎かったのか、あれらは輪っかがついているというだけで仇になるのか。いつだって答えはなく、恐怖し続ける日々。

 

 『自分』は削られていった。心がゆっくりと摩耗していく中、隠れて生きるしかない毎日。廃墟地帯の奥へ逃げるように進む中、その日自分にとって運命的な出会いがあった。

 

 触れれば故障していく機械やセキュリティのような機関の数々を超えてただ気配が感じなくなる場所を探していった先に、少女が眠っていた。死んでいたのかもしれないし、動いていなかったその状態を今となってどう表現すればいいのかはわからない。

 

 この時ばかりは好奇心がほんの少しだけ蘇っていた。 

 

 近づいてみるに、“それ”は人ではなかった。人を精巧に模した機械だったのだろうか。大した理由はなかったのだが、こんな場所で孤独にどのぐらい眠っていたのだろうかと考えると哀れみが湧いた。

 

 それゆえかその少女の機械の額に触れた。

 それがはじまりだった。激しいスパークのような現象が起き、ショートでもしたのか一度飛び起きては倒れ、後にその機械がゆっくりと体を起こした。

 

 『輪っか付き』とは違う。裏側に『恐怖』のない少女、だが赤子のようで言語も知らずただ動き回るばかりの“子供”が目覚めたようだった。

 

 気まぐれだったのだろう。生きる意味が欲しかったのだろう。

 自分はその子供を連れて外へ出た。数年か数十年かは分からない。言葉を教え、人間について教え、自分の知り得る限りの世界を教え、気が付けばその機械の少女の親のようなものになっていたのだろうか。

 

 好奇心のままに動くその子をただ見守った。転べば抱きかかえて歩いてやる、眠ったなら背負って歩いてやる。そうしているうちに熱のないはずのその肉体から奇妙なぬくもりを覚えた。同時に、大事だったはずの、何よりも重要だった『何か』を忘れてしまったようであった。いや、“諦めた”のだろうか。

 

 そのせいなのだろうか、気が付いた時に鏡を見てみれば映っていたのは髭の生えた大人。背も伸び、成人の男になっている。

 

 この時。確かに自分は、「これでもいいか」と思えたのだ。“我が子”がいるからだったのだろうか。自分に名前はなく、この娘にも名はない。あったのかもしれないが、分からない。一つとして、「~だろうか」という文言とともに浮かべていった疑問の答えは出ていない。だが“名無し”として、これで良かったのだ。

 

 自分のためのものではないが、また人生を歩めると思い込んでいた。

 

 

 

 

 娘が壊されるあの日までは。

 

 

 

 

------------------

 

 

 

 

 

 激しい金属音と共に、白銀の機体が地面へと叩きつけられる。アビ・エシュフNEXTの装甲からは火花が散る。大きなダメージを受けながらも名無しはアリスと共に地面の砂を蹴ってどうにか体勢を立て直す。

 

 だが安堵の息を吐く暇すら、戦場は与えてくれない。

 

 硝煙と土煙が渦巻く向こう側。

 先ほどのスーパーノヴァの一撃を文字通り直撃で喰らい、半壊していたはずのボロボロの黒い機体。それが不気味に駆動音を響かせ、周囲の空間に漂うあらゆるエネルギーを、まるで底なしのブラックホールのように一気へと吸い込み始めた。

 

 直後、黒い装甲の節々、剥き出しになった内部機構の隙間から、熱された鉄のような橙色の眩い光を放ち出す。

 

「再起動しただと……っ!?」

 

 名無しは隻眼を見開いて呻いた。

 相手はただ立ち上がっただけではない。吸い込んだエネルギーを注ぎ込み、瞬時に損傷を修復させ、そのうえで、先ほどを遥かに凌駕する出力の強化をその身に加えていたのだ。

 

 戦線から退く気配など微塵もなく、再びこちらに向かって加速を始めていた。

 

「アリス……悠長に作戦を練り直している暇はなさそうだ。動けるか」

 

「はい! 体力ゲージはまだまだあります! ここからが本番です!」

 

 アリスの力強い言葉に呼応するように、名無しもまた、自身の内奥にある『性質』の力を強引に引きずり出し、機体の壊れた回路の一部へと流し込んで応急修復させた。

 だが彼は己の能力を完璧には扱いきれていない。装甲の完全な欠損や、焼き切れた精密電子基板の修復までは到底及ばなかった。

 

 ノイズを拾おうと耳のレシーバーに意識を向けるが、ツーツーと不快な遮断音が響くだけだ。敵のエネルギー暴発の余波か、あるいは妨害電波に似たものが周囲に充満し始めたのか、ヒマリたちとの通信機器は完全に断たれている。

 

「相手は俺たちに、簡単にやられてくれるつもりはないらしいな」

 

接近する橙色の光を睨みつけ、名無しは冷や汗をかいた。

 

「だが同時に……あいつも、俺たちに簡単に勝てるとは思っちゃいないんだろうな。どれだけボロ雑巾にされようが、何度致命傷を喰らおうが、それすらも全部想定の内に入れてやがる」

 

 同時に決まった動作であるかのように思える。黒い機体はどこかどこか機械的であった。

 

「持てる全てをぶつけるんだ。いいな、アリス。出し惜しみは無しだ」

 

「勿論です! ラスボス戦は、エリクサーでも何でも、使えるものは全部使い切って全力で戦うのがセオリーですから!」

 

 アリスが決意に瞳を輝かせる。

 

 パワードスーツが残された全てのエネルギーをその四肢へと巡らせ、再び闘争のために立ち上がった。

 

 考える猶予など、最初から一秒たりとも与えられていなかった。

体勢を立て直した二人の視界を、間髪入れずに放たれた敵の容赦のない追撃が埋め尽くす。

 

 空を真っ黒に染め上げるほどのおびただしい数の高速ホーミングミサイル。その一本一本が狂ったような軌跡を描いて殺到し、さらにその隙間を縫うようにして、航空力学や物理的な制約を完全に無視した軌道で曲がってくる異形の弾丸の雨が降り注ぐ。直撃すれば、アビ・エシュフ NEXTの軽量化されたフレームなど一瞬で塵に変わる。

 

「ぐう……ッ!」

 

 名無しは己のエネルギーを呻き声と共に機体へ叩き込んだ。

 白く輝く機体が爆音を上げて急発進する。背面のメインスラスターから強烈な排煙が吹き荒れ、迫り来る弾幕の網目を縫うように、小刻みかつ高速の横方向へのクイックブーストを連続で起動。機体を左右へと激しくスライドさせ、限界の機動で敵の照準を狂わせながら、ただ前方の橙色の光だけを追い続けた。

 

 だが、その超絶的な機動の代償は、ダイレクトに搭乗者の肉体へと襲いかかる。

急激なターンと加減速がもたらす、圧倒的な重力の圧。名無しは自身にかかる暴力的な負荷を己の『性質』で強引に打ち消し、空間の歪みでクッションを作ろうと試みるが、それでも発生するすべての衝撃は相殺しきれない。

 

 血管が千切れんばかりの加速Gが圧迫する。

 肺から強制的に空気が押し出され、視界が急速に狭まっていく。ブラックアウト寸前、脳が恐怖と苦痛の警報を鳴らし、意識が暗闇の向こうへと飛びそうになる。

 

 その朦朧とする極限の意識の中で、名無しはただ、全神経を操縦系統へと集中させていた。

 

 目覚めろ、音速を保て。自ら描くこの先の軌道を解析しろ、塵がパーツを掠めて傷つけた、レーダーで攻撃を解析する暇もない。

 起きろ、眠らぬフクロウのように。己の精神の安定を図れ、集中し続けろ。この弾幕を抜けるまで走り続けろ、いつかこの暗闇を抜け出したいと願うのなら。

 ただ彼は己に心の中で自分への命令と状況の分析を唱え続けた。余裕はない。一切の雑念を断ち切って。

 

 その猛烈な加速Gの最中、アリスは冷静に“スーパーノヴァ”へのチャージを進めていた。彼女はゲームで培った極限の戦術眼をフルに回転させ、一つの決断を下す。

 チャージが完了した瞬間、あらゆるものを無に帰す破壊のレーザーを、あえて敵本体ではなく、しつこく迫り狂うミサイル群に向けて一斉に放ったのだ。

 

 爆音と共に正面の弾幕が瞬時に消滅し、一瞬の、だが決定的な隙が生まれる。

その光の道へ、名無しは白いネクストを滑り込ませた。超至近距離、敵の懐へと一気に潜り込む。

 アリスがもう片方の腕を駆動させ、機体の背面に格納されていた近接武器パーツを展開した。三日月のように美しく湾曲したブレードが、溢れ出たレーザーをその身に纏って鋭く構えられる。

 

「光よ!」

 

 月光を思わせる蒼白い光を纏った、必殺の一閃。光の剣であり、月光の剣。

それが黒い機体の首元へ叩き込まれそうになったその刹那、相手もまた背面から別の巨大な兵装を強引に引き抜き、迎え撃つように迫ってきた。

 

 それは、巨大なチェーンソーが6枚も重ねられた異形の破砕機。グラインドブレードと形容できそうな、あまりにも禍々しい狂気の武器だった。敵機体がそれを装着するのと同時に激しいノイズ音をまき散らす。

 

 双方の武器が激突する直前、黒い機体の中心部に座る『人型部分』の視線が、バイザー越しにアリスを確かに視認した。その瞬間、相手の動きが一瞬だけ、ほんのわずかに止まったように見えた。

 

 だが、そこに付け入る隙などほとんどなかった。直後、凄まじい金属生命体同士の咆哮のような音を立てて、両者は刃を噛み合わせたまま、凄絶な鍔競り合いのごとき押し合いへと突入する。

 

 敵のグラインドブレードから放たれる質量と回転力は圧倒的だった。禍々しい6枚の刃が白銀の装甲をガリガリと削り取り、こちらの出力は完全に劣勢へと追い込まれる。このままでは、今にも機体ごと粉々に噛み砕かれ、死に至るのは明白だった。

 

 火花がコクピットを赤く染めるその刹那、名無しは冷徹に思考していた。

 何度攻撃しようとも、相手はこちらの動きを予測し、完璧に対応してくる。そればかりか、次から次へとこちらの想像を超える手段に切り替えて肉薄してくる。おまけに、もうすぐ目の前には全滅の危険が迫っていた。今ここで早急にこの状況から離脱できなければ、二人とも確実に死ぬ。

 

 名無しは覚悟を決め、静かに口を開いた。

 

「アリス」

 

「……な、なんでしょう!?」

 

 火花と激震の中、アリスが必死に声を返す。名無しの声は、驚くほど穏やかだった。

 

「ありがとうな。あんたらには本当に感謝してる」

 

「……?」

 

「だがな……きっとこの戦いは、“俺”が“俺”自身に決着をつけないといけない戦いなんだ」

 

 それが、彼の導き出した答えだった。

 言い終えると同時に、名無しは機体からありったけのエネルギーを強引に吸収し、己の肉体の中へと一気に凝縮させた。そして次の瞬間、自身の背中に突き刺さっていたすべての生体プラグを、肉を割いて力任せに引き抜いた。

 

 直後、グラインドブレードの凶刃がアビ・エシュフ NEXTのフレームを完全に飲み込み、凄まじい勢いで火花を散らしながら、機体の上半身部分と下半身部分を真っ二つに破砕した。

 

「またあとでな」

 

 名無しはその瞬間、アリスの乗る上半身部分に向けて、己の性質による後方向きの莫大な運動エネルギーを付与した。

 

「ニ、ニル……!」

 

 アリスが何かを叫ぶ間もなく、切り離された白い上半身は、音速を超える速度で一瞬にしてその場から後方へと消し飛ぶように強制的に離脱させられていった。

 

 残された下半身、剥き出しになった名無しの肉体に、グラインドブレードの黒い刃が牙を剥く。

 だが、その刃に飲み込まれる寸前、名無しは笑った。

 

 彼は先ほど敵が見せたあの悪あがきを、その瞬間にそのまま模倣してみせたのだ。

 己の中に極限まで凝縮させた無限のエネルギー。それを制御することなく、一気に全方位へと暴発させた。

 

「……!」

 

 視界が真っ白に染まる。余韻としてしばらく甲高い音が響いていた。

 

 爆風が猛烈な硝煙と共に晴れ行く中、赤黒く焼け焦げた巨大なクレーターの底で、二人の存在が静かに相まみえた。

 

 双方の機体は、先ほどの大爆発によって跡形もなく消し飛んでいる。

 ここにあるのは、ただ己の身一つ。互いに孤独であり、互いに唯一無二の存在。

 

 無の名を持つ存在は、失われた肉体を自身の『性質』によって瞬時に再生させた。いつもの自分だと思える黒い装備を纏い、使い古された分厚い金属の鉈を引き抜く。

 対する名もなき存在は、肉体に焼き付いた機体の残骸を取り払い、全く同じ形状をした、だが中間ほどからぽっきりと折れたような金属の鉈を引き抜いた。

 

「これでようやく平等ってとこか」

 

 名無し(ニル)は口を開いた。隻眼の視線を、鏡写しの己へと真っ直ぐに向ける。

 

「さっき攻撃は一瞬躊躇していたな。アリスがいたからか?」

 

 名無しは答えない。ただ、光のない瞳でこちらを凝視している。

 

「……まぁ、何があったのかは知らねえが」

 

 名無し(ニル)は僅かに声音を落とし、どこか己の魂の底を直接抉り出すように、目の前の男を問いただした。

 

「お前は『復讐』を捨てられなかった俺だ、違うか」

 

 彼はどこか己にも問うように問い正す。

 

「……目的はなんだ。キヴォトスを滅ぼすことか?」

 

 問いかけに敵は応じない。その沈黙がこそ回答であった。

 

「……いや、俺のことだ。分かる」

 

 名無し(ニル)は自嘲気味に笑い、確信を込めて言葉を紡ぐ。

 

「『輪っか付き』共を全て一人残らず殺すこと、そうなんだろ」

 

 名無し(ニル)は己の心を見透かしていた。なぜなら、目の前の男は他ならぬ己自身だからだ。世界線が違えど、その根底にある堪えぬ憎しみと苦悩は、この世の誰よりも味わってきた自負がある。

 

 名無しはようやくその髭の伸びた口を開いた。

 

「……恐れを真に消し去り、恐怖のない世界を創る。それこそが目的であり、キヴォトスの支配権などどうでもいい」

 

 ひどく掠れた、まるで砂を噛むような声だった。

 

「……この世の全てから『恐怖』を消す。ただそれだけだ」

 

 名無し(ニル)は深くため息を吐き、一度だけ俯いた。そしてゆっくりと顔を上げ、正面に向き直る。

 

「なんであれ、そういう結論に至る気分は分かるさ。だがな……」

 

 その歪んだ救済の形に共感を覚えつつも、彼に今更生じる迷いはない。

 

「俺は俺の道のために(お前)を打ち倒さなきゃならん。悪いな、消えてくれ」

 

 名無し(ニル)は眼前を指差し、分厚い金属の鉈をもう片方の手に構えた。

 

「もういい、言葉など既に意味を成さない」

 

 名無しもまた、折れた鉈を同様に構える。

 まっさらな砂地の上、地平線はどこまでも続いて何も在りはせず。空に色は無く、濁り切ったように曇ったまま。風が寂しげな音を立てて砂煙を吹かした

 

 虚しさの果て、分岐路の交わりにて。

 “答え”を得るための終わりなき自問自答に最後が訪れる。

 

 




[補足]
-名無し(Nihilism)
 名無し(ニル)とは違い、大人の男性の姿。折れてしまった鉈を持つ。ある意味では初期の名無しに近いほう。
 人は諦めて大人になるものだ。

-虚しさの果て
 砂漠でもなく、ただ広がる平らな砂地。何も在らず、君の心のように何も残らなかった。ここに何かが現れても、きっとすぐに奪われて、壊されて消える。全てはいつだって虚しいだけ。これが君の世界。
 こんな世界を君はこれからどう生きる。
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