[完結] From outside Kivotos 作:ケトゥ毛
「“ふぅ……これで全部かな”」
男はその日の仕事に一区切りをつけ、深く息を吐いた。
周囲に広がるのは学園都市。だが、そこは誰もが知る表のキヴォトスとはどこか色合いが異なる。ここはキヴォトスの裏側であり、“反転した”者たちのための学園だ
「先生、私だ」
扉をノックする音とともに、整った凛烈な声が部屋に響く。
男を“先生”と呼ぶ少女が、静かに部屋へと足を踏み入れてきた。
この男は、表の世界における厳密な意味での“先生”ではない。その手にはすでに『シッテムの箱』もなく、奇跡を起こす権能を持っているわけでもなかった。
そして同時に、この裏側に身を置く生徒たちもまた、かつてのような純粋な生徒ではないのかもしれない。彼女たちはそうであったが、過酷な運命によって“そうでなくなってしまった”存在だった。
だが男も、彼女たちも。
かつてのように、ただ自分らしく在りたいと強く望んだ。
だからこそ彼らは、歪んだ世界の中でも以前と変わらず、自分らしく在り続けているのだ。
「“お疲れ、今日見て回ったところはどうだった?”」
男がデスクから顔を上げ、穏やかに問いかける。
「問題ない……と言いたいところだが、少しトラブルが起きていた。この新しい環境下で学園同士の垣根も消え、摩擦も減ると思ったが……やはり、そう簡単にはいかないな」
溜息を混じえながら報告するその少女は、錠前サオリという名を持っていた。
彼女は自身の属する学園での生活と並行して、この男の傍らに立ち、師事するように業務を補佐していた。学生でありながら、どこか教育実習生のように立ち回っている。
「“でも前ほど酷い対立が起きているわけでも無さそうだし、そう大きな事件に発展する心配もなさそうだね”」
男は手元の資料をまとめながら、優しく微笑んだ。
現在、彼らはこの裏側の世界において『連邦捜査部シャーレ』として活動している。
ここに集う者たちは皆、一度は世界の終わりを目の当たりにし、それぞれの形で壮絶な過酷を背負ってきた生徒たちだ。中には強いトラウマや精神的な傷を抱える者、あるいは記憶の一部を失ってしまった者も少なくない。
そうした背景もあってか、かつて表の世界にあったような政治的対立や、過剰な権力闘争のような様相は随分と薄れていた。純粋に「今日をどう生きるか」「この地区をどう開発していくか」という課題に直面している彼女たちにとって、他者を蹴落とすような政治ごっこをしている余裕など、そもそもないのかもしれない。
かつてのキヴォトスのような安定した体系を取り戻すには、まだ長い時間がかかるだろう。だが、ここにいる誰もが、少しずつでも前を向いて歩もうとしていることに変わりはなかった。
「……ふふ、そうだな」
サオリは自身の持つファイルに視線を落としながら、ふっと口元を緩めた。かつてなら想像もつかなかったような、柔らかく穏やかな笑みだ。
「昔の私なら、少しの衝突でも『排除すべき脅威』として銃を向けていたかもしれない。だが……対話によって収められる程度の擦れ違いだと分かると、なんだか不思議な感覚になる」
「“成長したんだよ、サオリがね。それに、君が間に入ってくれたから穏便に済んだんだと思うよ”」
「私、が……か」
褒められることにまだ慣れていないのか、サオリは少しきまずそうに視線を泳がせ、手にしていたペンを弄んだ。
「……私はただ、先生の教えを真似ているだけに過ぎない。先生が私にしてくれたように、彼女たちの声に耳を傾け、理由を聞こうとしただけだ」
「“それでも、実際に動いて言葉を届けたのはサオリだ。立派なものだよ”」
「……そう言われると、悪くない気分だな」
小さく咳払いをしながらも、彼女の頬にはどこか誇らしげな朱が差している。
先生は淹れ立てのコーヒーを彼女の前に差し出す。サオリは「かたじけない」と受け取り、息を吹きかけながら一口、口に含んだ。かつては温かい飲み物を味わう余裕すら知らなかった少女が、こうして静かな時間を楽しんでいる。
「“そういえば、最近は生徒たちの相談に乗ることも増えたみたいだね。サオリのことを頼りにしている子、結構いるみたいじゃないか”」
「……ああ。私のような傷物でも、話を聞いてほしいと言ってくれる者がいる。最初は戸惑ったが……彼女たちの不安を少しでも取り除けるなら、私は喜んで言葉を尽くしたいと思っている」
「“傷物って……”」
サオリは湯気の向こうで、どこか遠くを見るような眼差しをしていた。
「先生……私は、昔は『強くならなければ何も守れない』と信じ込んでいた。だが、本当の強さとは、ただ敵を打ち倒す力のことではなかったのだなと、改めてそう思う。」
「“……うん。寄り添うことや、導くこともまた、大きな強さだからね”」
「ああ。それを教えてくれたのは、他ならぬ先生だ」
サオリはカップをデスクに置くと、まっすぐに先生の目を見つめた。その瞳には、かつての絶望や虚無感の欠片もなく、一筋の澄んだ意思が宿っている。
「私はまだ、自分がどう生きるべきか、この先どんな存在になるべきか、明確な答えを出せたわけではない。だが……」
少しだけ言葉を区切ると、彼女は照れくさそうに、だが決意を込めて言葉を紡いだ。
「いつか……誰かの暗闇を照らし、迷う者に手を差し伸べられるような……そんな役割を担える人間になりたいと思うようになった。先生のように」
「“……そっか。すごく素敵な目標だと思うよ”」
先生が目を細めて微笑むと、サオリは自分の発言の意図に今更気づいたのか、ハッと息をのんで慌てて手を振った。
「っ……いや! 今のはその、先生と肩を並べられるなどと大それたことを言いたいわけではなく……ただ、その……背中を追いかけたいという、私個人の傲慢な願望であって……!」
「“はは、分かっているよ。大丈夫。サオリなら、きっと私以上に頼もしい『誰か』になれるさ”」
「先生……」
「……最初から最後まで敵わないな」
動揺を隠しきれず顔を赤らめるサオリだったが、先生の言葉に包まれると、やがて諦めたように深いため息をつき、照れくさそうな苦笑いを浮かべた。
「そういえば……“彼”は今、どうしているのだ?」
サオリがふと思い出したように尋ねた。
「あれからしばらく姿を見ていないのだが……」
“先生”は書類を整える手を少しだけ止め、だが“男”は穏やかに答えた。
「多分、“向こう”で自由にやってるんじゃないかな」
「知っているのか?」
「まあね。たまに一瞬だけこっちに戻ってきては、色々と話していくから」
「……そうか。私も久々に話してみたいものだな」
サオリは窓の外に広がる曇り空へ視線を投げながらぽつりと呟いた。
「“そう? 呼べば案外すぐ来るよ。この前の休憩時間も、ちょっと向こう側に連れて行ってもらったんだ”」
先生が何気なくそう補足すると、サオリは驚いたように目を丸くした。
「そうなのか……? なんというか……その、私の知らない間に、随分と仲良くなったものだな……」
感嘆と、ほんの少しの驚きが混ざったような声。そんな彼女の様子に、先生は楽しそうに笑った。
「うん、だって友達だからね」
「友達……か」
サオリはその言葉を反芻し、どこかわだかまりの溶けたような、優しい表情を浮かべた。
「“そうだ。今度、新シラトリ区の辺りに大型商業施設が建設されるって話、したよね”」
先生は話題を切り替えるように言った。
「“映画館も内包してるみたいだから、今度みんなで見に行かない?”」
「いいのか……? だが……」
私のような者が、そんな平和な娯楽に興じても良いのだろうか、と言いかけたところで。そんなサオリの迷いを見抜いたように先生は優しく言葉を重ねる。
「“大丈夫。なんだったら、ミサキ、ヒヨリ、アツコも連れてきていいよ”」
「……っ、ああ。みんなも……きっと喜ぶ」
「“うん、楽しみにしといて”」
先生は笑顔で返すと、再びデスクの作業へと視線を戻した。
その手元に置かれた端末の画面には、一枚の写真が映し出されている。
天を突くようにそびえ立つ巨大な塔。
それを背景に笑顔を浮かべる無数の生徒たちの集合写真。
そしてその中心で、ヘイローを持たない二人が、互いに肩を組みながら笑っている。
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なんでもない、曇ったある日。
ネオンと錆に彩られたブラックマーケットの街並みを、羽織ったコートの裾を揺らして歩く少女が一人。名高い(と自称する)アウトロー組織『便利屋68』の社長、陸八魔アルである。
彼女は周囲に刺さる物物しい視線を悠然と受け流しながら、ふと足を止めた。闇銀行の方向へふと目を向ける。
「う~ん……やっぱりここを通ると“あの時”を思い出すわね……」
ぽつりと漏らした嘆きは、雑踏の中へと虚しく消えていった。
ハードボイルドな無法者。彼女が理想として掲げるその姿とは裏腹に、彼女の根はあまりにも善良で、それゆえに苦い思い出は絶えない。闇銀行でのあの一件もその一つだ。
だが、あの目まぐるしい騒動の中で起こった、もう一つの出来事が不意に脳裏をよぎる。
「(そういえば……あの奇妙な『覆面水着団』の件も、確かここで同時に起こったのよね)」
例の面々を思い返し、アルは小さく首を傾げた。
特に明確な目的があったわけではない。ただの好奇心か、あるいは雨あら社会を生きる者としての直感か。
無意識のうちに、彼女の足は本来の軌道を外れ、あの日の記憶が残る道へと向かっていた。どこかでまた思わぬ出会いがあるかもしれない、とそんな期待を抱いていたのかもしれない。
唐突にそんな彼女に意図せぬ風切音が鼓膜を刺さる。
暴走する大型トラックが、目と鼻の先を猛スピードで横切っていった。
「きゃっ!?」
危うく跳ねられそうになったアルは、間一髪のところで地面にしりもちをついた。ハッとした彼女は怒声を張り上げようとした。
「な、なによ! 危ないじゃな……」
言葉は最後まで続かなかった。
轟音と破砕音が街に響き渡る。勢いを殺さぬまま突き進んだトラックは闇銀行のエントランスへとそのまま激突。重厚なガラスと鉄骨をあっけなく粉砕し、派手な煙を巻き上げた。
「な、なに……!?」
あまりに突然の暴挙に、アルは怒りも忘れて目を丸くする。
煙が充満する凄惨な現場。しかし、彼女の視線は粉砕された建物ではなく、その手前に留まっていた。衝突のほんの一瞬前、トラックの荷台の上に確かに『それ』が存在していたのを、彼女の目が捉えていたからだ。
影は、衝突の直前に跳躍し、極めて洗練された着地で地面へと舞い降りた。
黒いタクティカルギアに身を包んだその姿は、素肌すら窺い知ることができない。頭上にヘイローが存在しないことから、どこかの学園の生徒ではないことだけは確か。だが、不気味なほどの無機質さの中で唯一、腰下まで伸びた非常に長い黒髪だけが風にたなびくいている。
危険な匂いを全身から漂わせる謎の人物としか表せない。
「(誰……? 一体何が始まろうとしているの……?)」
彼女の勘が告げていた。これは単なる事故などではない、何かが始まろうとしている……!
アルはゴクリと固唾を飲み込んだ。
背中に背負われているのは、一見すると無骨な金属の板のように見えた。そして両手に握られているのは、殺傷力に特化した二丁のサブマシンガン。
「まさか……闇銀行を襲撃する気……? 一人で……!?」
キヴォトスにおいてこうした事件など珍しくもないが、たった一人で、しかもこの闇銀行に正面突破を試みるなど無謀の極みだ。正気を疑う光景に引きながらも、悪党のトップを自負するアルの胸中には、抗えない好奇心が湧き上がっていた。彼女は吸い寄せられるように、瓦礫の陰からその惨状を覗き込む。
「何事だ!? 何が起きている!?」
「なにっ」
「マーケットガードを呼べ! 襲撃だァ!」
煙が充満する行内から、けたたましい警報音と共に無数の警備用オートマタが雪崩を打って溢れ出してきた。多層的な包囲網が、その一人を中心に瞬く間に形成されていく。
だが、その存在にとって数の暴力など何の障害にもならないようだ。
引き金が引かれた瞬間、耳を刺す激しい掃射音が響き渡る。驚くべきことに、その銃口はマーケットガードだけでなく、逃げ惑う客や困惑する職員にまで容赦なく向けられていた。
バチバチと空薬狭が跳ね、瞬く間に両手のサブマシンガンが撃ち尽くされる。すると影は、残弾のない銃器を躊躇なく最寄りのオートマタの顔面へ投げつけ、そのまま一気に間合いを詰めた。
背中の金属板が、引き抜きかれる。
「(鉈……!?)」
それは一瞬アルの目に無骨で巨大な鉈のようにも見えた。
重厚な金属音が響き、オートマタの装甲が大きく凹む。間髪入れずに放たれた蹴りがオートマタを吹っ飛ばし、その勢いのまま敵からアサルトライフルを奪う取ると、至近距離から次々と他の敵の頭部を撃ち抜いていった。
淀みのない流れるような連撃。
さらに驚異的だったのはその防御技術だった。放たれた弾丸を常軌を逸した反応速度で最小限の動きで回避し、躱しきれない一弾を、手に持った重厚な鉈の腹で甲高い火花を散らして弾き返したのだ。
あまりにも異次元な戦闘技術。
「(な、なによ今の……!? こんな戦い方、見たことも聞いたこともないわ……!)」
アルは息を呑み、目を見開いたまま立ち尽くしていた。
戦いの最中の戦場に、ぞっとするほど澄んだ声が響いた。
その存在が高揚感を隠しもせずに笑ったのだ。しかもおぞましい、恐ろしいようなものではなく、妙に綺麗というか子供のような純粋な笑い声のように感じさせられる……!
そして、瓦礫を踏みつける音に紛れて、ぽつりと漏らされた呟きをアルの耳は逃さなかった。
「……ロコが言ってた銀行強盗ってのも、案外面白いもんだな。思い付きで始めたんだが」
完全に独り言の体であった。だが、その内容のあまりの異常さに、アルの思考は完全にフリーズする。
「(なななな、なっ、何ですってーーーーーーー!!!???)」
絶叫が、アルの心の中で木霊した。
「(一人で!? ブラックマーケットの中でも危険な闇銀行を!? 下準備も計画もなしに!? たった今思いついたからって理由だけで追突して襲撃したの!!??)」
動機も、手順も、リスク管理も、何から何までが常軌を逸しすぎている。アウトローの流儀どころの話ではない。変なクスリでもやってるのか?
その人物は、火の手が上がり黒煙の立ち込める行内へと、散歩でもするかのように足を踏み入れていった。怯えて震える職員の前で、「その首をかっ切るぞ」と表していそうなジェスチャーで脅迫すると、差し出された札束の山や、重要そうな資料、USBメモリといった機密情報を片っ端から自身のバッグへ放り込んでいく。
それだけで終われば、まだ“手際の良い銀行強盗”で済んだかもしれない。
しかし、その人物は強奪を終えるやいなや、またしても“ふと思いついた”とでも言いたげな動作で支柱や壁、重厚な金庫の扉までをも破壊し始めたのだ。
「こ、これじゃ銀行強盗じゃなくて銀行解体じゃない!?」
思わず声が漏れかけた口を、アルは両手で必死に押さえた。
怨恨や報復といった悲壮な背景は微塵も感じられない。愉快犯だ。
“悪”だ。あまりにも“悪”すぎる。
誰かへの復讐でも、生存のための困窮からでもない。純粋に“悪”そのものを謳歌しているのだ。悪い大人とも違う質の悪さを感じる……!
「(……私に足りなかったのは、この“楽観さ”だったのかしら……?)」
混乱する頭の片隅で、アルはふとそんな突飛な思考に至っていた。この破天荒極まりない危険人物から何かを学ぼうとするなど間違いなく狂気の沙汰だが、どこか目を奪われてしまうのもまた事実だった。
奪い取った現金やUSBを銀行の装甲車へ手際よく放り込んだその人物は、奪った端末の画面をチラリと覗き込み、独り言のように呟く。
「カイザーかぁ……企業解体も悪くないかもな。にしてもまだまだ情報がいりそうだ、待ってろよ“お前ら”」
そして一通り暴れ散らした惨状を見回すと、あろうことか自身の端末を操作し始めた。
「……一応、救急車も呼んどくか。このままじゃ可哀想だしな」
「思い付きで行動しすぎでしょ……!? そんな人を思いやれる心もあるの……!?」
アルのツッコミは留まるところを知らない。常識も倫理も通用しない狂暴さを見せたかと思えば、妙なところで人道的なフォローを入れる。支離滅裂で圧倒的に自由だ。
彼女は全身の肌が泡立つような感覚を覚えていた。この存在は、自分が目指してきた“ハードボイルドでカッコいい無法者”の像とはあまりにもかけ離れている。だが、疑いようもない。目の前にいるのは、間違いなく『悪党』だ。
気がついた時には、彼女の足は瓦礫の陰を飛び出し、その人物のもとへと一歩を踏み出していた。
「ねぇ!」
「……?」
立ち去ろうとしていたその人物が、ゆっくりと振り返る。アルは胸の高鳴りを隠そうともせず、好奇心で瞳を輝かせながら声を張り上げた。
「あなた、すごいわね! こんなこと一人でやるなんてどうかしてるわ! 一体何者なの? “どこ”から来たのかしら!?」
唐突に現れた少女の問いかけに、その人物はしばし沈黙した。そして、煙の立ち上る破片の隙間から覗く、微かに日光の差し込んだ曇り空を仰ぎ見る。
「“どこ”から、か」
ぽつりと溢れた声には、先ほどまでの高揚とは異なる深い響きを含んでいた。
そんな中、涼しげな風が吹き去り、その人物の髪を揺らす。
少しの間をおいて、その人物はアルへと向き直る。そして無雑作に手を伸ばすと、顔を覆っていた装備を迷いなく取り払った。
露わになったのは自信に満ち溢れた力強い表情。
唇をニッと釣り上げ、野心的な笑みを浮かべた“彼”はその口を開いた。
「キヴォトスの外から」