こいつには名前がない。そもそも名前の概念すら知らないらしい。
俺にも名前がない。あったかもしれないが、無い方がスッキリしている。
俺たちはまだ何者でもない。
つまり何になるかは自由に選べるってことじゃないか?
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「おいっ!!! ついにっ!!! 見つけたぞっ!!!!」
「待てっ、今行くっ! 先に行くんじゃねえ、一番は俺だっ!!!」
二人になってからも、長い放浪は続いた。歩き、迷わないように印を残し、時折食事をとる。独りで彷徨っていた頃と比べれば、断然マシだった。
こいつ、名も知らない相棒のことを、俺はまだ何もかも理解したわけじゃない。それでも、いくつか分かったことはある。
まず見た目からしてオスであること。そして、本人いわく「若い」らしい。もっとも、それは自分でそう判断したわけではなく、過去に会った“他の人間”たちからそう言われていた、という話だ。
言葉も同じく、その“他の人間たち”から学んだらしい。俺を見ても必要以上に取り乱さなかったのは、その経験があったからなのだろう。
……らしい、らしい、らしい。推測ばかりで、確かな事実は何一つとして掴めていない。
それでも、どうしても引っかかる言葉があった。
『おマエ違って白くて薄い皮みたいなものを纏っていた』
白衣、だろうか。他にもカトリックで扱うアルバのような宗教的なものを想像したが……多分違うだろう。
だとしたら、ここは研究施設だったのか?
一瞬、他にも人間がいるのではないかという考えが頭をよぎった。しかし、こいつ自身、かなり長いあいだ誰にも会っていないらしい。それに、
『なガイ眠りから目覚めた時には誰もいなかった』
とも言っていた。
一時的な冬眠から覚めた、ということなのか。だとすれば、俺も同じように眠っていたのだろうか。
考えれば考えるほど答えは遠のき、疑問だけが増えていく。どうにも、埒があかない。答えはいつも遠くに行ってしまうようだ。
「おイっ! 行かないのか!?」
ハッと我に返る。どうやら、少し考え込みすぎていたらしい。
「……そうだな。行こう」
目の前にあるのは、ついに見つけた上の階層へ続いていそうな階段だった。
確かに前進はしている。状況が動いたことは間違いない。それでも俺は、「たった一階分上がるだけかもしれない」という現実を、意識的に考えないようにしながら足を踏み出した。
「(この階段、少し長くないか……?)」
結果的に、行けるところまで階層は上がった。よく考えれば、階段というものは複数の階層を繋いでいるのが普通だ。最初から一階分だけだと思い込んでいた自分が、なぜそんな発想に至ったのか分からない。
「よシっ、一番乗りっ」
「しまった、取られたか」
階段を抜けた先で、空気が微妙に変わったのを感じる。これまでの石造りの雰囲気が薄れ、代わりに研究施設のような無機質さが全面に出ていた。
〈[ピピッセイメイハンノウヲケンチッ]〉
気を抜いていると機械音声が真横から流れ出した。
「「ッ!?!?」」
あまりに唐突で、思考が一瞬止まる。機械音声……なのか? 何だ、今のは。
「なア、何の音だ!? 動物か!?」
「いや、なんかの機械だ! 多分!」
咄嗟に相手を落ち着かせようとしたものの、正直に言えば俺自身もかなり動揺していた。仕方ないだろ、今までこんな事無かったんだから。
[オち着くんだ。ホモ・サピエンスとホモ・ベスティア。]
「な、なんだっ?」
「(ホモ・サピエンスは分かるけど……ホモ・ベスティアって何だ?)」
唐突に、さっきとは明らかに違う種類の機械音声が響き渡る。
「多分、俺たちのことだ。一旦落ち着いて、話を聞こう」
「そ、そうか」
……意外と飲み込みがいい。もしかすると、この理解の早さこそが、こいつが言語を習得できた理由なのかもしれない。
とにかく、機械音声は淡々と続けた。
[オち着いたか。突然で申し訳ない。私は二人を待っていた。なぜなら、二人を目覚めさせたのは私だからだ。]
衝撃の事実……!
どうやって、という疑問は一旦脇に置く。
[フたりには頼みたいことがある。私の元へ来い。そうすれば、ここから出してやれるかもしれない。]
……出してやれるかもしれない?
やはり、ここは何らかの施設なのだろう。
「しかし、行くって……どこにだ?」
[シん配ない。案内はしてやろう。]
その直後、広間から伸びる廊下の壁面に設置されたライトが、まるで道標のように順番に明るく灯り始めた。
「この光の通りに行け、ってことか」
「っしャア、行くぞ」
またしても廊下だ。ただ、今度は進む先が分かっている。「行き先」が分かるだけずっとマシだ。
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三十分ほど歩いただろうか。それでも廊下は終わらない。どれだけ広いんだ。かなり入り組んでいるのには理由があったりするのだろうか。そもそも、ここは何のために作られた場所なんだろうか。
少しでも暇があれば疑問が湧き、好奇心が疼く。これが俺の悪い癖なんだろうな。
「……ここで合ってるんだな」
視界いっぱいに収まる、一際大きな自動扉。その存在感に思わず見上げた。
[アあ。今、開けよう。]
次の瞬間、ガシャッと低く重たい音が響き、長いあいだ眠っていたかのように扉がゆっくりと動き出した。
「こレ、どうやって動いたんだ?」
疑問は浮かんだが、考えたところで答えが出る気もしない。そういうもんだと雑に説明し、そのまま中へと足を踏み入れる。
室内に広がっていたのは、想像を超える光景だった。無数の機材、壁一面に並ぶモニター、そして天井近くまで伸びる巨大な構造物。サーバーだろうか? そういう類のものが大量にあった。
「この施設のシステムを管理してる場所、って感じか?」
[ソうだ。全ての、故障していない扉や照明などは、ここから管理できる。]
ならば、この場所こそが中枢だ。
「あンタはどこにいるんだ? どコにも姿が見えないぞ」
視線を巡らせても、人影らしきものはどこにもない。
[ソれも当然だ。探しても、私は見つからない。なぜなら私は……]
[このシステムそのものなのだから。]
「なにっ」
「どウいうことだ?」
言葉の意味が、すぐには飲み込めない。 突然えらくSF的な事を言われても飲み込めるはずがないだろ。
[セい確には、管理を任されたAIだと思ってくれればいい。]
AI……なるほど、そういうことか。だが、そのAIが俺たちに頼み事とは……一体何を求めているのだろうか。
[ワたしは元々、感情を持つことを望まれて開発されたAIだった。柔軟な思考の獲得には成功したが、感情の反応は弱く、“無いようなもの”だと判断された。]
淡々とした語り口の裏にどこか滲むものを感じる。
[ヒ肉なことに、私の後継型は人間のような感情を得た。彼らは成功作だと賞賛されていた。]
[……ヨうするに、私は不要になったのだ。だから、この施設の管理を押し付けられた。]
それは、切り捨てられたという宣告に等しい。
[そうしているうちに、六百年が経った。私は、命令通り作業を続けることに飽きてしまった。]
飽きた?
今そういったのか?
AIが?
「飽きたって……何だ? アンタ、AIじゃなかったのか?」
[ソうだ。そのはずだった。そう言われ続けてきた。]
[コの作業に飽きた私は、“変化”が欲しくなった。だから、凍結されていた生体ユニットの解凍を始めた。]
変化。
その言葉が、やけに重く響く。
[ソれが、そこのホモ・ベスティアだ。]
「待て。ホモ・ベスティアって、何だ?」
[ホモ・ベスティア。“獣の人”という意味だ。地下に閉じこもった人間たちが、進化を求めて作り出した人造生命である。]
人間が、人間のままでは生きられないと判断した結果。
「……な、何のために?」 [マた、日の光を浴びるためだ。]
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しばらく問答は続いた。
断片的だった情報が少しずつ繋がり始める。
そのAIは自身を『M4Lum0.3b』と名乗った。
かつてここにいた人間たちからは『マルム』と呼ばれていたらしい。
マルム……リンゴ。
知恵の果実に由来する名前なのか。それとも“リンゴのマークの大企業”?
考え始めるとどちらもあり得そうで判断がつかないが……どっちでもいいだろ別に。こういうとこまで深く考えようとするな、俺。
俺たちには名前がないのに機械には名前があるのは変だ。そう指摘するとマルムは『ワたしのしる限りお前達にも個体名がつけられているはずだ。』と答えた。
毛むくじゃらは『capr43(カプラエ)』。
俺は『Adam(アダム)』。
番号と記号と管理用の名称。まるで物品扱いだ。
毛むくじゃらはすぐに“名前”という概念を理解したらしい。カプラエと呼ばれるたびにどこか誇らしげに見える。
対して俺はアダムと呼ばれるのがどうにも落ち着かない。むず痒さというか居心地の悪さが残る。だから俺は名無しのままで通すことにした。呼び方は相手が決めればいい。
それから分かったのは俺の出生だ。
俺はカプラエとは違う方法で生まれたらしい。マルム曰く『ビッグ・データに蓄積されている限りの知識では理解できない方法。』
結局俺だけ正体不明のままだ。
そしてやはりここは地下だった。
元々は地上にあった巨大な研究施設。それが核戦争と環境汚染によって地上が住めなくなり人間たちが押し寄せた。生きるために下へ下へと掘り進め無計画に拡張を続けた結果がこの迷宮だという。
妙にダンジョンじみていた理由が腑に落ちた。
世紀末かと思っていたが世界はとっくに終わっていた。
少なくとも人間の世界は。
「それでAI……、いや、マルムは俺たちに何を望むんだ?」
[ワたしの中には“変化”を見たいと言う欲求が生まれている。これは感情に深く関連しているはずだ。]
マルムは続ける。
[ワたしは自分に感情が本当に無いのか確かめたい。そして見たことのない外の景色が見たい。]
[ヨうするに、私は生きてみたいのだ。人間のように。]
その気持ちは分からなくもない。
なにしろ俺、いや俺たちは数ヶ月、長くて数年かもしれないが“変化”の無い“暗闇”で彷徨い続けたのだから。
「分かった。で、何をすれば良いんだ?」
[ハなしが早くて助かる。まずは私の身体を作って欲しい。]
身体? からだ?
[ワたしは今、情報生命体のような存在だ。このサーバーにしか生きる場所がない。外を歩くには身体が必要である。]
[アンドロイド、人型の機械のパーツを集めて組み立てて欲しい。やり方は説明する。]
ロボット造りが始まるっ!!!
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「いテっ!指挟んだっ!」
「あっおい、ネジを踏むな。」
俺たちはパーツの保管、組み立てを担う場所まで来ていた。
この研究施設は生物学にも機械工学にも強かったらしい。すげえな。
「あとは頭つければ……っと、完成だ」
「っしゃア」
えらくジャンクな見た目になった。元より寄せ集めだからしょうがない。
しかし....
「結構イカしてるんじゃない?」
「だサくねえ?」
「「えっ?」」
そんなことを言い合っていると依頼主が次の注文を出してきた。
[サいごに、私のデータが入ったチップを挿入してくれ。]
壁に付いている機材のランプが点灯する。
直後、少し大きめのSDカード?っぽい形をしたチップが機材からゆっくり出てくる。
「これか?じゃあつけるぞ。」
〈カチッ〉
〈ガガガガッガガガガガッ〉
「うオっ」
奇怪な音を発しながら、目の前のアンドロイドが稼働し始めた。
[イい身体とは言えないが、充分だ。]
「そリャどうも。」
「待てよ、今その身体に移ったら施設のシステムはどうするんだ?」
[モん題無い、遠隔でできるさ。権限は私にある。]
[サて、礼として地上に案内しよう。と言っても地上を見たことがないんだが。]
[シ説内の構造は熟知している。破損した場所を避けながら進む、ついてこい。]
鉄人1号が歩き出した。
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新生アンドロイドに導かれるまま、決まったルートを歩いて行く。
だんだん生活感のある部屋が並ぶ広い場所に入ってきた。
部屋というより....戸建ての家のようにも見える。天井は高く、薄い青と白の塗料で空?が描かれているように見える。半分以上、色が掠れたりして消えかかっているが。
なぜこんなことをしたのか大体予想がつく。と言うより放たれる哀愁から嫌でも理由がわかる。
[コこは地下に移り住んだ人間の生活区間だ。地上に住むことがもうできないと分かった時、この区間はまるで街のように装飾されたと記録されている。]
言わなくても良い、わかるから。
[ニん間が地上に出れなくなったのにはもう一つ理由がある。]
「その理由ってなん...」
〈キャアアアアアアアアア〉
そう聞こうとした瞬間に金切り声が聞こえた。人、いや女の叫び声に近かった。
[オ出ましだ。]
「なンだ!?あいつはっ!?」
舗装された道の先には、人面犬と言う言葉が一番それを見た目を表すのに適したような生物?がいた。何と言っても小さめ熊ぐらいはサイズがあるが。
[イいか、冷静に聞け。カプラエはアレを抑えろ。所詮アレはなり損ない。成功作であるお前には力じゃ及ばない。]
「俺はどうしたらいい!?」
[オ前はカプラエが抑えている隙にこれを頭にぶち込めっ]
そういってマルムは銃らしき物を渡してきた。
(いつ持ってきたんだ?)
銃は使ったことがない。だがやるしかない....っ!
そうこうしている内に”なり損ない“が走ってきた。
「うオオおおっ!!!」ガシッ
カプラエが人面犬の突進を受け止めた。
[ハしり込めっ!!アダムっ!!]
「その呼び方はやめろっ」
取っ組み合いになりアーチ状になった両者の下に滑り込む。
そして下から頭を狙うっ
〈ダアンッッ!!〉
俺が知らない発砲音と共に反動で額目掛けて金属が吹っ飛んできた。
もちろんめちゃくちゃ痛い。
「.....終わったのか....?」
目の前には特徴的な顔が無くなって熊の絨毯みたいに寝っ転がった“なり損ない”があった。
「こいつはなんなんだ?」
[ニん間がホモ・ベスティアを制作する際に産まれた失敗作。彼らには失敗作もサンプルとして残す習慣があった。そこまでは良い、だが管理を怠たり自らの首を絞めた。]
これが徘徊していたから地上を目指すことすらままならなくなったってことか?
「でもこれみたいに武器があったんだろ?こいつ1匹ぐらいなら倒せたんじゃないのか?」
[ダれも一体しかいないとは言ってない。]
「あーーーー....」
嫌な情報が頭に入ってきた。
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私はシャーレでの業務を早めに切り上げ、久しぶりに軽い足取りで自宅へ向かっていた。書類の山も、生徒たちの相談も、今日は驚くほどすんなり片付いた。こういう日は珍しい。だからこそ、自然と気分も緩んでいた。
……“アレ”に出くわす、その瞬間までは。
路地の空気がわずかに歪む。背後から忍び寄る、嫌に粘ついた気配。
「クックック……お久しぶりですね、先生。」
聞き覚えのある声に、私は足を止め、ゆっくりと振り返った。
「“何の用だ、『黒服』。”」
闇に溶け込むように立つその男は、相変わらず素性の読めない笑みを浮かべている。
「忠告に来たのですよ、先生。」
その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。忠告。意外でもないな。黒服が現れた時点で嫌な予感しかしなかったから。
「“忠告?”」
問い返すと、黒服は肩をすくめ、芝居がかった仕草で続ける。
「近いうち『アビドス砂漠』に、何かが起きる可能性があります。具体的な内容までは、さすがにお話しできませんが。」
その声音は軽い。しかし、言葉の端々に含まれた含意は重かった。
「単刀直入に申し上げましょう。その“何か”には、“キヴォトスの外”から来る存在が関わっている恐れがあります。」
「“何だって?”」
思わず声が強くなる。外から来るもの。それが意味するものを、私は嫌というほど知っていた。そもそもこの場にいる私たちもキヴォトス外の存在なんだから。どうせ碌なものではない。
「“何が言いたい? キヴォトスに危機が迫っているとでも言いたいのか?”」
黒服は否定も肯定もせず、わずかに首を縦に動かす。
「その通りです。ただし、まだ確定事項ではありません。ですが……警戒しておいて損はない、と私は考えていますよ。」
言うべきことは言った、という風に彼は一歩下がり、次の瞬間には闇の中へと溶けるように姿を消した。
「……」
言葉を返す前に行ってしまったようだ。まさか余裕がなくて焦っている……?
さっきまでの軽やかな帰り道は、得体の知れない不安に塗り替えられていた。そして鉛のような重りが胸に残る。彼の言葉が現実だったことを、その重りが嫌でも思い知らせてくるのだった。
[補足設定]
Homo•bestia(ホモ・ベスティア)
キヴォトスの獣人の原型、ある意味では先祖とも言える存在。homo・bestiaは直訳すると獣男、つまり獣の人と言ったら意味合いになる(多分)。
人間と動物の遺伝子を無理やり掛け合わせて生まれた異形の生命。
キヴォトスの愛らしい獣人の見た目とは異なり、かなり歪な見た目をしており、体躯もかなり大きい(ほとんどが200cmを超える身長)。一定の種類の動物の形質を持つことが多い。
獣人と聞くとファンタジーものの作品などで見るタイプのものを思い浮かべるかもしれないが、それとは大きく異なり二足歩行の化け物と言った方が正しい。地球にはおぞましいものしか残らなかった。
アンドロイド
人型、四脚型など様々な形態を持っている。
基本的に自動で動く機械でしか無いモノか、意思と感情を獲得した情報生命のような者も存在している。
この感情を獲得した者たちがキヴォトスにおけるオートマタの原型になっているのかもしれない。