あれからも、失敗作との遭遇は何度もあった。
進むたびに、必ず何かが待ち構えている。そんな感覚が当たり前になりつつあった。
腕を掴まれ、力任せにへし折られそうになったこともある。間近で顎を開かれ、頭を噛み砕かれかけたことも一度や二度じゃない。どれも紙一重だったが、どうにか生き延びてきた。
その積み重ねのおかげか、銃の扱いも少しずつ身体に馴染んできた……気がする。
正直なところ、自信はない。だが少なくとも、引き金を引くたびに手が震えることは減っていた。
一人が的確な指示を、一人が敵を拘束。そして、俺が止めを。
ある意味、「最強」だ。
そうして進み続けている内に、ついに――
——[ツいたぞ、ここが『出口』だ。]
視界に飛び込んできたのは、身の丈の三、四倍はありそうな巨大な金属の塊だった。
金庫の扉のような無骨な造形。無駄のない厚みが、そのまま防御力を物語っている。
とにかく頑丈そうだ。
下手をすれば、戦車が正面から突っ込んできても耐えきりそうなほどに。
「それじゃあ扉を開けてくれ、俺はいまめちゃくちゃワクワクしてんだっ。」
胸の奥から湧き上がる高揚を抑えきれず、思わず声が弾む。
「あア!早く『青い空』ってのが見たい!」
待ちきれず、興奮気味に急かしてしまう。
[マてよ。外は人間が住めなくなった環境だ。そんな場所に、何の準備も無く飛び出すつもりか? そもそもお前、
「あっ……」
間抜けな声が漏れた。
そうだ俺真っ裸じゃねえか
[コの階層に、まだ物資が残っているはずだ。扉のロック解除には時間が掛かる。その間に、使えそうなものを探してくるといい。]
———そうして、手当たり次第に漁った結果、いくつもの物を見つけることができた。
まず目についたのは大量の包帯だった。
これまで拾ってきた布切れとは比べものにならないほど清潔で、触っただけで状態の良さがわかる。
次に、丈夫そうな素材でできたズボンとブーツ、それにベルト。全部黒い。
さらに、防弾チョッキまで揃っている。どれも使い込まれてはいるが、まだ十分に実用に耐えそうだった。
頭と口元を覆うタイプの……バンダナ、だろうか。
それに、目を保護するためのものらしい、ゴーグルっぽい装備もあった。
そして、最後に目を引いたのが、やや大きめの鉈のような刃物だ。
刃は分厚く、まるで鉄板の塊みたいな重みがある。振り回すには相応の覚悟が要りそうだった。
カプラエはというと、大きめのオーバーコートらしきものを抱えて戻ってきた。
表地には“Abel”というロゴが入っている。防寒というより、風を防ぐのに役立ちそうな作りだ。
本人はどうやら、何も着たくないらしい。
そう言って、あっさり俺に譲ってくれた。(というか、サイズ的にどう考えても合わない。)
彼はその上で、大きなリュックサックを背負い、なぜかブルーシートをやけに大事そうに抱えていた。
用途はよくわからないが、無駄な物を持ち歩くタイプには見えない。
残念ながら下着類は見当たらなかった。
誰のものとも知れない下着を身につけるのは、さすがに気が引ける。というか、普通に嫌だ。
仕方なく、全身の肌を包帯でぐるぐると巻いて保護してから、見つけた装備を身につけていく。
やっぱり、恥部は隠れていた方が精神的に落ち着く。
ただ、どれも状態が万全というわけではない。
コートに至っては袖が破けていて、中途半端な七分袖のようになってしまっている。
袖をうまく捲り、邪魔にならないようまとめ終えた、その時だった。
マルムから、集合令がかかる。
扉の周囲に設えられた装置が、低い唸り音を立てて稼働し始める。
内部で何か巨大な機構が動き出したのが、振動となって足元に伝わってきた。
俺たち三人は横一列に並び、その様子を黙って見つめていた。
[コの世界の人間がどうなったか、覚えているか?]
唐突な問いかけに、わずかに肩が跳ねる。
「どうなったって……環境に耐えきれなくなって地下に潜って、それで滅んだんじゃなかったのか?」
[ソれだけだと思うか?]
含みを持たせた言い方だった。
「……まだ何かあるのか?」
一拍置いて、彼は続ける。
[アくまで聞いた話に過ぎないが……]
[コの星に、早々に見切りをつけた人間たちは、地位の高い者と一部の技術者だけを連れて、別の場所へ移住したらしい。]
移住?
どうやって? まさか宇宙船でもあったっていうのか。
[ノこされた者たちは、それを見て、口々に嘆いたそうだ。『我らを捨て置いて、“
その言葉には、記録越しでも伝わってくるほどの怨嗟が滲んでいた。
[『
「……分からない」
考えた末に、正直な答えを返す。
[ワたしも同じだ。“分からない”。]
[ダから、確かめたい。]
[ソれが、私の目標の一つだ。お前はどう思う?]
『
確かに響きはいい。だが、人間が集まる場所なんて、大抵はろくなことにならない。
仮にそんな場所があったとしても、それが理想通りの世界かどうかは別の話だ。
少なくとも、無条件で信じられるようなものじゃない。
それでも
理屈や懐疑が頭を巡っても、胸の奥でくすぶるものまでは消えなかった。
「俺も、その『
自分の声が、思ったよりはっきりと響いた。
「想像通りにいかないかもしれない」
一瞬だけ言葉を切り、続ける。
「でも……もし“ある”なら、行ってみたい。単純に興味がある」
理由はそれだけだった。
希望でも使命でもない。ただの、純粋すぎるほどの好奇心。
ただ、やりたいから。理由なんてそれで十分だろう?
[ソうか。利害が一致したな。]
機械音声には、わずかだが満足げな響きが混じっていた。
[イまより、我らは共に『
[ドんな環境に晒されようと、手段を模索し、目標に到達する。いいな?]
「その話、乗———」
「まテよ、急に意味の分からない話をするんじゃねェよ。『
一人完全に会話に乗り遅れてやがる
重々しい金属音を立て、扉がゆっくりと開き始める。
隙間から、外に溜まっていた砂が一気に流れ込み、顔に叩きつけられた。
乾いた粒子が頬を打ち、目を細める。
その向こうから、薄く——しかし確かに、光が差し込んでくる。
地下では決して見ることのなかった、本物の光だ。
思わず背筋が伸びる。
無意識のうちに、精神を引き締めていた。
見た目も、種族も、生まれも違う。
地下で偶然出会い、利害と好奇心だけで繋がった三人。
そんな三人の
”『
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どうやら扉は、長い年月のうちに砂に埋もれてしまっていたらしい。
完全に開くことはできず、外へ出るまでに随分と苦労させられた。
何とか微かな隙間をこじ開け、俺たちは腹ばいになって、這い出すように地上へと身を投げ出す。
——待ちに待った、地上だ。
久々に陽光を浴びて、脳内にセロトニンがどばどば分泌される。
そんな、ありきたりな“回復”をどこかで期待していた。
……そう、思っていた。
「うわっ……」
思わず漏れた声は、驚きよりも落胆に近かった。
予想できなかったわけじゃない。
それでも、どこかで「もしかしたら」と思っていた自分がいたのも事実だ。
天に広がっていたのは、透き通るような青空ではない。
ドス黒く、焦げ付いたような雲が一面を覆っていた。
夜のように暗くはない。
中途半端に光を反射しているのか、周囲を見渡せる程度には明るい。
だがそれが逆に、空気の汚れをはっきりと浮かび上がらせていた。
……ここまで大気が汚染されているとは。
人類は何してたんだ。
「こレが『青い空』?……な、訳ないよな?」
カプラエの声には、隠しきれない落胆が滲んでいた。
その表情を見て、俺も同じ気持ちだと痛感する。
“透き通った”青空。
ただそれだけを、見てみたかった。
[ソんな調子だと、この先やってられないだろう。]
[ソとに出られただけでも、良かったと思うんだ。]
……その通りだ。
自分に言い聞かせる。
こんなことでいちいち落ち込んでいたら、もっと酷い現実に直面した時、確実に心が折れる。
この世界では、期待外れなんていくらでも起こる。
むしろ、そっちが“普通”なのだろう。
気を取り直し、辺りを見渡す。
風化しきった建築物の残骸が、もはや石の塀のようにまで削り減らされている。
かつては高層ビルだったであろうそれらも、今では輪郭すら曖昧だ。
ここは……都市だったのか?
だとしたら、一体どの辺りなんだ。
[イま、ここがどこなのか疑問に思っただろう?]
「アキネイターなのか?お前は」
[ネバダ州のリノだったはずだ。]
[モはや、その面影は無いが。]
ネバダ……。
ということは——。
「俺たちは、今から砂漠を横断するのか?」
口にした瞬間、嫌な予感が現実味を帯びる。
足元の砂は、建築物が風化したものだけじゃない。
それに気づいてしまったが、できれば考えたくなかった。
[サっき、飲用物は充分持ってきただろう。]
[アとは運任せだ。]
飲用物.....と言っても”失敗作“たちから採取した血をポリタンク詰めにしたものなんだが....
まあ血はビタミン ミネラル タンパク質 そして塩分が含まれている完全食だから....いい.....のか.....?
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(※ 血は鉄分を多く含むため、「ヘモクロマトーシス」と呼ばれる鉄過剰の病気になってしまい、疲労や関節痛、性欲の低下、肌の黒ずみなどの症状を引き起こしたり、肝硬変・糖尿病・心不全を併発させることがある危険性があるので血の飲用は辞めておいた方がいいでしょう。調べればより正確な情報が得られます。)
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凸凹した砂漠を、黙々と進む。
最初は“透き通った青空”が見えないことに落胆していたが、今となっては直射日光を避けられる分、むしろ幸運だったのではないかと思い始めていた。
誰もが知っている常識だ。
砂漠は過酷で、容赦がない。
一歩判断を誤れば、干からびて死ぬ。
そんな環境で平然と暮らしている連中がいるのだから、正直なところ尊敬する。
風に煽られた砂が体にぶつかり、ぱらぱらと音を立てて落ちていく。
全身を覆うように防御しておいて、本当に良かった。心の底からそう思う。
視界の端に映っていた建築物の残骸も、いつの間にか随分と小さくなっていた。
街の外れに出つつあるのだろう。人の痕跡が、少しずつ砂に飲み込まれていく。
——このまま、当てのない旅が延々と続くのか。
そう思い始めた頃だった。
待ち侘びていた“変化”が、最悪の形で訪れたのは。
「どワァアァアーーッッッ!!!まズいッ!!!数が多すぎるッ!!!」
耳を劈く叫び声。
視線を向けると、デカい二人組と、その周囲を取り囲む夥しい数の四つん這いの……何だ、あれ。
一瞬、戯れているようにも見えたが、すぐに理解する。
——戦闘だ。
「あッそこにいるやつらッ!!こいつら潰すの手伝えッ!!!」
叫びが、こちらをはっきりと巻き込んできた。
「まずい、こっちに来た」
次の瞬間、悪夢の正体がはっきりと視界に映る。
小柄で、四つん這い。
ミイラのように干からびた、ガリガリの人型。
それらが、次々と地面を割るようにして這い出してくる。
——悪夢だ。
[オ前ら、戦闘準備だっ。構えろっ。]
反射的に銃を引き抜く。
だが、即座に制止が飛ぶ。
[ソの弾薬は貴重だっ。なるべく温存しろっ]
なにっ
となると、使えるのは——。
視線が、腰に下げた重い刃物に落ちる。
分厚い鉄板のような鉈。
正直、扱いやすいとは言い難い。
これで、やれってのか。
[クるぞっ]
考える暇はなかった。
唐突に形成された、三人と二人。
即席にも程がある共同戦線。
戦闘開始のゴングが鳴るっ
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「っしャア」
「おラっ」
ゴッゴッ
体躯の大きい二人が、金属の棒を振り下ろし続けている。
骨に当たる鈍い音が響くが、それでもなお、四つん這いのミイラはしぶとく動き続けていた。
〈キシャアッ!!〉
——まずい。
余所見してる場合じゃない。
掠れた奇声を上げながら、別の一匹が飛びかかってくる。
「このっ!!」
ゴッ
手応えは軽い。
次の瞬間、ミイラの頭がダンボールみたいに潰れた。
……柔らかすぎる。
拍子抜けするほどだ。
とりあえず、一匹倒した。
——そう思った。
だが。
「頭が弱点じゃないのか!?」
「
叫びに反応して、重い鉈を持ち上げる。
腕が軋むのを無視して、全身の力を叩き込むように振り抜いた。
「っしゃあ!」
ッパキ
胴体を切断した——はずだった。
だが、刃が肉を裂く感触はない。
代わりに伝わってきたのは、乾いた枝を折ったような感覚だった。
思わず断面を覗き込む。
中は、驚くほどスカスカだった。
そこにあるのは、一本の折れた黒い骨のようなもの。
そこから、妙な色の液体がとろりと流れ落ちている。
……まさか。
こいつの正体って。
——虫……?
-------------------
「死ニやがれっ」
ゴッゴッ
「いイ加減くたばれっ」
バキッバキッ
「このっ……ハァ……ハァ……」
気づけば、俺だけでも十体近くは倒している気がする。
「ッゲホッ」
おえっ
無駄にしぶといせいで、関節をほとんど破壊しないと完全に動きを止められない。
重い鉈を無理やり振り回し続けたせいで、体の内側から外側まで悲鳴を上げている。
腕は鉛みたいに重い。
呼吸も荒く、視界が揺れる。
「……もう、終わったか?」
「こレで最後だっ。くたばれっ」
バキッ
最後の一体が崩れ落ちる。
「よっしゃ……終わった……」
全身の力が抜け、その場に立ち尽くす。
「やっと休める……」
[イや、まだだっ。もう1体、来るぞっ]
——嘘だろ。
冗談だと言ってくれ。
[ジ面からだっ。気を抜くなっ]
「な、なんだぁっ!?」
次の瞬間だった。
地面が盛り上がり、特大の蜘蛛の脚が二本、突き出すように現れる。
続けて、さらに二本。
そして——本体。
ミイラの胴体に、異様に長い蜘蛛の脚が四本生えたような化け物が、俺の真下から這い上がってきた。
[マ下だっ! そこから離れろっ!]
体が反応するより早く、衝撃が走る。
鋭い脚が左腕を貫いた。
「ぐああああああっ!!」
悲鳴を上げる間もなく、今度は左肩に喰いつかれる。
「……は、うっ……」
視界が白く染まる。
意識が遠のきかけるほどの激痛。
——ここで気を失えば終わりだ。
役立たずのゴミクズになる。
それだけはプライドが許さない。
震える右手で銃を引き抜く。
狙いも定まらないまま、胴体に向けて引き金を引いた。
〈ギュアアアアアアア゛〉
散弾が胴体に叩き込まれる。
[イまだっ! 関節をもぎ取れっ!]
その瞬間、三人は言葉より先に動いていた。
圧倒的な力。
蜘蛛の脚が一本、また一本と引きちぎられていく。
合計三本。
同時に、俺の体が解放される。
——代償と引き換えに。
「左腕がっ……
残った一本の脚に、さっきまで俺の一部だった左腕が突き刺さっている。
信じられない光景が、やけに鮮明に目に焼き付く。
もはや戦う力を失った蜘蛛が、地面の上で無様にもがく。
[コろせっ。そいつは逃すなっ]
「死ニやがれっ!」
「おラっ!」
「くソ野郎がっ!」
ゴッゴッゴッ
三人が、ただ無我夢中でそれをミンチにする。
やがて。
蜘蛛は、ぴくりとも動かなくなった。
「ぁぁっ……腕がっ……」
そう口にした割には、思ったほど痛みがない。
不自然なくらいだ。
さっきまで、アドレナリンが出っぱなしだったんだろう。
極限状態の体は平気で感覚を誤魔化す。
[チを止めろ。ここで死なれては困る]
言われるがまま、応急処置をする。
布を巻き、強く締める。
それでも鈍い痛みがじわじわと戻ってくる。
……いや、戻ってきているのか?
どこか、変だ。
血は思ったより早く止まった。
拍子抜けするほどに。
「あ、あれは……何なんだ?」
[オそらく変異した鋏角類だろう。乾燥死体に寄生する生態のようだ。それに、強力な神経毒が検出された]
[毒が回る前に腕が取れたのは、ある意味幸運だったかもしれない]
不幸中の幸い、か。
その言葉で済ませるには、代償が重すぎる。
左側が、痺れている。いや、痺れとも違う。
感覚そのものが薄い。
触れているはずなのに、触れていないような。
痛みが少ないのも、そのせいかもしれない。
左腕の感覚がない、そのくせ痛みはない。奇妙だ。
「……それで、あんたら二人は何者なんだ?」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「うアっ! その状態で当たり前みたいに話すんじゃねえっ!」
二人を改めて見る。
獣人——だが、以前見たカプラエとは違う。
犬、というより野犬。
毛並みは荒れ、体には無数の傷。
生き延びることに全振りしたような雰囲気だ。
「おレらは街で売る金属を探しに来たんだ。そしたら、あのよく分からんのに襲われてたってわけよ」
「街……? 街があるのか?」
「あア。
ま、俺らも新参者で、詳しいことは分からねえけどな」
「たダ一つ分かるのは——その街は“鉄の人”が仕切ってるって事だ」
そう言って、男はマルムを指差した。
[ソとには、私の他にもアンドロイドが居るらしいな]
会話をしているうちに、空の色が変わる。
灰色だった景色が、ゆっくりと藍色に沈んでいく。
——日が落ちる。
「まずい……日没だ。これじゃ街に向かえないんじゃないか?」
[サいわい、
……食料?
嫌な予感が、背中を這い上がる。
「……この虫と、乾燥死体を食うのか?」
[ソれ以外に、あるまい]
俺は空を仰いだ。
ツイてねえ……
---------------------------
思いの外、不味くはなかった。
正確に言えば、味そのものがほとんど存在しない。噛んでも噛んでも、舌に残るのは粉っぽさと、口の中の水分を奪っていく嫌な感触だけだ。固まった砂を無理やり飲み込んでいる、そんな表現が一番近い。
それでも、空腹は確かに満たされた。
生き延びるためなら、人間は案外なんでも食えるらしい。
砂漠の夜は、容赦がないほど寒い。
日中あれだけ照りつけていた太陽が嘘のように、熱は一気に地表から奪われていく。吐く息が白くなり、体の芯から冷えていくのが分かる。
獣人たちは自然と身を寄せ合い、互いの体温を頼りにして既に眠りについていた。寝ているだけでも死ぬ恐れが付きまとう。
マルムは一人、少し離れた場所で静止している。正確には静止しているように見えるだけで、内部では絶え間なく演算が行われているのだろう。現在地を把握するため、周囲の地形や磁場、残存データを片っ端から拾い集めている最中だ。
GPSも人工衛星も死んだ世界。地形そのものが大きく変わってしまった今、この作業に時間が掛かるのは当然だった。
「さぶっ」
思わず肩をすくめる。
その拍子に、不意に強い尿意を感じた。
……仕方ない。
寝ている連中の近くでするわけにもいかない。
嗅覚が鋭そうだから、そんなことすれば飛び起きてきそうだ。逆に面白いかも?
まあやらないが。
少し離れた暗がりへと歩き、適当な場所を探す。
砂を踏む音が、妙に大きく響いている気がして落ち着かない。
この辺でいいか……。
用を足し終え、ズボンを整えながら振り返った、その瞬間だった。
「クックック……お久しぶりです……」
「っぁ」
喉の奥から、声にならない音が漏れた。
心臓が一拍、完全に止まった気がする。
目の前に、黒い影が立っていた。黒いスーツ姿の謎の男。
……見覚えが、ある。
だが、それが“いつ”だったのかが思い出せない。
「こうしてまた会えるのを楽しみにしておりました……おそらく、貴方は私が何なのか疑問に思われているはず。そうでしょう?」
……図星だ。
「幻覚ではない……んだよな」
自分でも、ずいぶん弱気な確認だと思う。
「勿論ですとも。」
影の“顔”に走る亀裂が、ゆっくりと蠢いた。
「私は……そうですね、特異な現象を研究する者……とでも言っておきましょうか」
「研究者……名前とかはあるのか?」
「貴方と同じです。これと言って決まった呼び名はまだありません」
……俺と同じ、か。
名無し。
最近、妙に“名を持たないもの”と縁がある気がする。
「“自分に特別な性質がある”そうお思いになられたことはございませんか?」
「特別?」
胸の奥に、小さな引っかかりが生まれる。
「前から体の再生が早いと思っていたが、もしかして関係があったりするのか?」
「それだけでは無いでしょう。おそらく、貴方はここ数日、身体の内側の不調には見舞われていない、違いますか?」
……言われてみれば、確かにそうだ。
あんな不潔そうな食事。
訳のわからない生物の血液のガブ飲み。
環境も最悪。
それなのに、腹を壊すどころか、吐き気すら一度もない。
「私の観測する限りでは、貴方の身に起きる事柄に応じて作用が変わっているように思える」
影は、楽しそうに言う。
「『神秘』や『恐怖』とは似て異なる“性質”を持っている。これは私にとって非常に興味深い出来事なのです」
その研究者は、間を置いてから言葉を継いだ。
「そこで、貴方に潜むその“性質”を解明させて頂けないでしょうか?代わりに、私は得られた“性質”の情報を貴方へ提供します。どうですか?」
自分自身について、何かを明確に知れる機会が訪れた。
これまで曖昧だった違和感や疑問に、答えが与えられるかもしれない。
「……分かった。それで俺は何をすればいいんだ?血液とかを提供すればいいのか?」
影は低く、楽しげに笑った。
「クックック……その必要はありませんよ。私が要求するのは——」
わずかな沈黙。
嫌な予感が、背中を這い上がる。
「貴方の左腕の提供です」
そう言われた直後、視界の端で何かが揺れた。
次の瞬間、影の手には、見覚えのあるものが握られていた。
俺の、千切れた左腕だった。
「いつの間に……」
「さあ、どうでしょう?」
一応、形だけでも承諾を求めるつもりはあったらしい。
左腕は、既に雑に引き裂かれ、骨も不自然に折れ曲がっている。
仮に元に戻ったとしても、まともに動かせる保証はない。
失ったものの大きさを思えば、躊躇がないわけではなかった。
それでも知らないままでいる方が、俺には耐え難い。知りたい好奇心が強かった。
「分かった。持っていってくれ。俺も、自分のことが知りたい」
「ククク……取引成立ですね……」
影が満足そうに笑う。
悪魔に魂を売ったような気分になった。
[補足]
地球
“彼”の物語の舞台。“透き通った青春の物語”とは“ジャンル”も何かも違う別の物語。この二つが交わる事は無い。もし両者繋がりができた時どちらかが壊れる。外界と断絶されていないため、外から来る脅威に弱い。キヴォトスとは対のようになっており、人の女性がいない。
ここに起きる『奇跡』は無い。正しい方向へ導く『先生』もいない。
善悪の分別が無い自然による不条理な世界、それが正しい世界の在り方である。
楽園
噂程度の情報を元に目指す場所。宇宙のどこかある?別次元?
頭の上に輪っかの付いた可愛い子がいたりするかもしれない。
どうせこの世界での旅がどうしようも無いなら目標だけでも大きく持った方がいい。
寄生蜘蛛
砂漠の脅威。割と大きく、チーターぐらいのサイズ感。過酷な環境と放射線で異様な変異をした鋏角類。実はサソリに近い。死体に卵を複数産みつけ、その中で共食いを繰り返しながら生き残った一匹だけが育つ。水分を保つためであるとされる。十分に育つと関節が死体の骨に置き換わるようになるため、脳を寄生しているのではなく、肉体を被っている。その状態はミイラが動いているようにしか見えない。強い神経毒を持つ。より高い栄養状態を保ち、長生きした個体は背中から別の長い足が飛び出て本体がうつ伏せで宙に浮いたような耐性になる。この姿が蜘蛛に似ているからそう名付けられた。実は神経毒は血管に侵入すると良くないが、食せば高い滋養がある。
追記、味はないが大きい個体の足の食感は蟹に似ている。
◇この妙に長い説明文は一体....?