それに失敗したなら、ほかに何を見つけても意味はない。
-ジェームズ・アルバート・ミッチェナー
すっかり日が落ちた頃、私たちは帰路に着いていた。
電車から降りて、駅を出て、今は家まで歩いている。
「“ミレニアムはどうだった?楽しめたかな?”」
街灯に照らされた薄暗い夜道で、そう彼に問いかける。
「.....なんというか、色々“思い知らされた”な。」
「“思い知らされた....?何を....?“」
「どれだけ今の自分がクソかって事をな」
そう彼は溜息と共に吐き捨てるように言った。多少暗くても、彼が顔に浮かべた”しかめっつら“は良く分かる。前のようにもう空虚な表情ではない。
「.....俺は、昔に戻りたかった。目覚めてからずっとそう思い続けてきた。」
彼は続ける、薄暗さの中を歩きながら
「夢も目標もない。歓びを感じる事も無い。仲間も....もう誰も居ない。だからしょっちゅう考えていた、『この世界は俺の
「それで思った」
「俺は無理やり生かされているだけの死体なんだろうなって」
少なくとも、今は“生きて”いない。そうとも読み取れた。あらゆる生を失った。だからこそ生きる事を望む。
「なあ先生」
「俺には味が分からない、毒も薬も酒も効果がない、楽しみもない、どんな傷ももう致命傷にはならない」
「これで俺は本当に生きていると言えるのか?考えてみれば、ただ失くしているだけなんじゃないのか?」
「死体と何が違う?一緒だ。いずれ何も感じなくなる。」
きっと彼はこう思ったのだろう。これは適応し、強くなっていったのではなく、ただ失っていっただけなのではないか、そしてこれからも失くしていく一方なのではないかと。
彼はスタートラインに立つには多くを失い過ぎたのだと、そう思ったのかもしれない。だが、彼の目はそんな悲観的なものには見えなかった。
黒い瞳がじっとこちらを見て、返答を待ち侘びている。
「“でも君はまだ、生き方について思い悩んでいるよね。それに....”」
「“苦痛を感じることができる。これが何よりも生きている証だよ。”」
皮肉なことに、苦しみこそ生の証なのだ。
生きるからこそ苦しむ、逆に言えばちゃんと苦しめているのなら、それは生きている事を示す。
「俺は この世界で生きても良いと思うか?」
「こんな透き通った綺麗な学園の世界じゃ俺があまりにも異物なんだ。」
血生臭く、残酷で、死体に溢れた世界から流れ着いた彼は、自分自身が“招かれざる客人”である事を自覚してしまったのだろう。彼は『帰路』を求めていた、自分の本当の居場所だったところに帰るための。
もう存在しない帰り道を。
「“だったら、この世界に相応しくなればいいんじゃないかな。”」
帰れないのなら、進むしかない。
人生において、誰であろうと自分の置かれる環境は目まぐるしく変わる。そうでない者は珍しいだろう。生きる以上は変わりゆく環境に適応しなければならない。それを繰り返して人は大人になってゆく。ゆっくりと、着実に。
「相応しいやつに....か.....」
拭えない違和感は時間をかけて消せばいい。キヴォトスで生を感じたいのならその違和感は消す必要がある、少なくとも私はそう考えた。
夜道は続く
「俺は....自分に何が必要かまだ分からない、何が欲しいかも」
「だから、逆に誰かに必要とされるようになってみれば良いんじゃないかと思ったんだ。」
彼の顔が街灯に照らされる、光を反射するその眼は未来を見据えていた。彼は既に前進を始めていたのだ。
進むべき方向は決まった。これが正解かは分からない。また後悔だってあるかもしれない。
だが、どんな形であっても積極的な行動は進歩に繋がる。
「”良い目標だと思うよ。“」
頷いて肯定する。前向きで、とても健康的な目標だ。様々な人から求められるうちに、自分の在り方はきっと形作られていくだろう。
「そうか」
淡白な返事。だがもう虚しくはない。
こもった感情が微かに伝わる。
「“.....それじゃ、明日から頑張らないとね!たくさんの書類仕事と依頼をこなしてもらおうかな!“」
「えっ」
「”誰かに必要とされたいんでしょ?だったらもっと人の役に立たなきゃ!“」
「.......そういう意味じゃ.....いや、そういう事なのか.....?」
私の仕事も減りそうで何より、という悪い考えが湧いてしまった。だが、それよりも素直に彼の進歩を喜ぶ気持ちはしっかりとある。
マンションに到着した。エレベーターで上の階層へ上がり、自分の部屋の前まで行く。
開錠しながら、私の願望を思い浮かべた。
もしこの調子で、サオリに加えて名もなき彼も『先生』を目指すようになってくれたのなら
私が居なくなっても問題ない、と
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「”んんん......“」
先生が寝た。寝言を発しているようだ。
現在、あの幼子の名残で、俺は先生の部屋に居座らせてもらっている。いわば同居にあたるのだろう。
キヴォトスにおいて、俺の戸籍などは当然ない。立場からしても戸籍登録などは不可能だろうし、誰かしら責任を持てる人物の管理下にいなければならないようだ。
不自由だが、そこまで不満はない。できる事ならもっと人の少ないところに居たいのが本音なのは事実だが。
また外で寝るのも一興かもしれないと思いつつ、明かりの消えた部屋の隅に目をやる。
“どうせここも燃える”
“消えてなくなる”
“奴らが来る”
暗闇に見える過去の残滓。それは自身の内にある”恐れ“を刺激する。棘のように深く突き刺さったそれをぐらぐらと揺らされる。
“その男も殺される”
“おレ達のように”
“その男が死に あの娘は泣き叫ぶ”
侵入思考が絶えない。考えたくない事ばかりが脳みその隙間を埋め尽くす。それを追い出す事に躍起になった。
キヴォトスで、どこに居ても残り滓が絶え間なく呻き、囁いてくる。我慢が限界に達しそうな事に気づけなかった。
夜になると四方八方に囲まれる。怨霊のように湧いては蟲のように纏わりついてくる。
無視を貫け
ずっと、ずっと、この先も
ともだちの偽物が消えて無くなるまで
それが過去を捨てる事だと分かっていて、俺には不可能だと分かりきっていても
だがこの瞬間、“恐れ”が沈黙を破った
「だったら どうしろと」
一線を超えた。最もやってはいけないはずの行為だ。
幻覚に話しかけてしまった、幻聴に応えてしまった。それを自覚して、背中と額が熱く冷えたような感覚に見舞われた。冷や汗をかいたのだろう。
正気を失い始めている。でもまだ正気だ。
歯を食いしばった。俺はまだ正気だ
正気でしか居られないんだ
“憎め”
“輪っか付きを”
“あの時のように”
”殺せ“
「っ」
紅く燻る悪意と目が合い、大きく後ずさる。
「ハァっ....あァッ....っ」
過呼吸になりかけている自分の呼吸を整えようとする。胸に手を触れて、激しく鼓動する心と、びっしりとかいた汗に気づく。
嫌だ
もうああなりたくない
もう火だけは勘弁してくれ
見えない火傷が痒みに襲われた
じわじわとあの日々が蘇る
銃声と爆発の音が鮮明に蘇る
肉を引き裂く感触が蘇る
痛い、熱い、苦しい
やめろ やめてくれ
俺から奪うな
俺たちを奪うな
楽園を返せ
音が聞こえる 近い 来る
“奴ら”が来る みんな殺される
“化け物”が来る 震えが止まらない
このままでは殺される 一人残らず殺される
いや、もうみんな殺された
俺しか生き残れなかった
俺だけが生き残ってしまった
「隠れないと」
もっと暗くて狭い場所に逃げ込んだ
暗くて狭い場所ならこちらは見えないはずだ
隠れて機を待て、いくら心臓が激しく鼓動しても
火が回って来ようが、生きたまま焼かれようが決して位置を悟らせるな
“奴ら”が来る 身震いが止まらない
俺が憎み、俺を憎む”化け物“共が来る
怒りと恐怖が収まらない
一匹ずつ、減らしてやる
お前らなんか死ねば恐くないんだ
俺を殺しに来てみろ
何度でも殺してやる
お前らがやったように痛ぶって殺してやる
死にたいと思うまで
報いを受けさせてやる 何度でも
俺は燃やされた お前らに
お前らが付けた火で焼き殺してやる
一人ずつ目の前で殺す
お前らがやったように
逃げられると思うな
俺は逃げない
いくら痛ぶられようが何度でも戻ってやる
「いや....違う」
そうじゃない、冷静になれ
もう”化け物“は居ないんだ
ここはキヴォトスで、
落ち着け、こんな事、”相応しくない“
寝ろ、寝てしまえ
あんなもの忘れてしまえ
目が冴えきってしまった、寝付けない
寝付けないなら自分自身を絞め落としてしまえばいい
「ぐぅ......ぁ....」
首を絞める、苦しい
畜生、俺は生きてるんだ
クソッタレ
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「”ぉー....ぃ.....なし.....“」
「”名無しーどこに行ったのー?“」
「....はっ」
〈ガン〉
聞き覚えのある声に体が反応した。起きようとして頭を天井?にぶつけてしまう。
「”な、何!?“」
眩しい光が一方の方向から差し込む。もう朝か
俺はどこにいるんだ?
暗くて狭い場所だ。この窮屈な空間から這い出すために、明るみへ進んだ。体に押された何かと一緒に外に出た。
「”....って、わああ!?なんでそんなところにいるの!?“」
「ん.....あ....?」
ゆっくりと視界を広める。
どうやら俺はベッドに下に潜り込んでいたらしい。
立ち上がろうとして、床に手を置く。
すると何かに触れた感触があった。
ものがある。拾い上げて視界の真正面までそれを持って行った。
「.....なんだこれ....?」
薄い冊子のようなものだった。書いてある文字を読む。
「なになに.......『黒ギャルのお姉さんと×××する話』.....?」
「”あっ...!ちょっ、それは...!“」
一緒に出てきた他のものにも目をやる。
「『褐色肌の家庭教師』.....『あの夏の日焼け跡』......」
「“ちょっと、タイトルコールしなくて良いから返して....!”」
先生が慌てて俺の手から冊子を取って見えないように隠した。ここまで慌てている姿は初めてみたかもしれない。
「.....好み偏ってんなぁ....」
「“これが私の『癖』なんだからいいでしょ!”」
「いや、悪いとは一言も言ってねえんだが.....」
褐色モノと年上モノばかりだ。自分の欲に正直でむしろよろしいぐらいだろう。
.....にしても昔なにか癖が歪むような強烈な出来事でもあったのか?
「しかし.....ベットの下に隠すって.....しかも今時紙の冊子って....珍しいな....」
「”私はそういうタイプなんだよ...!というかなんでベッドの下に潜ってたの!?“」
「それは.....なんでだっけ....?」
今日の朝は少し騒がしい。そのおかげで憂鬱な気分は吹き飛んだ。今日も同じ味のしない飯を喉奥に押し込んで、何度も洗い直した靴を履いて扉の外に行く。変わらず透き通った青い空が広がるかのように思えたが、少し曇っている。
いつも通りが、良くも悪くも少しずつ壊れ始めて行く
俺も変わって行かなければ、そう決意した早朝の出来事であった。
文字数少なめで申し訳ありません....