From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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悪意で満ちていたならどれだけ良かったか


29話『醜いアヒルの子であったならば』

 

 歩く時に前を見なくなった。

 

 どこへ行こうか。何をしようか。仕事がないから何をするにも自由だ。俺には選択の自由がある。そしてもうそこに意欲はない。

 

 トリニティとその周辺は景観が良い。綺麗な分、余計に胸のざわめきを感じる。自分の惨めさが際立つ。昔はこんな気持ちになどなったことがなかったはずなのに。

 

 ふと横を見る。窓ガラスに映っているのは無機質な覆面。つまらなくなった人生。道から外れて戻れない。こうしてまだ路頭に彷徨っている。

 

 どうして俺はこの世界に居るんだ?なんのためにこの場所に?

 

 キヴォトスには人それぞれに明確な役割があるように感じさせる。大人と生徒、委員会や部活、勢力や派閥など、明確に属性を持っている。だが自分は元々この場所の存在じゃない。どこに属しても違和感があり、結果どこにも属せず様々なものの中間、つまり中途半端な位置で孤立している。その位置は中間であって、同時に対極でもある。自分に属性がないから、一度迷えば何をすべきかがもう分からなくなる。

 

 目的地もなく歩き続ける。一度は単純で誰にでも起こりうる普遍的なモラトリアムだとも考えた。だが....何かがおかしい。自分のアイデンティティだけじゃない、もっと直接的な喪失が迫っている。大事な何かが分からなくなってきているのはそれが原因だと。

 

 分からない。いや、思い出せない?

 

「……」

 

 頭に無駄な疑念が溜まっていく。脳の血管が廃棄物で詰まっていくような感覚だ。過去もこだわりも、あれもこれも気にさえしなければ、全てを忘れてしまえば幸せになれるのだろうか。

 結局のところ、真に自分自身を悩ませるのはこの世界ではない。原因も自分の中にある。

 

 忘れたくなかったものは、実際には無駄なものなのだろうか。

 

 歩き続けていると足元に小さな丸っこい饅頭のようなものが見えた。

 

「……?」

 

 少し見入っていると、白く丸いもの黒い小さなごま粒2つと目が合う。

 

「(鳥……シマエナガ……?)」

 

 饅頭の正体はシマエナガだった。なぜこんなところに?

 食べやすそうなフォルムだが、もう食欲も感じない。

 

 じっと見つけているとシマエナガが飛び立ち、自身の背後に飛んでいった。顔を上げると目の前には横断歩道、ちょうど赤信号だった。目の前を戦車が通り抜けていく。

 

「危ういところだったね。どうやら君の意識は彼方へと逸れていたようだ。」

 

 初めて聞く声だ。振り返ると、そこには狐のような耳を生やした少女が居た。

 

 

 

 

 

—————————

 

 

 

 

 

 いつかの夢で視た、キヴォトスとは異なる世界の物語。予知夢ではないそれが、何を意味するのか……私には解し難かった。

 そして今、その物語の主人公であったはずの人物が、私の目前に佇んでいる。

 ただ……かつてと違う点を挙げるならば、そうだね。その瞳から、光が静かに失われていることだろう。

 

「.……?」

 

 彼は、ゆるやかに振り向いた。

 視線が交錯する。その瞬間、空気がわずかに震えたように思えた。

幾重もの装備に覆われたその顔から、どのような表情が覗くのか……私には測りかねる。

 ただ、確かなのは....その沈黙の奥に、言葉より深い意志が宿っているということだ。

 

「……おや、背後に立っていたせいで、驚かせてしまったかな?」

 

「……いや、居るのは分かってた」

 

 淡白な返答。それだけが、静寂の中に落ちた。彼の視線はすでに私から離れ、再び下へと向けられている事が分かる。

 ふむ……関心の断絶とは、かくも明瞭なものか。

 

「君のその反応、どこか新鮮にも映るね。」

 

 夢の中で見た彼は、かつて希望と野心という光を、その目に確かに宿していた。だが今はもう、そうではない。世界そのものへの興味を手放し、ただ静かに立ち尽くすその姿は……奇妙だね。まるで“誰か”を映した鏡のようにも見える。

 

 ……いや、違うか。

 過去の私が彼に似ていたのだろう。あの、どうしようもない未来を見て、歩みを止めた頃の私に。

 

「……」

 

 彼は無言のまま、ゆるやかに前へと向き直り……そして、歩みを再開した。その背が遠ざかるたび、足を前へと進める度に何かが静かに剥がれ落ちていくような錯覚を覚える。

 

「ま、待ってくれっ」

 

 理由など、明確には存在しない。ただ……彼が、なぜ今のような有り様へ至ったのか。その“道筋”を知りたかったのだと思う。

 

「……なんだ」

 

「……少し、道案内をしてくれないかな。どうやら私は迷ってしまったようで、少々困っていたのでね。」

 

 無論、迷子になどなってはいない。けれどそう言えば、彼は立ち止まるだろうと考えた。会話の糸口など、所詮は些細な方便にすぎない。先生とは異なる、“外”の存在について知り得るのなら……それもまた、悪くはない選択だと思えた。未知とはいつだって、恐れと同時に魅力を孕むものだからね。

 

「悪いが俺もこのあたりは詳しくない、他を当たってくれ。」

 

「そうしたいのだけどね……誰も、私の呼びかけには応じてくれなくてね。君で、ようやく声が届いたんだ。もちろん、お礼はさせてもらうよ。礼節というものは、形よりも心に在るものだろう?」

 

「……」

 

「……分かった。あんまり期待するなよ」

 

 彼は、わずかに逡巡する素振りを見せたのち、静かに承諾の言葉を口にした。その声音には、諦念とも、あるいは微かな優しさとも取れる響きがあった。拒絶と受容の狭間にあるものを、人は“迷い”と呼ぶのかもしれない。

 

 

 

 

 

------

 

 

 

 

 

「多分ここを右だな……。確か駅近のカフェに行きたいんだったか? それぐらいなら案内なんか無くてもいけそうなもんだが……」

 

「……君は、迷える哀れな少女に手を貸すのは嫌かい?」

 

 ふっと、唇の端がわずかに緩む。

 

「別にそういうわけじゃないが……。多分アンタは口調からして知的なタイプだろ? わざわざ俺を頼る必要もないんじゃ?」

 

「おや……賢い女性は、お気に召さないのかい?」

 

 声には淡い笑みが混じる。

 

「むしろそういう賢いタイプのほうが良い……いやそういう話じゃなくてだな……。やり辛えな」

 

 なんだ……存外、人間らしい反応を見せてくれるものだね。驚くというより、むしろ安堵に近い感情が胸をよぎった。

 

 しばらくは歩みを重ね、沈黙が道を埋める。やがて私は、静けさを破るように口を開いた。

 

「ふう……何の会話もなしに歩き続けるのは、少々退屈だね。そうだ、君について少し教えてもらえないかな?なに、可能な範囲で構わないさ。」

 

 言葉を吐いた瞬間、少しの懸念が小さく反響する。

 ……少し、わざとらしかったかもしれない。

 

「……ただの余所者だ。名乗るほどでもねえよ」

 

 名前が無いとは言わない。

 君は、かつて名前が無いことに誇りのような、あるいは存在の証とも呼べる何かを抱いていたはずだ。それが今となっては、ただの記号のように沈黙している。

 ……何が、君をそこまで曇らせたのだろう。

 

「そうか。少し浮かない様子だが、何かあったのかい?」

 

 今度は、迂遠な言葉を避けた。遠回しでは届かぬものもある、そう悟ったからだ。

 

「……いや、別に。何も。」

 

「……何もなかったようには、見えないのだけどね。」

 

「何もなかった。……何も。」

 

 その声は、まるで自らを言い聞かせるように乾いていた。何一つ起きなかった、いや、“起きてくれなかった”とでも言いたげに。

 その響きに、かすかな痛みを覚える。

 

「君は自身のことを“余所者”と言ったね。ということは...どこかに、馴染めなかったりしたのかい?」

 

「……まあ、当たってるな。」

 

「なるほど。きっと、周囲の人間が異分子である君を、悪意の刃で切りつけたのだろう。さしずめ『醜いアヒルの子』といったところか。」

 

 言葉に棘が混じっていたのを、自分でも感じていた。けれどそれは嘲りではない。むしろ、陳腐な感情による同情だと思わせないための、せめてもの防壁だったのかもしれない。

 

「周りのアヒルと違うことで虐げられ、孤独を感じていた主人公が実は、美しい白鳥であったと気づく物語だね。」

 

「つまり……他人の評価に惑わされず、自分という存在の価値や個性を信じることが重要、というわけだ。どんな自分であっても、それは“確かに在る”という事実なのだから」

 

 口にしながら、自分でも少し可笑しくなった。まるで説教じみた台詞だ。だが、それでも彼に届けばいいと、どこかで願っていた。

 

 彼が“かつての私”と同じように、自らの輪郭を見失わぬように。

 

「いや……違うな」

 

「そんな俺を排斥しようとする感じの悪い奴はいねえよ。」

 

「……そうなのかい?」

 

 私は読み違えてしまったようだ。

 

「俺の周囲にいるのは俺にとことん無関心か、気にかけてくれる良い奴だけだ。どこにも悪人なんていない」

 

「大体は良い奴なんだ。だから……どれだけ疎外感を感じようが周囲が悪いとは思ってねえさ。」

 

 ……なるほど。彼にとってこの世界は“善意”で満ちているというわけだ。

だが、その善意が、彼を蝕んでいる。無関心もまた、慈しみもまた、時に刃となる。なんとも皮肉な話だ。

 

「俺を気にかけてくれる事もある。だが……違和感を感じる。何かしてもらっても一向に俺は変われないんだ。差し伸べられた手を俺は素直に取れない。……気づけばそんな最低な野郎になってた」

 

 その声は、もはや私に向けられたものではなかった。

 自らの胸の奥に沈んだ泥を、ひと匙ずつ掬い上げるようなそんな独白。彼の精神は、随分と擦り切れているように見える。

 

「……全員が俺のことを憎んでいて、悪意に満ちていたなら少しは今よりマシだったかもな。敵なら“俺のやり方”で対処すれば良い。」

 

「だが……こんな俺のために手を尽くしてくれた奴らのために俺は何をしてやれる? もうどうすればいいか分からない」

 

「俺は結局、敵を欲していたのか」

 

 その嘆きは、どこか祈りにも似ていた。そうであってほしくなかったという切実な否定の願いが混じっているような。

 醜いアヒルの子であったなら、どれほど良かったのだろうか—-彼は、そう言っているようだった。違う、そうじゃないだろう。そんなものをかつての君は望んでいなかったはずだろう。

 善意が彼を救わず、悪意が救いであったかもしれないとすら考えさせられてしまう現状。彼は自身を取り巻く環境を誰も報われない構図だと思い込んでしまっている。

 

 私はその姿を見つめながら、静かに息を吐いた。

彼がこのようになってゆくのは、必然だったのかもしれない。同じように壊れかけた誰かを、私は見過ごせるほど無関心ではない。だが...

 

「君は....この先、どう生きていくつもりなんだい?ほら、君にも....かつて砂漠で目指していたものがあったはずだ。」

 

 名もなき彼が見据えていたはずの“彼方”。

 悪意と殺意に満ち、荒みきった荒野の果て。それでもなお、歩みを止めなかった彼の姿を、私は夢の中で見ていた。

 

 だからこそ問わずにはいられなかった。

あの時、彼の背を押していた執念と希望は、今どこに消えてしまったのか。

 この問いかけは、彼のためではない。

 きっと、私自身の我儘だ。

 かつては絶望に沈んでいたこの手で、もう一度、誰かの“目的”に触れてみたかったのだ。

 

 ……君の歩む先にまだ意味があると、私がそう信じたかったのだろう。

 

「……目指していたもの?」

 

「あっただろう? 君はそれを目指して、進み続けたはずだ。」

 

 言葉が口をついて出た瞬間、しまったと思った。少し、踏み込みすぎた。彼は知らないのだ。

 私が“あの世界”での彼の歩みを、夢の中で見ていたことを。

 

「……」

 

 

「……?」

 

 

「君が仲間達と共に目指していたものだ。覚えていないのかい?」

 

「……?」

 

 

 

「何の話だ?」

 

「……っ」

 

 言葉にならない感情が、悪寒が、背筋を凍らせる。そうか、君は『楽園』すらも忘れてしまったというのか。

 

 希望を、居場所を、記憶を、そして意味を。

 まるで世界そのものが彼という存在を“削り取る”ことを使命としているかのように。

 

 人に悪意はなく、世界が悪意であった。

 

 

 

 

 

 

------

 

 

 

 

 

 

「ほら、駅が見えてきた。ここからは一人で行けるだろ?」

 

「ああ、助かったよ。そうだ、“お礼”を出さないとね。」

 

「……。……? 現金? 万札を貰うほどの事はやってねえぞ」

 

「構わないさ。もらっておいてくれ」

 

「嫌いじゃない冗談だ。お、あそこが例のカフェじゃないか? 混むかもしれないから早いうちに行ってきな」

 

「冗談ではないのだが……」

 

 元より私は迷子ではなかった。

 だから来る予定のなかった駅に辿り着いた今も、目的地を見失った感覚はないのだけどね。

 

「……」

 

「……ん、どうした?」

 

「少しまた話をしてもいいかい?」」

 

「……今度はなんだ?」

 

「『お姫様を乗せたカボチャの馬車。その馬車引きネズミは、どこから来たのか。』」

 

「醜いアヒルの子の次はシンデレラか……。確かそれは魔法で……」

 

「そうだとも。ネズミは馬車を引くために、馬に変わった。そして、馬車はお城までたどり着いた。けれど、役目を終えた『馬』はしかして本来の姿を忘れてしまった。」

 

「……私はそんな人物を知っている。」

 

「そいつは……気の毒だな。」

 

「だが、彼女はまだネズミに戻ることができるかもしれない。ネズミの姿を完全には忘れていないかもしれない。」

 

「……君は何か“大事なもの”を忘れている、違うかい?」

 

「……なんで分かった?」

 

「君も元の姿を忘れ始めている。だから、君の元の世界に最も近い場所を訪れてみるといい。」

 

「どういうことだ?」

 

「ほら、丁度駅だ。この後予定がないのなら向かってみると良い。」

 

 私はホームの先を示した。微かな祈りを込めて。

 

「砂風の吹き荒れる地、アビドス砂漠へ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




セイアめちゃくちゃ難しいです……
違和感があったら申し訳ありません
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