アリウス自治区の外へと向かう、現在はその最中だ。
そもそもこの地は長らく外界と断絶された環境にある。通信は不安定で、外部からの情報は意図的に遮断されているかのように入りづらい。だからこそ、外で何が起きていようと報せは常に遅れてやってくる。だから気付いた時にはすでに手遅れになっているケースは大いにありえるのだ。
アツコ、ミサキ、ヒヨリと共にこれまで何度も使ってきた脱出経路を進もうとした。
だが、通路の先は無残にも爆破を受けたかのように天井は崩れ、瓦礫が折り重なって道を完全に塞いでいる。偶然にしては出来すぎている。進行方向だけを的確に潰すそのやり方は明確な封鎖の意図を感じさせた。
この状況から導き出せる憶測はいくつもある。
今このタイミングで先生との接触を図ろうとする行為そのものが、すでに誰かの想定する“危険行動”に分類されている可能性も否定できない。下手に動けば、こちらの存在を知られるだけかもしれない。
それでも足を止める理由にはならないのだが。
リスクを承知の上でそれよりも優先すべきことがあったためだ。先生が、どうなっているのかを確かめることが最優先である。
その時、不意に一人の人物の顔が脳裏をよぎった。
もし仮に、先生の身に何かあったとしても。彼なら何かを知っているかもしれない。あるいはまだ連絡が取れる可能性がある。
そう思い立ち、モモトークを開いた。
だが、そこにあるはずのアカウントは見当たらない。削除されたのか、最初から存在しなかったかのようなくなっていた。違和感が深まる。
嫌な予感が増す要因がまた一つ増えたということだ。
結局、正面突破は諦め、迂回路を探すよう迅速に行動を切り替えなければならない。
崩れかけた整備用の連絡路、かつて使われていたであろう古い搬入口。進める道を探しては塞がれ、また探す。その繰り返しだ。
時間の浪費は避けられない。
そして、ようやくカタコンベの外へと出た。
閉ざされた空気を押し退けるようにして地上へ出たはずなのに胸いっぱいに吸い込んだ外の空気は、どこか重く澱んでいるようにすら感じられた。
視界に広がったトリニティの街並みは私の知っているそれとは微妙に異なっていた。
秩序が完全に損なわれているわけではないのだが、確実に荒んだ様子を醸し出しているのだ。通りを行き交う生徒たちの視線は落ち着きがなく、警戒心が先に立っており、巡回の数も増えているように見えた。それが安心感に繋がっていないのが余計に不安を煽る。
治安が悪化している。そう断じるにはまだ情報は足りていないのだが、断定せずとも問題が起きていることは明らかではある。
アリウスには直接的に関わらない問題が起きているようだ。出入り口に妨害工作がなされていたのはこれに関係があるのだろうか?
ここであまり時間は割けないため早急に進んでいく。
状況の分析よりも、今は優先すべきことがある。先生の現状を確認すること。それ以外に意味のある行動はない。
アツコたちと視線を交わし、短く頷く。周囲の状態と反するように通常のペースを崩さずに行動する。そこに無駄な言葉は必要なく、スムーズに作戦を実行する。目的地は一つ、シャーレだ。
この違和感の正体が何であれ、先生の身に何が起きていようと必ずそこに何らかの情報が残っているはずだ。
そうでなければならない。そうであってほしいと、私は半ば祈るような気持ちで、足を前へと進めた。
しかし向かった先には広がっていた光景が私の予想を大きく裏切った。
「……なんだと」
思わず声が出てしまった。
シャーレは封鎖されていたのだ。それも一時的な規制ではなく、明確な意思をもって遮断され、立ち入り禁止の措置が敷かれている。敷地の外周には警戒が張り巡らされ、近づくことすら許されない空気があった。
ここが先生の居場所だったはずの場所。
私たちが頼るべき拠点であり、安心を得られたはずの場所。
「そ、そんな……やっぱり、先生の身に何かあったんですね……?」
ヒヨリの声は震えていた。恐怖と不安が、そのまま言葉になっている。無理もない。この状況で何も起きていないと考える方が不自然だ。
「……まだ分からないよ。憶測だけで断定はできないから」
アツコはそう言ってヒヨリを落ち着かせた。彼女は冷静さを崩さず、理性的に対応する。
封鎖されたシャーレ。この異常な警戒。このタイミング。
間違いなく関連づいたものだろう、偶然であるはずがない。
ネット、新聞、ニュース。
手当たり次第に情報を拾い集め、断片を繋ぎ合わせていった。
そして信じたくはない事実が、否応なく浮かび上がる。
「……先生が……爆破事故に巻き込まれ、意識不明……?」
そんなはずがない。そうであってほしくない。
画面に並ぶ文字を何度読み返しても理解は追いつこうとすらしてくれない。
どうして、もっと早く気づけなかった?
公開された情報から読み解ける現状はそれだけだった。
先生は重傷を負い、どこかの医療施設に収容されているらしい。それだけ。
場所も容体の詳細も、回復の見込みすら分からない。生きているのかどうかさえ不明瞭。
その曖昧さが、何よりも残酷に感じられる。
不意に記憶が蘇る。
あの時。引き金を引き、先生の腹部を撃ち抜いた瞬間。
銃声と、衝撃。血の色を鮮明に覚えている。
私は、無意識のうちに拳を握り締めていた。
指先が熱くなり震えが止まらない。
あの傷が、もし今に影響を与えていたら?
そう考えただけで、心臓の鼓動が早まる。
「そんな、先生が……うぅ……うわぁぁああん!」
ヒヨリは耐えきれず、感情をそのまま吐き出すように泣き喚いた。その声は、張り詰めていた空気を引き裂くように響く。
「やっぱり……こんな世界なんて」
ミサキは横で力なく呟き、視線を地面に落とした。
その時。
震えが止まらない私の手を、そっと包み込む感触を覚えた。
顔を上げると、私の手を優しく包み込んでいるアツコが。
「サッちゃん、ヒヨリ、ミサキ……大丈夫」
穏やかで、だが芯の通った声。
「先生が重傷を負ってしまったのは事実。でも、まだ亡くなっていないのも事実だよ。それに……こうしている今も、私たちにできることはあるはず」
その心強い言葉は、沈みきっていた私の意識を水面へと引き上げてくれた。
「ああ……そうだな」
かすれた声でそう答えながら、私はようやく呼吸を取り戻す。
手の震えは完全には止まらなかったが、冷静な思考が再び回りだしてくれた。
あの日。
あの大人は、私たちに“可能性”と“選択肢”を示してくれた。
ただの加害者としてでもなく、同時にただ守られ、導かれる存在で終わらせなかった。
自分たちで考え、選び、進み、償うという道を教えてくれた、たった一人の『善良な大人』。
今はもう、直接言葉を交わすことはできない。
それでも先生が私たちに残したものは、確かにこの胸に宿っている。比喩的で抽象的な物言いだがそう感じさせてくれるのだ。
だからこそ、今度は私たちだけでも立ち上がる。
たとえこの先で“最悪”が待っていようとも。たとえ、すべてが虚しくなろうとも、それが今、最善を尽くさない理由にはならない。
……ふと、脳裏をよぎる。
私よりも先にこの覚悟を持ち、戦いに臨んでいた“彼女”。迷いながらも“己の道”へと進み、決して歩みを止めなかった存在。
白洲アズサ。
その背中を思い浮かべ、私は静かに息を整えた。
尊敬せざるを得ない。
そして、追いつかなければならない。
その後、私たちは入院している先生のもとへは行かないという選択をした。
立場上、面会が極めて困難であるという現実的な理由もあったのだがそれ以上に、私の中で一つのまだ超えてはならない線が引かれたからだ。
会うのは先生が意識を取り戻し、自分の足で再び歩けるようになった、その時だ。
弱っている姿を確認するためではない。
自分たちの成したことに胸を張れる、その瞬間にこそ会うべきだと、そう思ったためである。
まだ、アリウスにはやり残したことが山のように残っている。
私たちがそこから立ち去る理由が無ければ、同時に逃げて放棄する理由もないのだ。そんなことをすれば顔向けできない人が山ほどいる。
それになぜアリウスへ出入りする経路が意図的に封鎖されていたのか。その理由すら何一つとして分かっていない。まだまだ多い、解決すべき事態が。
今回の件で何かが好転したわけではない。
むしろ、状況は確実に悪化している。
それでも、私たちは本来の目的を忘れなかった。
そうして再び動き出す。
さらなる情報を求め、ヴァルキューレの巡回を避けながら人気のない路地裏へと身を滑り込ませては……足音を殺し、視線を交わし、無言のまま意思疎通を重ねる。それは、かつて幾度となく繰り返してきたやり方だった。
胸の奥に、不安と焦燥が澱のように溜まっていくのは避けられないが、それに飲み込まれるほど弱い自分ではない。絶望的な状況などとっくに乗り越えた経験があるだろう。
先生がいない今だからこそ。
私たちが、私たち自身の足で立ち、進み続けなければならない。
この歪んだ静けさの正体を掴むまで。
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路地裏を進んでいる途中、空の色がわずかに変わったように感じた。
黄昏。日が沈みかける、この時間帯特有の鈍い色だ。
その時だった。
微かな絶叫が、風に紛れて届く。
助けを求める声というより悲鳴ですらない。抑えきれず噴き出した、発作のような叫び。
同時に鼻腔を刺す鉄臭さ。
強烈で逃げ場のない刺激臭。
瞬間、背筋が凍る。
本能が、はっきりと『危険』を告げているのだ。
私は即座に全員へ合図を送り、音を殺して動く。
慎重に呼吸を整えながら狭い路地を曲がった先で私は目を疑った。
ドス黒い液体が壁にも地面にも、無秩序に飛び散っている。
……血だ。
しかも、この量。
銃撃や事故、そんな次元ではない。生徒一人ではあり得ない量の出血だ。到底一人では足りない量の。だがこれはおそらく複数の誰かが負傷した際にできたものではないと勘繰る。
この量の血を流せる者。思い当たる先は一つしかなかった。
恐る恐る足を進める。
鈍い金属音が響く。引きずるような足音。荒く、しかし規則的な呼吸。
次の角を、曲がる。
その日、私は初めて見た。
ヘイローが破壊される、その瞬間を。
人が『消される』光景を。
黒ずんだ何かが立っていた。
濡れた長い髪から血を滴らせ、足元にはうずくまる“何か”。
それは人の形をしていながら、黒い瘴気をまとい、もはや生徒とは呼べない存在と形容できる。
黒ずくめのそれは近づき、ひび割れた黒いヘイローを掴む。
躊躇はなく、迷いは捨て去られたような容赦のなさ。同時に感情の感じられない機械的とすら言える動作だ。
まるで何度も繰り返してきた作業のような、慣れ切った手つきで、ヘイローを“割った”。
嫌な音がした。
いや、厳密にはしていない。そう思わせる光景を見た。
その後に瘴気が霧散する。
最後に残ったのは、ただの少女の亡骸だけであった。
物言わぬ黒ずくめはゆっくりと背を向ける。
錆びた足を引きずりながら、闇の奥へと消えていった。
「あれは……一体、何……?」
ミサキの囁きが、やけに遠く離れているように聞こえてしまう。
私は知っている。
もし今見たものが幻でなく、錯覚でもないのなら。
あの黒ずんだ存在は、間違いなく“名もなき彼”だ。
神経が逆撫でされたようなぞわりとした不安を覚えた。
まさか、また憎悪に呑まれてしまったのか。
暴走し、殺すことしか見えなくなってしまったのか。
私は、殺人者にはならなかった。
だが、彼は“なってしまった”。
それもずっと昔に。
そして、今もなお。
先生なら、どうするだろう。
その問いが浮かんだ瞬間、答えは驚くほど早く出た。
止めなければならない。
どんな事情があろうと、どれほどの絶望を背負っていようと。
命を奪う行為だけは、決して許してはならない。
先生が不在の今。
それが私が私自身に課した、もう一つの使命だ。
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誰もいないシャーレを出て、私は誰もいないキヴォトスの街をただ歩き続けていた。少し退屈だとすら思える。
……私は、そもそも何をしていたんだろう。
そう思い、覚えている限りの記憶を掘り返そうとしたが自分でも驚くほど何も思い出せなかった。
直前まで何をしていたのか。
どんな仕事に取り掛かっていたのか。
今日の当番が誰だったのかさえ、曖昧だ。おかしいな。少なくとも1か月分は頭に入っているはずなのに。
考えようとすればするほど、無駄な思考だと脳が決めつけているように、何もかもが抜け落ちていく。そのうちそれについて考えるのを放棄した。多分、今はやるだけ無駄なんだろう。
ふと足を止め、空を見上げる。
当然、透き通るような青空が広がっている。風一つ吹かない、完璧すぎる気候だ。
なのに雲が動いていない。一つもだ。
錯覚でもなく、本当に全く動いていない。太陽の位置も変わっていないような気がした。
本来なら違和感を覚えるはずなのに、なぜかそれを不自然だとは思わなかった自分への違和感すら消失しており、本当ならおかしいような? という微かな疑問を覚える。
奇妙なことに“そういうものだ”と、心のどこかで納得してしまっているんだ。なぜだろう。
”.....?“
しばらく歩いていると、遠くに人影が見えた。
桃色の髪。
背中越しでも分かる、見慣れた特徴的な輪郭。
”.....あれは.....ホシノ?“
どうして一人で、こんな場所にいるんだろう。
ヘイローが見えないことが少しだけ気になった。寝ながら歩いているぐらいじゃないとありえない状況のはずなのに、これも見ているだけじゃ違和感を覚えない。
でも、その現実の乖離以上に無性に声をかけたくなる自分がいた。
”おーい!“
呼びかけてみる。
しかし彼女は振り返らず、そのまま歩き続けていった。
”……あれ? 気づいてないのかな……“
少し間延びした声で、もう一度。
”おーい! 待ってよー“
駆け寄ろうとして走り出す。
だが距離は一向に縮まらない。走っているはずなのに、足取りはどこか重く、夢の中のようにもどかしい。本当にうまく走れないときの夢の中の気持ち悪さだ。
そうして辿り着いた先は、駅だった。ただの駅。いつもの。
”あっ……“
ホシノは、誰もいない改札をすり抜けていく。
行き先の表示されていない、無機質な電車がホームに停まっていた。
彼女は迷うことなく乗り込み、こちらに背を向ける形で座席に腰を下ろす。
最後まで彼女が私の存在に気づくことはなかった。
私も後を追おうとして、改札を通り抜けようとした、その瞬間。
ピッ、という乾いた電子音。
目の前でゲートが閉まり、行く手を遮られた。
”あ、あれ……? なんで……?“
押しても叩いても、それは通してくれない。
飛び越えようとしても、なぜか体が言うことを聞かなかった。
その間に、電車の扉が静かに閉まる。
ふと、窓越しに視線を感じた。
こちら向きの座席に座っている、ブリキ缶を無理やり部品にしたような、粗雑で無機質なロボットらしき人と目が合う。
その虚ろな空洞と、確かに目が合った。
[オ前はまだ来るな]
感情のない音声が直接頭の中に響くのと同時に、気づけば私はまた誰もいないシャーレのオフィスにいた。
いつものデスク。
いつもの位置。
そして私は、そこに突っ伏している。
まるで、最初から一歩も外に出ていなかったかのように。
境遇から全く似ていない。真逆だったのだ。
-------以下微展開ネタバレ注意、人によっては見ない方がいいかも------
-読んでいてしんどくなってきた方へ
最後は全部晴らす、というかハッピーエンドで終わらせる予定なんです。嘘じゃないです。本当なんです。信じてください。それまでに落とせるところまで落とすつもりというだけで……