手術室を無機質な静けさが支配する。医者たちは自身たちの行いから感情を切り離し、ただ目の前の対象をただ“処置すべきもの”として見る。
黒いそれ。もはや人と呼ぶことを躊躇わせる存在の腹部を開いた。
内部に現れたのは、皮肉なほど整った臓器だった。損壊も腐敗もない。むしろ保存状態が良すぎるほどだ。一同は言葉を失う。
「……心臓が動いている」
誰かの声が震えを帯びて漏れた。自身の頭部を撃ち抜いたはずだ。理論上あり得ない。だが事実としてそこにある心臓は確かに脈打っている。管を切り離し、取り出してもなお律動が止まらないのだ。その様子は生命現象というより、法則が惰性で続いているかのようであった。
異常だ。だが同時に異形ではない。形はごく普通の人間の心臓と変わらない。その平凡さが、かえって神秘性を際立たせていた。
他の臓器も次々と摘出されていく。消化物はなく、排泄の痕跡もない。生存のために機能していた形跡が見当たらず、医者の一人はこれらは生きるための器官ではなく、ただ“人であるための形式”に過ぎないのではないか、という考えを振り払えずにいた。
血液型も遺伝的適合も無視した決断。まともであることが停滞を招くと見た彼ら。それを止めるための理性は使命感が搔き消してしまったのだろうか。少なくとも彼らは、この凶行に賭けるしかなかったのだろう。
シャーレの先生の損壊した身体へと、臓器が移植されていく。皮膚を開き、配置し、接続する。不思議なことに血管も神経も、拒絶反応を示さず正確に繋がっていった。まるで最初からそうなることが決まっていたかのように。
最後に心臓が収められる。
接続が完了した瞬間、心電図が規則正しい波形を描き始めた。室内に、微かな安堵と緊張が同時に走る。医者たちは手際よく皮膚を閉じ、手術を終えた。
だが。
どれだけ時間が経っても、先生の意識が戻ることはなかった。心臓だけが、まるで独立した存在のように動き続けている。生命反応はある。だが、皮肉なことにそこに“目覚め”はない。魂が抜けてしまっているようだ。
沈黙の中で、誰もが同じ結論に辿り着く。
奇跡は起きなかった、と。
「……」
「……ぁ、あ」
背後で、掠れた呻き声がした。
医者たちは同時に振り返る。反射的な動作だった。
その視界に映った光景を脳が理解するまで時間を要しただろう。
ありえない。なぜまだ動いている。
誰もがそう思った。無理もない。
手術台の上。
腹部を大きく裂かれ、臓器をすべて失ったはずの黒いそれが、むくりと上体を起こしていた。奇跡ではない事象が起き続ける。
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自分の頭を撃ち抜いた後もずっと意識があった。腹を裂かれる痛みも、臓器を抜かれる不快感も“全て”感じていた。
自身がまともな生命でない事を突きつけられる。
目を見開いて、痛みの元を見下ろした。腹の中、胸の内。もう何もない。空っぽだ。俺の大事な要素。生を実感させるものがもう何もない。
「……ハハッ」
「ハハッ…ハ…ア…」
ああ、なんて馬鹿馬鹿しいんだろう。乾いた笑いが漏れる。
ああ、虚しい。笑い話にもなりゃしない。
俺は死なないじゃないか。臓物を全部引っこ抜かれても、脳髄をぶち撒けても。俺は死ねないじゃないか。そうだ。むしろなぜ今になって初めて気づいたように思えるんだろうか。
なぜ昔から死を恐れてきたんだ? 結局いくら体が傷ついても死なないなら、傷を恐れてきた意味がないじゃないか。
まるで無意味じゃないか。酷い冗談だ。
なんて悪趣味なんだろう。
横を見れば先生の心電図は動いていた。
手術台から降りて医師たちの元へ歩く。
「……どうなった」
医者達は俺を怯えながらも、口を開いた。
「……脈拍は正常です……。体は生きていると言っていい状態ですが、意識は…」
「……そうか」
俺は死なない。また生きながらえてしまった。しかし、このキヴォトスで今最も必要とされている人物は生きていない。皮肉だ。全部が皮肉だ。
どれほど守りたいものが在ろうとも、生きていて欲しい者が居ても。
必ず自分は最後まで生き延びてしまうのではないだろうか。
「……もしかしたら、万が一の可能性かもしれないが…。目を覚ます事があるかもしれない」
「……その時まで見てやってくれ」
俺の“価値”は彼の体に託した。結局俺は俺自身の宿命から逃げられない。殺し続けるしかないんだ。いつ、どの時代でも。どこにいようとも、常に死が付き纏う。
自分のせいでこの最悪が起きてしまったのではないか?
自分が引き寄せてしまったのではないか?
全く根拠はない。だが、そうした。自己否定的な妄想が侵入する。
罪悪感は鎖となり、自身の首を絞めるようだった。肺すら無い今、もうまともに呼吸などしているはずもないのにな。
なぁ、サオリ。お前たちは大丈夫か。
俺は彼女らがアリウスから出れないように細工した。逆に外からアリウスに侵入されないようにもした。内側から突破されない限り、外から入られる事はないだろう。
俺はお前が辛い人生を送ってきたのも、苦しんできたのも知ってる。同情したさ。だが……本音では羨ましかったんだ。お前は友人を失わなかったじゃないか。
……だからと言って彼女に俺と同じ目に遭ってほしいなどと思っているわけじゃない。
喪失を経験せずにいて欲しい、それも本音なんだ。もう俺みたいになる奴が存在して欲しくないんだよ。なんとか誰一人失わずに乗り越えてきたのに、それが理不尽に破壊されるような事なんて、あってはならないんだ。
いつかは良くなるはずだ。誰か、俺よりも賢い者達が解決策を見つけてくれるはずだ。だから、悪いが、全部治るまで待っていてくれ。
動け。何も終わっていない。止まるな。まだだ。これまでの犠牲を無駄にするな。
もう二度と、失わせてたまるか。
この血塗れの腕はまだ残ってるんだ。折れて、擦り切れて、身が粉になるまで使い潰せ。そうしないのなら、お前は何のために生き永らえた。
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キヴォトスの治安の悪化は止まる事を知らない。
不良、ヘルメット団、違法な取引に手を染める企業。いずれも活動頻度が上がり、鎮圧後の再発までの間隔が短くなっている。公安局として対処を続けてはいるが、追いついていないのが現状だ。
それだけではない。並行して進められている“奇妙な事件”の調査が、私たちの神経を確実に削って来ている。
表向きには、生徒の行方不明事件。だが実際には、路地裏でヘイローが破壊されたと思しき謎の遺体が次々と発見される前代未聞の事件なのだ。いつか我々もこうなるのではないかという恐怖感に襲われる。
私自身も疲弊が蓄積している自覚があった。だが、それを理由に現場を離れるわけにはいかない。
その日もそうだった。巡回中に武力衝突が発生し、私は部下と共に前線へ出ていた時。不良たちは数だけは多く、統制も取れていない。いつも通り制圧に移ろうとした、その瞬間。
視界の端で、影が動いた。
次の瞬間、鈍い金属音。短く、重厚な音が連続する。状況を理解するより早く、不良たちは次々と倒れていった。何者かが一人ずつ急襲してはその不良たちを気絶させていた。
急所を狙い、意識を刈り取る無駄のない動きはキヴォトスにおいて類を見ない。異質な光景が瞬時に展開される。
全員が沈黙した後、その“黒い影”は、ゆっくりとこちらへふり返る。私は反射的に銃を構えたが、引き金には指をかけなかった。理由は単純だ。“それ”が何か……いや、“誰”か知っていたからだ。
「……久しぶりだな」
その声を聞いた瞬間、胸の奥で、言語化できない違和感が生じる。
「……確かに、久しぶりですね」
私は銃を下げつつ、距離を保ったまま答える。声は平静を保てていた。相手は“名前のない彼”。一度は漂白されたような幼い子供として、二度目はやつれた人物として出会ったが、今回は更に歪な姿になっていた。
彼は倒れた不良たちを一瞥し、まるで後片付けでも終えたかのような調子で話しかけてきたのだ。
「どうしてここに?」
「……通りかかっただけだ」
偶然、という経緯を私は信じる。少なくとも、この時点では疑う理由がなかった。彼と例の事件を結びつける思考はこの瞬間には存在していなかったからだ。
「……そうですか。助力に関しては、感謝します」
形式的な礼を述べながら、私は彼の立ち姿を観察していた。以前よりも、どこか静かだ。いや、正確には……余計なものが削ぎ落とされたように見える。感情の起伏が読めない。
彼は私をまっすぐに見ていた。敵意はない。頭は損傷した装備の上からかなり乱雑に包帯で巻かれていた。ゴーグルの片側でさえ包帯が覆うように巻かれている状態だ。
……いや、包帯だけではない。あれは養生テープか?
あんなものをなぜ頭部に巻いている?
「話がある」
短く、そう告げられる。
私は一瞬だけ沈黙し、周囲の安全を確認してから答えた。
「……分かりました。場所を変えましょう」
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彼は、壁にもたれかかったまま、こちらを見ずに問いを投げてきた。
「……最近の状況は?」
単刀直入で、感情の起伏がない。ザラザラとした声だ。私は一瞬だけ呼吸を整え、公安局長として把握している事実を順に口にした。
「率直に言えば……最悪です」
自分でも、ため息が混じったのが分かる。
「先生が重体になってからというもの、企業は好き勝手に動き出し、傭兵を雇い、違法契約を隠そうともしない。不良やヘルメット団同士の抗争も激化しています」
視線を外し、遠くを見ながら愚痴とも言える現状報告を続けた。
「銃器だけではなく戦車や重装備の不正流通まで横行している。……中でも深刻なのが、生徒の行方不明です。件数が、異常な速度で増えています」
実際には行方不明ではない。生徒は遺体として次々と見つかっている。それを表向きは行方不明として公表しているだけだった。彼はすぐには答えなかった。ほんのわずかな沈黙の後、まるで確認するかのように言う。
「……行方不明扱いになっていたのか」
私は思わず、彼を見た。
「……どういう意味ですか」
「実際には死亡している。違うか」
心臓が一拍遅れた。なぜ彼がその事実を知っている?
「……あなたも、遺体を見たのですか?」
彼は壁に背を預けたまま、淡々と告げた。
「……いや、それをやったのは全部俺だ」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。思考が意図的に現実を拒んだ。突飛な冗談のようで情報が入ってこない。何の変哲もないことのように話すのだ、聞き逃しかけた。
「……何を、言っているんですか」
彼は短く続ける。
「そうせざるを得ない程、状況は酷い」
感情のない声だった。
「様子がおかしい生徒を見つけたら、即座に連行しろ。そして止める方法、治す方法を探せ。何よりも優先しろ」
嘘だとは思えなかった。問題だったのは、それをただ事実を報告しているだけのような態度で自身の行いを語る点だ。
「いえ……本当に何を、言っている?」
「言葉の通りだ」
「……は?」
理解できない。冗談なのか? ふざけているのか?
なぜこうも淡々と話す。当たり前のことのように言える。
この状況で頭がおかしくなっているのか?
「あなたが……全てやったと言うのですか?」
「ああ」
どこか遠くを見ながら彼はそう他人事のように答えた。何人も殺したという事実を、あまりにも当たり前の行為として述べる。
「信じられないのか。無理もないが犯人捜しに労力を削ぐな。俺だからもうそれに意味がない。他を優先しろ」
その態度が私の中で許容できない何かを踏み越えさせた。
「ふざけるな……!」
私は気づけば声を張り上げていた。真偽はどうであれ、嘘なら趣味が悪すぎる。事実であったなら、あまりに惨い。
「それが本当に正しいと思っているのか!? 自分がどれだけ惨いことをしているのか分かっているのか!?」
彼は少しも動じなかった。
「……正しいわけがないだろう」
淡々と、しかし僅かに疲弊した声音で言う。
「俺は自分の行いが正しいなんて、一度も思ってない」
そして続けた。
「だからこそだ。俺を止めたいなら、いち早く解決策を見つけてくれ」
不意にその声色からどこか懇願するようなものが感じられた。人間らしさを帯びている。一体、なんなんだ。何を考えているんだ?
「全部が終わった時、出頭する。極刑でも死刑でも、なんにでもしてくれ」
全ての責任を請け負う、という意味なのだろうか。
そう言い残し、彼はその場を離れた。義足を引き摺るように、ゆっくりと歩いていく。その背中は、十字架を背負っているように見えた。私はすぐ様拳銃を抜き、彼の背に銃口を向けた。
私はその瞬間、彼を撃つこともできただろう。部下を呼び、拘束することもできたはずだ。
それでも、指は引き金にかからなかった。理由を、私はまだ言語化できない。
暗い路地に消えてゆく彼に、強く風が吹く。
[補足]
-生死の境界
名無しも先生ももはや生きているのか死んでいるのかが曖昧な状態になっている。名無しに至っては随分前からこんな感じだけどね。
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