「……?」
気が付けば閉鎖的な空間にいた。円形の空間にはそして台座のようなものがある。それに診療椅子に似たものが中心にも。
既視感があった。確かに、どこかで見たことがある。だが、いつ、どこでかは思い出せない。
「やはり……王女の体にアクセス可能なのですね。私達と同じ名もなき神々の系譜に連なる存在で間違いないのでしょう」
「誰だ」
アリスと同じ見た目。だが違う色のものを浮かべた何かがいた。
「私の個体名は〈key〉」
淡々と名乗る。そして“それ”は続ける。
「王女を助ける無名の司祭たちが残した修行者であり、彼女が戴冠する玉座を継ぐ『鍵』〈key〉です。」
言葉の意味がうまく繋がらない。概念ばかりが並び、意図が見えない。
鍵? key? 王女だの玉座だの。
「……悪い、ふざけてる暇はない。ここは何処だ。早く出たい」
率直にそう伝える。余裕がない。
まだ向かわなければならないところがある。
だがこちらの要望は無視され、淡々とした声が続く。
「ここでの出来事は現世とは切り離されています。時間の経過を考慮する必要はありません」
「……」
意識は別のところに引っ張られていたせいで半分も聞いていなかった。
直前の記憶を辿る。アリスと接触した、そこまでだ。
……それが、引き金だったのか。
「私の問いに答えてください」
〈key〉は一切の躊躇もなく言葉を重ねる。
「あなたの個体名を。王女より前の世代であることは確実でしょう」
分からない。問われたところで、答えようがない。
「なぁ。ここに用はない、俺は早く戻りたいだけだ。」
周囲の曖昧な世界を見渡しながらそう吐き捨てた。
「何の役割を持ってこの領域へ赴いたのですか?」
しかし〈key〉はお構いなしに理解できない前提を積み上げてゆく。
「……まさか。本当に忘却してしまったのですか?」
「忘れるも何も、最初から知らねえよ」
……自分の出自について一切知らないのは事実だ。一度個体名のようなもので呼ばれた記憶がある。何だったかまではもう思い出せない。
「名もなき神々の力が扱える上に、王女に何の権限もなくアクセスが可能なんて……」
「……いえ、あるとすれば……そうだとするなら……」
一人で何やら呟いている。その視線は宙を彷徨い、思考の奥へ沈み込んでいるようだったが、やがて答えを得たかのように、こちらを向いて言葉を継ぐ。
「……まさか」
「最初期に存在したとされる完全有機体形式のプロトタイプ、『長子』だとするならばあり得ます」
「……しかしそうであるなら何故棄てられたはずの存在であるあなたが、此処にいるのですか」
問いかけは淡々としているが、その奥には探るような警戒心とも言える鋭さがあった。だが、彼女はすぐに小さく首を振る。
「いえ、この際それは無視しましょう」
「長子、あなたにはやってもらわなければならないことがあります」
彼女はそう言った。その声音はどこか理路整然としていながらも、一瞬だけ、機械的ではない“何か”が滲んだように感じられた。
そのまま〈key〉と名乗った存在は、淡々と、しかし揺るぎない断定をもって語り始めた。
世界が滅ぼされる事は、既に確定しているのだと。それは予測でも仮定でもなく、回避不能な事象として“確定”している未来だと言う。ふざけた話だ。まるでどれだけ努力を重ねたところで意味がなかったみたいじゃないか。
それに伴い、名もなき神々の王女という役割もまた、既に失われたも同義だと告げる。世界を終焉に導くための役割を果たす必要性がなくなった。無名の司祭と呼ばれる存在はもう王女を使うつもりがないのだと。
無名の司祭、またもや抽象的な単語。自身の性質と近しいものを感じたアリスはその名もなき神々の王女という存在らしいが、いまさらそれを知らされたところでどうすればいいのか。
正直何一つとして頭に入ってこないんだ。脳のキャパはとっくに超えている。
〈key〉は重苦しい空気の中で続ける。
「これ以上、王女に精神的負荷を負わせたくない。」
その言葉には僅かな感情が宿る。
〈key〉は一拍置き、言葉を選ぶように続けた。
「だから王女を」
「……アリスを眠らせて欲しいのです」
あえて王女ではなく、わざわざアリスと言い換えたのには意味があったのだろうか。
「……眠らせる?」
「この領域の『忘れられた神々』はいずれ全てが消し去られる、その中には王女が大事に思っている者もいるのです。」
「ただ滅びゆく世界と共に彼女らの死を直面させるぐらいなら、せめて安らかに幕を引かせたい。」
ようやく言葉の意味が頭に入ってきた。
「俺にあの子を……」
「殺せと、そう言いたいのか。」
そういう物言いだった。
兆候が出ているわけでもない罪のない子を苦しませたくないから殺せだと?
「いえ……そうではなく」
「王女を動作を一時的に停止させるだけ、決して命を奪う行為ではありません。」
動作を停止させるだけ?
まるで機械のように言う。何から何まで意味が分からない。
「あなたの介入により一時的に王女の表層人格を内部データベースの深層部へと隔離する事ができます。」
「その間に王女の体を私が制御します。あなたは私に追従してください。いいですね?」
そう言われると同時にこの奇妙な空間から弾き出された。
「……!」
視界には元の医務室が広がる。
「問題なく入れ替われたようです。……では、行きましょう。」
目の前の存在がアリスの体を使って歩いてゆく。
「……」
どうにもできず、荒れたミレニアムを尻目にそれに追従するしかない。なぜこうも選択の余地がないんだ。
俺はアリスに言った。きっと良くなると。
だが、現実にそんな状況の改善を望めない。
どう声をかけるのが正解だったのか。
……もうこういうのは辞めろ。どうせ答えなんか無いんだ。
今まで誰も答えを示してくれなかったじゃないか。
———————-
「……見つけた。」
追って追って追い続けた。ようやく見つけた。トリニティ周辺、カタコンベのある地区まで一周回ってきて、今やっと追いついた。
遠い。だが微かに黒いものが焼け跡に一人で佇んでいるのが見える。
あれだ。間違いない。
使用している武器はその構え方からアサルトライフルのような形状をしていると思われる。ついにあの大事なものであったはずの鉈を捨てるほどに自我を失ったか。
「……ッ!」
それが私に気づく事もなく立ち去ろうとした。声を張り上げて引き止めようと試みる。
「待てッ!」
走って接近する。しかし、それは一瞬の束の間に消えてしまっていた。
逃げられたか。
このままでは次の犠牲者が出る。
ただ目についた者を殺して、それが終われば次を探して。
もしあれがそうやって無差別に周囲にいる者を殺し続けているのなら、アリウスはどうなる?
それとも既に……。
既に襲撃を受けていたとしたら?
「……」
戻らなくてはならない。
“彼”を止めるという使命はまだ終わっていない。私がやらねばならない事だ。できることならいち早く止めてやりたい。
だが、彼女らの安全の確保が先だ。そもそも一番大事な事はそれなんだ。
もし彼女らに何かあった時、その時こそ私はもうまともではいられなくなる。
————————-
「こちらです。」
〈key〉に誘導されるがままに進む。
生徒のいないであろう場所だからミレニアムから離れるに連れて気配が遠ざかるのを感じるはずだが、段々この感覚が壊れてきたのか気配そのものが感じづらくなっているのに気づいた。
まだ片目がある。まだ触覚もある。
まだ大丈夫だ。まだ。
一部のミレニアム生が『廃墟』と呼んでいた立ち入り禁止区域の地区まで連れてこさせられた。
荒れた都市。まるで未来を示しているようだと碌でもない思考がよぎる。
大量の意思の疎通が不可なロボットがひしめいていたが、なぜか俺達には興味を示していないようだった。認識できていなかったのだろうか。
そのまま追従し続けていると工場らしき場所に入ることになった。
「……」
その中は暗い通路が続いている。それを見て一瞬立ち止まってしまった。
どれだけ時間が経ってもやはり長く続いていそうな暗所には忌避感がある。思い返せば、自分の“最初”がどれだけ最悪だったかを再認識させられた。
永遠と続く暗闇の恐怖。飢餓と孤独のトラウマ。
だが、あそこから立ち直って地上に出れた。
……立ち直った? どうやって。
何か俺にとって大事な出来事があったはずだ。
思い出せない。
「……『長子』よ。なぜ立ち止まっているのですか。」
前からそう言われて再び歩く。
薄れゆく記憶と感覚。それでも消えない疲弊と苦痛。
終わりが見えない。どうなれば終わる。
もう十分取り返しがつかないと言うのに。
『接近を確認』
ある程度まで進んだところで、機械音声が聞こえた。
『対象の身元を確認し し 身元を か か 』
故障したような壊れた音に変わる。
俺が音声の場所まで近づいたせいだろうか。
「この下が目的地なのですが……」
〈key〉が下の床を指し示す。
俺のせいで通れなくなってしまったと言わんばかりにこちらを見た。
「……」
床に触れる。薄い。
鉈を引き抜き、運動エネルギーを乗せて床に叩きつけた。
耳につんざく金属音と共に床が凹んだ。ひしゃげて通れる穴ができる程の衝撃を加えた。
床は折れ曲がって通れるサイズの穴ができた。
「……今回は仕方ないものとしましょう。降りますよ。」
無言でアリスの体を抱えて降りる。
着地の衝撃を軽く受け流した。
アリスの体を解放して再び歩き出す。
「……ここは」
降りた先でたどり着いたのは円形の空間。
椅子と台座もある。
間違いない。アリスと接触した時に訪れる妙な世界と同じだ。
「こちらに来てもらえませんか。」
〈key〉は椅子に座って俺にそう命じた。
それを拒む理由はもう無く、歩いてそこまで行く。
「ここまで協力してくださり、ありがとうございます。それでは最後のプロセスに移りましょう。」
そう〈key〉は言うとゆっくりと手を伸ばし、俺の頬に触れた。
言語化できない情報が脳内になだれ込んでくる。
「これで王女の動作を止める方法は理解できたはずです。」
「じきに表層人格が王女と入れ替わるでしょう。では、後は頼みます。」
そう〈key〉は言い残すと目を瞑って動かなくなる。
直後、入れ替わるように違う色の”輪っか“が現れた。
アリスが目を開ける。
後は頼みます、か。
「うーん……」
「ここは……私は一体何を……」
「あなたは……アベル……?」
「ああ」
「どうしてアリスはこの場所にいるのでしょうか……?」
「……さあ、なんでだろうな。この場所を知ってるのか。」
「はい! 私が初めてモモイとミドリ、そして先生に出会った場所です!」
「そうなのか」
「その後、初めてゲームをしたのも覚えています! そこでユズとも出会って……」
「そうか」
「……そうか」
楽しげに、無邪気に思い出を話すこの子を見ていると、空っぽなはずの胸が酷く痛む。なんでこんなに痛いんだ。なんでこんなに辛くなるんだ。
手が震えてきた。早く終わらせなければならない。
「……どうしました?」
「……」
アリスが心配そうにこちらの様子を伺う。
「そういえば、アベルのジョブはなんですか?」
「ジョブ?」
「役割のことです! もしまだ何も決まっていないなら、アリスの言葉を覚えておいてください!」
「もし自分の正体が世界を滅ぼしてしまうかもしれない魔王であったとしても、なりたいものになっていいんです……! 」
「きっと辛いことや苦しいことがたくさんあるかもしれません……。それでも、自分のなりたいものを忘れないでください……!」
「……そうか。」
そっとアリスの頭に触れた。
「お前は本当にいい子だな。」
「……なあ、アリス。」
「はい!なんでしょう?」
「今から少しの間……ここで眠ってもらわなくちゃならない。」
「眠る? それはどうしてでしょうか?」
「深い理由はないさ。ただ敢えて言うなら……」
「モモイが戻ってくるまで少し時間がかかりそうなんだ。だからここでHPを回復しておいてほしい。」
「そうですか……? アリスは傷ついていませんが……。 モモイはどうなったのでしょうか……心配です……。」
「……安心しろ。すぐに起こしに戻ってくる。」
そう最後に言い残し、アリスの頭部のある位置に“性質”を使って干渉する。
「あっ……」
アリスの瞳から光が消え、それに応じて“輪っか”も消えた。
寝息は立てていないがおそらく死んでいるわけではないはず。
動作を停止させることに成功したらしい。
〈key〉、これで良かったのか。
「……」
静かになった空間を見上げた。自身の吐いた溜め息の音が響く。
なりたいもの。
なぁ、俺にはもう何も分からねえよ。
未来なんてもう想像できない。
俺がどういう者であったかすら曖昧だ。
何になりたかったんだ?
俺はかつて何を目指していたんだ?
なんで俺はまだ、生きているんだ?
どうして俺は“名無し”なんだ?
[補足]
-名無し
もう友人の事も覚えていない。ただ嫌な思い出だけがこびりつくように残ってしまった。両足は依然として義足。腕は両方ともまだある。顔の半分が負傷したまま再生できなくなっており、眼球も欠損したまま。片目だけの視力と、痛みに慣れることのない痛覚だけが残ったのが現状。
-アリス
名無しから見ればアリスは生徒とは違って裏の恐怖が見えない。よって先生の次に顔を直視することに忌避感のない相手であり、その分安心感もあった。本当に病んだ心の癒しになっていたために名無しからの感情の矢印が大きかったりする。