From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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かつては背中を預けあった。


46話『対峙』

 近頃、仮眠を取る度に同じような夢を見る。

 

 白い翼の生えた女が私に語りかけてくる、そんな夢だ。

 当然、私は彼女と面識がない。名前だって知らない。だが、どこかアツコに似た雰囲気を感じる外見だった。

 

 年は少なくとも私よりも上だろう。既にどこかに学園を卒業した大人なのだろうか?

 

 一つ気になる点を挙げるならば、彼女のヘイローは分裂したように複数あるように感じることだろう。捉え所のない奇妙な感覚だが、なぜか“そういうもの”だと思えた。

 

 彼女は現れる度に私に励ますような言葉をかけ、勇気付けてくれる。

 

「……それはきっと辛い決断だったのでしょう。」

 

「大丈夫。貴女は正しい。間違ってなどいません。」

 

 彼女はいつも私の選択が間違っていないと囁いてくれる。

 

 “異変”によって先生が倒れ、キヴォトスの状態が悪化し、またみんなと離れる事になっても彼女がいたから行動を止めずにいられた。

 

「“彼”を終わらせること、それこそ貴女の使命」

 

「きっと貴女なら成し遂げられる。なぜなら貴女は正しいから。」

 

 そうだ。私の行いは正しい。

 

 私は、彼を止めるんだ。

 

 殺してでも。

 

「……」

 

 いや、違う。

 

 そうじゃない。違うだろう。

 

 おかしい。何かがおかしい。

 私にはもっと優先すべき大事なものがあったはずだ。

 

「はっ」

 

 意識が覚醒した。

 いつだ? いつから気を失っていた?

 

 自分の想定よりも疲労が溜まっていたのか。

 

 しっかりしろ。アリウス自治区に戻るとしていたところだろう。

 

 休んでいる暇はない。走れ。

 頼む。アツコ、ミサキ、ヒヨリ。無事であってくれ。

 

 

 

 

 

——————-

 

 

 

 

 

 ある幼い少女がいた。

 生まれ落ちた場所は、極貧で、荒れ果てた環境だった。空気は重く、日常は暴力と欠乏に満ちていたが、それでも彼女は完全な孤独ではなかった。同じ境遇に置かれた“彼女ら”が、常に傍にいたからだ。

 

 だが、その世界は歪んでいた。

 希望や幸福を望むことそのものが罪とされ、そんな兆しを見せた者には容赦ない罰が下される。彼女らは幼い頃から徹底的に無駄な感情を削ぎ落とされ、抑え込まれ、兵士として作り上げられていった。

 

 少女も例外ではなかった。

 支配によって植え付けられた憎悪の糸に操られ、傀儡のように振る舞う日々。信じるべきものとして与えられたのは、未来ではなく虚無だった。何も期待しないこと、何も望まないことだけが、生き延びる術だった。

 

 そして彼女は、後に深い後悔として胸に残る、大きな過ちを犯してしまう。その瞬間、彼女自身はまだ、それが取り返しのつかないものであるとは理解していなかった。

 

 しかし、転換点は訪れる。

 長く続いていた支配から、彼女は脱却することができたのだ。糸は断たれ、命令の声は消えた。自由と呼ぶにはあまりに心許ない状態だったが、それでも確かに、彼女はもう縛られてはいなかった。

 

 自分は生きていてもいいのだろうか。

 罪を背負ったまま、ここに存在していいのだろうか。

 

 その問いを、彼女は“恩人”に投げかけた。

 返ってきたのは、優しくも試練を与えるような言葉だった。

 

『“その答えは、自分で見つけようね。”』

 

 その一言は、導きであり、同時に宿題でもあった。

 誰かに与えられる答えではなく、自分自身で選び取る生き方。

 

 まだ未来を思い描くことはできず、何がしたいのかも分からない。

 だから彼女は旅に出た。どう在りたいのか、どうなりたいのか、そんな自分の色を探しに。

 

 その旅の最中、彼女はある存在と出会った。

 それは、自分とは決定的に異なる色をまとった者だった。憎悪によって焼き焦がされた黒い色。

 もし支配から逃れられなかったなら、辿っていたかもしれない末路をはっきりと彼女は感じさせられる。

 

 同時に、その姿はあまりにも見るに耐えなかった。

 既にこの世には存在しないはずの敵に対して、なおも憎悪を燻らせ続けている。かつて身の回りにあったすべてを脅威として記憶し、今もなお恐怖に怯えながら生きている。時間は進んでいるはずなのに、彼だけが過去に縛られたまま。

 

 罪と傷が絡み合い、雁字搦めになった心。

 何をしても解けず、どう足掻いても前に進めない、どうしようもない在り方。彼は、生きているというより、ただ存在し続けているだけのように見えた。

 

 彼との出会いは、彼女に問いを突きつける。

 罪とは何か。

 悪とは何か。

 

 かつて自分が犯した過ちを、彼女は思い出す。それは消えることも、なかったことにもならない。だが、彼の姿を前にして、彼女は理解し始めた。罪に囚われ続けることと、罪を抱えたまま生きることは、同じではないのだと。

 

 彼は常に今を恐れ、過去に生き続けていた。

 彼女は未来に少しの恐れを抱きながらも、前を向いていた。

 

 その違いが、彼女に生きる意思の正体を教えた。

 生きるとは、赦されることではない。

 生きるとは、忘れていくことでもない。

 

 罪を理解し、それでもなお歩みを止めないこと。

 その重さを背負う覚悟こそが、生きるという選択なのだと、彼女は静かに理解した。

 

 黒く焼け焦げたその存在は、彼女にとって鏡だった。

 同時に、二度と辿ってはならない道を示す、無言の警告でもあった。

 

 それからしばらくの間、彼と彼女は任務を共にする生活を続けた。

 互いの背を預け、互いの死角を補いながら、言葉少なに任務をこなす日々。必要以上に踏み込むことはなく、しかし距離を置きすぎることもなかった。

 

 その関係には、奇妙な信頼があったのだ。

 背中を預ける場面で任せられるという確信だけが、確かな支柱としてそこにあった。

 ……それを友情と呼ぶには、どこか互いに慎重すぎた。

 自分たちは友人だ、と口にするには、まだ躊躇いが残っている。

 

 かといって、恋愛感情が絡んでいるわけでもない。恋仲に発展するようなきっかけもなく、互いにその気はなかった。

 

 少なくとも、同僚という枠組みの中では、彼らはよく噛み合っていた。

 任務の進め方、判断の速さ、危機における覚悟。共に行動することで学ぶことは多く、そのたびに互いへの理解と敬意は静かに積み重なっていく。

 

 言葉にしなくとも伝わるものが増えていく。

 必要以上の感情を持ち込まず、それでも相手を軽んじることはない。

 

 それは、良好で、健全で、そしてどこか不器用な関係。

 互いに尊敬し合いながらも、まだ踏み込むことを選ばない。そんな均衡の上に成り立つ日常が

 

 

 続かなかった。

 

 現在、彼女は後悔している。

 

 あの時、“異変”が起きる前から始末しておけば良かったと。焼け落ちた帰るべき場所と、大事な者達の屍を前に。

 

 

 

 

 

——————-

 

 

 

 

 

 私は、ただ走っていた。

 呼吸が乱れ、肺が焼けるように痛む。それでも足を止める理由はなかった。止まれば、全てが終わってしまう気がしたからだ。

 

 アリウス自治区。

 帰るべき場所。守るべき場所。

 間に合う。そう信じていた。信じるしかなかった。

 

 だが、視界に飛び込んできた光景は、その願いは無慈悲に踏み潰される。

 

 建築物は崩れ落ち、骨組みだけを晒している。

 黒く煤けた壁。焼け焦げた地面。

 空気は重く、焦げた匂いが喉の奥に張り付いた。

 

 ……遅かったのか?

 

 胸の奥で、不安が膨れ上がる。

 嫌な予感が、思考を塗り潰していく。それでも私は、瓦礫の間を進んだ。ただ一つを探して。

 

「……どこだ」

 

 声が、震えた。

 返事などあるはずがない。それでも、呼ばずにはいられなかった。

 

 辿り着いたのは、見慣れた場所だった。

 ほんの少し前まで、確かに“日常”があった場所。

 

 私は、そこに立ち尽くした。

 

 動かない。

 誰も、動かない。

 

 家族だった。

 名を呼んでくれた者たち。そこにいてくれた私の大事な。

 

「……嘘だ」

 

 足が、前に出ない。

 近づくことが、ひどく恐ろしかった。

 

起きてくれ

 

 小さく、命令するように言った。

 声は、瓦礫に吸い込まれて消えた。

 

頼む、目を開けてくれ

 

 返事はない。

 分かっている。分かっていた。それでも、認めるわけにはいかなかった。

 

 私は、その場に崩れ落ちた。

 喉の奥から、押し殺していたものが溢れ出す。

 

……あ、ああ

 

 慟哭だった。

 みっともなく、醜く、声が枯れるまで泣いた。涙が止まらなかった。

 

 私が、守るはずだった。

 私が、もっと早く――。

 

 何故。どうしてこうなった。なんで。

 

 胸の奥から、頭の中心から、腹の底から。

 体の全てから、抑えられないほどの感情が燻った。

 

 憎悪だ。

 押し付けられた他人のものではない。本当の憎しみが。

 

 自分自身を焼き焦がすような、消えることのない火。

 虚しい。全ては虚しい。

 

「……許さない」

 

 お前を始末しておくべきだった。最初からそうすべきだった。

 お前さえいなければ。お前さえ存在しなければ。

 

 お前さえ生まれなければ。

 

 “声”が聞こえる。

 

 耳元で囁くように。

 思考の奥底に、直接染み込むように。

 

「貴女は正しい」

 

 私は、息を呑んだ。

 否定する言葉は浮かばない。むしろ、その声は、私がずっと欲しかった答えだった。

 

「“彼”を殺すのが、貴女の使命」

 

 使命。

 その言葉が、胸の奥に重く落ちる。

 

 そうだ。

 私は間違っていない。

 

「貴女は、間違っていない」

 

 何度も、何度も繰り返される。

 そのたびに、心の中の迷いが削ぎ落とされていく。

 

 私は、理解した。

 

 そうだ。

 彼を、殺すんだ。

 

「……殺す」

 

 声に出した瞬間、何かが噛み合った。

 歪だったはずの思考が、一本の線になる。

 

「殺してやる」

 

 それこそが正しい。

 それこそが、私に残された使命だ。

 

「殺してやる」

 

 憎しみが燃え上がる。

 同時に、使命感がそれを肯定する。

 

 疑いなどない。

 躊躇も、恐怖も、全てが意味を失った。

 

「殺してやる」

 

 

 

 

 

 

———————————

 

 

 

 

 

 何が正しいのか、何が間違っているのか。

 そんな事を考えるのは辞めた。

 

 どうせ分からない。何も正しいと思えない。

 

 もう助からない生徒を楽にさせてやる判断も、被害が及ばないように一部を隔離させた判断も、全てに自信が持てない。

 

 何をしても命だけが散っていく。どれだけ努力を重ねたところで無駄だった。詰みだ。“異変”が起きた時点で詰んでいたんだ。

 

 先生が重体になった。ホシノが“化け物”になって殺さざるを得なくなった。アリスに何も伝えず眠らせた。

 

 どうしていつも誰かが目の前でいなくなるのを見届けなくてはならないんだ。何のために俺は生きてるんだ。

 

 なんなんだ。俺に一体どうしろって言うんだ。

 

 

 工場を抜けた。立ち入り禁止区域を歩く。ミレニアムは……もう、いいか。

 

 どうせみんな死ぬ。もう“気配”を感じるための感覚器官が壊れた。どこに生徒がいるかも感じ取れなくなってしまった。俺じゃどうにもできない。無力で無能な俺じゃ、何をしても意味がない。

 

 ……アリウスはまだ無事だろうか。

 

 あの日、サオリとクルーズ船で別れてからしばらく会っていない。アリウス自治区を外から入れないように閉鎖した時も様子を見に行ったりなどはしなかった。

 

 彼女なら……無事か。

 

 俺よりも上手くやれるような奴だ。先生のように。

 きっと大丈夫だ。俺がわざわざ行かなくても、あの断絶された環境なら大丈夫だ。

 

 アリウススクワッドの仲間たちと上手くやれているはず。

 

 正直、今は会いたくない。

 

 俺の今の酷いツラを見られたくない。

 

「……っ」

 

 思わず瓦礫に躓いて転んで、全身を瓦礫の凹凸にぶつける。

 全身が痛い。張り裂けそうだ。段々動きも鈍くなってきている。

 

 片耳の聞こえが悪い。もう聴力も限界に近づいているらしい。

 何かが詰まってるような不快さが消えない。

 

 俺は緩やかに終わっているようだ。

 じきに体が一切動かなくなって、何も感じられなくなるのだろうか。

 

 その時、俺はどうなるんだろう。

 また死ねず、分解されて生き延び続けるのだろうか。

 

 いつになったら俺はこの答えのない疑問と苦痛から解放されるんだ?

 

「……」

 

「……?」

 

 ロボットが一つも見当たらなくなった頃、誰もいない開けた道路の先。

 

 何かが佇んでいる。

 

「あれは……」

 

 黒い瘴気を放つそれの持つ“輪っか”黒ずみ、燃えている。

 また“化け物”か。

 

 “それ”がこちらに銃口を向けた。

 

 そこまでは正直どうでも良かった。

 気づいた瞬間、動けなくなった。思考が止まったんだ。

 

「……勘弁してくれ」

 

 目の前の情報を脳が受け付けず、信じられなかった。

 

 信じたくなかった。

 

 もう辞めてくれ

 どうすれば気が済むんだ

 

 もう辞めてくれよ

 

 まだ理解を拒んでいる。受け入れられるか。

 幻覚であってくれ。

 

 会いたくなかった。しかもこんな形でなんてあんまりだ。酷すぎる。俺が何をしたって言うんだ。俺が、俺が悪いって言うのか。

 

 

 なんでサオリが ここに居るんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







[補足]
-名無しとサオリ
 作中であまり描写出来なかったため、ここで補足。シャーレにいる間は結構二人で仕事をこなす事が多かった。性格的な相性も良く、リスペクトに溢れる関係だった。しかし、それが原因か互いに一歩引いた、踏み込めない距離感になっていたのも事実。

 名もなき人の子はただ、友達になりたかった。


-サオリ*テラー
 絶望と憎悪、そして狂信による反転。何かの干渉を受け続けた結果、徐々に行動と目的に狂いが生じ、それによって最終的に元の憎しみに支配された存在に逆戻り(反転)してしまった。最も錠前サオリという意味から外れてしまっていると言える。憎しみは最悪に形で連鎖した。



-白い翼の女
過去からは逃げられない

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