「起きて……」
「返事して……」
「……きて……」
「起きてっ!!」
「っ!!っげほっ、げほっ……!」
「姉さんっ!よかった……生きてた!」
「……何が、起きてる?」
聞き覚えのある妹の声で、意識が浮上する。
だが頭は重く、思考はまとまらない。状況を理解する余裕すらなかった。
まるで激しい乗り物酔いにでも遭ったかのように、吐き気がこみ上げてくる。視界も定まらず、現実感がひどく薄い。
「何が……どうなってる……?」
「私も分からない……。ここ、どこなの? 連絡も全然通じないし……」
身体を起こし、周囲を見回す。
見渡たす限り真っさらな砂漠。そして真っ黒な汚い色の雲が空を埋め尽くしている。
……夢でも、見ているの?
「アタシたち……何してたんだっけ……」
「……分からない。記憶が曖昧で、何も思い出せない……」
「おーーーい!」
また、聞き覚えのある声が響いた。
今度は後輩の声だ。
「おっ、姉貴が起きてる! みんな、姉貴が目ぇ覚ましたぞ! 一旦集まれ!」
そうして後輩たちが次々と集まり、アタシを含めて十五人が揃った。
妹と彼女たち後輩を中心に、アタシたちはいわゆる“不良グループ”としてつるんでいた。
覚えているのは、いつも通り屯していたことだけだ。
それ以前の記憶は、霧がかかったように抜け落ちている。
「……それで、姉貴も何も覚えてねぇのか?」
「悪いけど、思い出せるのは普段通りのことだけだね」
「電波は?」
「全然ダメ。一本も立たない」
理由も分からないまま、十五人まとめて遭難した形になる。
手元にあるのは、使い慣れた銃と役に立たない携帯電話だけだった。
夢であってほしい。
けれど、頬を叩く乾いた風の感触は、現実そのものだった。
「姉貴……私たち……どうすればいいんだ?」
不安を隠しきれない声で、後輩が助けを求めてくる。
この中で一番年上なのはアタシだ。投げ出すわけにはいかない。
「姉さん……このまま砂漠の真ん中にいたら、干からびて死んじゃいます。どこかに移動しませんか……?」
地理の知識がない以上、ここがキヴォトスのどこなのかも分からない。
考えられる選択肢は、もはや一つしかなかった。
「向こうが少しだけ明るい。望みは薄いけど、この方向に一直線で行こう」
そう告げて、後輩たちを引き連れ、砂漠を横断する決断を下した。
……もう、何時間歩き続けているのか分からない。
辺りが暗くなり、また薄く明るくなって、それを何度か繰り返していた。
時間の感覚はとっくに壊れていて、足を前に出すことだけが現実だった。
「姉貴……すみません……もう……」
か細い声と同時に、後輩の一人がその場に崩れ落ちた。
「おいっ! しっかりしろ!」
肩を揺さぶるが、反応は鈍い。
「私も……もう……」
少し離れたところで、別の後輩が膝から崩れ、砂の上に座り込んだ。
まずい……このままじゃ、確実に全滅する。
「そいつはアタシがおぶる。もう一人は、誰か肩を貸してやれ」
考える余裕なんてなかった。
身体が勝手に動いて、言葉が先に出ていた。
「姉貴……そろそろ……休まねえか……」
その声には、弱音というより諦めが滲んでいた。
「休んでどうする! 水が見つからなきゃ、このまま共倒れだろ!」
息を整える間も惜しくて、言葉が荒くなる。
「時間との勝負なんだ……歩くしかないんだ……」
歩かせたくて歩かせているわけじゃない。
追い立てるような言い方をしているのも、本意じゃない。
それでも、やるしかない。
ここで立ち止まることが、終わりに直結するのは、全員が分かっていた
歩かせたくて歩かせているわけでもない、やるしか無い。
互いにそれが分かっている。そのせいで誰も責められない。
どれだけ歩いても、成果らしいものは何一つ見えなかった。
景色は変わらず、ただ砂と雲だけが延々と続いている。
時折、強い風が吹き抜ける。
銃弾よりも弱いはずのそれが、今は刃物のように肌を切り裂く感覚を伴っていた。
(……そろそろ、限界か……)
「……っと!」
足元がもつれ、身体が前に傾く。
「姉さん!」
人を背負ったまま踏ん張るが、脚にかかる負担は限界を超えていた。
膝が笑い、視界が揺れる。
もう、まともに立っていられない。
「姉……き……」
「ま……って……」
声が、次々と砂に落ちていく。
振り返る余裕もないまま、後輩たちが倒れていく気配だけが伝わってきた。
助けない……と……。
「姉……さん……」
その声が聞こえた瞬間、ようやく自分が倒れていることに気づいた。
地面の冷たさが、遅れて背中に伝わってくる。
……もう、限界だ……。
なんで、こうなった?
どうして、こんな場所に来てしまったんだ?
アタシたちは確かに不良だったかもしれない。
でも、そこまで悪いことをしてきた覚えはない。
それだけで、こんな地獄みたいな思いをしなきゃいけないのか。
なぜ?
ただ、苦しむため?
意識が、ゆっくりと薄れていく……。
死ぬのだろうか。
未練がましい感情と同時に、苦痛から解放される安堵を覚えてしまった。
それが、ひどく怖かった。
……もう、楽になれるんだ……。
「姉……さん……あれは……何?」
妹の声が、遠くから響いてくる。
はっきりしないのに、不思議と耳に残った。
辺りの色が変わり始めている。
砂も、雲も、淡く照らされているように見えた。
……なぜ?
何かに、照らされている……?
上から……?
仰向けになる。
視界いっぱいに広がる空を見上げる。
雲が……薄れている……?
いや、違う……離れている……?
「っ!!」
赤い空が、その姿をはっきりと現した。
空の中心には、“見たこともない色”が渦を巻きながら、こちらへと迫ってきている。
悪寒が走る。
理屈じゃない。本能が、全力で拒絶していた。
あれだけは、まずい。
身体の奥底で、危険信号が鳴り止まない。
「姉貴……あれは……何……?」
「姉さ……ん?」
後輩と妹が、まだ意識を保っている。
その事実が、胸を締めつけた。
「全員……!あれを見るなっ!」
喉が裂けるほど、必死に叫ぶ。
意味は分からなくてもいい。ただ、目を逸らしてくれれば――。
どうしようもなく、嫌な予感がする。
せめて、妹だけでも……。
「姉さん……何を……?」
「何をっ!?うぅっ……」
迷いはなかった。最後に残った力を振り絞り、妹の意識を断ち切る。
「………」
妹の身体が力なく崩れ落ちるのを確認して、ようやく息を吐いた。
もう、身体が言うことを聞かない。
指一本、動かすことすらできなかった。
(もう……いいか……)
抗う気力も、恐怖すらも、少しずつ遠のいていく。そうして仰向けになってただ宙から注ぐ黒い光を受け入れた
「『色彩』が「不和の神々」に接触した」
「喜べ、我々はこれらの『恐怖』を所有できるのだ」
意識が途切れる直前、遠くに白い人影が見えた気がした
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この塩湖の街に辿り着いてから、すでに数年が経っていた。
乾いた風と白い地面、濁った空気にも慣れ、ここでの生活が日常になりつつあった――その矢先。
“それ”は、何の前触れもなく起きた。
「おい! あれは何だ!? どうなってる!?」
[オかしい。いくら有害な気体が蓄積しているとはいえ、空があんな色になるはずがない]
「なンだあっ!? 空が……真っ赤じゃねえか!」
東の方角から、雲が押し退けられるように晴れていく。
その奥から現れたのは、形容しがたい不快な色をした空だった。
まるで天そのものが侵食されていくかのように、異様な赤が視界を埋め尽くす。
あまりに現実離れした光景に、思わず息を呑んだ。
「本当に……大気汚染だけで、こんなことになるのか……?」
[ソんなはずは無い。アレは、明らかに異常だ]
「きモちわりーよ!」
胸の奥がざわつく。
理由もなく、ただ本能的に“良くない”と理解してしまう感覚。
次の瞬間、胃の底がひっくり返るような不快感が押し寄せてきた。
「なあ……なんか、気持ち悪くなってきたんだが。あの空のせいか?」
[イま、妙な妨害電波を検出した。関連があるかは断定できないが、その影響である可能性は高い]
[あ!あなた方!丁度いい所に!]
前のオートマタが異変を感じたのかこちらに急いでやってきた。
[アレは何ですか!?さっきから電磁波攻撃のようなものを感じて、それで来たのですが....」
[ワれわれにも状況を把握できていない、そしてその様子だとオまえも知らない様子だな。]
[スくなくとも前例の無い異常事態が起きている。オートマタ、ここから東には何がある。]
[確か、向こうにはここほどの規模では無いですが集落があった筈です!東から来た方がその場所の出身であると仰っておりました!]
[ナるほど....]
マルムが何かを考え込んでいる。
[ワれわれでその集落まで向かって調査を行い、この事態の原因究明を図る。求める報酬はここの居住税の無償化だ、どうだ?]
[ムムム.......仕方ない、お願いします。その代わり、この気分を悪くさせる電磁波を止めて来てくださいよ!?]
[ダそうだ、大掛かりな仕事になる。準備に取り掛かれ]
[シ事の時間だ。]
俺達は準備に取り掛かる。ここ数年、オートマタやこの街の住人から持ち込まれる依頼をこなし、稼いだ金属で少しずつ装備を整えてきた。
害獣の駆除、ならず者との戦闘、ギャングとの抗争、在任を磔にして乾燥肉を作る仕事、遺跡の探索……どれも生き残るために必要な稼業だった。その積み重ねのおかげで、戦闘技術はかなり身についたと思う。“性質”の扱いにも、ようやく慣れてきた。
一から体の部位を再生させるにはまだ時間がかかるが、千切れた程度なら迅速に接合できる。遅るべきことに、この“性質”は一時的に筋力を底上げし、常人では不可能な速度で動くことも可能にする。
人間離れが進んでいる気がして……正直、少し怖い。
俺は扱いやすいリボルバーと弾薬、丈夫な脛当てとアームガード。
カプラエは大型のライフル銃と、即効性の鎮痛剤をいくつか。
マルムは短機関銃と燃料の予備。
そんな具合に装備を分担した。重火器の多くはパイプ製の粗末な代物だ。無理に使えばすぐ壊れる……酷使は避けるべきだろう。
準備は整った。
[あなた方!こちらに来て下さい!]
オートマタに呼ばれ、俺達はそちらへ向かう。彼の後を追って辿り着いたのは、街外れにある一つの建物だった。
「何だこれは、車か!?」
ガレージのような場所に足を踏み入れた瞬間、視界に飛び込んできたのは……ジープに似た自動車だった。
「すッげ〜」
[コんなものいつから隠していた。]
[隠すつもりはなかったんですが……元々私は機械いじりが好きだったもので、スクラップから少しずつ製作していたんですよ。]
[でも私はこの街を離れる機会が無い。このままでは宝の持ち腐れ、そう思っていた所なんです。丁度いいタイミングです、どうぞ使って下さい!]
「えっ、でも良いのか?貴重だろ?こういうのは」
[良いんです。というか私自身、これが動くのを見たいですから。]
「じゃあありがたく」
[マて、操縦は私がする。]
「ん゛ン゛ん゛ん゛」
「まあそう怒るなって」
ジープに乗り込む。獣人でも乗り込めるぐらい大きめのサイズだ。
しかし……ケツが痛くなりそうな席だ。どうやらこの世界でクッションまで作るのは厳しかったらしい。
[ソれでは出発する。席に着け、舌を噛むなよ。]
「それじゃあな!良い知らせ待ってろよ!」
車体が揺れ、ゆっくりと動き出す。ガレージを抜け、少しずつ加速がついてくる。
[良かった……ちゃんと動いた……]
[必ずここに戻して下さいよ!次戻って来た時、車体の整備がしたいので!約束ですよ!]
「分かった!元気でな!」
どんどん彼と街が遠ざかっていく。最後というわけではないのだが、やけに街が遠く儚く感じられた。
元々少し薄暗かった砂漠の景色は、今や赤く染まっている。
ここまでは順調……のはずだ。
大きな失敗もなく、誰一人欠けずにやってこれた。
なのに何故か、何かが狂っているような、既定の道から逸れているような、そんな違和感が胸に引っかかる。
“車に乗るのが久々で浮き足立っているだけだ”と、自分の気持ちを誤魔化した。
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「何故、『色彩』がこの領域に到達している?」
「……“彼”には悪いですが、この領域にはしばらく近付かない方が良さそうですね」
「幸いこちらには既に”左腕“がある。これだけでも十分な成果言えるでしょう」
「少し惜しいですが……仕方ありません……狂気に呑まれるリスクは避けなければ」
これ以来、“研究者”が彼に接触する事は無くなった。
[補足集]
15人の少女達
特殊な災害に巻き込まれ異界に飛ばされたキヴォトス人の少女達。
必死に西に進み続けた。
元ネタはギリシア神話の災いの母エリスの子、ネガティブな概念を司る神々。カンザス州の乾燥帯に飛ばされた。哀れな理不尽の被害者たち。
そもそも災害に巻き込まれたのか、何者かの意図によって連れてこられたかは不明。
色彩
消え行く存在を感知して接近してきた。
リボルバー
数少ない”人間用の“武器。オーダメイドかつ、修理しやすい。
ならず者
強盗、共食いを目的とする獣人の事を指す。こうした存在は別に珍しくもない。強い者だけが生き残る。
鎮痛剤
違法薬物