From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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招かれた者と招かれざる異物
根底にあるものは同じだったのかもしれない


48話『友達』

 

 

 

 

”はぁ……。“

 

 いつもの場所、シャーレにオフィスから、全く動かない世界を見下ろす。あれからホシノ以外にも色んな生徒が駅に向かって行くのを見た。ノノミやアヤネなどアビドス高校のメンバーや、それ以外にもサオリ含むアリウススクワッドの面々だって見た。

 

 追いかけていっても、誰にも追いつけなかったし、誰も私の呼びかけに答えてくれなかった。

 

 それからというもの、デスクに突っ伏して時間が経つのを待つばかりで何もできなかった。

 

“……”

 

「おい」

 

“……?”

 

 声がした。頭を上げる。

 

「俺だ。」

 

「“……名無し?”」

 

 自分の向かいのデスクに名無しが座っていた。いつもの格好。だけどなぜか今は頭の装備を一つもつけていない。綺麗な顔が顕になっている。

 いつも完全に覆って見えないようにしていたのに。

 

 どうして彼が突然ここに?

 

「久しぶりに見るな。その顔も。」

 

 彼の黒い瞳と目が合う。光のない、真っ黒な瞳。

 

「“そ、そうだっけ?”」

 

 不思議だ。なんだか今やっと声が出せた気がする。

 ちゃんと会話しているという実感が湧いてきた。

 

「“えっと……私は今どうなっているのかな……?”」

 

 正直今がどういう状況なのか分からない。

 彼なら何か知っているかな?

 

「ま、その話は後だ。」

 

「とりあえず、歩こうぜ」

 

 そう言って彼は後を親指で指し示した。

 

「“後にするんだ……。”」

 

 仕方ないので言われるがまま外に向かう。

 エレベーターを降りて、そのまま出口へ。

 

 見知った道のり。しかし、誰もいない。

 そんなキヴォトスを二人で歩く。

 

「なぁ。なんであんたは『先生』になったんだ?」

 

 彼がそう切り出す。

 私が先生になった動機か。

 

「”そうだね……。“」

 

「”困っている子を助けるため、かな。“」

 

 こう言えば、“私らしい”だろうな。

 

「……それだけか?」

 

「“なんてね。実はもっと違う動機だったんだ。”」

 

 実際は違った。“僕”はそんな聖人じみた事を考えられるような人物じゃなかった。

 

「“憧れていた人がいたんだ。”」

 

「“その人が先生をやっていてね、彼女がどんな事を考えていたかを私も知りたかったから。それが動機だよ。”」

 

 あの人が僕をどう思っていたか。それが知りたかったがために、僕は先生になった。本当は誰のためでもなく自分のため。利己的な理由だったんだ。

 

「へえ。」

 

 彼が目を一瞬丸くした。一瞬誰かの面影が見えた。

 

「“やっぱり変だよね……。”」

 

「いや……。ただ、意外だとは思った。」

 

「”意外?“」

 

 私らしくないと思ったのだろうか。

 

「正直、あんたの事を俺は全然理解できていないからな。」

 

「”そ、そんなぁ……。”」

 

 一時期は一緒に暮らしたりもしたっていうのに……。

 

 よく考えたら、彼は私の事を理解できなくて当然だったのかも。

 そもそも私がこの名前のない彼を理解できているのも記憶を直接覗き見たり、生い立ちに関する様々な情報を知っていたからだ。

 

 しかし彼から見た私はきっと、なぜ他人に次々と手を差し伸べられるような良く分からない大人という風に映っている。私にとって生徒とは、赤の他人とはまた違う扱いなんだけど、少なくとも彼にはその認識が分かっていない。

 もし目の前で可愛らしい女の子ではない姿の大人が困っていても、私は生徒ほど親身に接したりはしないと思う。残念な話だけど。

 彼はおそらく私が誰彼構わず手を差し伸べるような人物だと勘違いしている節があるんだと思う。

 

 互いにメリットがないと殺し合いになるのがスタンダードな世界に生きていたみたいだから。見返りを求めないスタンスは奇妙に映っただろう。

 

 彼は善意から来る行為であることは理解していると思う。でも、その善意からどこから来ているか、というところで疑問を覚えているんだろうな。実際、私が最初に彼に手を差し伸べた理由も、昔の自分と似ていたからでしかないんだ。

 

「……なあ。」

 

 再び呼びかけられる。次の質問はなんだろうか。

 

「確かアリスって子の事は知っているよな?」

 

 ちょっと予想外な角度からの質問だった。

 

「“う、うん。”」

 

 アベルの時の記憶か、それともミレニアムに行った時に会ったりして彼女の事を知ったのかな?

 

「多分、あの子は普通の生徒じゃねえだろ。違うか?」

 

「“えっ……。“」

 

 まさか、彼女が『名もなき神々の王女』である事に勘づいてしまった?

 

 彼の特異性からなんとなく気づいていてもおかしくない気がする。話してしまってもいいのだろうか。

 

「”……“」

 

「”……そうだね。彼女はーー”」

 

 アリスの素性を話す事にした。

 正直私も全てがわかっているわけではないけど、簡潔に名もなき神々の王女がどういう存在なのかを説明した。

 

「“ーーというわけなんだ。”」

 

「そうか。やっぱり『無名の司祭』ってのが関わってるらしいな。」

 

 彼はただ前を歩きながらそう淡々と答える。

 

「俺はさ。自分がどういう存在なのか、どうやって生まれたか全く知らないんだ。」

 

 振り向かず、言葉を続ける。

 

「あんたは色々知ってそうだ。何かヒントになりそうな情報とかあったりしないか?」

 

「“……。”」

 

 保留にしていた件。彼の誕生の真実。

 できれば伝える事なく墓場まで持って行くべきなんじゃないかとも思っていた。

 

 やっぱり、言わないとダメか……。

 

「“……実は、知ってるんだ。”」

 

「本当か?」

 

「“どうしても知りたい?”」

 

「ああ。」

 

「“……。”」

 

「“分かったよ。”」

 

「“君はーー”」

 

 嘘をつけなかった。事実を隠し通すのは私には向いていなかったらしい。洗いざらい全てを話した。ただ、これがあくまで推測に過ぎないという事実も添えて。

 

「……」

 

 私の話を聞いて、彼は一瞬の間を置いた。そして振り向かないまま言葉は紡がれる。

 

「やっぱり、まともな生まれ方してなかったか。」

 

「ぶっちゃけ、そんな気はしてた。」

 

 驚愕するわけでもなく、ショックを受けたり悲しんだりするような声色でもない。この事実自体はどうでもいい、そんな反応だった。

 

「……なあ。」

 

「あんたは自分が生まれて良かったって思えるか?」

 

 彼がそう尋ねてくる頃。気がつけばアビドス砂漠まで来ていた。おかしい、シャーレから数十分の徒歩でこんなところまで来れたっけ?

 

 自分の人生を振り返り、質問の答えを考える。

 

 幼い頃、僕は何も持っていなくて、あの人以外全てがどうでも良かった。

 ……いや、本当にどうでも良かったのだろうか?

 

 この頃は生まれて良かったなんて思えたはずもないし、色のない死んだような日々を送っていた。

 

 あの人が亡くなって、先生になってから。

 

 私は自分の人生に意味が見出せるようになった。生きる喜びを知った。こんなにも透き通った美しい世界がある事を知った。

 

 借金返済との奮闘、ゲーム作りのための冒険、赤点回避の猛勉強、公園暮らしでの試行錯誤。

 

 本当に色んな事があった。

 もちろん、これ以外にもたくさんの出来事があった。激務がきつい事を除けば、飽きない日々を送らせてもらっている。

 

「”私は、自分が生まれて良かったと思えているよ。“」

 

 私は今の自分を受け入れて、肯定した。

 心から生まれて良かった。そう思えている。

 

 ……と思う。実はちょっと違和感もあるけど。

 

「そうか。」

 

「そいつは……。」

 

「……」

 

「……良い事だな。」

 

 少し言い淀んでいた。

 ずっと向こうを向いているから、どんな表情をしていたかは分からない。

 

 

「”うーん……。“」

 

 不思議だ。砂漠を歩いているのに全く暑くない。

 それに上を見ても一向に太陽に動く気配がない。

 

 ずっと空を見上げるのは眩しい。下を見た。

 

「”……ん?“」

 

 なぜか地面にアビドス砂漠では見られないような、赤い砂が混じり始めている。それだけじゃない。乾燥した草も生えている。

 

「”あれ?“」

 

 前を見た。

 赤いゴツゴツの岩山や、サボテンのある景色。

 ある線を境に空もどす黒く濁ったような曇天になっていた。

 

「”どうなってるんだ……。“」

 

 この景色は……彼の?

 

「”ねえ、この場所って……“」

 

「ああ。」

 

「俺の……昔いた場所だ。」

 

 荒れ果てた世界。地球で、まだ”異変“起きる前の、あの景色だ。私も記憶で見た。

 

 変わらず砂漠を歩く。

 不思議だ。荒野を歩く、進むという行為にはなぜか奇妙な縁を感じる。それも私にではない。彼にだ。

 

 しかし、この景色は……なんというか異様だった。

 

 ところどころが抜け落ちたように欠けていた。

 まるでバグが起きているような、テクスチャが読み込まれていないような曖昧さがどこか漂う。解像度が荒くなっていたり、真っ黒になって見えなくなっていたり、ツギハギでボソボソの奇妙な光景に首を傾げる。

 

 歩いていると、離れたところに”何か“と共に歩いている彼の姿を見つけた。真っ黒に抜け落ちた、”何か“。

 

 目の前の彼とは違う、記憶の中の彼。

 

「なあ」

 

 同じように声をかけられる。依然として振り向かないまま。

 

「あんたは前に言ってたよな。」

 

「青春ってのは、一度きりの人生の春だって。」

 

「”うん……言ったね。“」

 

 人生でたった一度。もう二度と訪れない、青い春。

 私にはなかった、見守る事しかできなかったもの。

 

「俺にとってのそれは、多分あれだったんだ。」

 

 彼は遠い過去の自分自身を指差す。

 

「透き通ってもいない、むしろ濁り尽くしている、それでも確かにそれは俺にとって青春の物語だった。」

 

「青い春って感じの綺麗なものじゃない。でもな。俺にとってはきっとそうだったんだ。」

 

 脳内で言葉が反芻する。人生で一度きり。

 もう二度と訪れない。二度と。

 

「だが、もう今はほとんど思い出せない。自分があそこで何をしていたか。何を求めていたかも。」

 

 真っ黒な欠陥。それの意味するものが分かった。

 

 君はもう友達も思い出せなくなってしまったのか。

 それに、君がかつて目指していた『楽園(エデン)』も。

 

 彼は二度も友人を亡くした。自分のアイデンティティの全てが、緩やかに消えていっている。

 

 また言葉を反芻する。

 

 もう二度と訪れない。

 

 もう、行けない。

 

 絶対に辿り着けない。

 

 そうか。

 

 過去の青春が、辿り着くことのできない『楽園』になってしまったんだね。

 

 壊れゆく記憶を、ただ進む。

 

 なぜか砂が赤みを帯びているように見えてきた。

 足を進めるたび、何か異様な感覚を徐々に覚える。

 

 進むたびに、曇天は晴れ、赫い赫い、真っ赤な空が現れ出した。

 その中央には真っ黒な太陽が浮かんでいる。

 

 それは何かの瞳のようで、大変気分が悪くなった。

 

 周りを見る。

 

「“……っ”」

 

 死体だ。無惨な死体が点々と転がっており、色んな生き物の死体が絶えず血を流し、地面を紅く染め上げている。

 

「……なあ。」

 

「“……うん。”」

 

 また問いかけ。彼の方を見ると、左腕が千切れていた。血がダラダラと垂れている。

 

「努力って、意味があると思うか。」

 

「“……。”」

 

「“必ず成果が実るとは言えない……でも、やらないよりは良いと、私は、思う……よ。”」

 

 なぜかこの時、堂々と言えなかった。

 

「……俺は」

 

「自分でそう思っているだけなんだがな。」

 

「必死で努力してきたつもりなんだ。」

 

 一歩ずつ、歩くたびに彼の体には傷が刻まれていく。その度に血が吹き出す。

 

「どんな事にだって耐えてきたし、逃げなかった。」

 

 進むたび、死体がどんどん増えていく。

 

「最善を、尽くしたんだ。」

 

 死体は異形だけじゃない。若い少女のものまで混じり始める。

 

「本当に……やれるだけやったんだ。」

 

 死体を踏んで進むたびに、黒い太陽が近づく。

 

「それで、最後に何が残ったと思う。」

 

 そう聞かれた、私たちは屍で築かれた山の上で、屍の大地を見下ろしてた。

 

「何も、なかった。」

 

 そういうと同時に彼が振り向く。

 綺麗な肌なんて一つも残っていない。ズタズタで、もう血の一滴も流れていない。肉のガラクタのような姿に成り果てていた。

 

 もう眼球のない眼孔から、彼にとって弱さの象徴が溢れ出す。ずっと隠して、抱えて、押し込めていたもの。

 

 そう、涙だ。彼はとても我慢強い。だから今までずっと泣き出したい気持ちを溜め込んで溜め込んで、誰にも打ち明けようとしなかった。そして自分にすらそれを誤魔化し、気づかないように目を逸らし続けてきたんだ。

 

 彼は、泣いていた。

 本当は泣いていたんだ。ずっと昔から。我慢していただけで、心の底ではずっとずっと泣いていたんだ。

 

「こんな事になるぐらいなら」

 

「こんな思いをするぐらいなら」

 

 喉が裂けたような声。聞くに耐えない痛々しいガサガサな音。

 

「生まれない方が 良かった」

 

 酷く引き攣ったような泣き声。

 同時に黒い太陽が世界を覆う。瞬きをすると、既に世界が暗闇に覆われていた。

 

 暗闇。見渡す限り死体の大地。

 彼は何も着ていない。最初の姿でうずくまっていた。

 

「俺が、変化を望むべきじゃなかったんだ。」

 

「俺が生まれたから、みんな死ぬ羽目になったんだ」

 

「でも、もう終わる」

 

「やっと、解放されるんだ」

 

 私はもう何も言えなかった。

 

 今までなら生徒たちに言ってきたように、励ます事も道を示す事もできたかもしれない。

 

 でも今はそのどれも彼の前では本当に綺麗事でしかないように思えた。彼の前では全てが理想論でしかなくて、非現実的で夢見がちな説教にしかならない。薄っぺらな戯言になってしまうんだ。

 

 そうか。

 

 そうだ。

 

 そもそも、彼は“生徒じゃない”んだ。

 

 私は先生だ。生徒に手を差し伸べ、道を示す事ができる。

 

 でも彼は生徒じゃない。

 私は彼を救える役割にないんだ。

 

 そして、最初から大人もいない責任もない、救いのない世界の存在である彼は。

 誰にも救われるはずがなかったんだ。

 

 そもそも、最初から間違っていたんだ。

 

 助けられるわけがなかったのか。

 

「“……”」

 

 もう私には手を差し伸べられなかった。

 どうしようないんだ。

 

 ごめん。ごめんね。

 私じゃどうにもできなかった。

 

 私じゃ……。

 

 自分のせいじゃないのにただ苦しんで、全てを悔やんで、生を否定して。彼はこうなるに値しない。そのはずだった。本来ならもっと好奇心に満ちていて、純粋に変化を楽しめて、仲間思いで、利己的に、野心的に幸福を得ようとする。そんな人物だった。

 

 彼だけじゃない。誰も、こうなってはいけないはずなんだ。

 

 でも、だったらあの時、彼がキヴォトスで目覚めた時。

 私は手を差し伸べるのではなく、どうするのが“正解”だったんだろう?

 

 深く呼吸をして、目を瞑る。

 

 

 眼前に広がるのは灰色の砂漠。もうなんの色も無くなった燃え滓の荒野。

 

「なあ、先生。」

 

 彼も灰色の、色のなくなった姿になっていた。

 両目は落書きされたようにX印が刻まれていて、開いていない。おまけに喋っているのに表情は歯を食いしばったような状態で固まっていて動いていない。まるで死後硬直のようだ、と碌でもない事を考えてしまった。

 

 もう何も見たくない、感じたくないとでも言っているような外見に尊厳は少しも残されていない。

 

 プライドも、美学も、尊厳も破壊され尽くした今の彼。

 

 だが、まだ伝えたい事があるようだ。

 

 灰色の砂漠。その中心である私たちの位置。

 

 そこに一本の木が生えている。

 

 その木は黄ばんだような白色で、かろうじて色があった。

 そして、血管のような脈が通っている。

 

 彼はそこに手を伸ばし、“何か”を取った。

 

 りんごのような真っ赤な実。

 

「やるよ、落とすなよ」

 

 それを私の方にひょいと投げた。

 

「“わっ”」

 

 咄嗟にそれをとらえる。

 実なのに、なぜかふさが5……いや8本も違うところについていた。まるで臓器のように。

 

 鈍く輝いていて、なぜかとても暖かくて、捨てがたい大事なもの。

 

「……もう時間か」

 

「じゃあ、後は頼んだ。」

 

「誰も俺みたいにさせるなよ? あと、あんた自身も、『悔い』のないようにな。」

 

 そうとだけ言い残すと彼は、灰色の砂漠の暗い方へ一人で進んでいこうとした。

 

「“えっ!?ま、待ってよ、どういう事!?”」

 

 すかさず追おうとしたが。

 

「あんたが来るのはこっちじゃない。あっちだ。」

 

 と彼は反対側の、青い空が広がっている方向を指差す。

 

「じゃあな。」

 

 もう多くは語ってくれそうになかった。

 

 ただ、歩いていく。私の反対側へ。

 一人で。

 

 このまま行かせたら、もう二度と会えないような。

 そんな焦燥を抱く。

 

「“待ってっ”」

 

 この瞬間、違和感の正体が分かった。パズルの最後のピースが見つかったように、本当に自分の足りなかったものを“理解できた”。

 何が私に足りなかったか、僕にとっての正解がなんだったかようやく分かった気がした。

 

 大声で叫ぶ。

 

「“もし次会ったら! その時は……!”」

 

「僕の事を、『友達』って呼んでくれるかい?」

 

 やっと揃った。

 初めて言えた。

 

 私、いや、僕の“望み”が届いたのか、彼が一瞬止まる。

 

 彼は振り向かなかった。

 ただ、向こうを向いたまま、右手で返事。

 

 “また”な。

 

 そう言ってくれた。聞こえなかったけどそんな気がする。

 

 そこで意識が覚醒した。

 

 

 

 

 

——————————-

 

 

 

 

 

 目を開ける。

 

 身体を起こす。

 

 うまく口が動かない。

 

 前がよく見えない。

 

 身体がなんだか重い。

 

 ……でも、胸が暖かい。

 

 

 身体についている装置を外す。

 

「……先生!? 一体……」

 

「あなたは、指一本動かすどころか、意識を取り戻す事だって絶望的なーー」

 

 口を開く。

 

「い、今は口を開くことも難しいでしょう……か、顔には触れないでください、プレートでようやくーー」

 

「ハッ……! それよりも今すぐ逃げてくださいーー」

 

 直後、爆発音。

 

「うわぁぁあああ! に、逃げろ!!」

 

 ベッドの横のシッテムの箱と、大事な物を手に取る。

 

 シッテムの箱に電源を入れる。

 

『……生体認証完了。先生を確認。』

 

『ご命令を、先生。』

 

 やるべきことを伝える。

 

『……命令を確認。』

 

『分かりました。これより私A.R.O.N.Aが先生の目と耳、そして足になります。』

 

『こちらです、先生。』

 

 

 

 

 

--------------

 

 

 

 

 

 雨の中、銃声が鳴り響く。

 割れたシッテムの箱が雨に撃たれている。

 

「もう、先生を守る方法は無い。」

 

「先生。」

 

 死の神は命を奪う道具を構える。

 

「これで……」

 

「これで、全部……終わるはずだから。」

 

 雨音に混じる一発の銃声。

 

「……。」

 

「だめ……私、」

 

「私には……できない。」

 

 少女はできなかった。

 

「先生、ごめんなさい……私のせいで、」

 

「私が間違ったせいで……」

 

「……わたし、が、いきて、いるから……」

 

  ”黒い太陽“は近づく。

 

「こ……これは……」

 

「色彩が……先生を……?」

 

「い、イヤ……」

 

「や、やめ……ろ……」

 

「ヤ……ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ……」

 

「せん、せ……」

 

「わたし、の、せいで……そん、な……」

 

「あ……ああ……あああぁあああああああ……」

 

「いやぁぁぁああああああああっ—————-っ!!!!!」

 

 決意を得た導き手は、声なき声を、

 伝えるべき遺言を後世に託す

 

 

“あなたのせいじゃないよ、シロコ”

 

“自分の生を、悔やんだり——責めないで。”

 

“幸せになりたいと願う気持ちを——否定しないで。”

 

“生きることを諦めて、苦しみから解き放たれた——だなんて悲しい事を言わないで。”

 

“苦しみために生まれてきた——なんて、思わないで。”

 

“そんな事は絶対にないのだから。“

 

”どんな生徒も、そう思う必要なんて無いのだから。“

 

”子どもの『世界』が、苦しみで溢れているのなら……“

 

”子どもが、絶望と悲しみの淵でその生を終わらせたいと願うのなら——”

 

“そんな願いが、この世界のどこかにまだ存在するというのなら——”

 

“それは——”

 

 

“その『世界』の責任者のせいであって、子どもが抱えるものじゃない——”

 

“世界の『責任を負う者』が抱えるものだよ”

 

“たとえ罪を犯したとしても、赦されないことをしたとしても——”

 

生徒(こども)が責任を負う世界なんて、あってはならないんだよ。”

 

“いつ、いかなる時であっても——”

 

“子供と共に生きていく()()が背負うべき事だからね。”

 

 

“ ……責任は、私が負うからね”

 

 

 この大人の心には、友がいた。

 名前のない、奇妙な友達が。

 

 最初にできた最後の友人、誰にも同じ道を辿らせないための反面教師。

 

 

 これは誰にも知られる事のない、キヴォトスの外から来た者達の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




[補足]
-生命の実
 もし、アダムとイブが善悪の知識の実だけでなく、永遠の生命を得られる生命の実も食べていたら?
 名もなき存在がかつて抱いていた生への美学。もはや理解不能な域へ達していた執着が成した“崇高“の一つ。

 愚か者は、神秘を秘めていた。
 与えられた意味ではない、自ら見出した価値だ。

 意識不明の重体。それを無理やり動かせたのはこれが譲渡されたからなのだろう。

-名無しの右手の返事
 ミレニアムでウタハと別れる時にもやっていた。
 これは単純に言われて嬉しいことを予想外に言われたから顔を合わせづらくて照れ隠しでやる癖。

 彼にとって人間関係の最上位が友達。彼にとって最も価値のあるものの一つは友人。最後の時、きっと彼は嬉しかったと思うよ。

-名無しはなぜ『生徒』にはなり得ないのか?
 基本的に彼は学ぶというより、自らの中に答えを定めていく存在。誰かに導かれるよりも自分で探っていくような者。だから生徒というよりも探究者に近い。それに、彼が男らしい自我を持って目覚めた理由も、生徒(女子)とは根本的に異なっていることを示している。そういう意味でも本当にゲマトリアなどに近しい。

だから生徒のように向き合うのではなく、もっと別の関係性で接していたら何かが変わっていたかもしれない。




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