48 + i 話『ひとえなる必然の終着点から』
「……」
「う〜ん……」
まっさらな色のない世界。そこであるちっぽけな存在が目を覚ました。
「ここはどこ……?」
周りを見渡す。ただ崩れた建物が広がるばかり。人もいなければ、それ以外何もない。上を見上げれば空は真っ暗。まさに虚無という言葉がこの場所を表す上で最適であるといえる。
「私は誰……?」
彼女は何も思い出せない。自分の名前や、自分の顔。自分がいた場所も何もかも。
倒れかかったカーブミラーがある。彼女はその前まで行き、覗き込んだ。
「な、なにこれぇ……」
そこに映っていたのは奇妙な緑色っぽいふよふよした何か。不安定で煙のよう。彼女の見た自分の姿は人ですらなかった。
「どうなってるの……」
彼女はどこか落書きされたマスコットキャラクターのような姿を見て困惑した。よく見れば足もなく浮いている。
「……」
「よく分からないけど……気にしても仕方ないよね!」
思いの外ポジティブだったようだ。そのままふよふよと浮いて進んでいく。
瓦礫ばかりの景色。色のない世界。
それはとても退屈で、“変化”が欲しくなる。
時間がどれぐらい経ったかは正確には分からない。進んでいると待ちかねた“変化”が訪れた。
「あアあああああッ!!!」
「ひぇっ!?」
耳をつんざく叫び声。猛獣の威嚇のようだった。
遠くの方から音が響いている。何か恐ろしいものがいる、そう彼女は感じていた。普通ならここで、“逃げよう”であったり、“隠れよう”などと考える。だが、彼女の場合はそれだけではなかった。
「(とてもこわい叫び声だったけど……)」
「(どこか辛そうだった。)」
「(もしかしたら助けが必要な状況なのかも……!)」
そう。彼女は極度のお人好しなのだ。底なしの善性から他人を助けようと動いてしまう。叫び声が聞こえた方向まで必死に進むと……
「おラぁぶっ殺してやるッ」
「ぐアあああッ」
二体の歪な姿をした巨大な大人が殴り合っており、文字通り殺し合っていた。思わず息を呑み、
「ひ、ひぃん……」
と呟いた。
これには流石にこちらの存在を悟らせないようにして後ずさる。
「(まぁ、助けが必要なわけじゃなくて良かったのかも……?)」
「(で、でも! 止めた方がいいよね……!)」
彼女の善性がここで悪さをする。放っておけば良いものを、彼女はその暴力を止めに行こうとしてしまう。
「あ、あの……! 喧嘩なんてしないほうが……」
間に割って入ろうとしたものの、飢えた亡者達の目が同時にこちらを向く。まるで新しい獲物を見つけたような捕食者の視線で。
「あ、え、えへへ……」
流石の彼女も本能的にまずいと察する。
巨大な大人は殴り合っていた手を止め、徐々にこちらに近づいてくる。
「ひ、ひぇぇ〜っ!!」
なんだか言葉が通じなさそうだったため思わず逃げ出した。浮いた体は思ったより速度が出せる上に、瓦礫の間に小さく不安定に体を隠すことでなんとかやり過ごした。
「ひぃん……」
また同じ声を出す。
「(で、でも、一瞬だけでも喧嘩を止めてくれたみたいだから良かったよね……)」
彼女はこういう性格なのだろう。とにかく前向きで、慈愛に満ちている。少し楽観的なところもあるが。
逃げてきたことによって、先ほどの場所からかなり遠く離れていた。
「ここは……」
少し周囲の景色が変わっている。相変わらず色がない事は確かだが、崩壊した都市のような外観から、不毛の大地ともいうべき砂漠のような外観に変わっていた。
場所によって土地の特色が違うようだ。
「わっ」
足元を見ると、人の頭蓋骨を含む色んな生物の骨が埋まっていた。それもそこらじゅうに、おびただしい数が。
「(なにこれぇ……こ、こわいよぉ……)」
今度は退屈から不安に支配され始めた。
この場所は不気味だ。でも、だからと言って戻ればさっきの二人の大人に遭遇してしまうかもしれない。彼女は進むことにした。
そしてまた“変化”に巡り合う。
まっさらな灰色の荒野の小さな丘。
そこにポツンと立つ何か。遠目だとそう見える。
「十字架……?」
彼女は近づいてみた。十字架に近づく度に骨の量が増えていく。
「わあっ」
そして距離が近くなってある事に気づく。
その十字架には大量の鎖や茨が巻き付き、杭のようなものが打たれている。
そして、驚くべきところはそこではない。人が磔にされていた。手には痛々しく杭が貫かれており、顔や全身を鎖や茨で雁字搦めにされている。
どう考えてもまともではない。しかし彼女は咄嗟に声をかけた。
「うわぁぁ、痛そう! 大丈夫!? 今すぐ、今すぐなんとかするからね!」」
磔にされている人物は答えない。
「ァ……ァ……」
しかし微かな息遣いのような呻き声が聞こえる。
「痛いの……!? い、今降ろしてあげるね……!」
彼女は必死に杭を抜こうとしたり、茨を力一杯引っ張って剥がそうとしたりととにかく効率の悪い方法でその人物を解放しようとした。
この人物に解放した後で襲われるなどのような事は微塵も考えなかったようだ。
「い、痛いぃ……。でも、気にしないで……。 私は大丈夫だよ……!」
奇妙な体であっても痛みは感じるようで、血は出ずとも手がズキズキと痛んだ。
どれだけ引っ張っても鎖を解く事はできなかったが、両手に刺さった杭は抜く事ができた。杭を抜くと同時に、鎖や茨が重さに耐えかねて千切れ、崩れていった。劣化でもしていたのだろうか。両手についた手錠、両足についた足枷のような金属の輪はついたまま、少し鎖も巻きついたまま残っている。
ともかく、磔にされていた人物が地面に顔から落ちる。これには彼女も反応できなかった。
「あっごめん……! 痛かったよね……!」
地面にうつ伏せのまま、その人物は動かない。
「だ、大丈夫……?」
声をかけても反応がない。このままでは息ができないと思った彼女はその人物を仰向けに裏返した。その人物の顔が顕になる。
「……!」
その人物には色がない。両目には落書きされたようなX印が刻まれている。縫われたようにその両目は開かない。そして歯を食いしばったような表情のまま固まっている。
「えっと……寝ているのかな?」
「あの……もしもし……」
どれだけ声をかけても反応がない。たまに呻き声をあげる程度。
「気絶しちゃったのかな……」
体をゆすっても反応がない。胸に耳を当てると、何の音もしない。
「し、死んじゃった……?」
「ひぃん……」
この人物を今の落下した衝撃で死なせてしまったのではないかと心配になり始めた瞬間、目の前の人物が突然起き上がる。
「ひぃぃっ!?」
「……」
“それ”は人形のような歪な動きで、関節をバキバキと鳴らしながら立ち上がった。
「びっくりしたぁ……」
灰色の存在は口を動かさないまま、初めて言葉を発する。
「ここは何だ」
「えっと……」
「わ、私も分からない……」
彼女はオドオドしながら答える。彼女も自身の状況が何一つ分かっていない。
「それよりも……君は大丈夫なの……? 痛くない?」
そんな彼女の心配するような声かけを気に留めず、その色のない存在は周囲を見渡し、その後に自分の体を見下ろした。
「……俺は死んだんだったな。」
「そうか。これが死後の世界ってやつか。」
「えっ……死後……?」
彼女は困惑する。
「(死後の世界ってどういう事なの……?)」
「(私も既に死んでいるってことなのかなぁ……)」
「(何が何だか全く分からないよぉ……)」
自分の状況について初めてちゃんと考え出す。
「あんたは何だ。」
その存在は唐突にそう彼女に聞く。
「わ、分からないよぉ……」
彼女はあたふたとしながら答えた。
「名前は。」
お構いなしに続けられる質問。彼女はなんとか答えようとする。しかし自分が何者なのか分からないことにはどうしようもない。
「私の名前……」
「な、ない……と思う……。」
混乱していた彼女は咄嗟に自分には名前が無いと答えてしまった。実際にはどうだったかは分からないのだが。
「無い?」
「えっとぉ……そのぉ……」
良くない答え方をしてしまったと、彼女は冷や汗をかく。
「そうか。」
灰色の存在はどこか落ち着いた様子になる。
そして緑っぽい色の彼女に目線を合わせた。
「俺も名前が無いんだ。」
これが二人の出会いだった。
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訳もなく二人は砂漠を歩いていた。
ただ進む、それだけ。
しかし緑色の彼女はどこかはしゃいだような様子で楽しげだった。
「見てみて! 変な石を見つけたよ!」
「これ、何の骨かな? 何かの動物みたい!」
「ここに何か埋まっているよ? ……手帳かな? 『たのしいバナナとり』って書いてあるよ!」
どこに居ようとも前向きな彼女は、ここは死後の世界なのではないか、自分は既に死んでいるのではないか、と言った事は一旦気にせずただ自由奔放で、楽観的だった。
灰色の存在はそれを見て、特に反応するわけでもなくただ進む。体にまとわりつく重い枷と共に。
そのどこか尋常でない様子を見て、彼女はまた心配になった。
「ねぇ……大丈夫? やっぱり体が痛い?」
「……気にするな。もうどこも”痛くない“。」
そう言いつつも、気怠げで、疲れ切った様子だった。
「えへへ、そっか。痛くないならよかった! ……でもね、”疲れてない“わけではないでしょ?」
そう言って、彼女は当たり前のように灰色の存在の隣に並び、腕の下まで行って枷の鎖のひとつに、そっと自分の手を添える。
「重そうだもん、これ。……よし! じゃあ、半分こにしよ? 私も一緒に持つから!」
そして下から垂れ下がる鎖を持ち上げる。
彼女は、灰色の存在の横に並んで歩くのをやめ、その正面に回り込んで、歩みを優しく遮るように立ち止まる
「……ねぇ。歩くの、ちょっとだけお休みしよ?」
ユメは、重い枷を負った彼の胸元に、羽毛が降り積もるような軽やかさで、そっと両手を添える。
「体が痛くないなら、きっと『こころ』が疲れちゃってるんだ。」
彼女の瞳には、哀れみではなく、純粋な敬意と包容が宿っている。
「……そうかもな。」
「……色んな嫌な事があった。」
「俺はもう……疲れてんだ……。」
そう言って灰色の存在は項垂れる。
「……そっか。そっかぁ。今まで、すっごく、すっごく……頑張ってきたんだね。」
「でも大丈夫! ここはなーんにもない場所だけど、その分、ここには誰も君を怒ったり、傷つけたりする人はいないよ!」
彼女は、ふよふよとした奇妙な体で、彼の項垂れた頭を包み込むように抱きしめた。
緑色の煙のような体は温かくも冷たくもないはずなのに、不思議と陽だまりのような安心感を抱かせる。彼女にはどこかそんな強さがあった。
「何があったのかは分からない。だけど、そんなに疲れちゃうまで頑張った君は、とっても立派だよ。世界で一番すごかったんだよ。……だから、そんなに自分を責めないで?」
彼女は自分の名前も、自分がかつて誰だったのかも思い出せない。だが、目の前の存在が抱える“傷”だけは、自分のことのように分かってしまう。それが彼女という人格の本質なのだろう。
「ゆっくり休んだら、また一緒に何か探しに行こうよ! さっきのバナナとりの手帳みたいに、面白いものがもっと埋まってるかもしれないし!」
彼女は顔を離すと、力強い笑顔を浮かべた。
「ね? 私が隣にいてあげるから!」
灰色の存在の表情は未だ動かない。だが、彼女の言葉を聞いて、わずかに肩の力が抜けたようになる。
「……お前は前向きだな。」
「俺はもうそう前向きには考えられねえよ。」
だが、傷が癒えることはなく、灰色の存在の様子も大きく変わる事はなかった。
灰色の存在は再び立ち上がる。
死んでも完全に消えない事が分かった。どう足掻いても“自分”という運命から解放されない事がわかった。
どうせ進むしかない。
そう思ったのか、無言で歩き出す。
「ま、待ってよぉ」
ふよふよと宙に浮きながら、彼女は慌てて彼の後を追う。
灰色の存在が引きずる鎖が、乾いた地面を擦り、重苦しい音を立てる。それはまるで、背負い続けてきた“終わり”のない後悔を表すような音だった。
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空のない暗い世界。その辺境。
彼方から続いた線路の終着点。駅もなく、ただ何もない場所。
そこに列車が止まっている。
「……私のミスでした。」
懺悔するような女性の声が列車の中から響く。
「またそれかい……。」
それに相槌を打つように、呆れたもう一人の女性の声が響いた。
[補足]
-タルタロス(Τάρταρος)
文字通り死後の世界であり終着点。キヴォトスだけでなく次元、世界線を超えて色んな死んだものがここに行き着く。いわば魂の廃棄場。元ネタはギリシャ神話に登場する世界の最底辺の場所。ここも地球と同じく、キヴォトスではない領域なので、ブルアカらしくない雰囲気になっている。
ここに長く留まると記憶の溶解が進む。最終的に誰でもなくなる。
死んでもなお殺しあう事もあるらしい。
-生徒の残骸
生徒の一部だったもの。故に神ではない。同時に生徒でもなくなった中途半端な残骸。死後、記憶の溶解が進んだ結果の産物。ただ消えゆくもの。この緑色のような色合いの存在はかつて誰だったのだろう。
-原罪
灰色の存在が生まれながら課せられていた運命。文字通り苦痛と共に在った人生。彼が苦しまなければならなかったのは、かつて存在していた人類の業を全て背負っていたから。全て必然だった。