色のない砂漠を、二つの影が歩んでいた。
先ほど電車を出る際、褐色肌の女性にある情報がほそくされた。緑色の彼女の頭の中で反芻する。
「……あの人の言ってたこと、本当かなぁ。この世界は、死んだ人たちの記憶でできている、なんて。」
それは、この不条理な世界における一つの推論だった。強烈な自意識に刻み込まれた景色が、実在を失った魂たちの吹き溜まりとして形を成す。
もしそれが真実なら、この終わりなき荒野を歩むことは、誰かの、あるいは自分自身の心の奥底を覗き込むことに他ならない。
「自分の思い出せなくなった過去……。私たちがここで何かを見つけることができたら、自分が誰だったのか、分かるかもしれないね!」
緑色の彼女は、希望を見出したように弾んだ声で語りかける。それは彼女たち自身の記憶を取り戻すための、唯一の可能性だった。だが、後ろを歩く灰色の存在は、相変わらず無感動に砂を踏みしめるだけだった。
「……そうかよ。」
返る言葉は、冬の風のように冷ややかだ。
一度完全に折れてしまった心には、期待という名の毒を注ぐ余地などない。今の彼は、ただ、隣でしつこいほどに輝く“善性”に背中を押され、無理やり四肢を動かしているに過ぎなかった。
だが、それでも。
以前のように無視を決め込むのではなく、短くとも言葉を前より返すようになったのは、彼なりの変化だった。自分に向けられる純粋な想いに、荒んだ態度を崩さぬまま、けれど不器用に応えようとしている。
「でもでも! この砂漠だって、誰かの大事な場所だったのかもしれないよ? ほら、見て。この砂の感触、なんだか懐かしい気がしない?」
「しねえよ。砂なんて、どこまで行っても砂だ。……足取りが重くなるだけだろ。」
「えへへ、相変わらず手厳しいなぁ。でも、そうやって言い返してくれるのは嬉しいかも!」
二人の会話が、音のない世界に小さな波紋を広げていく。
見渡す限りの灰色の砂漠。それは誰か一人の記憶によるものなのか、それとも、失われた多くの故郷が混ざり合い、均一化されてしまった果てなのか。
ふと、緑色の彼女が立ち止まった。
風もないはずの砂漠で、一箇所だけ、砂が不自然に盛り上がっている。そこには、何かの“角”のようなものが、ひっそりと突き出していた。
「ねぇ、あそこ……。何か、埋まってるみたい。」
「……。ただの瓦礫だろ。放っておけ。」
「嫌だよ。何か、大切なものかもしれないし。……ちょっとだけ、掘ってみよう?」
彼女はそう言うと、答えを待たずに砂へと駆け寄った。
灰色の存在は深いため息を吐きながら、引きずる鎖の音と共に、彼女の背中を追って歩みを進めた。
緑色の彼女が砂の中から引き抜いたのは、宝石でも宝物でもなかった。それは、ひしゃげたブリキ缶の破片と、無機質な金属の端材が絡まり合った、ただのスクラップに過ぎなかった。
だが、その歪な残骸の隙間から、一枚の折れたICチップがこぼれ落ちた。
それを見た瞬間。
灰色の存在の意識は、鋭利なガラスの破片で抉られたような、強烈な痛みに襲われた。
「が、ぁ……っ!?」
視界が激しく明滅し、脳の奥底で、ノイズ混じりの“誰か”の声が直接響き渡る。
[オおくの“変化”を観測できた。私の内に湧いた状態の変化を“喜び”と定義付けた。]
[ワたしは、既に“楽園”を見つけていたのだ。]
それは機械的でありながら、確かな温もりを伴った言葉。
その言葉が引き金となり、彼の存在しない肺は空気を拒絶するように激しく震え出した。ヒュウ、ヒュウと、喉を鳴らす過呼吸が荒野に虚しく響く。
「……誰だ。今の、声は……誰の、言葉だ……っ。」
思い出せない。喉元まで出かかっているその名前が、霧のように溶けて消えていく。その“誰か”が自分にとってどれほど大切だったのか、それが思い出せない。
「ちょっと、大丈夫!? しっかりして……!」
緑色の彼女が、慌てて彼の顔を覗き込んだ。
その瞬間、彼女は息を呑み、驚愕にその不安定な体を震わせた。
灰色の存在の右目。かつて無機質なX印が刻まれ、固く閉ざされていたはずのその傷が、まるで魔法が解けたかのように消え去っていた。
そして、その目は開かれていた。
縫い付けられていたような傷が消え、そこには真っ黒な瞳が姿を現している。その瞳からは、止まることのない涙が溢れ出し、砂漠の灰を濡らしていった。
「目……目が……! 君、泣いてるの……?」
「ぁ、あぁ……っ、……思い出せねえっ。」
灰色の存在は、割れるような頭痛に呻き声を上げながら、その場に蹲った。
思い出せそうで、思い出せない。その乖離がより彼に苦しみを思い出させた。
真っ黒な瞳は、かつてその持ち主がとして何かを愛し、守ろうとしていた名残だったのかもしれない。
だが、その瞳が見つめる景色は、今や色のない砂漠と、心配そうに自分を覗き込む緑色の揺らめきだけだった。
「ひぃん……ごめんね、無理に掘り起こしたりしちゃったから……っ」
「……違う。……お前のせいじゃない。」
彼は頭を抱えたまま、砂にその顔を埋めた。
たった一枚のICチップ。たった一つの“喜び”の定義。
それが、死に絶えていたはずの彼の心に、残酷なまでの“生”の痛みを呼び戻してしまった。
頭蓋を内側から叩き割るような激痛を抱えたまま、灰色の存在は足を引きずった。開かれた右の瞳は、絶え間なく溢れる涙で視界を歪ませている。
「ねぇ、本当に大丈夫……? 一度休んだほうが……。」
緑色の彼女が心配そうに声をかけた、その瞬間だった。
世界の底が抜けたような、凄まじい地響きが荒野を震わせた。
「ひぇっ!? な、なになに!?」
砂を噴き上げ、地面から躍り出たのは、金属の光沢を放つ機械仕掛けの巨躯。それは巨大な蛇のようでもある。
鉄の蛇がのたうつ衝撃で、脆い地盤が音を立てて崩落する。二つの存在は、抗う術もなく口を開けた暗黒の奈落へと呑み込まれていった。
どれほどの時間が経っただろうか。
緑色の彼女は、冷たい床の感触で目を覚ました。
周囲を見渡せば、そこは灰色の砂漠ではなく、暗い地下の迷路のような場所だった。剥き出しの配管、規則正しく並ぶ無機質な壁。不安と恐怖を煽るような、重苦しい沈黙が支配する空間。
「……あれ? ねぇ、どこにいるの……?」
返る言葉はない。彼女は震える体を抱え、迷路の中を彷徨い歩いた。角を曲がるたびに、暗闇から何かが飛び出してくるのではないかという恐怖が胸を締め付ける。それでも彼女は、逸れてしまった「彼」を探し続けた。
そして、入り組んだ通路の行き止まりで、彼女はようやくその影を見つけた。
「……いた! よかったぁ……!」
灰色の存在は、壁に背を預けて小さくうずくまっていた。
真っ黒な瞳は虚空を見つめ、何かに怯えるように肩を震わせている。
「……暗闇は嫌いだ。ここまで不快な場所はない。……嫌なものばかり思い出す。」
その声は、泣き出しそうな子供のように弱々しかった。
「だが、ここで……大事なことが、あったような気がするんだ。」
彼はうわ言のようにそう呟くと、縋るように自分の頭を抱え直した。暗闇は彼の心を蝕むが、同時に失われた記憶の断片を、引きずり出そうとしているようだっtq。
「……今は、思い出せなくてもいいよ。まずはここを出よう? ね?」
「……ああ。そうだな。……ここにいたら、本当におかしくなりそうだ。」
彼女の温かな声に、灰色の存在は、重い枷を鳴らしながらゆっくりと立ち上がった。
足掻くように、手探りで迷路を進み出す二体。背後から迫る暗闇と、脳裏に明滅する断片的な過去。まだ旅路は始まったばかりだ。
どれほどの時間を彷徨っただろうか。
無機質な回廊の果てに、二人はようやくその“出口”へと辿り着いた。それは、分厚い金庫の扉を巨大化させたような、圧倒的な重量感を放つ鋼鉄の門だった。
僅かに開いたその隙間から、色のない、けれど解放された荒野の光が差し込んでいる。
門をくぐり、再び砂の上に足をついたとき、灰色の存在は、戻ったばかりの真っ黒な瞳で自らの手を見つめた。
「……俺は、多分。……ずっと、何かを探していたんだ。ただ強く……それを思い求めていた。」
乾いた風が、灰色の鎖を微かに揺らす。その言葉を受け、緑色の彼女は優しく、慈しむような微笑みを浮かべた。
「きっと、それが君の『
「……夢、か。」
灰色の存在はその言葉の響きを確かめるように繰り返すと、彼方の地平を見据えた。
「目的の追加だ。……俺の夢を、思い出す。何のために足掻いて、何を求めていたのか。全部、取り戻してやる。」
その声には、先ほどまでの空虚な絶望はない。まだ弱々しく、錆び付いてはいるものの、自らの意思で道を選ぼうとする強い自我が再び芽吹こうとしている。
ふと、灰色の存在の隣を漂う緑色の彼女へと視線を向けた。その問いかけは、今までになく穏やかで、静かな優しさに満ちていた。
「……お前は、どうなんだ。何か、思い出せそうか?」
「えっ? うーん……」
彼女は少し照れくさそうに、ふよふよとした体を揺らして笑った。
「……何にも。さっぱりだよ!」
あまりに潔い答えに、灰色の存在は、今日初めて、鼻で笑うような微かな仕草を見せた。
「じゃあ、それも目的だ。お前の記憶も一緒に探してやるさ。」
彼は色のない空を見上げた。
相変わらず世界に光はなく、救済の兆しすら見えない。だが、項垂れ、引きずられるだけだった彼の足は、今、明確な意思を持って地面を踏んでいる。
「行こう。……立ち止まってても、何も手に入らないからな。」
先導していた煙と並び、灰は歩き出す。
自分自身の夢を、
————————
二人の影が去り、静まり返った車内。
水色の少女は、先ほどまでの涙の跡を制服の袖で拭い、どこか虚ろな目で床を見つめていた。その隣で、褐色肌の女性が静かに口を開く。
「……ねぇ。一つ聞いていいかい?」
その問いに、少女の肩が微かに跳ねた。
「あいつのことだ。……あの灰色の、鎖を引きずった“アレ”。君、あれのことを知っているんだろう? それも、知り合いってわけじゃなさそうだ。」
水色の少女は、一瞬の沈黙を置いた。その瞳の奥に、再び先ほどのような深い畏怖が滲み出す。
「……あれは、外から流入してしまった、未知の変数です。……あれを利用しようとした勢力がいたのか、あるいは、あれの内側そのものに怪物が棲まっていたのか……とにかく文字通り、常に災禍の中心にいた恐ろしい存在なんです」
少女の言葉は、震えていた。彼女が観測してきた無数の“失敗”の記録。そのすべての中心に、あの名もなき存在がいた。ある時は嫉妬に燃ゆる紅い殺人者として、ある時は壊れた灰の残滓として、そしてある時は……絶対者となった白い幼子として。
「仮に……あれがただ利用されていただけであったとしても。私が観測してきた、すべての失敗した試行には、常にあの存在が関わっていました。血濡れた厄災、そして終わりの象徴。……私は、あれを直視することすら恐ろしかった。」
彼女にとって、その名前のない存在の系譜はもはや単なる要素ではなく、世界を破滅へと導く“不吉の象徴”そのものだったのだ。それが、彼女を怯えさせていた正体だった。
だが、褐色肌の女性は、その恐ろしい告白を聞いても、表情を崩さなかった。
「……だけどね。本人の意思はどうだったんだい? 誰かに利用され、怪物に中を荒らされ……。それで結局、あいつ自身に世界を壊してやろうっていう悪意はあったのかい?」
「……分かりません。ですが、仮に彼が完全な被害者であったとしても、失敗に深く関わっていたという事実は変わりません。……故に、恐ろしいのです。存在そのものが、破滅と結びついているのですから」
水色の少女の、冷徹なまでに“結果”を重視する言葉。
褐色肌の女性は、一つ長く、重い溜息を吐き、天井を見上げた。
「……存在すること自体が罪、か。それは酷な話だね」
彼女の脳裏には、先ほど「疲れた」と呻き、緑色の彼女に促されて歩き出した男の、不器用な背中が浮かんでいた。
世界を壊す象徴と、それを救おうとしていた少女の残骸。
その二人が手を取り合って荒野へ消えていったという事実に、彼女はどこか皮肉な、けれど切実な希望を感じずにはいられなかった。
[補足]
-キヴォトスの終焉の理由
この二次創作においては大体、無名の司祭と名もなき彼周りのものが関わってる。なんか知らないけどとにかく異様な何かがいたらその時点でその世界線は失敗、終焉が確定するので、水色の彼女からしたらトラウマものだった。大体姿変えて違う方法で侵入されるのでたまったものじゃない。
-灰色の存在
生まれた事自体が罪であり、存在することが悪。人類そのものであり、永遠の咎人である。それが生まれながらに定められた役割なら、為すべきことは最初の自分が既にやっていた簡単な事なんだ。
タイトルにルビって振れるんだね。
お気に入りが減っても止まらないぜ。もちろんショックなんだけど反動で見返してやるって意欲が爆発します。完結まで書き切ったらぁっ。
ちなみにどう終わらせるかまでの目処は立ってますよ。