From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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無限が可能にした分岐


49 - 0.5i 話『自由を得た』

 色のない荒野を、灰色の存在はかつてないほど生き生きとした足取りで歩んでいた。

 先ほどまでの死んだような彷徨とは違う。重い枷を鳴らしながらも、その背中には明確な熱量と、どこか不敵な覇気が宿っている。

 

 その頭の中にあるのは、先ほど自販機から掠め取った膨大な知識。その理解を深めるために思案を続けていた。

 

 彼は無心に、思考の海で”蘇り”という究極の禁忌を形にするための思案を繰り返していた。死という確定した結果を、自らの意志で上書きするための手段。それは『否定』という名の本質によってのみ成される、彼にしか許されない業だった。だが、具体的にどうすれば良いかがわかっていない。

 

「ねぇねぇ! そろそろ電車に戻ってみない?」

 

 背後からふよふよと追いついてきた緑色の彼女が、不安げに提案する。だが、彼は思案の海に深く潜り込んだまま、ぶっきらぼうに言葉を返した。

 

「なんでだ。あそこに別に、用なんてねえだろ。」

 

 目の前の難解なパズルを解くことに全神経を注いでいるような、心ここにあらずといった返答。それに対し、緑色の彼女は驚いたように声を跳ね上げる。

 

「ええっ!? だって、あの水色の人を助けるためにここに来たんじゃないの!?」

 

「……。あぁ、そういやそんなこともあったな。まぁ、もういいだろ。」

 

 彼は本気で忘れていたのか、あるいは一度整理のついた他人の事情など今の関心事ではないとでも言うように、心底どうでもよさげに鼻を鳴らした。

 

「だめだよ! 困っている人がいたら助けなきゃ! それに約束だってしちゃったんだよ!?」

 

 必死に抗議し、袖を引くような仕草を見せる緑色の彼女。その純粋なまでの利他心に、灰色の存在はようやく思考の演算を止め、足を止めた。

 

 彼は僅かに沈黙した後、ゆっくりと振り返る。

 

「……。なぁ。やっぱりお前は、あいつを助けたいのか?」

 

「うん。当たり前だよ!」

 

 少しの迷いもない、即答だった。

 灰色の存在は、さらに念を押すように重ねて問う。

 

「……お前が、そうしたいんだな? お前自身の意志でそうしたいんだな。」

 

「う、うん。私が、そうしたいの。」

 

 彼女の真っ直ぐな言葉が、荒野に響いた。

 

 それを聞いた瞬間、名もなき存在は、にっと口角を吊り上げた。

 どこか自信に満ちた尊大な笑みだった。

 

「分かった。じゃあ、やるか。」

 

 そう言い放つと、彼は再び歩き出した。

 

 

 

 

-------------

 

 

 

 

 錆びついた車内には、重苦しい沈黙が澱のように溜まっていた。

 水色の存在は、座席に深く沈み込み、自らの膝を抱えていた。その瞳は焦燥に揺れ、脳内では終わりなき試行が繰り返されている。

 

 幾千、幾万の失敗の記録をなぞり、完璧な解答を探し求める。だが、導き出されるのは常に、塗り潰されたような暗黒の未来だけだった。絶望という名の迷宮に閉じ込められた彼女は、ただ独り、出口のない問いに苛まれ続けていた。

 

 その停滞した空気を、乱暴な金属音が打ち砕いた。

 外れかかった扉が勢いよく開き、二つの影が車内へと滑り込んでくる。

 

「よぉ、調子はどうだ。」

 

 投げかけられた声の響きに、水色の少女は弾かれたように顔を上げた。

 そこに立っていたのは、先ほどまで死人のように項垂れていた灰色の存在だった。だが、今の彼からは、かつての陰鬱な気配は微塵も感じられない。背筋を伸ばし、その瞳には光が力強く宿っている。

 

「あなたは……。」

 

 見違えるほどの変貌に、彼女は困惑を隠せず言葉を失う。そんな彼女の動揺を愉しむかのように、男は不敵な笑みを深くした。

 

「あんた、何かを必要としてたよな。俺がそれに手を貸してやる。今ならなんでもできそうだ。」

 

 自信に満ち溢れた、尊大なまでの宣言。彼は一歩、彼女の方へ踏み出し、冷徹な取引の場を設けるように声を落とした。

 

「代わりに要求するのは、生き返る方法だ。現世に戻れればいい。」

 

 それは、死者が決して口にしてはならない禁忌の交換条件だった。傍らで彼らを見守っていた緑色の彼女が、思わずといった様子で素っ頓狂な声を上げる。

 

「えっ!? そ、そんな交換条件つけるなんて聞いてないよぉ!?」

 

 驚く緑色の彼女を無視し、灰色の存在は水色の少女の瞳をじっと見据え、返答を待った。

 水色の少女は、再び深い思考の沈淵へと沈み込む。自分にはもう何も残っていない。権限も、力も、可能性も。だが、目の前の「未知の変数」が放つ異常なまでの熱量は、彼女が諦めかけていた唯一の希望を再燃させるに十分なものだった。

 

「……私も、生き返るための正確な手段は知りません。ですが……」

 

 彼女はゆっくりと立ち上がり、震える唇を噛み締めて言葉を紡いだ。

 

「私の言う通りにしてくれたのなら、あるいは……それが可能になるかもしれません。」

 

 少女の瞳に、先ほどまでの怯えではない、微かな熱意と明確な意志が灯る。彼女は真っ直ぐに長子を見つめ、祈るような、それでいて力強い声音で請うた。

 

「私に、力を貸していただけないでしょうか。」

 

 その言葉を聞き届けた瞬間、名もなき存在は満足げに鼻を鳴らした。

 

「ああ、『契約』成立だ。」

 

 

 

 

------------

 

 

 

 

「まず、必要なのは『方舟』に介入するための権限……つまり、事象を書き換えるための資格です。」

 

 水色の少女は、縋るような、けれど冷静な声音で語り始めた。彼女の瞳には、かつて幾万の未来を演算した残光が、青白い火花となって散っている。

 

「私はこの世界に代償を払いすぎました。命や存在、役割など……。その結果、私はもう、これ以上試行を繰り返す資格を完全に失ってしまったのです。」

 

 彼女の語る”試行”という言葉の重みに、緑色の彼女が首を傾げて呟いた。

 

「……試行って、なんだろう?」

 

「俺もまだ全部を知ったわけじゃないから、なんとも言えないが……」

 

 灰色の存在は、引きずる鎖の音を一度高く鳴らし、水色の少女から視線を逸らさずに言った。

 

「多分、それを今の俺たちが深く知る必要はないだろうな。」

 

 水色の少女は僅かに目を見張り、覚悟を決めたように問いかける。

 

「……その権限、あなたがなんとかできますか? 方舟に拒絶された私に代わって、資格を奪取することが……」

 

「そこは問題ない。俺はキヴォトス……いや、方舟って言ったほうがいいか? その方舟の(システム)側からすれば、一種のマルウェアみてえな状態だ。権限の偽装も、なんなら強引な剥奪だってできるだろうな。」

 

 不敵な笑み。もはや死者という枠組みを超えた、ある種のバグのような超越存在としての確信。水色の少女はその力強い言葉に、一度だけ深く頷いた。

 

「わかりました。……次に必要なのは『エネルギー』です。因果を捻じ曲げるには、この世界の法則を根底から覆すほどの莫大な出力が要ります。これも、用意できますか……?」

 

「ああ。今は無限だ。どうとでもできる。」

 

 自信に満ちた答え。

 

「ひ、ひぃん……な、何の話をしているのか、さっぱり分からないよぉ……っ」

 

 高度すぎる次元の会話に、緑色の彼女が頭を抱えて情けない声を上げる。

 けれど、そんな彼女の嘆きをよそに、停滞していた車内の空気はかつてないほどの鋭さで研ぎ澄まされていた。

 

 権限と、エネルギー。

 再び周回するために必要な前提の事前確認は完了した。

 

「次に何をする必要があるのか、詳しく説明しますね。」

 

 水色の少女は、車窓の外に広がる”色のない世界”を指し示しながら言葉を継いだ。

 

「この非実在の領域において、ルールは極めて曖昧です。座標……つまり位置によって、適用される法則が大きく変わってしまいます。私は支払った代償の制約により、この電車から一歩も外へ出ることはできません。……ですが、この電車そのものが動けば、話は別です。方舟に決定的な改変を加えるために、私は指定の座標へ向かいたいのです。」

 

 彼女は、まるで最後の賭けにすべてを投じるギャンブラーのような眼差しで、名もなき存在を見つめた。

 

「この壊れた電車の修復、稼働させるためのエネルギー、そして……実在と非実在が混ざり合う場所へ向かうための『線路』。これらを用意し、私を移動させていただければ、あとは私がなんとかします。……できますか?」

 

「分かった。」

 

 名もなき彼は、短く、迷いなく答えた。

 そこに逡巡はない。

 

「早速取り掛かろう。まずはこの外壁から手をつけるか。座ってな。」

 

 彼は踵を返し、重い足取りで電車の外へと踏み出した。

 

 劇的な変化を遂げつつある電車の片隅で、その対話は静かに始まった。座席に残された褐色肌の女性が、隣に座る水色の少女へと視線を向ける。

 

「ようやく進めるみたいだね。」

 

 低く、どこか安堵を含んだ声。水色の少女は膝の上で固く結んでいた手を僅かに緩め、小さく、けれど確かな重みを込めて答えた。

 

「……はい。」

 

「良かったじゃないか。……まぁ、せいぜい頑張りなよ。」

 

 女性はそれだけ言い残すと、未練など欠片もないような足取りで席を立ち、出口へと向かう。この虚無に向かうのみの非実在の世界で、たった独り尽力を捧げてきた少女の隣に、誰に頼まれるでもなく寄り添い続けてきた彼女が、今まさに電車を降りようとしていた。

 

「あの……っ!」

 

 少女の切実な声が、立ち去ろうとする背中を引き止める。

 

「……あなたは、以前言っていましたよね。やり残したことや、消えない悔いがあるって。……もし、このままこの電車に残ってくれれば。あの人の力が、私の計算通りに働けば、あなたも一緒に生き返れるかもしれません……!」

 

 それは、煉獄を共にした数少ない理解者への、少女なりの精一杯の報恩だった。だが、女性の足が止まることはあっても、その体が振り返ることはなかった。

 

「私は、いいんだ。」

 

 遮るような、けれど凪いだ海のように穏やかな拒絶。

 

「今更、私みたいなのが生き返ったところで何もできやしないよ。……それに、もう十分だ。私はこのまま、ここでゆっくり消えゆくのみさ。それが、私に相応しい”罰”なんだよ。」

 

 彼女の脳裏に、かつての教え子の少年が去来したかもしれない。けれど、その声には悲壮感よりも、すべてを見届けた隠居者のような潔さが漂っていた。

 

「それじゃあ。……元気でやりなよ。」

 

 彼女が扉の出口に差し掛かった、その瞬間。

 

「長い間……っ! ずっと励ましてくれて、私のとりとめもない話を聞いてくれて……本当に、ありがとうございました……!」

 

 水色の少女が、声を限りに叫ぶ。その瞳からは、張り詰めていた緊張が解けたように涙が溢れ出していた。

 

 褐色肌の女性は立ち止まり、背中を向けたまま、静かに、優しく、片手を上げた。

 

 言葉はもう必要なかった。

 

 

 

 

---------

 

 

 

 

 電車を降りたばかりの褐色肌の女性が、砂を踏みしめる乾いた音と共に近づいてくる。

 

「調子はどうだい。」

 

 背後からの問いかけに、彼は作業の手を止めず、背中で答えた。

 

「……まあまあだな。」

 

 彼の周囲では、瓦礫が意思を持つ生き物のように蠢き、電車の外壁を補強し続けている。その超常的な光景を眺めながら、女性はどこか遠くを見るような目で言葉を継いだ。

 

「君はこれから、生き返ろうとしているんだってね。」

 

「ああ。」

 

 短く、断定的な返事。生への執着を取り戻した男の言葉には、迷いがない。

 女性は一瞬、何かを躊躇うように視線を落とした。そして、色のない荒野を吹き抜ける風に溶けてしまいそうな、か細い声で切り出した。

 

「それじゃあ……。もし現世で、〇〇って名前の少年……いや、もう大人になっている頃か。とにかく、その名前の若い男に会うことがあったら、伝えておいてくれないかい。」

 

 彼女の脳裏に、かつて自分が教え導いたはずの、あるいは守りきれなかった「誰か」の姿が浮かんでいたのかもしれない。

 

「『すまなかった』……と。それだけでいいんだ。」

 

 その悲しげな響きに、彼はようやく手を止め、肩越しに彼女を盗み見た。今の自分と同じように、過去の鎖に縛られながら、それでも消えゆくことを選んだ女の横顔。

 

「……覚えてたら伝えといてやるよ。」

 

 彼はあえて突き放すような口調を選んだ。余計な感傷を挟まぬよう、再び目の前の鉄屑を叩き直す作業に集中し始める。

 

「そうかい。ま、ついで程度で構わないのだけれどね。助かるよ。」

 

 彼女は満足げに、そしてどこか晴れやかな微笑を浮かべると、そのまま果てのない荒野に向かって歩み出そうとした。

 

「あっ、ちょっと待て。」

 

 その背中に、彼の呼び声が突き刺さる。

 

「メッセージの送り元が誰かわからねえんじゃ、伝えようがねえだろ。……あんたは”何”だ?」

 

 彼女は足を止め、少し考えるような素振りを見せた。

 かつて背負っていた華々しい肩書きか、あるいは忌まわしい因縁の名か。それらすべてを砂漠に捨て去った後の、もっとも自分らしい言葉を探すように。

 

「そうだね……」

 

 彼女は一度だけ振り返り、少し未練がましいような、けれど誇りを感じさせる声で答えた。

 

「ただのしがない歴史の先生さ。」

 

 言い残し、彼女の姿は色のない霧の向こうへと溶けていった。

 

「……不思議な人だったね。」

 

 褐色肌の女性が消えていった灰色の地平を見つめながら、緑色の彼女がぽつりと零した。その余韻を断ち切るように、名もなき彼は重厚な鉄の音を響かせ、作業を再開する。

 

「そうだな」

 

 彼は淡々と応じながらも、その手は休めない。

 

「それで、えっと……何の話だったっけ?」

 

 変わり映えのしない荒野の景色に思考を削られたのか、直前まで何を話していたか思い出そうとする緑色の彼女に、彼は補強されたばかりの外壁を叩いて教えた。

 

「この色のない『死後の世界』の仕組みの話だ。……ここは、多分物理的に存在してる場所じゃない。俺たちのこの出鱈目な体も精神体みてえなもので、周りに見えてる光景も、死んだ奴らの記憶が混ざり合って形を成した『イメージ』に過ぎないんだろうな。」

 

 だからこそ、彼の性質はここでは万能に近い能力を発揮する。

 

「この電車を直すのも、エネルギーに形を与えるだけでいい。……形、いや、この場合は『テクスチャ』って言うんだったか。情報を俺が強引に上書きしてやればいいだけだから、まだこの作業は楽な方だ」

 

 ブツブツと独り言のように呟きながら、彼は電車の輪郭を鮮明に描き出していく。その様子を不思議そうに見ていた緑色の彼女が、自分の透き通った手を眺めながら問いかけた。

 

「う~ん……よく分からないけど、それで私の体もお化けみたいな、ふよふよした煙みたいになってるってこと?」

 

「……多分そうだろうな。お前の場合は、自分に関するほとんどの情報や認識を失っちまったから、そんな中途半端な姿になってるんだと俺は思ってる。現に、これまであちこち歩き回ったが、まだ何も思い出せてないだろ?」

 

 彼の指摘に、緑色の彼女は「……うん。確かに」としおらしく肩を落とした。

 自分が誰で、どこから来たのか。その根本的な”定義”が欠けているからこそ、彼女はこの世界でも不安定な存在でしかない。まるで煙のように。

 

 そんな彼女を、名もなき彼は作業の手を止め、にやりと笑って見上げた。

 

「だから、一緒に生き返ろうぜ。」

 

「え……?」

 

「ここに記憶がないなら、現世に戻って直接思い出しちまえばいい。そう思わないか?」

 

「た、確かに……! 君は賢いね……!」

 

 実際は死という確定した結果を無視し、記憶を力ずくで思い出させようとする、とんでもない力業の暴論に過ぎないのだが。しかし、今の彼が口にすると、それは揺るぎない”最適解”のような意味を帯びる。

 

「……だろ? だから期待しとけよ。」

 

 感嘆の声を上げる彼女にそう言った。

 

 もはや昼も夜もこの場所ではあったものじゃないが、これが出発前夜の出来事であった。

 




[補足]
-褐色肌の女性の正体
 第1章で先生(シャーレ)の回想に登場した彼の恩師だった女性。死後、この色のない世界で水色の少女のいる電車を見つけ、そこで彼女と出会った。彼女を励まし続けたのは彼女なりの、それもほとんど意味を為さない罪滅ぼしだったのかもしれない。

-性質
 名もなき神々の力と呼べるが、厳密にはもっと原始的なもの、その力を適当に”性質”と言い換えているだけ。めちゃくちゃ大雑把な力で、扱いが非常に難しいため、上位存在じみた人外であったほうがうまく理解できる。理論上、名無しはアリスと同じかそれ以上のことができるが、それまでに要する努力や前提知識、それにあらゆる経験を積まないとアリス並みになることは無理。アビ・エシュフ出すみたいなことはもっての外。

-〇〇
 ここには好きな名前を入れて脳内で補完して読んでもらってもいいですよ。あなたのブルアカの先生ネームでもなんでも。


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