From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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名もなき愚者が招く、奇跡のような必然の始まり


第5章『夢が取り戻したもの』
49話『再誕の日』


 

「…………」

 

 

「………………」

 

 

「……げほっ」

 

 

「……っげほっげほ」

 

 

 くぐもった嗚咽が響く。

 

 

 不快な感覚と共に意識が浮上する。体中が埋もれている感触があった。

 

 真っ暗なのか、それとも視覚そのものが働いていないのか。とにかく、何も見えない。

 

「ん……。えっここどこぉ!? 暗いよ、狭いよ、何も見えないよぉ!」

 

 同時に彼もまた、異様な閉塞感に苦しんでいた。

 

「(なんだ……何が起きてる。っ、げほっ……!)」

 

 肺に空気が入ってこない。まるで土の中に埋められているかのような、圧倒的な密閉と重圧。彼は本能的に、死に物狂いで上方へと手を伸ばし、必死にもがいて空間に余裕がありそうな方へ這いずった。

 ずぶ、と指先が粘土質な感触を突き破る。

 

「ぷはっ……!!」

 

 何とか上半身を地上へ引きずり出す。肺に冷たい空気が流れ込んだが、それはひどく不快な、埃と腐敗が混じったような匂いだった。

 彼は荒い呼吸を整えながら、周囲を見渡す。

 

「ここは……なんだ。俺は、埋まってたのか……?」

 

 そこは、キヴォトスのどこか。だが、彼が覚えている賑やかさは微塵もない、墓標のような静寂に包まれた荒野だった。

 

「おい、アホ毛。どこだ……?」

 

 声を上げようとした。しかし、喉から出たのは「ヒュー、ヒュー」という掠れた空気の抜ける音だけだった。声帯がまともに機能していない。

 おかしい、彼女の声は確かに聞こえていたはずだ。そう疑問に思った直後、彼女の声が外界からではなく、自身の”内側”から響いた。

 

『私は、ここにいるよぉ……。でも、なんだか体が全然動かせないの……!』

 

 脳を直接揺らすような感覚。

 彼は何かに気づいたように、震える手で自分の体を見下ろした。

 そこにあったのは、かつてのボロボロな肉体でも、あの神秘を纏った純白の姿でもなかった。ヘイローも今はない。

 

 干からび切ったミイラのような、土色の皮膚が骨に張り付いた肉体。

 何も纏っていないその姿は、埋葬された”死体”そのものであった。

 

「……冗談だろ。」

 

 掠れた音が喉を鳴らす。

 

「俺たち……同じ体に入ってやがる……。」

 

『えぇぇぇぇ!? ど、どういうこと!? 私が君で、君が私になっちゃったの!?』

 

 実際に口を動かしているわけではない。同じ一つの”器”に押し込められた二つの精神が、思考の回路を通じて強制的に繋がり合っている。

 

「……この体、”誰”のだ?」

 

 彼は、意味ありげに呟いた。

 名もなき存在は、今の異常事態を冷静に考察し、意識を共有する彼女へと言い聞かせる。

 

「そうか。……そもそも、あの死後の世界から精神だけの状態で出てきたせいで、受肉するための肉体がなかったんだ。それで、偶然あった適当な死骸に……俺たちの精神がまとめて押し付けられちまったんだな。」

 

『そ、そんなぁ!? せっかく生き返ったのに、死体の中だなんて……ひぃん……。』

 

 肉体の内側で彼女が嘆いた。

 少しばかり、二人とも黙り込んでしまった。

 

「ねえ……肝試しなんてやめようよぉ。もうこんなに暗いし、危ないよ……」

 

「いいじゃん! せっかくこんな遠くまで来たんだから、やらなきゃ損でしょ!」

 

 静寂を切り裂いて届いたのは、どこにでもあるような、年相応の少女たちの屈託のない声だった。

 

「(……見られるわけにはいかねえな。)」

 

 彼は瞬時に判断を下した。今の自分の姿は、土を被った全裸のミイラだ。見つかれば通報どころか、良くて化け物退治の対象だろう。

 肉体の主導権を握る彼は、肉体の動きを性質による運動エネルギーの付与で補強し、軋みを上げながらもその体を茂みへと滑り込ませる。

 

 隠れながら、息を殺して声の主を覗き込む。

 視線の先には、懐中電灯を手に怯える少女と、それを笑う快活な少女。その頭上には、淡く発光するヘイローが浮かんでいた。

 

「(間違いねえ、生徒だ。どこの学園かまではわからないが……)」

 

 微かに漂う神秘の気配。キヴォトスの住人特有の生命力。彼はその光景を見て、確信を得る。

 

「(ここはキヴォトスで間違いない。)」

 

 だが、安堵よりも先に、猛烈な違和感が彼の思考を支配した。

 

「(……おかしい。俺の知る限り、世界はもう絶望的な状況だったはずだ。そんな状況であんな呑気な様子になれるわけがないよな……?)」

 

 あの日、空を覆った絶望はどこへ消えたのか。

 

『ねえ、あの人たちに助けてもらわない……?』

 

『バカ言え。この姿で出たら、助けてもらう前に脳天を撃ち抜かれるのがオチだ。……とにかく移動するぞ。このボロボロの体をなんとかせにゃならんからな。』

 

 彼は内なる彼女に短く思考を伝え、朽ち果てた肉体を闇に溶け込ませた。

 混ざりものは、夜へと消える。

 

 どれほどの時間が経っただろうか。

 死体そのものの肉体に宿った彼は、久しく忘れていた”飢え”という名の本能に突き動かされていた。

 

 ガサリ、と闇の中で音がする。

 彼はミイラのような細い腕を、獲物を狙う蛇のごとき速度で突き出した。捕らえたのは、不運な一羽の鳥。彼は迷わずその首を折り、生温かい肉をむさぼり食らった。

 

『ひぃん……か、かわいそうだよぉ……。』

 

 内なる彼女が、その光景に怯えて震える。だが、彼は骨を砕く音を響かせながら、淡々と思考を返した。

 

『……しょうがねえだろ。腹が減って死にそうなんだよ。それに、この枯れ木みたいな肉体を再生させるには、まともなタンパク質が要る。』

 

 舌が腐り落ちているのか、それとも神経が死んでいるのか、味覚は一切感じない。ただ、胃袋に何かが落ちていく感覚だけが、生への実感を繋ぎ止めていた。

 

『この体が誰のものか分からねえ以上、無闇に俺の”性質”……神秘を吸うエネルギーを流し込みたくない。強引に構築するんじゃなくて、あくまで生物としての再生を優先させたいんだ。というか”性質”を使えばこの体がまるごと俺になっちまう可能性がある。元の持ち主に悪いだろ?』

 

『そ、そうなんだ……。』

 

 彼は夜陰に乗じて移動し、郊外の作業服専門店へと忍び込んだ。鍵のかかった扉を強引にこじ開け、かつて自分が好んで着ていたものに近い、頑丈なタクティカルウェアや作業着をいくつか”徴収”する。

 

 その後、彼は廃墟へと身を隠した。

 月明かりだけが差し込む静寂の中、彼は服を着ることなく、ただ小動物を食らい、己の肉体が作り替えられていく過程を観察し続けた。

 

 ピチャ、ピチャと、血管が繋がり、筋肉が脈打つ音が響く。

 泥のようだった皮膚に艶が戻り、枯れ果てた眼球に微かな光が宿り始める。

 

 廃墟の隅に、埃を被り、大きくひびの入った立ち鏡が置かれていた。

 夜が明ける数分前。数多の小動物を糧として取り込み、彼の持つ異常な構築能力によって、肉体の再生は完了した。

 

「な、なんだこれは……」

 

 鏡を見た瞬間、彼は己の目を疑い、思わず声を漏らした。

 そこに映っていたのは、予想だにしなかったものだった。

 

「なんだこの体は……。マジでなんだこの体は……。」

 

 鏡の中には、キヴォトスの理を象徴するような、暴力的なまでに整った女性の肢体があった。

 身長は170cm前後。特筆すべきは、J~Kカップはあろうかという規格外の質量を誇る胸部と、それを支えるのが不思議なほどに細く引き締まったウエスト。ミントグリーンのような緑色の長い髪が、月光を反射して艶やかに波打っている。

 

 まさに、ダイナマイトボディと呼ぶに相応しい。

 

『ちょっ、ちょっと! 誰かもわからない人の体をそんなにまじまじと見ちゃダメだよぉ……!』

 

 内なる彼女が、脳内で顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

「……まじまじと見なきゃ現状把握もできねえだろうが。……あぁ、そうだよな。この世界に転がってる人型の死体なんて、生徒……つまり女に決まってるよな……。」

 

 彼は深く、底の方から這い出すような溜息をつき、ガックリと肩を落とした。

 女になったことを喜ぶような趣味は、彼には微塵もない。むしろ、これまで”戦うための道具”として鍛え上げてきた自分の肉体からあまりにかけ離れたこの曲線的な肉体に、ただ困惑していた。

 

 同時に、そんな裸体をこれほど至近距離で眺めておきながら、彼にはいささかの性欲も沸かなかった。

 内臓や筋肉は再生したが、生殖本能や一部感覚といった人間らしい機能のいくつかはまだ深い眠りの中にある。

 

「……まぁ、今は贅沢言ってる場合じゃない。とりあえず、これを着るぞ。」

 

 彼は忌々しげに、盗んできた男物の作業着を手に取った。

 

「……喉から女の声が出てくるってのも、変な感覚だな。」

 

 彼は独り言を漏らしながら、盗んできたファスナーのついた防弾ベストに袖を通した。だが、ファスナーを上げようとした瞬間に手が止まる。胸部が強烈に圧迫され、上がりきらない。

 

 彼は別で盗んできた清潔な包帯を手に取ると、躊躇なく豊かな胸に巻きつけ、力任せに締め上げた。いわゆる”さらし”の状態だ。

 

『うぅん……ちょっと苦しいかも……。ぎゅうぎゅうだよぉ……。』

 

 内なる彼女が、脳内で涙声で呻く。やはり感覚は完全に共有されている。彼女にとっては自分の体が押し潰されているような圧迫感があるのだろう。

 

「我慢しろ。動きづらくて死ぬよりはマシだ。」

 

 再度、服を着直す。包帯で抑え込んだとはいえ、それでもなお隠しきれない起伏が残ったが、最初よりはマシになった。

 彼は再び鏡を見た。

 

 鏡の中にいたのは、機能性重視のタクティカルウェアに身を包んだ、緑色の髪の、ヘイローのない女。

 顔立ちは驚くほど幼く、守ってやりたくなるようなベビーフェイス。だが、その中身が中身なので人相の悪い表情になっている。

 

「致命的に似合ってねえな。ゴーグルとかバンダナも盗んでこればよかった。」

 

「(……この顔、どっかで見たことあるような気がするのは気のせいか?)」

 

 彼はぶつぶつと愚痴をこぼしながらも、重厚なブーツの紐を締め、立ち上がった。

 

『ねえ……これからどこへ行くの……?』

 

 不安げに、けれど期待を込めて彼女が問う。

 彼はひび割れた鏡から目を離し、眩いばかりの朝陽が差し込む廃墟の窓を見据えた。

 

「決まってるだろ。……お前の記憶を取り戻しに行くんだ。あと、今のキヴォトスがどういう状況なのかも確かめにな。」

 

 そういって笑みを浮かべる。

 その時の彼の目に映った未来は、朝日のように明るかっただろう。

 

 




[補足]
-肉体
 偶然あった?……のかは分からないが、肉体をなくしてしまった彼らの器になっている。素性は不明。生徒のものであったのかもしれないが、今はヘイローがない。もともとほっそい体だった彼からすれば猛烈に違和感を感じ、動きづらい体らしい。
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