From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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ここは一体どこなんだ


51話『俺のいない世界』

 

 彼……いや、”彼ら”は、陽炎の立つ地平線の先、都市を目指して歩みを進めていた。

 その道中、滝のような汗を流しながら、大事そうにタブレット端末を抱えて走り去る一人の女とすれ違った。切羽詰まった様子だったが、今の彼には関係のないことだ。一瞥だけして、彼は視線を前方へ戻した。

 

 廃墟の海を抜ける。途中、フィルターの生きていそうなガスマスクを見つけたのは幸運だった。

 

 彼は無造作にマスクを装着し、挟まった髪を無造作に整えた。そのあと駅を見つけ、走行中の列車の屋根へと飛び移った。無賃乗車による高速移動。風を受けながら、次第に近づくD.U.の街並みをその目に焼き付ける。

 

 視界に飛び込んできたのは、彼が知る”終わり”の光景とは真逆の、平穏な日常だった。

 行き交う人々、倒壊していない高層ビル、そして何より、絶望の影を感じさせない。

 

「(……冗談だろ。破壊された形跡すらほとんどねえ)」

 

 自分がいなくなった後、あの先生が全てを解決したのか。自分が無能ゆえに辿り着けなかった”救済”を、あの人は成し遂げたのか。

 安堵が胸をなで下ろすと同時に、言葉にできない憂鬱が肺の奥に溜まっていく。自分という異物がいない方が、この世界はよほど美しく回るのだという事実を突きつけられた気がした。それは自分自身でもそう思っていたはずの事実だろうが、いざこうも現実として突きつけられるのは酷だった。

 

 D.U.の駅近くで列車を降りた彼は、雑踏の中で見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 公安局の制服。凛とした佇まい。かつての知り合い、尾刃カンナだ。

 

 彼は無意識のうちに足を速め、彼女の肩を叩こうとして、すんでのところで思い止まり声をかけた。あの時交わしたやり取りを思い出した。もし先生が全てを治めてくれていたのなら、彼は責任を取って犯した罪の罰を受けなければならない。

 

「なぁ……。俺だ。」

 

 振り返ったカンナの瞳にはただ、得体の知れないガスマスクの不審者を見る、氷のように冷徹な視線だけがそこにある。

 

「……誰だ、貴様は。」

 

「(……あ。そうか、今は肉体が違うんだったな)」

 

 彼は一瞬だけ言葉に詰まり、何とか自分の正体を……あるいは自分に繋がる何かを説明しようとした。だが、彼女が放つ拒絶のオーラは、彼が言葉を発するよりも早く、鋭い警告となって飛んできた。

 

「業務の妨害だ。これ以上付きまとうなら不審者として連行する。」

 

 彼は何も言えず、ゆっくりと手を下ろした。彼女が自分のことを知らないふりをしているのか、あるいはこの肉体のせいで本当に気づいていないのか。それを確かめる術すら今の彼にはなかった。

 

『……ねえ。なんだか、胸のあたりが少しだけチクッとするね……。』

 

「……なんでもねえよ。ただの気のせいだ。」

 

 再生したはずの心臓が、妙に重い。彼は逃げるようにその場を離れ、人混みの中へと紛れていった。

 

 彼は次なる目的地を、連邦生徒会の拠点へと定めた。

 そびえ立つビルの外壁を、軽い身のこなしで駆け上がる。そして執務室の窓を外から軽く叩き、中にいた人物……七神リンに己の存在を誇示した。

 

「ひっ…… な、何ですか……?」

 

 冷静沈着なはずのリンが、窓の外の不審者を見て小さく悲鳴を上げる。彼は音もなく通気口から室内へと滑り込んだ。ガスマスク越しに響く低い呼吸音が、静まり返った部屋に異様に響く。

 

「……誰なんですか? 何の目的でここへ?」

 

 怯えと警戒の混じった視線。彼はガスマスクの奥で目を細めた。

 

 「俺だ。……名無しの、俺だ。」

 

 だが、その言葉を発した瞬間に自嘲した。彼には、自分を証明するための『名前』がない。かつて共に理不尽に見舞われた彼女たちとの間には、少なくとも関係があった。けれど、今の彼にはそれを裏付ける何一つとして持ち合わせていない。

 

「わからねえか。……そうか。」

 

 彼は諦めたように短く告げると、再び外へと消えた。路地裏を駆け、屋上を飛び越え、人目を避けて移動を続ける。

 かつての”知り合い”たちが、誰も自分を知らない。どれだけ肉体が変わろうとも、異様さから気づいてくれるだろうと思っていた。そんな淡い期待は、キヴォトスの澄んだ空気の中に霧散する。

 

「(本当に何が起きてるんだ?)」

 

 空虚な思いを抱えながら移動していた彼は、ある場所で足を止めた。

 呼吸が止まる。心臓が嫌な音を立てて脈打った。

 視界の先、賑やかな通りを歩いているのは、モモイだ。

 

 そう、才羽モモイだ。

 

「……は?」

 

 なぜ?

 

 彼女は死んだはずだった。彼の知る凄惨な出来事の中で、その命は失われたはずだ。

 混乱する彼の前に、さらに追い打ちをかけるような光景が広がる。近くのゲームショップから、ミドリ、ユズ、そして見知らぬ白い髪の生徒。そしてその中心に、アリスがいた。

 

 なぜ?

 

 あの日、自分が下した決断。自分が背負った罪。その全てを否定するかのように、彼女たちは生きていた。陽気に笑い、次のゲームの話に花を咲かせている。

 わけがわからなかった。あまりの矛盾に、眩暈に似た恐怖が彼を襲う。彼女らが生きていて良かったと、一瞬はそう思ったはずなのに。

 

「……っ」

 

 思わず、彼は彼女たちの方へ手を伸ばし、一歩踏み出しそうになった。だが。

 

 足が止まる。

 伸ばしかけた手は空を切り、力なく下ろされた。

 生きていてほしいと願った。しかし、あそこで笑う彼女たちは、自分の知る”彼女たち”ではない。

 

 胸の中を、強引に万力で締め付けられるような激痛が走る。彼は言葉にせず、音にならない声が漏れた。

 

 

 この世界は、俺の知っている場所じゃない。

 

 

 胸をズキズキと蝕む痛みを無視し、彼はただ足を動かし続けた。

 路地裏の湿った空気の中で、内なる彼女が静かに、そしてひどく心配そうに声をかけてくる。

 

『……大丈夫? なんだか、辛そうだよ……。』

 

 彼女には隠せない。今は一つの器の中で詰め込まれているのだから。

 彼は足を止め、ガスマスクを少しずらして外の空気を吸った。見上げた先には、残酷なほどに透き通った青空が広がっている。いつだってこの空の下にいるときは、自分の場所じゃない異邦に在るように感じさせられる。

 

 彼は再認識する。生には苦難が付きまとう。だから再び生きると決めた以上、それに立ち向かい続けるのだ。性懲りもなく、望みのために、ただ生きると決めたんだ。その学ばなさともいえる愚かさ、それが”俺”だから。

 

 ただ、もし今この世界を否定したらどうなるだろうか。それはきっと、あそこにいる彼女らの幸福を奪うことになる。それは気分が悪い話だ。自分に都合よく、なんの後味の悪さも残さず己が道を行く手段を、否定の最適解を考えなければならない。

 

「……なんでもねえさ。」

 

 彼はあえて突き放すようなことはせず、穏やかな、けれどどこか遠くを見つめるような声で答えた。一度深く、肺の奥まで空気を入れ、吐き出す。そうして無理やり心の澱を隅へと追いやり、彼は努めて事務的な口調へと切り替えた。

 

「……まぁ、見たところキヴォトスに危機が迫ってるってわけでもなさそうだ。笑って過ごせてるなら、それでいいか。……それより、お前のことだ。今まで見てきた中で、何か思い出す糸口になりそうなものはあったか?」

 

 自分の感傷に浸る時間は終わった。今は、共に目覚めたこの”仲間”のために動くべきだと、彼は思考を強制的にシフトさせる。

 

『うぅん……ごめんね。街を見ても、全然ピンとこなくて……。でも、最初にいた廃墟……あそこの方が、何か思い出せそうだったかも。あっちの空気に、覚えがある気がするの。』

 

 彼女の言葉に、彼は短く「そうか」とだけ返した。

 この賑やかなD.U.は、彼女の居場所でもなかったのかもしれない。ならば、これ以上ここに留まる理由はない。

 

「じゃあ、戻るか。アビドスに。」

 

 彼はもう一度、前に向き直った。

 苦難なら、何度だって乗り越えてきたのだ。

 

 

 

 

——————————

 

 

 

 

 私はプラナが指定した座標へと走っていた。

 砂に埋もれた都市が広がっている。アビドス自治区の外縁。かつて何度も足を運んだはずの場所なのに、プラナが告げた『未知の干渉』という言葉のせいで、景色がどこか知らない異郷のように見えた。

 

「”……ここだね。”」

 

 しかし、その途中で通ったところに目を疑うような光景が広がっていた。

 砂塵の舞う路上のあちこちに、ヘルメット団の生徒たちが折り重なるようにして倒れている。その中心で、一人だけ場違いなほど のんびりと立ち尽くす、見慣れた桃色の髪の少女がいた。

 

「うへぇ~、先生じゃ~ん。こんなところまで一人でどうしたの?」

 

 ホシノはいつものように、眠たげな目をこすりながら私に手を振った。

 

「”ホ、ホシノ……すごいね……。これ、全部ひとりでやったの?”」

 

 私が圧倒されながら問いかけると、ホシノは困ったように眉を下げて、後頭部をポリポリと掻いた。

 

「いや~、おじさんじゃないんだよね~……。おじさんがもともと追いかけてたんだけど、誰かがもうすでにやっつけちゃってたみたい。うへへ、おかげでおじさんはサボれちゃったけどね」

 

 彼女の言葉に、隣に浮かぶシッテムの箱からプラナの冷静な声が響く。

 

『……先生。周囲の痕跡をスキャンしました。殴打による打撲、および至近距離からの正確な射撃。非常に合理的かつ、類を見ない粗暴な戦闘技術の形跡が見られます。……アロナ先輩、この戦闘スタイルに該当する生徒のデータはありますか?』

 

『ええっ、えーっと……。検索中……検索中……。……ダメです! どの学園のデータにも、こんなに激しい立ち回りをされる生徒さんの記録はありません!』

 

 アロナが慌てたように画面の中で首を横に振る。

 ホシノが追いかけていた集団を、彼女が追いつく前に一人で無力化した『何か』。

 

「”……ホシノ。その『誰か』の姿、見えたりしたかな?”」

 

 私が尋ねると、ホシノはふと視線を地面の一点に向けた。そこには、謎の綺麗な円状の跡が残っていた。

 

「うーん、おじさんが着いたときにはもういなかったかな。でも……そうだね。何か、すごく『不思議な感じ』がしたんだ。……なんてね、おじさんの勘違いかもだけどさ」

 

 彼女の瞳の奥に、一瞬だけ鋭い色が宿るのを私は見逃さなかった。

 プラナが感知した『外からの干渉』。そして、記録にない圧倒的な実力を持つ、いるかもわからない謎の存在。

 

 胸の奥で、プレナパテスのカードに触れたときのような、ざらりとした不安が再燃する。

 

「”アロナ。この場所からの足取り、追えそうかな? 何か関係があるのかもしれない。……確かめなきゃ。”」

 

「何か探してるの? だったらおじさんも先生についていくよ、気になるし。それに……もし危ないものだったら、先生を守らないとだからね。」

 

 そういってホシノはにへっとした感じの明るい笑顔を浮かべる。

 

「”ありがとう、ホシノ。心強いよ。”」

 

 私はそう言って、彼女の柔らかな桃色の髪を優しく撫でた。ホシノは照れくさそうに目を細めている。

 

 口に出せば、きっと彼女は「おじさんを子供扱いしないでよ」と笑って流すだろう。けれど、私の胸中には、言葉にできないほど強い決意があった。

 

「(”……私にとっても、君は守らなければならない大切な存在なんだよ。”)」

 

『……先生、お話の途中で申し訳ありませんが、移動を開始しましょう。微弱ですが、特定した『干渉波』と一致する反応が、この先……廃墟の深部に残留しています。』

 

 プラナの冷静な指摘に、私は「”わかってるよ、行こう”」と短く応じ、ホシノと共に歩き出した。

 

 砂塵が舞う中、私たちはゆっくりと、かつて何かが侵入してきた場所へと向かう。

 

 

 

 





 この世界は、異物が紛れ込むことのなかった世界なのだろうか。
 もっとも、すでに混じってしまったのだが。

 異物が招くは災厄か、それとも

 なにはともあれ物語は続いてゆく。
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