喧騒の冷めやらぬブラックマーケットの路地裏で、彼は戦利品を手に露店を練り歩いていた。奪い取った金は瞬く間に身体のメンテナンス代へと形を変える。
彼は拳銃に対応した規格の銃弾とカートリッジを買い揃え、ついでに先ほどの戦闘で銃弾をかすめた腕の治療に安物の包帯を巻きつけた。一応消毒液も雑にかけたようだ。傷は本来放っておけば膿むものだから。
ガーゼ越しに鈍い痛みが走る。この体はかつての自分のものとは全くの別物だ。彼本来の不死に近い治癒能力も、頭上に輝くヘイローによる加護もない。致命傷を負えば、そこで終わり。この世界においては、再び死の危険と隣り合わせの試練が与えられている。
『……痛そう。大丈夫?』
脳内で彼女が小さく声を漏らす。
彼は無言で包帯を締め上げた。淡々と修理作業が終わる。一見、彼はこの戦闘をゲームのように愉しんでいるように見えるかもしれない。昔のように精神を奮い立たせ、恐怖に立ち向かうようなものではないのも事実だ。その身のこなしや自信に満ちた振る舞いがそうだ。だがそれは本当に余裕だからではなく、研ぎ澄まされた経験から来る計算高いリスク管理に過ぎない。
被弾すれば終わる。だからこそ、彼は決して攻撃を真正面から受けない。
かつての彼が持っていた神秘を吸収するエネルギーを含んだ血を浴びせる攻撃も、今のこの体では再現できない。だが彼はそれをある種の縛りとして向き合うことにした。
「……まぁ、せいぜい長持ちさせるさ。この体も、俺達の命もな。」
彼は独りごちるように呟いた。
無防備な肉体で怪物たちが跋扈するキヴォトスを歩く。
彼はブラックマーケットの露店で手に入れたばかりの拳銃を掌の中で転がすように弄んでいた。ポリマーフレームの冷たい感触と適度な重量感を感じながら。
「ハンドガンか。これを近接格闘にうまく組み込んで使えたら最高にイカしてるだろうな。」
彼の脳裏には銃と近接武器を併用する特殊な構えや、至近距離での射撃を織り交ぜた体術のイメージが浮かんでいた。
『……なんだか、すごく手になじむ感じがするよ』
内に宿る彼女も、銃のグリップを握る指の感覚に不思議な既視感を覚えていた。
「使ってみてぇなぁ……。」
彼がそうぼやいた瞬間、雑踏の向こうから荒々しい怒号が飛んできた。
「あ、あいつでさぁ! アタシらの邪魔をしてきたのは!」
見れば、先ほど路地裏でノックダウンさせたはずの不良たちが、倍以上の増援を引き連れて血相を変え迫ってきていた。手にはサブマシンガンやショットガン。マーケット・ガードの連中も混じっている。
だが、彼は逃げなかった。それどころかガスマスクの下で悪辣な笑みを浮かべる。
「カモがネギしょってやってきたぜェグヘヘヘヘヘ……。」
『ちょ、ちょっと、笑い方が悪役すぎるよ……!』
彼女のツッコミを無視し、彼は手にしたばかりの得物のスライドを力強く引く。金属質の鋭い音が響き、初弾が薬室へと送り込まれた。
路地裏を埋め尽くす怒号と銃声は、ブラックマーケットでは日常の旋律だ。弱者が力に屈し、強者こそが法を握る。猿の檻の中のような治安と呼ぶに相応しいこの世界では、当然力こそが唯一の対話手段である。
彼は笑いながら戦場を蹂躙していた。
右手のハンドガンで至近距離の相手を無力化し、左手の盾で背後の銃弾を叩き落とす。盾を投げれば性質によってブーメランのように軌道を変え、敵を薙ぎ払い、また手元へ戻ってくる。倒した不良の身体を掴んで盾代わりにするという非情な戦法はもはやお家芸である。
「強すぎる……強さの次元が違う……」
一人の不良が遺言のような言い残しを吐きながら呻く。
マーケットの精鋭である警備兵たちが突入してくるが、逃げ惑う不良たちが盾となって陣形を乱し組織的な反撃が全く機能していない。彼はその隙を縫うように、トリッキーな射撃と卓越した蹴り技で戦場を掌握していた。
アドレナリンが脳を焼き、それが快楽に近い昂揚感へと変わっていく。かつてないほどに、彼は戦いというものを愉しんでいた。
その時、轟音と共に路地の壁が吹き飛んだ。
排気煙を撒き散らしながら現れたのは、無骨な鋼鉄の塊、大型人型兵器『ゴリアテ』だった。ついに重機が投入されるまでに至る。
「なんだよこのロボット展開はッ」
彼はガスマスクの中で、引き攣った笑みをさらに深める。
キヴォトス人でもなければこんな鉄の怪物と対峙するのは自殺行為だ。だが、彼の眼には退却の文字はない。
『ちょっ、ちょっと待って! あれは無理だよ! 私たち、”普通の人間”なんだから! ……あれ?』
「いいや、やってやらぁっ!」
ゴリアテの頭部から銃撃が放たれ路面を砕き、地響きが二人を襲った。
正面から木っ端みじんにしようとするゴリアテに対し、彼は迫る。
かつてないほどのリスク。かつてないほどのスリル。
死の淵で舞うようなこの感覚こそが彼が無意識のうちに求めていたヒリつくような生きている感覚だ。
彼がその巨躯にとびかかろうとした直後だった。
ゴリアテの頭部パーツが、物理法則を無視した衝撃で木っ端微塵に吹き飛ぶ。
「なっ……!?」
彼は即座に反応した。盾を空中に放り投げ、性質で浮遊させる。その鉄塊を足場にして、彼はゴリアテの残骸から空中で後方へと飛び退いた。
着地した場所の周囲では、さっきまで自分を囲んでいたマーケットガードや不良たちが、まるで嵐に巻き込まれたように次々と吹き飛ばされていく。
路地裏を制圧する、圧倒的な火力と蹂躙。
「なんだ……? この火力は……ッ!」
彼が周囲を警戒すると、空気が震えるような通信音が脳内に響いた。
「”ホシノ!その中心に目標がいるよ!”」
聞き覚えのない……が、どこかで見聞きしたような雰囲気を帯びた女の声。それに続いて、彼がアビドスで見たはずの、しかし今は遥か遠い存在だと思っていた声が返る。
「りょ~かい!……さて、と」
ゴリアテの巨大な残骸が崩れ落ち、その瓦礫の上に”彼女”が立っていた。
キヴォトスの生徒の中でも最上位の、はちきれんばかりの神秘の気配。頭上で揺らめくヘイローが、第六感を照らす。
「ねぇそこの人、ちょっとおとなしくしてもらうよッ!」
ホシノは緩い言葉とは裏腹に一切の迷いなくショットガンを構えた。
次の瞬間、鉛の雨が彼を襲う。
至近距離からの散弾。
彼はとっさに背中の盾を前面に引き寄せた。轟音と共に凄まじい衝撃が彼の全身を駆け抜ける。
「(ホシノ……!? なんでここに……ッ!?)」
防弾盾越しに彼女の姿を捉え、彼は戦慄した。
「(ってか、そうか…!。こっちの世界じゃホシノも死んでねえのか……!)」
かつて手に掛けた存在が目の前に。高揚感が消え始める。
散弾の衝撃が、防弾盾を伝って彼の腕を容赦なく痺れさせる。
一瞬、ホシノの動きが止まった。その防弾盾と拳銃を組み合わせた戦い方。どこかで見たような、いや、記憶の底にこびりついている”誰か”と重なったのか。彼女は眉をひそめ、次の瞬間には鋭い殺気を放ちながら踏み込んできた。
至近距離での追撃を、彼は盾を滑らせるようにして辛うじて逸らす。
この目の前の少女はかつて自分が戦った”殺さざるを得なくなった怪物”とは違う。だが、強さの底が見えない本質は同じだ。
「(めちゃくちゃ強いぞこいつ……ッ!)」
心の中で悲鳴を上げる。相手はキヴォトス最強格。まともに打ち合えば、今のこの生身の体など一瞬でスクラップだ。かつての経験から、彼女の全力がいかに理不尽かを予測できているだけに、悪寒が走る。
彼は防御と回避に専念せざるを得なかった。今まで攻撃一辺倒だった流れが完全に封じられる。おまけに彼女の背後には何かが指示……いや、指揮を行っているようだった。そのせいで更に動きが洗練されていてどうしようもない。
「クソッ……!」
彼が回避した地点には、既に次の弾丸が先読みするように撃ち込まれる。逃げ場がない。一歩動くたびに退路を削られ、彼は路地裏の行き止まりへと追い込まれていく。
「(回避した先を狩る動きが尋常じゃねえ……ッ)」
盾を構える腕がホシノの散弾の直撃を受け、激痛に叫びを上げる。衝撃で彼の姿勢が崩れた。
彼女は容赦しない。その小さな身体から放たれる力で彼が立て直す隙すら与えず、盾の上からそのまま強打を浴びせてくる。
「(まずい。このままじゃジリ貧だ。……このままじゃ俺が殺されるッ)」
かつて殺した相手との戦い。その罪悪感が、彼の思考の端を鈍らせる。なんとか脱出し、銃弾を避け続ける。
ホシノはまるで獲物を追いつめる捕食者のような冷徹な眼差しで、彼を逃がさないように間合いを詰めていく。
「……随分と素早いねぇ~。でもさっき暴れてた時とは動きが全然違う。かなり焦ってるね。」
ホシノが低く、しかし感情の読めない声で呟く。
隙のないホシノに対し彼は、盾を構えながら倒れている不良の持ち物を一瞬で漁る。閃光弾だ。ピンを抜き、限界まで盾裏に隠し、それを投げた。ホシノはそれに気づき、すぐ防御性姿勢をとる。それを見逃さない。
閃光が弾け、視界が白濁した刹那、彼は迷いなく地を蹴った。性質による爆発的な運動エネルギーを足裏に集中させ、瞬時にホシノの懐へと飛び込む。
盾を足場に踏みつけ、散弾銃を掴んで強引に銃口を逸らす。そのまま頭突きで追い打ちをかけようとしたその一瞬、ホシノの眼光が冷酷なまでに研ぎ澄まされた。
彼女は躊躇なく散弾銃を手放し、隠し持っていた補助拳銃を引き抜く。
至近距離での射撃。彼は頭をひねり辛うじて鉛玉を回避した。マスク越しに頬をかすめる風圧と熱が、死の距離を教えてくれる。
「チッ……!」
彼は即座に後方へ飛び退き、距離を取る。
「(アンフェアすぎる……!)」
心の中で舌打ちする。キヴォトスの生徒たちの耐久力は、人間が持ちうる範囲を超越している。殺し合いでない戦いにおいては自分に分はない。こうした場面だと殺すための力は活かしづらいのだ。
彼は盾を構え直し、喉から絞り出すように叫んだ。
「クソッ、俺はあんたらに用はねえんだッ! あんたらと戦うつもりはねえ!」
他人の身体の声だった。
だが、その声を聴いた瞬間、ホシノの表情が凍りついた。
先ほどまでの冷静な捕食者の顔が、怒りと困惑、そして言いようのない悲痛な歪みへと塗り替えられていく。
「……は?」
ホシノの声が、低く震えた。彼女は銃を構えたまま、目を見開いて彼を睨みつける。
「武器も、髪の色もあの人に似せて……。その上、声まで”先輩”と被せてくるなんて……。」
彼女の瞳に、明らかな殺意ではない、もっとどす黒く、複雑な激情が宿る。
「……最低だねぇ。反吐が出るよ。そんな真似してまで私をからかいたいわけ?」
ホシノのヘイローが、まるで怒りに呼応するように激しく明滅した。
彼が望んだ対話は最悪の形で彼女を刺激してしまった。どういうわけか彼女にとって侮辱として受け取られたのだ。
路地裏の空気が重く澱んだ。
ホシノが、本気を出す。
今まで彼女の纏っていた、どこか緩く、隙のある空気が完全に絶える。
ホルスは猛る。
彼は即座に反応しようと筋肉を躍動させた。しかし、そこに致命的な壁があった。
自分の脳内にある理想の動きと、この他人の体、”器”が持つ性能との間に生じるわずかな誤差。かつての自分が持っていた反射神経なら確実に回避できたはずの初動が、この体ではどうしてもコンマ数秒遅れる。
「不味いッ」
彼が回避の体勢に入ったときには、もう遅かった。
視界の端に、冷徹なホルスの瞳が映る。次の瞬間、至近距離まで迫ったショットガンの黒々とした銃口が、彼のレンズにピタリと合わさっていた。
ホシノの視線が一瞬だけ、彼の頭上に注がれる。
その瞳に、驚愕が宿るまで時間はかからなかった。
「(……ヘイローがない? 嘘っ)」
彼女に戦慄が走る。だが、引き金は既に引かれていた。
乾いた破裂音が路地裏に木霊する。
キヴォトスの生徒同士の争いであれば、かすり傷か、せいぜい強く腫れる程度。しかし、それが普通の人間の肉体に直撃したとき、結果はあまりに残酷だった。
赤い飛沫が、薄汚れた壁に鮮烈な花を咲かせる。
その存在が被っていたガスマスクが、散弾の衝撃で粉々に砕け散る。
そこに現れたのは、ホシノが誰よりも知り、誰よりもその喪失を悔やみ続けた、ここにあってはならないはずの“顔”だった。
「な、なんで……」
ホシノの喉から、掠れた悲鳴が漏れる。
なぜ、この場に。なぜ、そんな姿をして。そしてなぜ、自分が引き金を引いてしまったのか。
視界が歪む。頭の奥で何かが弾ける音がした。彼女の膝から力が抜け、銃がアスファルトにカランと音を立てて転がる。
「なんで……顔までユメ先輩と……一緒なの……?」
震える声で呟き、彼女は腰を抜かしたまま縋るようにその場に崩れ落ちた。かつての英雄としての面影はどこにもない。ただの、大事な人を失った少女の姿があった。
「あっ、ああっ……」
パニックに陥り、呼吸さえままならなくなったホシノ。そこに、現場に急行した大人が駆け寄る。
「”ホシノ、大丈夫!? 落ち着いて!”」
駆けつけたその人は、崩れ落ちた彼の姿を見て言葉を失う。だが、すぐにホシノの異変を察し、彼女の視界を覆うように抱きしめた。
「”ホシノ、見ちゃだめだ”」
その瞬間だった。
「“……っ!?”」
その死体から夜空を切り取ったような暗く、それでいて太陽よりも眩い不思議な輝きが放たれた。それは神秘の奔流である。
「なに……!?」
二人が眩しさに目をかすめたその時、殺めてしまった存在が傷ひとつない状態で立ち上がっていた。その頭上には、夜空のような色と輝きを放つヘイローが浮かんでいる。
「な、なんだ? 何が起きてやがるッ」
あえて低く出すような女の声。
「ひぃん! わ、わからないよぉ!」
明るく高い女の子らしい声。
一人の体に混在する二つの魂。その存在は、自分の身に起きたことが理解できないのか、酷く混乱し、困惑の表情を浮かべていた。
「えっ? えっ? えっ?」
ホシノは抱きしめられた腕の中から、呆然と目をぱちぱちとさせる。
混乱の渦中、その存在の頭上に浮かんでいたヘイローが霧散しなにもなくなる。
一瞬、ホシノと緑色の髪を持つ存在の視線が交差する。
互いの脳内に、かつての記憶の断片と、今の衝撃がスパークした。
「……じゃあなッ」
その存在は、ホシノが呆然としている隙を逃さなかった。
運動エネルギーを脚部に集中させ、爆発的な跳躍で路地の屋根へと飛び移る。逃走。その背中は、あまりに速く過ぎ去っていく。
「せ、せんぱい……?」
ホシノの口から出たのは、絞り出すような、ひどく間抜けな声だった。
脳の処理限界を超えた彼女は、迎えに来た大人の腕の中で、ただぽけーっと空を見上げていることしかできなかった。
ホシノはその腕の中で、しばらく抜け殻のように座り込んでいた。彼女の瞳は空の一点を見つめたまま、焦点が定まらない。先ほど起きた、物理法則も常識も無視した死人の帰還という光景が、彼女の脳内で何度もループしている。
どれほどの時間が経ったのか。やがて、彼女の唇がカサリと震えた。
「ユメ先輩が……不死身になって……生き返った……?」
その声はひどくかすれていて、自分でも信じられないといったような声色であった。
常識的に考えれば、荒唐無稽な夢想だ。死んだ人間が、それもあんなガスマスク姿で、まるでゾンビのように蘇るなどありえない。だが、今の彼女の心には、論理よりも強い”何か”が芽生えていた。
その存在が放ったあの夜空のような神秘の光。
間違いなくあった、彼女の顔。
「そんな、訳が分からなくて、変で、突拍子もない嘘みたいな……」
否定する言葉を口にしながらもホシノの手は震えを止めていた。彼女の心の中にあった乗り切ったはずの喪失感の底にわずかな、しかし熱を帯びた希望が灯り始めていたのだ。
大人は腕の中で震える彼女の肩をそっと抱き寄せる。
「あはは、おじさん、何を言ってるんだろうねぇ……。」
ホシノはふっと自嘲気味に笑った。その瞳には、先ほどまでの激昂の残滓と消えない困惑、そして行き場を失った熱が混ざり合う。
「先生、今の……おじさんの見間違い、だよね?」
彼女は、縋るように先生の顔を見上げた。少し目に光がともっている。
その眼差しは答えを求めているというよりは、肯定を求めているようだった。
だがラーですらない異物がその役割を模倣した。それも現世で。
よって”矛盾”が生じ、それを孕んだまま踏み越えた。
[補足]
-夜の太陽
その体に宿されていたはずの神秘と何かが混ざって神話的な意味を呼び起こした。これがヘイローとなって表れている間は死の境を超越する。ただし……何事も都合よくいくはずもない。