From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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長くこうしているわけにはいかない


55話『募る危機感』

 

 ブラックマーケットの喧騒が豆粒ほどの遠さになるまで彼は屋上を伝い、影に潜みひたすらに走り続けた。

 辿り着いたのは砂に埋もれかけた打ち捨てられた貯水槽の影。荒い呼吸を整えながら、彼は砕けたガスマスクの破片を剥ぎ取った。剥き出しになった素顔を風が撫でる。

 

 沈黙の中、二つの意識が深く重なり合い先ほど起きた事象を紐解き始めた。

 

「……まともに食らった。あの至近距離だ。脳漿ごと吹き飛んで終わるはずだった。」

 

 彼の記憶には、ショットガンの銃口から放たれた火花と、直後に訪れた絶対的な闇が刻まれている。意識が肉体という器から剥がれ落ち、色のない虚無の空間へと引きずり込まれかけた感覚がこびりついている。

 

「……私も。衝撃のあと、自分がどこにいるのか分からなくなったの。でも、その瞬間に……」

 

 そう。あの夜空のような輝きが溢れ出した瞬間だ。

 虚無へ溶けかけ、体から離脱しかけていた二人の意識は強引なまでの神秘の奔流によって再び肉体という檻の中へと叩き戻された。それは繋ぎ止めるというより、生と死という概念の外側へ行ったようだった。

 

「……一時的に死を超越した?」

 

 彼は自分の手を見つめる。傷一つない。血飛沫を浴びたはずの服さえ何事もなかったかのように整っている。

 

「一度、あの『色のない場所』に繋がりかけたのは本当だよね。』

 

「ああ……」

 

 彼はハンドガンを握り直す。

 死を克服した喜びなど微塵もない。あるのは自分たちがもはや元の人間でも、一人の生徒でもない。正体不明の特異点へと変質してし始めていることへの底冷えするような自覚だった。

 

 静まり返った貯水槽の影。彼は、無意識に漏れた体の声に違和感を抱き、言葉を失った。

 

「……待て。今、お前は口に出して喋ったか?」

 

「……うん。今……声が出た。頭の中じゃなくて、この喉を使って。」

 

 驚愕が走る。脳内でのテレパシーのような意思疎通ではない。一つの喉を、二つの意思が代わる代わる、あるいは同時に声帯を震わせていた。

 さらに異変は肉体そのものにも及んでいるのか、右手が拳銃を確認しようと動けば、左手は無意識に髪を弄り、視線は警戒と好奇心の間で激しく彷徨う。二人の意思が、まるで一つのOSに二つの入力デバイスを繋いだように、敏感かつ”ちぐはぐ”になり始めていた。

 

「……混ざり始めてる。俺と、お前が。」

 

 彼はその事実に底知れぬ恐怖と冷徹な納得感を覚えた。

 本来、一つの器に二つの異質な魂。それが神話的意味を持ってしまい、こうなってしまったのではないだろうかと疑う。

 

「……死ぬことがトリガーか。一度『死』という境界線を越えるたびに俺たちの融合は加速する。そして魂の継ぎ目が消えていく……そんな仮説はどうだ?」

 

『……心当たりがあるよ。だって今……君の記憶が、少しだけ流れてきてる。知らないはずのことを覚えているから……。』

 

 彼女の声に、戸惑いと悲しみが混じる。

 彼女が見たのは彼女の知らないはずの光景。血と硝煙に塗れた戦場、孤独な最期、屍の道。彼が隠し持っていたはずの過去の断片が、混ざり合う絵の具のように彼女の意識を侵食し始めていた。

 

「(……嘘だろ)」

 

 自分が彼女と混ざって自分でない何かになってしまうのも、彼女が自分の最悪の記憶に押しつぶされていくのもたまったものではない。

 

 死ぬたびに二人はより深く、より逃れられないほどに一人の”個”へと近づいていく。

 

 月明かりの下、彼は自身の指先をじっと見つめ、低く断定するように告げた。

 

「まずいな。どうやら俺たちは悠長に迷っていられる状況じゃないらしい。」

 

 二つの意思が混ざり合い、死ぬたびに融合が加速する。それは将来的な個としての消失を意味していた。彼は今後の指針を修正し、彼女へと言い聞かせる。

 

「極力負傷を避ける。死ぬのが融合のトリガーなら、かすり傷一つ負わん覚悟で行くぞ。その上でいち早くお前の記憶を取り戻す。それがこの事態を解く鍵になるはずだ。」

 

「……記憶を取り戻したところで、私たちは……同じ体のままだよね?」

 

 彼女の不安げな問いに、彼は一瞬沈黙したが、すぐに強い口調で返した。

 

「そこは考えがある。策もなく突っ走るほど俺は能天気じゃない。……とにかく、うかうかしてられねえんだ。」

 

 彼は重い腰を上げ、砂にまみれた膝を払って立ち上がった。その時、彼女が何かに惹かれるように、ふと独り言を漏らした。

 

「そういえば……さっき、私たちを見て怒ってた、あのピンク色の髪がきれいな子……。あの子を見ていたら、なんだか胸がきゅうっとしたの」

 

「……俺の感覚が共有されたせいだろう。気にするな」

 

 彼は吐き捨てるように言った。自分にとってホシノはかつて殺した相手であり、その罪悪感が胸を締め付けるのは当然だと思っていた。だが、彼女は首を振るように言葉を続けた。

 

「違うの。どこか胸が温かくなるような、じんじんするような……それでいて、なんだかとても、むずむずする感覚。懐かしくて、呼びかけたくなるような……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、彼の思考に鋭い電流が走った。

 

「(俺の罪悪感とは根底にある感情が違う……?)」

 

 もし、この感覚が彼女自身から湧き上がったものだとしたら。

 この彼女は記憶を失う前、ホシノやアビドス高等学校と深い関わりを持つ人物だったのではないか。

 

 彼は確信に近い疑念を抱き、次に向かうべき場所を定めた。アビドス高校。あの学び舎にこそ、彼女の記憶の要が眠っているはずだ。

 

「……行くぞ。次の目的地は決まった」

 

 彼は再び夜の街に向かってビルからビルへと跳躍した。

 だが融合しかけた影響か、着地の瞬間に足元がふらつき派手に体勢を崩しそうになりながらであったが。

 

 ふと、彼は思い出したように声を上げた。

 

「あっ、そうだ。忘れてた。機械のパーツがいるんだ。それも寄り道で確保しとくぞ。」

 

「ええっ!? 急いでるんじゃなかったの!? さっきまであんなにシリアスだったのに!」

 

 アビドスの広大な砂漠を、夕闇が静かに侵食していく。

 

 

 

 

-------------------------

 

 

 

 

 ブラックマーケットの喧騒を背に私は手配した車を走らせていた。

 助手席ホシ先ほどまでの勇猛な小鳥遊ホシノの面影はどこへやら、精神的なキャパシティを超えてふにゃふにゃになってしまったホシノが座っている。

 

「……うへぇ……。先生、おじさん……もう頭が砂漠みたいに真っさらだよ……。もう年かな……」

 

 魂が口から漏れ出そうなほどぐったりしている彼女の頬を、私は気休めだと知りつつも指先でつんつんと突く。

 

「うへっ……うへぇ……」

 

 つつくたびに情けない声を出すホシノ。その愛らしい反応に少しだけ救われる思いだが、私の胸の内は先ほど目の当たりにした異常事態への困惑で埋め尽くされていた。

 

 アビドスの校舎へ向かう夜道。ヘッドライトが照らす砂塵の先にあの少女の残像が浮かぶ。

 プラナが”異質な反応”と称し、警戒を促した発出元。あの緑色の髪をした正体不明の女の子……?の姿をした存在。

 

 ホシノのケアに必死で、私はその素顔をはっきりと拝むことはできなかった。けれど腕の中でパニックに陥ったホシノは、確かにこう叫んでいたのだ。

 

 『ユメ先輩が、生き返った』……と。

 

「(”……梔子ユメ。アビドスと、失われた過去”)」

 

 だが、決定的な違和感がある。

 キヴォトスに生きる生徒であるならば、例外なくその頭上にあるはずの「ヘイロー」が、あの時の彼女には見受けられなかった。

 

 ヘイローのない生徒など、この世界には存在しない。例外になりそうな存在はいたが……、あの子たちは……いや、この事は今関係ない。

 とにかく、それは彼女が”生徒ではない何か”である証左なのか。やはり、外からの脅威なのか。だが、どこか敵対的でないというか、人間らしさも感じられた。

 

「ねぇ、先生……」

 

不意に、ホシノが虚空を見つめたまま、ぽつりと呟いた。

 

「あの時……一瞬だけ見えたんだ。夜空みたいな、すごく綺麗で……でも、どこか怖いくらいに透き通った光が。」

 

 私はハンドルを握る手に力を込める。

 プラナの解析データとホシノの直感。そして私の目で見た赤い飛沫。

 

 あの場所にいたのは果たして救いをもたらす天使なのか、それとも平穏を切り裂く亡霊なのか。

 

「”……大丈夫だよ、ホシノ。まずは学校に戻って、ゆっくり休もう。”」

 

 私は彼女を安心させるように努めて明るい声で言ったが、バックミラーに映る自分の顔は隠しきれない不安に歪んでいた。

 

 

 アビドスへと続く一本道を走りながら、私は最悪の仮説を脳裏から振り払えずにいた。

 

「(”……もし、梔子ユメの遺体乗っ取った、キヴォトス外の何かだとしたら?”)」

 

 考えたくもない、悍ましい想像だ。

 それは死者に対する冒涜であり、何よりようやく過去と向き合い前を向き始めたホシノにとってこれ以上ないほど残酷な仕打ちになる。

 過去の亡霊が実体を持って現れ、その中身が全くの別人、あるいは脅威であったなら。それは救いなどではなく、アビドスに残されたわずかな平穏を根こそぎ破壊する爆薬に等しい。

 

「……先生? 怖い顔してるよ」

 

 助手席のホシノが、不安そうに私の横顔を覗き込んできた。

 私は慌てて表情を繕う。

 

「”……ごめん。少し、考え事をしてたんだ。”」

 

「……先生までそんな顔しないでよ。おじさん、もっと心細くなっちゃうよ」

 

 ホシノは無理に茶化すように笑ったが、その瞳の奥には、今にも消えてしまいそうな淡い光が宿っていた。

 ”先輩が生き返ったのかもしれない”という、あまりにも無垢で、危うい希望。

 

 ふと、私の中に一つの問いが浮かぶ。

 

 もし、本当に死人が蘇るとしたら。

 

 それは、失われた幸福を取り戻す”奇跡”なのだろうか。

 それとも世界の理を壊し、生きる者の歩みを止めてしまう”禁忌”なのだろうか。

 

 もし砂漠の底に沈んだはずのものが、形を変えて這い出してきたのだとしたら。

 大人の責任として、私は彼女を……ホシノを何から守るべきなのか。

 

「”……もうすぐ着くよ、ホシノ”」

 

 暗くなりつつある景色の先にアビドス高等学校の校舎がうっすらと見えてきた。

 

 校門を抜け、車を停めた瞬間。校舎の玄関から溢れ出した光と共に見慣れた顔ぶれが駆け寄ってきた。

 

「ホシノ先輩! 無事だったんですか!?」

 

「先生! ホシノ先輩は……!?」

 

 セリカが鋭い声を上げ、ノノミが心配そうに駆け寄る。アヤネは通信端末を握りしめたまま安堵の吐息を漏らし、シロコは無言のまま、しかし誰よりも早くホシノの傍らへと歩み寄った。

 

「……あはは、みんな揃ってお出迎えなんて。おじさん、照れちゃうねぇ……。」

 

 ホシノは弱々しく笑いながら車を降りたが、その足取りは危うい。ブラックマーケットでの激闘と、あまりにも衝撃的な「再会」が、彼女の精神を限界まで削り取っていた。

 

「ホシノ先輩、顔色がふにゃふにゃ。……先生、一体何があったの?」

 

 シロコの鋭い視線が私を射抜く。私は一瞬言葉に詰まった。

 ブラックマーケットの暴動。謎の怪人。梔子ユメのような何か。

 今の彼女たちに、どこまで話すべきか。いや、話したところで、それが彼女たちを守ることになるのだろうか。

 

「”……少し、いろいろあってね。ホシノは、すごく頑張ってくれたんだ。”」

 

 私の濁した言葉を、ノノミが優しく包み込むように遮った。

 

「今は、お話よりもお休みです。ね、ホシノちゃん?」

 

 ノノミはホシノの肩をそっと抱き寄せた。その温もりに触れた瞬間ホシノの肩の力が、ふっと抜けるのが分かった。

 

「”おいで、ホシノ。大丈夫。みんながいるから。”」

 

 アヤネも傍らに寄り添い、セリカは文句を言いながらも、ホシノの背中を支えるように手を添える。

 砂漠に沈みかけたこの学び舎で、彼女たちが築き上げてきた日常という名の絆。それが、震えるホシノの心を辛うじてこの繋ぎ止めていた。

 

「……うん。……ありがと、みんな。でもおじさん、ちょっと……疲れちゃったかな……。」

 

 ホシノは目を閉じ、仲間たちの体温に身を委ねる。

 その光景を見守りながら、私はふと暗い校庭の隅に目をやった。

 

「(”……もし、君が本当に生き返っているのなら。”)」

 

「(”なんて声をかけてあげたらいいのかな。”)」

 




[補足]
-緑髪の体
 名もなき彼が主導権を握っている間は髪型が自然にオールバックに近い感じになる。もう一人の彼女が出張るとふわっとした感じになり、アホ毛が生える。
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