From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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過ちを犯した?
だとしても償う機会はあるはずだ


63話『チャンス』

 

 色のない世界で私はペダルを漕ぎ進める。

 背中にはあの二頭身の先生がスローロリスのようにしがみついている。灰の混じる風が私の銀髪を微かに揺らした。

 

 この広大な死後の世界は、どこまでも単調で、どこまでも広い。

 ただペダルを回す足の重みとタイヤが砂を噛む音だけが私たちが前に進んでいることを教えてくれる。”無変化”はずいぶんと退屈だ。

 

「”……シロコ。昔、アビドスの海岸でサイクリングしに行った時のこと、覚えてる?”」

 

 だからこうして思い出話に花を咲かせたりしている。背中から先生ののんびりとした、少し懐かしむような声が響いた。私は前を見据えたまま小さく口角を上げる。

 

「ん、覚えてる。先生あの後、砂に足を取られて派手に転んでた」

 

「”あはは……。それは忘れてほしかったなぁ……”」

 

 先生の情けない声に、私は思わず「ふふっ」と笑みを漏らした。

 失われたはずの日常。でも、こうして先生とどうしようもない思い出話をしながら走っていると、あの透き通った日々がすぐそこにあるような気がしてくる。

 

 ……でも、現実は甘くない。

 この世界で他の誰かに会うのは砂漠で一粒の宝石を探すようなものだ。時間も、労力も、気の遠くなるほど必要になる。

 

「……先生。本当に、みんなを見つけられるかな」

 

 不意に胸の奥に溜まっていた不安が口を突いて出た。

 アビドスの仲間たち。そしてあの時消えていった、キヴォトスの全ての生徒たち。彼女たちがこの広すぎる灰色の終着点のどこにいるのか、今の私には想像もつかない。

 

「”大丈夫だよ、シロコ”」

 

 先生の声は驚くほど力強く、そして温かかった。

 私の背中にしがみつく小さな手に、ぎゅっと力がこもるのが分かる。

 

「”困っている生徒を見つけるのは、先生の仕事だからね。……私が世界一頼りになる『道標』になってみせるよ”」

 

「……ん。そうだね。じゃあ私が先生をみんなのところへ連れて行く」

 

 私はハンドルを強く握り直し、精神を引き締めた。

 疑って立ち止まるよりも今は一歩でも前に進むべきなんだ。たとえどれほどの時間がかかろうとも、失った青春を取り戻すという私たちの決意はダイアモンドより硬い。

 

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 ただペダルを漕ぎ続けていた私たちの視界に、ようやく”変化”が訪れた。

 

「……?」

 

 灰色の霧の向こうから見覚えのある、特徴的なシルエットが散見されるようになった。

 尖塔、アーチ、そして重厚な造りの壁。ゴシック様式をベースとした、荘厳で、どこか形式美を重んじるその建築群。

 

 私はロードバイクの速度を少し落とし、その景色を見つめた。

 鼓動が少しずつ速くなる。間違いなかった。この場所はきっと……。

 

「……トリニティ」

 

 ぽつりとその名前を口にした。

 

「”……シロコ。この先に、誰かがいるかもしれない”」

 

 先生の声が私の思考を現実へと引き戻す。

 落書きのような顔。でもそこには言いようのない真剣さと生徒を想う強い意志が宿っているのが読み取れた。

 

「”ギアを上げて。一気に駆け抜けるよ”」

 

「ん、分かった。任せて」

 

 私は先生の指示に従って、迷いなくロードバイクのギアを上げた。

 

 

 

 

---------------

 

 

 

 

 灰色の霧を切り裂き、シロコが漕ぐロードバイクがトリニティの残影へと滑り込んでいく。

 流れていく景色の中にふと、違和感のある動体を遠目に見つけた。

 

 目を凝らす。

 私の目に狂いはない。そこに立っていたのは長い髪を揺らし、どこか楽しげに笑う少女。

 

「”……ミカ!”」

 

 確信と共に名前を呼んでいた。

 シロコがブレーキを鳴らしてバイクを止めると同時に私は彼女の背中から飛び降りる。一刻も早く、彼女の元へ駆け寄りたかった。

 

 けど地面に着地した瞬間、もどかしさが全身を駆け巡る。

 ……ああ、この体、あまりにも足が短すぎて遅い。一生懸命に手足を動かして走っているつもりなのに、景色がちっとも前に進まない。情けない姿を晒している自覚はあるが、今はそんなことを気にしている場合じゃなかった。

 

 ミカは何やら、隣に立つ灰の人型と楽しそうに会話をしていた。

 思ったより元気そうだ。最悪の精神状態を想像していた私にとって、それは唯一の救いのように思えた。

 

「”ミカ!”」

 

 声を上げながら、ようやく彼女の足元まで辿り着く。

 ミカは私の呼びかけに気づき、弾かれたようにこちらを振り向いた。

 

「う、うぇえ? な、なにこれ……? 何か……変なのが喋った……?」

 

 ミカはかつてないほどに困惑した声を上げ、文字通り目を丸くして私を見下ろした。

 ……うん。まぁ、今の私のこの見た目じゃ、そういう反応になるのも無理はないよね。二頭身の、落書きみたいな、正体不明の白い物体。かつての先生の面影なんて、今の私には欠片も残っていないのだから。

 

「”まぁ……こんな見た目じゃ、そういう反応になるよね……”」

 

 私は小さくため息を漏らした。自分の姿ながら、なんとも説明しづらい。

 けれど、驚きのあまり固まっている彼女を見上げていると、そんな不便ささえどうでもよくなるほどの感情が溢れてきた。

 

「”でも、また会えてよかった”」

 

 心の底から、安堵の声を漏らす。ああ、安心のあまりに自分の感情を出してしまった。

 

 『色彩の嚮導者』として、あるいは非力な一人の大人として、私は全ての生徒を救いきれなかった。その負い目が色のない虚無の中でずっと私を苛んでいた。

 けど今、こうして再び彼女と視線を交わしている。それだけで、止まっていた時間が再び動き出したような気がした。もちろんシロコにも救われたけどね。

 

 本当に、また会えてよかった。

 たとえ姿かたちが変わってしまっても。たとえ隣に立つ正体不明の”灰の人型”が、ひどく不穏な気配を纏っていたとしても。

 

 私は目の前の教え子の無事を、ただ純粋に喜んでしまう。

 

 ミカの隣に佇む、その灰色の存在をじっと見上げる。

 内面の変容が外形を歪ませてしまったのだろうか。そのひび割れた体躯から漏れ出す、あまりにも空虚で静かな気配。

 

 ……ああ、そうか。そこにいたんだね。

 ”名無し”の君は。

 

 全身を走る深い亀裂。真っ暗な闇に塗りつぶされた顔。

 今の彼には、もう記憶も、自意識も、何もかも残っていないのかもしれない。ただ”歩く”ことだけをプログラムされた、過去の残滓。

 

「えっ? 何? 本当になにこれ? なんなのこれ!? 誰……いや何? 怖い、怖すぎるんだけど……!」

 

 ミカが、本気で顔を引き攣らせながら灰の人型の腕にぎゅっと抱き着いている。

 あはは、そうだよね。落書きみたいな生き物が喋りかけてきたと思ったら、そりゃそういう反応になるよね。まぁ生き物って言っても死んでるんだけど。

 

 そんな彼女の困惑を尻目にシロコがキッと音を立ててロードバイクを止め、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。

 

「”シロコ。君、以前に『名無しの彼』と会ったって言ってたよね”」

 

 私は短い手足でひび割れた人型を指差しながら、彼女に確認を取る。

 

「”これ、君が言ってた彼……で合ってるかな?”」

 

 すると、駆け寄ってきたシロコがその場にピタリと止まった。

 彼女は、目の前の灰色の塊を、まるで道端に落ちている得体の知れないものを見るような、あるいは未知の深海生物を観察するような……とにかく、これ以上ないほどに引いた目で見つめた。

 

「……何それ。知らない……怖……」

 

「”えっ”」

 

 シロコのあまりにも冷ややかな反応に、私は思わずのけぞった。

 えっ、だってシロコ、ついさっきまで”ガラクタの身体をした彼”と一緒に計画を立ててたんだよね? 協力して私を探しに来たんだよね?

 

「ん、私の知ってるのは、もっとこう……錆びた鉄屑がガチャガチャうるさい、歩く粗大ゴミみたいなやつ。こんな、しっとりした不気味な粘土細工じゃない」

 

 シロコは灰色の人型を横目で見ている。

 

「”いや、でも、ほら。気配というか……本質的な部分で、何か感じないかな……?”」

 

「……全然。先生、食べられる前にこっちに来て」

 

「”食べないと思うよ!?”」

 

 灰色の人型は相変わらず無言のままだし、ミカはパニックを加速させている。

 

 ……せっかくの再会なのに、なんだろう。この、決定的に何かが噛み合っていないシュールな空気感は。

 

「冗談は置いておいて……」

 

 シロコがいつもの平坦なトーンに戻り、呆れたように補足してくれた。

 

「彼はこっちの世界ではちゃんと人間の姿をしてた。その人じゃないよ」

 

「”えっ、そうなの?”」

 

「ん。多分、記憶の混濁のせいで姿形が変わっちゃった、別の誰か。……先生、もしかしたらこの人は生徒なのかもしれない」

 

 シロコのその言葉に、私はハッとした。

 そうか。この灰色の世界では、自己認識が崩れればここまで変容してしまう可能性があるのか。だとしたら、誰かもわからないこの存在も、等しく救わなければならない私の大切な教え子の一人なんだ。

 

 そんな私たちの深刻なやり取りを余所に、ミカが限界を迎えたように声を上げた。

 

「えっ、何を言ってるの……? 先生は……先生はこっちじゃないの? ね? 先生……?」

 

 ミカは縋るような目で、隣の不気味な灰の人型を「先生」と呼んだ。

 

「”……あっ、ミカも勘違いしてたんだね”」

 

 私は思わず、短い手で自分のを押さえた。あ、全然届かない。

 ……この世界のビジュアル、難解すぎないかな?

 

「”ミカ、落ち着いて。私が、君の知っている先生だよ。かくかくしかじか、こういう事情で……”」

 

 私は二頭身の体を精一杯動かしながら、身振り手振りを交えてこれまでの事情を説明した。死後の世界のこと、シロコとの協力、そしてなぜ私が今、子供の落書きのような姿になっているのか。

 最初は「嘘、信じられない……」と疑いの眼差しを向けていたミカだったが私と彼女の間でしか知り得ないあの頃の思い出や、二人きりで交わした話をすると、みるみるうちにその頬が赤く染まっていった。

 

「あはは! な〜んだぁ! わ、私、てっきりこの人が先生だと思って勝手に盛り上がっちゃったぁ……!」

 

 ミカは両手で真っ赤になった顔を覆い、バタバタと足を動かしながら悶絶し始めた。その姿は、かつてのトリニティで見た、感情豊かで年相応な少女のそれだ。

 

「”ミカ。……もしかして、その灰の人型に、何か変なこと言ったりしなかった?”」

 

 私が苦笑混じりに尋ねると、ミカは指の間からチラリと私を見てさらに顔を赤くした。

 

「ダメ! 聞かないで! 本当に恥ずかしいんだからぁ……! もう、思い出しただけでも死んじゃいそう……!」

 

 ミカは「ううーっ!」と声を漏らしながら、その場にしゃがみ込んでしまった。

 灰色の殺風景な街並みの中で彼女の照れ狂う姿だけが、鮮やかな色を放っているように見えた。

 

「あはは……もう、先生のばか! なんでそんな姿なのさー!」

 

 ぷくーっと頬を膨らませて、涙目で抗議してくるミカ。そのあまりの愛らしさに、私は思わず頬が緩むのを感じた。

たとえ世界が滅びても、彼女のこういう女の子らしい部分は何一つ変わっていなかったんだ。壊れていなくて本当に良かった。

 

「”ごめんごめん。でも、また君のそんな顔が見られて、私は本当に嬉しいよ”」

 

「……もう。まさか先生に騙されるなんて思いもしなかったよ」

 

 騙してはいないけど……意趣返しとして「ミカは私に騙されたんだよ」って言っておいた。

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 ロードバイクのハンドルを押し、私は三人の後ろをゆっくりと歩く。

 本当はもう少しだけサドルの上で風を感じていたかった。タイヤの回転が刻む一定のリズムに身を任せていたかったけれど、今は仕方ない。

 

 少し先では、あの二頭身の先生が短い足を懸命に動かしながら、灰色の存在に熱心に語りかけている。

 何か、かつての記憶を呼び起こすキーワードを探っているみたいだけど、相手からは相変わらず反応がない。

 ただずりずりと足を引きずる音が聞こえるだけで、私たちの言葉が届いているのか、あるいは心という器に何かを溜めることができているのかも、後ろから見ている私には分からなかった。

 

 そして。

 私のすぐ隣には、聖園ミカが歩いている。

 

「……」

 

 偽りは言わない。私は、彼女のことをはっきりと覚えている。

 色彩の嚮導者としてキヴォトスを塗り潰していたあの時。私の銃弾が、私の振るった終焉が、その命を奪った瞬間の感触を。

 私がその手で終わらせてしまった人たちの顔を、私は一人として忘れたことはない。

 

「……えっと」

 

 喉の奥が、砂を飲んだみたいに乾いて固まっている。

 隣を歩く彼女はさっきまで先生と騒いでいた時の明るい表情を少し影に潜ませて、所在なげに指先をいじっていた。

 

「あの……私……」

 

 言葉がうまく出ない。

 謝りたかった。あなたを殺してしまったことを。取り返しのつかないことをしたのだと、謝罪を口にしたかった。

 けれど、もし彼女がその時の凄惨な記憶を忘れているのだとしたら?

 私が不用意に謝ることで、無理やり最悪な”死”の瞬間を思い出させてしまったら……。

 

 あるいは。

 激しく叱咤されるだろうか。当然だ、私に彼女を責める資格なんて一欠片もない。

 

 考えるたびに、胸の奥に冷たい鉛が溜まっていく。

 ペダルを回すときのような規則正しい思考ができなくて、ただ不安ばかりが膨れ上がっていく。

 アサルトライフルのストラップを握る手に、じわりと嫌な汗が滲んだ。

 

 私は何と言えばいい?

 彼女にどんな顔をして向き合えばいいのか、今の私には分からない。

 

「もちろん覚えてるよ。あなたのこと」

 

 彼女は私と視線を合わせないまま、淡々とそう告げた。

 ドクン、と心臓が大きく跳ねる。全身の血が引いていくような感覚。

 そうだよね。忘れるわけ、ない。私があなたたちに何をしたか。あの日、どれほどの絶望を振りまいたか。

 

「あはは、ごめんね。ちょっときつい物言いになっちゃうけど……普通、自分や大事な人を……大事な人に危害を加えた人なんて忘れないよね?」

 

 全くその通りだ。

 返す言葉なんてどこを探しても見当たらない。私はただ唇を噛み締めて俯くことしかできなかった。大事なものを失う辛さは自分自身がよく知っている。それを他人に味わわせてしまった。

 

「……」

 

「……ごめんなさ……」

 

 震える声で、その一言を絞り出そうとした。けれど。

 

「でも!」

 

 彼女の強い声が私の謝罪を遮った。

 驚いて顔を上げると、そこにはまっすぐこちらを見つめるミカの瞳が。

 

「私も昔、取り返しのつかないような過ちを犯したことがあるんだ。大切な人を傷つけて……もう全部終わりだって、絶望して、自分を呪って。でもその時、先生が言ってくれたの」

 

 彼女の脳裏にも、私と同じように”あの人”の言葉が刻まれている。

 

「一度や二度の失敗で、道が閉ざされるなんてことはないって。チャンスは、何度だって作れるんだって」

 

「……!」

 

 その言葉が届いたのか。前を歩いていた灰の人型が微かにピクリと肩を揺らした。

 ミカは私の困惑を見透かしたように、穏やかに笑い続ける。

 

「それに……あなたは壊してしまったものを、今度は自分の手で直して、償おうとしているんでしょ? あなたは立派にチャンスを活かして、道を繋げようとしてる。なら……私はそれを見届けようと思うんだ」

 

「……」

 

「先生は言ってたよ。あなたは悪くない、巻き込まれただけだって。……でも、もしあなたが少しでも自分が悪いと思ってるなら。謝りたいって思ってくれてるなら……」

 

 ミカはそこで言葉を切り、いたずらっぽく片目を瞑ってみせた。

 

「その代わりに、私の大切な人を見つけるのに協力してほしいじゃんね☆」

 

 彼女は笑いかけてくれた。

 それは彼女なりの、過去の傷から学んだ”償い”の示し方だったんだ。

 胸の奥にまだ許せない気持ちや、整理できない感情が残っているのかもしれない。それでも彼女はその思いを飲み込んで、私の、私たちの道標になろうとしてくれている。

 

 不甲斐ない、と思った。

 私はきっとまだ許されていない。そして、この場で彼女は形だけの謝罪なんて必要としていない。

 

 なら、私がすべきことは一つしかない。

 言葉を尽くして許しを請うことじゃない。彼女の、あの人の思いに応えて、この絶望の果てから全てを連れ戻すこと。

 

「分かった……!」

 

 私は溢れ出しそうな熱いものを堪えて、彼女の目をまっすぐに見返した。

 

「必ず、見つけてみせる……。約束する……!」

 

 本当の償いは、きっとそこにある。

 

 

 






 シロコが悪いとかそういう話ではなくて、どちらかといえば彼女の負い目や罪悪感に関わる話です。

ミカが辛い目にあってる前話書いたのは申し訳ない……。でもこのチャンスの話につなげたかったんです。
オリ主ならいくらボコボコにしても心は痛まないけど生徒が辛い目に遭う展開は自分で書いててなんだけどきつくなってくるんですよね。
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