From outside Kivotos   作:ケトゥ毛

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不屈×不滅=不敗
最強×最恐=最凶


66話『Nell』

 

 色彩が招く異常な色の奔流が渦巻く中、状況は刻一刻と最悪の泥濘へと沈み始めた。

 

「またかよ」

 

 かつてミレニアムを恐怖に陥れたあの怪物の再来。ネルの苦々しい呟きは現場にいる者たちの絶望を代弁していた。

 

「ヒヨリさん! その白く清い幼子を今すぐあの壊れた異形に差し出してください! そうすれば元に戻るはずです!」

 

 ヒマリが車椅子の上でいつもの余裕をかなぐり捨てて叫ぶ。

 

「え、えぇぇええ!? こ、この子をあっちの化け物に放り投げろってことですか!? 無慈悲です、人生よりも無慈悲すぎますぅ!」

 

 腕の中のアベルをぎゅっと抱きしめ、ヒヨリは悲鳴を上げた。

 ヒマリの予測は、過去の事例に基づいた極めて合理的なものだった。人格の表層たる『Null』が、その存続のために失われた核『アベル』を最優先で回収し、自己を再統合しようとするのはプログラムがエラーを修復しようとするのと同義。

 

 ……だが。

 

 歪んだ異形、Nullはヒヨリの抱える自身の核には目もくれない。

 空洞の眼孔から除く無数の瞳はただ一点を凝視している。

 

「どうやらあの子供には興味がないみたいだけど……。ヒマリ、計算が外れたのではないかしら」

 

 リオが僅かに声を震わせて耳打ちする。

 

「そんなはずは……。」

 

 ヒマリが困惑に眉を寄せた。

 怪物がその空虚な視線を注いでいる先。それは、二丁のサブマシンガンを構え、全身の筋肉を強張らせている”最強”の掃除屋だった。

 

「お、おい……なんであたしの方を見てくるんだ?」

 

 ネルの頬を冷や汗が伝う。

 彼女は覚えている。この存在は、力による打倒がほぼ不可能であることを。そして他者の精神や肉体に憑依し、その者の存在そのものを内側から食い破って乗っ取ってしまう悍ましい寄生者であることを。

 

「お、おい! どんどん近づいてくるぞ!」

 

 言葉の代わりにギチギチと不快な音を立てながら、怪物が間を詰めてくる。ネルはサブマシンガンを乱射し、その脚部を吹き飛ばしたが、破壊された端から灰色の泥が沸き立つように再生していく。

 

「ネル! 一旦引くべきだわ!」

 

 リオの警告が空を切るがすでに手遅れだった。怪物の輪郭が突如として形を失い、爆発的な勢いで灰の煙へと変貌する。それは物理的な衝撃を伴わず、意思を持つ意思を持つ暗雲となってネルの全身を容赦なく包み込んだ。

 

「あぁ!? ふざけんなまたかよっ!!」

 

 ネルの絶叫が霧の奥に消える。

 視界を塞ぐほどに濃密な粉塵。リオが「ネル!」と悲鳴に近い声を上げたが、返ってくるのは不気味な沈黙だけ。また、あの悪夢が繰り返されるのか。最強の掃除屋の身体が奪われてしまうという痛手を負うのか。

 

 ヒマリは車椅子の上で指を組み、冷徹に、かつ高速で現状を分析する。

 

「(Nullが核を無視して器を選んだ。自己修復よりも自己拡張を優先したというのですか……? ならば、今の彼女の精神は……)」

 

 その時、灰の霧の中から声が漏れ出した。

 

{はハハは……

 

 悍ましいノイズが混じっている異様な声色。

 

……なんだか知らねぇが、体の調子が良い。最高の気分だァ……!]

 

「ネル……?」

 

 リオが違和感に目を見開く。身体を奪われた際のような不安定さも壊れたような歪さもなかったからだ。

 

おっしゃあ! ぶっ壊してやるよ!}

 

 潔い叫びとともに、停滞していた霧が勢いよく爆圧で吹き飛ばされた。

 中心に立っていたのは変わり果てた姿の、だが紛れもない”最凶”の掃除屋。

 

「ネル……!? まさか、貴女本人なの!?」

 

 リオの驚きも無理はない。ネルの目元には灰色の仮面が張り付き、短かったはずの髪は足元まで伸び、その先端は陽炎のように半透明に透けて揺らめいている。手にしたサブマシンガンのチェーンには血管のような触手が絡みつき、まるで獲物を求める蛇のようにうごめく。

 

 ネル本人なのか、それとも身体を支配した『Null』がその闘争本能だけをなぞっているのか。

 今の彼女からはそれを判別するための理性は感じられない。リオの呼びかけに一瞥もくれず、ただ目の前の獲物へ向けて一直線に爆走する。

 

 対する色彩の人型も、その脅威に呼応するように変質した。

 歪んだ影の中から引き出されたのはショットガンと、重厚な防弾盾。その武装のシルエットを認めた瞬間、後方に控えていた黒スーツが裏返った声を上げた。

 

「あれはまさか……『暁のホルス』!?」

 

 その名が示すのはかつてアビドスを支えた比類なき戦神の残影。

 灰色の仮面と異形を纏った最強の掃除屋と、色彩によって招かれた砂漠の守護神の残滓。

 

 死後の静寂に包まれた荒野で本来交わるはずのなかったキヴォトス最強同士の激突が、今まさに幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

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 二つの侵された最強が色のない静寂を爆音と硝煙で塗り潰していく。

 

 色彩の人型はかつて名もなき存在が対峙し、その命を絶つことでしか止められなかった暁のホルス……ホシノ*テラーの残影であろう。理性を剥奪され、色彩の操り人形と化したその個体は防弾盾を核とした堅牢な防御とショットガンの圧倒的なストッピングパワーを軸にする。巨盾を構えたまま地を滑るようなアクロバティックな重機動を見せ、一撃必殺の制圧圏を形成していた。

 

 その高耐久・高火力の要塞を打破すべく、異形の姿となったネル……ヒマリがネル+Nullで『Nell』と大真面目に命名したその存在は、重力を無視した超高速の立体機動を展開する。

 

 サブマシンガンに絡みつく触手状のチェーンを、ある種のスイングワイヤーとして自在に操り、周囲の崩れたビルの残骸や瓦礫を支点に跳躍。その動きはさながら『ニューヨークの親愛なる隣人』か、『巨人を屠る人類最強の兵長』のような変幻自在の軌道を描く。

 

「……信じられない機動性だわ」

 

 リオはモニターもなしにその戦闘を冷静に脳内で数式化し、分析を続ける。

 

「物理的な質量保存の法則を無視している。あの灰色の霧を噴射剤として利用し、空中でのベクトルを強制的に変更している……それだけじゃない。放たれた弾丸さえも意思を持っているわ」

 

 リオの指摘通り、Nellの放つ弾丸は灰色の尾を引きながら暁のホルスの盾の隙間を縫うように追尾し、その身体を的確に削り取っていく。

 

「(これは”彼”が元は何億もの意思の集合体であることに由来しているのでしょうか?)」

 

 とヒマリは考察する。

 

 暁のホルスは接近戦での一撃を狙い、Nellが次なる足場にしようとした巨大な柱をショットガンの零距離射撃で粉砕。支えを失い、空中で体勢を崩したNellへ向けて盾による突進、シールドバッシュを仕掛ける。

 

 だが、Nellは失速するどころか、空中で独楽のように回転し、鋭い蹴りの連撃へと即座に移行した。

 

ははっ、いいぜぇ! 最高だァ!}

 

 その一撃は、ネル本来の直線的な破壊衝動に加え、どこかあの名無しの存在がかつて見せたような、荒々しくも無駄のない格闘術の気配が混ざり合っている。

 

「二人の戦術特性が、驚くほど高い次元で同期していますね。荒々しい『闘争本能』と、それを支える『効率的な殺意』……最悪かつ最高の相性と言えるでしょう」

 

 ヒマリがそう呟いた瞬間、Nellの回し蹴りが暁のホルスの盾を激しく叩き、荒野に金属が拉げる轟音が響き渡った。

 

 だが、その程度で沈む『暁のホルス』ではない。

 本来の理性を失っていることは戦術的な柔軟性を欠く要因ではあるが、代わりに従えたのは『恐怖』に由来する底知れぬ力。その一撃一撃は因果を歪めるほどの破壊力を持ち、防御すら概念的に無効化する。

 

 ホルスはNellの連撃を盾で受け流すと、不自然なほどの制動で行動を急転換させた。Nellが次の一撃を繰り出そうとした刹那、予測不能なタイミングで懐へ潜り込み、回避不能な至近距離からショットガンの銃口をNellの顔面へと突きつける。

 

 轟音。全てを屠る無慈悲な散弾が Nell を真っ向から撃ち抜いた。

 

「いけません! 回避してください!」

 

 ヒマリの警告は爆音にかき消され、Nell の頭部は衝撃で激しくのけぞる。

 

「ネル!!」

 

 叫んだリオの瞳が、直後に信じがたい光景を捉えた。

 

 死後の世界において、神秘の後ろ盾を持たない者の肉体は脆弱だ。だが、その致命的な欠損を”既に壊れた存在”たる Null の不滅性により不気味な速度で再生されてゆく。

 

{ハハはッ! 効かないねぇ! だが今のは流石に痛かったぜぇ!?

 

 Nell はニッと、悪意と愉悦が混ざり合ったような笑みを浮かべた。額に穿たれたはずの空洞が、灰色の霧を噴き出しながら瞬時に塞がっていく。

 怯むどころか、Nell は空中で身を翻すとサブマシンガンに絡みつく鎖を鞭のように振るい、ホルスの巨盾と銃口を同時にパリィ。そう、弾いて見せたのだ。

 

 鋼鉄を弾く鋭い音が響き、ホルスの姿勢が大きく崩れる。そこに鎖がホルスの身体に巻き付き、拘束。

 Nellは勢いよくその鎖を使って急接近、重力と加速を味方につけた膝蹴りへと移行。

 伝説的なムエタイの戦士が放つという、コブラの鎌首の如きしなりを持った膝蹴り『コブラ・ソード(変則テン・カウ)』が、ホルスの無防備な頭部を射抜く!

 

[っしゃあ! コブラ・ソードッ!

 

 しかし、ヒマリは冷徹な分析を止めない。概念の塊であるホルスに対し、いかに技が冴えていようと打撃だけでは効果が薄いのではないか……そう危惧した瞬間、リオが何かに気づいたように声を張り上げた。

 

「違うわ! あの蹴りは単なる格闘術じゃない!」

 

 リオの奥で、戦況のデータが火花を散らす。

 

「鍛え抜かれた肉体の上に”未知のエネルギー”を乗せた『最恐の蹴り』なんだわ!」

 

 そう、それはただの蹴り技ではなかった。

 Nell の一撃には、神秘や恐怖といった概念的な防御層に直接干渉し、強制的に存在を削り取る『性質』由来の定数ダメージが乗っている。

 

 ヒマリはその事実に気づき、思わず感嘆の溜息を漏らした。

 

「……成程。武の極致と概念の侵食を掛け合わせた、文字通りの『絶対的存在』への反逆というわけですか。ふふっ、悪くないどころか、最高に理不尽な解答ですね!」

 

 Nell の膝が食い込んだ瞬間、ホルスの身体からどす黒い『恐怖』由来の霧が、鮮血のように激しく噴き出す。

 

「いける! いけるわ! そのままやってしまいなさい! ネル……いえ、『Nell』!」

 

「そうです! いけーっ掃除屋の娘! あなたは無敵のメイド女!」

 

 灰色の荒野にリオとヒマリの場違いなほど熱を帯びた絶叫が響き渡る。ミレニアムの最高知性たちが、もはや一人のファンとしてなりふり構わず拳を振り上げる光景。

 

「これ……私たち、いらないよね」

 

「うん……」

 

 その後ろであまりの熱狂についていけなくなったミサキとアツコが、武器を抱えたまま静かに呟く。

 

 戦場では、Nellの攻撃が完璧なまでの『理不尽』となって理不尽(ホルス)を追い詰める。

 恐怖を強引に削り取る『性質』の乗った重い蹴り。逃げ場を完全に封じる全自動追尾の連弾。そして、相手の思考の先を行く変幻自在の裏かき。

 その全てが歯車のように噛み合った瞬間、無敵を誇ったホルスの防壁に決定的な綻びが生じる。禁断の隙、二度打ちの好機。

 

「今よ! Nell! やってしまいなさい!!!」

 

 リオの号令が飛ぶと同時に、Nellの身体が独楽のように鋭く捻り込まれる。

 『軽やかさ』、『しなやかさ』、『力強さ』を兼ね備えた脚。そこに『未知のエネルギー』。格闘術の武の極致、説明不能のオカルト技。大きく体をひねり、それが放たれる!

 

 武の極致と、概念を塗り替える未知の力。

 その両者が螺旋となって一点に集束していく。

 

 幻 突 ッ ! ]

 

 Nellの打撃から放たれた衝撃波が、数メートルの距離を瞬時に飛び越える。存在そのものを貫く未知の質量に他ならない。

 

 激突。

 

 声もなくホルスが、その身体を大きくくの字に曲げて吹き飛んだ。そして戦闘不能になる。

 

「か、勝ったの?」

 

「やったぁぁ! 勝ちましたよぉ!」

 

 気づけばヒヨリまでもが、いつの間にか拳を振り上げ、歓喜の声を上げる。

 

「あれ? ヒヨリ、あの子供は?」

 

 ミサキの冷静な指摘に、ヒヨリは自分の腕の中がいつの間にか空っぽである事実に気づく。

 

「あれ? そういえば……」

 

 慌てて周囲を見渡せば、真っ白な幼子はすでに数メートル先にいた。倒れ伏したホルスの元へ向かい、おぼつかない足取りで、てちてちと歩いて行く。

 

「あれぇ~~!?」

 

 ヒヨリが慌てて追い、捕まえようとする。だが幼子は一歩早くホルスの元へと辿り着いた。小さな、あまりに無垢な腕が伸ばされ『恐怖』に侵されどす黒く変色したその頭を、優しくぎゅっと抱きしめる。

 その瞬間。白く小さな光が幼子の胸から一際強く溢れ出し、波紋のように広がっては儚く消え去った。

 

……あれ……私は……一体……

 

 混濁した呻きが、ホルスの……いや、色を失いながらも正気を取り戻したホシノの口から漏れる。

 役割を終えたのか、白い幼子は静かに立ち上がり、そのまま Nell の方へと振り返った。

 

[あ、れ……なん……だ……}

 

 Nellの口から、人格の残滓があふれ出る。

 同時に、彼女の身体を覆っていた灰の煙が急速に霧散を開始した。仮面は砕け、伸びた髪は粒子となって消えていく。元の姿に戻ったネルは、糸が切れた人形のようにその場へぐったりと倒れ込んだ。

 

 漂う灰の粉末は今度は幼子を包み込み、渦を巻いて一箇所へと収束していく。

 霧が晴れた後に残されていたのは、元の姿に戻り、頭を抱えながらうずくまる名もなき存在の背中だった。

 

「うぅ……頭がいてぇ……。一体、何があった……?」

 

 彼は頭を抱え、四つん這いのまま苦悶の声を漏らす。

 

 幼子が成した理屈を超えた謎の御業。

 その光景を網膜に焼き付けたヒマリは、どこか満足げに、そしていつものように尊大な笑みを浮かべて言い放つ。

 

「ふふっ。驚くには当たりません。子供とは、無限の可能性を秘めるものですからね。」

 

 その誇らしげな横顔は、あたかも自分の計算通りであったかのような余裕に満ちている。

 

「……そういう直接的な意味ではないと思うのだけど」

 

 リオは独り言のように呟いた。

 

 混乱と静寂が入り混じる中、リオはただ再び元の姿に戻って呻く名もなき存在と、正気を取り戻したホシノの姿を交互に見つめていた。

 

 

 




[補足]
-Nell
 ネル+Null。最強×最恐。一応ネルが主導権を握っているが、肉体はNullが一部勝手に動かすことで精度と対応速度を上げている。こうなっている間は若干精神状態が荒ぶる。鎖や弾丸も自由自在に動かせるようになっているために機動力がとんでもないことになっている。
 実は体の見た目も少し成長したような見た目になっているのだがそれはまた別の話。
 

-Null
 おそらく敵を前にした状態で分裂が起きたので、“自分を取り戻す”という目的よりも“目の前の相手を対処する”という目的意識が強く刷り込まれた結果、今回のような行動に繋がったのだと思われる。
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