「……よし。これで準備はすべて整ったな」
『ナラム・シンの玉座』に、名無しの低く通る声が厳かに響き渡った。
彼の周囲には、トリニティ、ゲヘナ、ミレニアム、そしてアビドスやアリウスなど、各学園の主要メンバーや代表たる少女たちが一堂に会している。その圧倒的な大所帯を鋭い視線で見渡しながら名無しは言葉を続ける。
「俺はアリスと協力して、ここにいる全員分の『生前の肉体』、それと各々が使っていた各種兵器のすべてをこの空間に再構成しておいた」
彼はそう告げながら、自身のすぐ横で誇らしげに胸を張っているアリスの頭を撫でた。よくやった、と褒めるようなた仕草だ。
「パンパカパーン! アリスは復活呪文……いえ、設計図通りに『3Dプリンター』の役割を完璧にこなしました! これでいつでもゲーム再開、現世へのリスポーンが可能です!」
アリスが嬉しそうに声を弾ませる中、少女たちの視線は、自然と名無しの背後へと向けられる。
そこに広がっていたのは、言葉を失うほどに奇妙で、かつ圧倒的な光景だった。
山のように積み上げられたかつて彼女たちが愛用していた銃火器や戦車、ミサイルポッドといった重火器の群れ。そして何より異彩を放っていたのは、その兵器の山に混ざるようにして、まるで魂の抜けた人形のようにぐったりと折り重なって倒れている、大勢の生徒たちの『肉体』であった。
顔色一つ変えず、ぴくりとも動かない自分たちの精密な身体。衣服から髪の毛一本に至るまで完全に再現されたその生々しい肉体の山を前にして、集まった生徒たちの間に、得も言われぬ不気味なざわめきが広がっていく。
「ふ、不純……! 破廉恥! こんな大人数の女の子の身体を勝手に作るなんて……これって、その……エッチなのはダメ! 死刑っ!」
人混みのどこかから、顔を真っ赤に染めたコハルが、自身の羽をバタバタと激しく羽ばたかせながら必死に抗議の声を上げた。しかし、そのあまりにも的外れでいつも通りの叫びに対し、周囲からは「え、エッチ……?」という、引き気味の困惑した呟きが小さく漏れ聞こえるばかりだった。
名無しはコハルの硬直した叫びを完全にスルーし、重要な事実を補足するために言葉を続けた。
「一応、勘違いしないように釘を刺しておくがな。ここにいるシロコ以外、あんたらは全員一度『死んでる』んだ。だからそのままじゃ、あの境界を越えて現世に出ることはできねえぞ」
彼は倒れている肉体の山を親指で示し、冷淡に、だが確実な事実として現状を突きつける。
「今の俺たちはただの精神体、いわば剥き出しの魂だけの状態だ。あっち側に移る前にそれぞれ自分の体の中に入っておけよ。ちゃんと色々を生前と寸分違わず合わせてあるから違和感はないはずだ」
あまりにも事も無げに、まるで衣替えでも勧めるかのような軽い口調で「自分の体に入れ」と言い放つ名無し。その行為の深刻さと、場に漂うあまりにもお気楽な空気感のギャップに白ハゲが、その平らな体を大げさにのけぞらせて震わせた。
「“みんなの体をそんな服みたいに手軽に……。やってる行為のえげつなさに比べて、雰囲気がいくら何でも軽すぎないかい……!?”」
「まぁテンポよくいったほうがいいだろ」
先生のツッコミに名無しがはたまた軽く返す。
その時。
車椅子の駆動音を小さく響かせながら、ミレニアムサイエンススクールが誇る最高頭脳の一角が、静かにこの円陣の前へと進み出てきた。
彼女は、息を整えるように小さく咳払いをすると、いつものようにどこか楽しげな、それでいて絶対的な自信に満ちた微笑みを浮かべた。
「ミレニアムの清楚な高嶺の花であり、みなさんの憧れである『全知』の学位を持つ眉目秀麗な乙女であるこの私、明星ヒマリが、この麗しき団円の前に立たせていただきます。では先生、そして名無しさん。ここからは、ミレニアム最高の天才清楚系病弱美少女ハッカーである私の方から、これから私たちが進めるべき主要な目的について、簡潔かつスマートに説明させていただきますね」
車椅子の肘置きを優雅に指先でトントンと叩きながら、彼女は視線だけで周囲の技術者たちに合図を送った。
「私がリ……おっと失礼、知り合いの方ややヴェリタスの優秀な後輩たちと協力してこのデータを分析した結果、現世との境界を汚染している『二体の打ち倒すべき個体』の反応が明確に検出されました」
ヒマリが手元の端末を軽く操作すると、名無しが再構成した資材を組み合わせてミレニアムの生徒たちが突貫で組み上げたホログラム投影機が、不気味な暗黒の空間に鮮やかな立体図解を描き出した。
光の粒子が形作るのは、先ほどシロコが境界の向こうで目撃した、赤と黒に引き裂かれた悍ましい空の縮図だ。
「まず一つ目は、この赤く染まった極彩色の領域。おびただしい数の負の反応が一つに結集し、際限なく分裂と膨張を繰り返しながらうごめいている巨大なエネルギー体です。ミレニアム最高の超天才美少女である私が、この怪物を個体名『Agony』と呼称することにさせて頂きます。」
アゴニー。苦痛。投影されたホログラムの中で、赤く爛れた『黒い太陽』のシンボルが不気味に明滅する。
集まった生徒たちがその禍々しい光を凝視する中、ヒマリは続けて、もう片方の影を指し示した。
「そして次にもう一方の反応ですが……こちらは先ほどのものとは完全に対照的ですね。どす黒い曇天の奥底で、今にも消え入りそうなほどに孤立した小さな反応。これを個体名『Nihilism』と呼称することにしましょう」
ニヒリズム。虚無主義。シロコが「名無しと同じ気配がした」と評したその個体のデータを、名を得た者は目を細めて睨みつけた。
「ふふっ。天才美少女ハッカーの真髄による高度な多角分析ですので、ネーミングセンスへの異論は受け付けませんよ? さて、ここからが本題です。これら二つの脅威に対し、私たちが持ちうる限りの戦力をどのように割り振るべきか、全知の学位を持つ私が完璧な必勝のグランドロジックを組み立てておきました」
ヒマリはホログラムの図解をいくつかのセクターへと分割し、光のラインを流していく。
「まず、大量の個体の集合体である『Agony』。こちらは分析の結果、際限のない『数』による物量作戦を仕掛けてくる可能性が極めて高いと踏んでいます。これに対抗するためには、こちらも圧倒的な手数が求められます。ですから……私や先生がこれまで回収してきた、各学園のほとんどの生徒、および名無しさんが用意してくれた戦車やミサイルポッドなどの重火器、全ての兵器戦力はこの『Agony』の討伐に全集中するべきでしょう。文字通りの総力戦です」
彼女の理路整然とした説明に、ゲヘナの風紀委員会やトリニティの正義実現委員会、あるいはミレニアムのセミナーの面々が、それぞれの武器を握り直して深く頷いた。動かせる最大戦力を一堂に投入し、数の暴力を上から叩き潰す。極めて合理的で、反論の余地のない作戦だった。
「そして……もう一つの、問題の個体なのですが……」
そこで、ヒマリは急に声を落とし、少しだけ言葉を区切った。
「こちらは生徒“以外”の存在でなければ対処が不可能であると判断しました」
そのあまりにも奇妙でかつ不穏な告白に、空間の温度が一段と下がったかのような静寂が広がった。
向かい側でトリニティ総合学園の代表としてこの場に立つ桐藤ナギサが、美しく整えられた眉を微かにひそめる。
「生徒以外、ですか……? 一体どういうことなのでしょう、ヒマリさん。私たちキヴォトスの生徒では、その『Nihilism』とやらに刃が立たないと?」
「えぇと……稀代の超天才美少女さん、詳しい事情をおじさんたちにも分かりやすく教えてもらえるかな?」
ホシノがいつもの気怠げな調子を装いながらも、オッドアイの瞳の奥に鋭い光を宿して尋ねた。
ヒマリはホログラムの黒い曇天のデータを拡大し、そこに表示されたいくつかの異常な数値を指し示す。
「ええ。全知の学位を持つ私が導き出した結論です、疑う余地はありません。分析の結果、おそらく『Nihilism』という個体は、私たちが持つ『神秘』……特に、このヘイローに対して極めて高い特効性能、いえ、明確な『殺意』を持っていると思われるのです。無闇に生徒が近づけば、現世に戻って間もなくヘイローを破壊される可能性があります。ですので再びの死を避けるためにも、この個体への対処は……」
ヒマリは一度言葉を切り、並んで立つ二人の姿をまっすぐに見つめた。
「ヘイローを持たない外側の異物である名無しさん、そして『名もなき神々の王女』としてのバックボーンを持つ勇者アリス。この二人が、作戦の主な要になるでしょう」
これまた衝撃的な告白に、集まった各学園の少女たちの間で、先ほど以上の大きなざわめきが巻き起こった。ヘイロー特効というどこかで聞いたことのある最悪の性質。そして、それを迎え撃つのが、本来部外者の異物と、ゲーム開発部の小さな少女であるという事実に誰もが息を呑む。
「もちろん、お二人だけにすべてを丸投げするような無責任なことはいたしません。ミレニアム最高の、そして全宇宙で最も慈愛に満ちた清楚系天才ハッカーである私や、一部の優秀な技術者たちで、お二人のための専用兵器の構築、および後方からの全面的な情報支援を行う予定です」
ヒマリは誇らしげにそう締めくくった。
これで戦線の構築は決まった。実質的に『Agony』を迎え撃つキヴォトス全生徒の大軍勢と、『Nihilism』の元へと殴り込む名無し・アリスの少数精鋭部隊。ミレニアムとその他の学園という形で、戦力は大きく二つに分かれることになる。
「……まぁ、そうなるか」
周囲の喧噪を他所に、名無しはバールを肩にトントンと叩きつけながら、淡々とその事実を受け止めた。驚きも、恐怖もない。ただ、自分の本質がどこにあるのかを理解している者の、冷徹な納得だけがそこにあった。
「正直言うとその『Agony』とかいう化け物のほうは多分、逆で俺とは絶望的に相性が悪い。だからシロコ、先生。そっちのデカいほうは頼んだぞ」
名無しはそう言うと、もう一方の化け物の討伐を二人に託した。
託された二人は、互いの顔を見合わせることもなく、同時に前を見据えて声を重ねる。
「ん、任せて。」「“うん! 任せて!”」
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しばらくして。
数え切れないほどの硬質な金属音が幾重にも重なって響き渡り始めた。
各学園の生徒たちが一斉に銃火器を携え、弾薬を次々とマガジンへ装填し、戦車やヘリのエンジンが咆哮を上げる。生前の肉体を取り戻した彼女たちは、それぞれの武器の感触を確かめるように肩を鳴らし、現世へと続く出口の前に堂々と並び立っていった。
その軍勢の先頭で、二頭身の白い体が頼もしく、かつてないほど引き締まった声を響かせる。
「“さて……それではみんな、出発と行こうか!”」
その号令に呼応して、地鳴りのような足音が響き出そうとしたその瞬間。
隊列の最後尾に向かおうとしていた名無しが、ふと足を止め、すぐ近くにいたシロコの背中に向けて「おい」と短く声をかけた。
「ん……? 何?」
シロコが足を止め、不思議そうに振り返る。名無しは少しだけ決まずそうに頭を掻きながら自身の懐から『あるもの』を丁寧に引き出した。
「すまん。色々あって、返すのが随分と遅くなっちまった。これを返しておく。多分、元々はあんたのものだったんだろ」
差し出されたのは水色を基調とし、紺色の十字線が入ったあの見覚えのあるマフラーだった。
「私の……!!」
シロコは大きく目を見開き、その瞳を歓喜で輝かせた。あの日、世界が滅び、何もかもを失ったあの大砂漠で、どこかへ失くしてしまったはずの、かつて先輩から受け継いだ大切なアビドスの絆。それが今、目の前の戦友の手によって、奇跡のように彼女の元へと帰ってきたのだ。
「ありがとう……っ。本当に、ありがとう……っ」
「気にするな。道具は持ち主のところにいるのがいい」
名無しがぶっきらぼうに鼻を鳴らした、その時。
「あっ、そうだ。私も」
シロコはハッとしたように何かを思い出すと、自身の傍らに展開した色彩の異空間へと手を伸ばし、そこから引き抜くようにして『それ』を取り出した。
空間を割って現れたのは武骨で、まるでただの鉄板を強引に削り出したかのような、およそ洗練さとはかけ離れた武器とも呼べぬ鈍器、あの“鉈”だった。
「それは……!!」
今度は名無しが、その隻眼を驚愕に大きく見開く番だった。
死と共に喪失していたはずの一度も折れたことのない道具。
二人はそれ以上、多くを語る言葉を持たなかった。ただ無言のまま、互いがかつて失くしたはずの大事な遺物を、そっと手渡すように交換し合う。
シロコは愛おしそうにその水色のマフラーを首へと巻き直した。
名無しは鉈の柄に無造作に巻き付けられた小汚い包帯を強引に、かつ力いっぱいに締め直し、そのまま背中へと背負い込んだ。
「これで貸し借りは無し。Win-Winな物々交換だな。」
彼はそう言いながら口角を上げた。
首元に馴染む懐かしい温もりを感じながら、シロコは好戦的に口角も上げる。
「ん。必ず勝ってみせる」
「ああ。」
彼は脳裏にはあの地下から濁り切った曇天の世界へと歩き出したあの日がフラッシュバックしていた。
『透き通った青空』を取り戻すため。
『エデン』を目指し続けるため。
生に貪欲な愚か者たちは行進する。
[補足]
-『Last man standing』
ニルという記号を得た名無しの固有武器。この先決して誰も知ることのない道具の持つ記号。折れぬ不屈を体現している。
鉈と呼称される決して折れることのない金属片。これは持った者は肌身離さず所持している限り何があろうとも生き延びる運命にある。そういう特殊能力ではなくルーチン。いくら痛めつけられようと、苦められようと必ず生き残る。自分以外が全て死に絶えようとも。
-名無し(ニル)
現在は肉体を得ている。ただ左目は完全に失明しており瞳が消失、白目だけになってしまった。
傷は受け入れた。