シルキー・ブランケットの魔術師録   作:シルキー・ブランケット

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第1話

1921年5月14日。私、シルキー・ブランケットが英国より渡米してから三ヶ月程が経ったある日の事だ。

ボストンのお世辞にも綺麗とは言えないアパートの一室から、通りを行き来する人々を見下ろしホットドッグをかじる。それを不味いコーヒーで流し込むと、買ってきたばかりの新聞に目を移し私は仕事を探し始めた。親の金で留学している身分で困ることはないが、何となく今日はそうした方が良い気がしたからだ。

しばらくそうしていると、とある広告に気を引かれた。

 

『銀の黄昏錬金術師会 会場設営助手求む カール・シャルンホルスト ピックマンストリート アーカム まで』

 

小さく載せられた個人広告。それに妙な魅力を感じた。如何わしい名前のせいだろうか。無性に目を奪われる。

気が付くと、私は受話器を上げて電話交換手に彼の名前を告げていた。私の人生が馬鹿みたいに狂った瞬間だった。

 

「やぁ、おはよう。こちらカール・シャルンホルスト。広告の件かな?」

 

電話口から40代くらいの男の声がした。恐らくドイツ語訛り。自信に満ちた声色と、その独特な抑揚からは圧倒的で、支配的な人間であることが感じられた。

一方で、この男の声には安心感があった。たった挨拶ばかりのやりとりながら、なかなかどうして、力のある言葉を発する人間だと察することが出来る。恐らく、私が持つ洞察力とは関係なく、誰もがそう感じるだろう不思議な声色だ。

私の好奇心はこの男を知りたがっていた。

 

「えぇ、その通りです。仕事を探していまして。私は16歳ですが雇って頂けますか?」

 

「あぁ、結構結構、広告を見てもらえたなら十分だ。では明日、アーカムの私の屋敷に来てくれたまえ。ピックマンストリートの最も大きな建物がそれだ。周りは木々に囲まれているから外から見えにくいが、君なら見つけられるだろう。では、よろしく」

 

そう告げると、彼はガチャリと電話を切った。一方的だ。こちらの返事も質疑もまるで聞くつもりがない応答であったが、不思議と不満はなかった。どころか、私はすっかり明日の朝、アーカムのピックマンストリートとやらに行くつもりだった。

ただ、私は湧いて出た気力と共に記憶の泉が濁るのを感じていた。拭い様の無い違和感。アーカムは名前すら聞いたことがない町のはずだ。なのに私はその名前をあたかも知っていたかのように…懐かしさすら感じている。そこへの行き方がわかってしまう。有り得ないことが私に起きていると、朧気な理性の奥で本能が警鐘を鳴らしているようだった。

 

私はいつ、どこで、どのように、何を知ったかを全て覚えている。逆に言えば、人生で我が身に起きた殆どの事について、忘れることが出来ない。そう言う体質なのだ。才能かもしれないし、疾患なのかもしれない。が、それは重要じゃない。

肝心なのは、その私がアーカムへの行き方をいつ知ったのか思い出せない事にある。ずっと前に知っていたように感じるのに、それがいつのことか思い出せないのは私にとっては明らかな異常だった。

 

後になればこそ思う事が一つある。

もし私が常人ならば、この事には気付きもしなかっただろう。類い稀な性質を持つ故に、私は知らず、あの男の持つ魔力を打ち破る切欠を得ていた。確実な記憶、大いなる好奇、天性の洞察が味方していた。体質と、性格と、習性によって、理性が守られようとしていたのだ。

強大な魔術師による魅了の魔術から無意識のうちに僅かだけ抜け出していた。

 

不可思議に捩じ込まれた覚えの無い知識。無条件に受け入れてしまいそうな声。認知の外の理不尽が我が身を焼いているのは疑いようもなかった。かの男は間違いなく常識外の人間だと、そう確信していた。

 

だが、果たして私は、この魔術を打ち破るべきだったのだろうか。

この日の私の運命は、幸運であり、過ちでもある。私は望まぬ物語の主人公になってしまったのだ。

 

----

 

一方その頃、ボストンのあるカフェで。

 

「遅いわね、ビリーの奴」

 

アレクシア・カーシュナーは向かいに座る男に愚痴を投げつけた。

腰ほどに伸びた燃えるような赤毛を揺らし、ジョッキの牛乳を飲み干すと深いため息をつく。

 

「まだ5分過ぎたばかりだよ、カーシュナーさん。ランチにも早い時間だし、ゆっくり待ちましょう」

 

男はそう言うと、それまで読んでいたであろう小説から目線を外して微笑んだ。眼鏡の向こう側、青い目が印象に残る優男だ。

 

「好い人ね、ミスター。あのバカにも貴方の誠実さを分けてやりたいわ」

 

「分ける程のものではありませんよ。もし退屈なら、どうぞ」

 

そう言うと、男は本を差し出した。アレクシアがむすっとしながらそれを受けとると、彼はまた一つ微笑んで、今度は首から提げていたカメラを磨き始める。

 

「良い本ですよ。時間を無駄にしなくて済む」

 

「ありがとう、ミスター。本当に好い人ね」

 

アレクシアは諦めて頬を弛ませる。向かいの好青年に何を言っても、相棒の遅刻はどうにもならない。いつものことなのだ。それだけに、何時も通り機嫌を損なって見せた自分を何となく恥じた。

そんなアレクシアの内心を知ってか知らずか男は爽やかにはにかんだ。真中で分けられた二房の金髪がさらりと流れる。

 

「カーシュナーさんはBOIでしたね。州を跨いでの仕事と言うのは大変では?」

 

「えっと、そうね…その通りとも言えるし、そうでもないとも言えるわ」

 

アレクシアはそう言って、ホットミルクの入っていたジョッキに手を伸ばした。が、それが空だと思い出し溜め息をつく。

 

「確かに私達、捜査局は司法省の直轄だから州という枠組みから外れているようだけど、結局はどこかに居を構えるわけだから、そこまで飛び回ってはいないわ。特に先の大戦から後は人員も増えたし」

 

「なるほど、そうでしたか」

 

「まぁ、その分質も落ちてるって聞くけどね。フーヴァー……いえ、副長官はよくそのことを嘆いてるそうよ」

 

それが事実かはさておき彼女は大いに悩んでいた。あのだらしなく尊大不遜な同僚は、捜査官の質を問うならば劣悪の一言だ。電車や清掃員が遅れてくるのと同じ感覚で、或いはそれ以上に…もしかすると時間そのものを理解していないのかもしれない。兎に角、横暴で下品で粗野だ。と、そんなことを考えていた。

一通り気を滅入らせてから、やはり諦めてアレクシアは受け取った本に目を落とした。

 

「トム・ソーヤーの冒険…?なんだか面白そうね」

 

「えぇ、とても。童心に帰らせるような本ですよ」

 

「へぇ…」

 

それほど分厚くもない本だ。だが、今から読むのは気が引ける。こう見えても厳しい任務に挑む直前なのだ。冒険活劇で気が大きくなるのは避けておきたい。

ただでさえ、苛立っているのだ。

 

「良ければ、お貸ししましょう。渡しておいてなんですが、そろそろ事態が動きそうな気がします」

 

「え?あ、あぁ…そうね。じゃあ有り難く借りておくわ」

 

借りてどうするのか。大した考えもないまま、何となくアレクシアは本を鞄に仕舞い込んだ。

 

---

 

リヴェリオ・ロゥズヴェルトは、少し困っていた。

向かいに座る、燃えるように美しい赤髪の女性が、目に見えて苛立っているからだ。

その怒りがこちらに向くことはないとは言え、居心地は悪い。

 

怒りとは、苦しみだ。であるならば、出来る限り、それを取り払う努力をするべきだろう。

 

リヴェリオはそう、考えていた。

考えた結果、本を手渡したが、どうやら女性は、ミス・カーシュナーはそれを読み始める気にはならなかったらしい。貸しても良い旨を伝えると、それを手荷物にしまい込んでいた。

 

さて、それではいつ返して貰おうか。いやしかし、別に差し上げても良いな。そんなことを考え始めた時だ。

 

「よお、早いじゃないか」

 

と、男が一人、アレクシアの後ろから声をかけた。角刈りで、筋骨隆々。見上げる程の大男が、そのまま二人が囲む小さな円卓の、空いた椅子にどすっと腰を掛ける。

なるほど、確かに横柄だ。リヴェリオは少しばかり気を引き締めることにした。

 

「遅いわよ」

 

「お前が早いんだ。今言っただろ?」

 

「待ち合わせより45分も…!」

 

「あー、初めまして。リヴェリオ・ロゥズヴェルトです。貴方がビリーさんですね?」

 

口喧嘩が始まる前に、そう割り込んだ。ここで争っても余計な苦労をするだけだ。

すると、男はさして興味も無さそうな態度で片手をひらひらと振って見せるとリヴェリオを嘲笑った。

 

「ビリー・サンダースだ。あんたは探偵なんだってな。足を引っ張らんようよろしく頼むぜ」

 

「ビリー!」

 

アレクシアが声を荒げ、円卓にピシャリと平手を打つ。すかさずリヴェリオに向き直り、このふてぶてしい相棒について釈明した。

 

「ごめんなさい、本当にどうしようもない奴なの。パートナーが選べるなら、誰もこんな奴と組むこと無いんだけど…申し訳無いわ」

 

「あ、あぁ、いえ、どうか、お気になさらないでください。足を引っ張りかねないのは事実ですし、しがない探偵なのも事実ですから」

 

リヴェリオは両の掌を明かして困ったように笑う。この間、ビリーと言う男は下品な笑みを浮かべていた。

リヴェリオは、勿論アレクシアも、この図々しい大男を気にせず、話を切り出した。

 

「それよりも、これからの事を話しましょう。私達が向かう、アーカムについて」

 

 

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