シルキー・ブランケットの魔術師録   作:シルキー・ブランケット

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第2話

1921年5月15日。不思議な電話の翌日。

私はアーカムを訪れていた。良く晴れた日だ。多くの人にとって気持ちが良い日と言えるが、先天性白皮症の私にとってはやや辛い。真白な肌、髪、そして血色の瞳が焼けないように深い紺色のローブで身を包まなければ外を出歩けないからだ。

 

フードを目深に被って通りを歩いていると、不意に意識が霞むような感覚に襲われた。猛烈な睡魔に近い。気だるく、立っていられない。

だが不思議なことに、気分とは裏腹に妙に足取りは確かであった。まるで、体が自分のものではないかのようだ。

 

そんな私の体は、ふらりと通りにあった無人の店に滑り込むと、その裏口から路地に入る。それから隣の建物の隠された通路にある梯子を登り、渡り廊下でまた隣の建物に移って、隠し扉の奥の階段を降りて…。複雑な手順をいくつもこなし、どこかへ進んでいく。

 

その間、私は意識を手放すまいと必死だった。というのも、不意に何もかも知っての通りと言った気持ちがむくむくと湧いてくるからだ。そんな訳はない。私はこんなものは知らない。知った覚えはないぞ、と。

 

それは確かに、とても大きな建物だった。いや、言われていた程大きくなかったか。完璧な四角柱に窓と屋根を付け足したような見た目の…いや、そんな妙な形ではなかった気がする。他に言えるのは、それは五階建てのように見えた事…いや三階建てだったか?

思い出せない。それがどんな姿かたちをしていたのか、まるでわからない。ともかく、これがカール・スタンフォードの屋敷であることは間違いない。それだけは、確かだ。

 

見た目が思い出せない事も不思議であるが、踏み込んだ瞬間は更に不思議だった。何か、吸い込まれたような気がしたのだ。私はガラス張りの扉を開けて広間に踏み込んだに過ぎないが、まるで全く別の場所に向かって引っ張られたような感覚を覚えた。

振り返ってガラスの向こう、もと来た道を見る。特に違和感はない。何の変哲もない…。何だ?急に思考が霞む。気にせず仕事をしよう。私は踵を返す。返そうとしたが、どうしても外が気になるようだ。やれやれ、中々頑固な体の持ち主である。しかしこのままでは少々厄介なことになってしまうな。

 

私が身を戻して外と内を見比べようとした。その時だった。

 

「やめておきたまえ」

 

と、声がした。心臓を鷲掴みにされたかのような苦しさに、外に出掛けた首がガチリと硬直した。間違いなく、電話の声の主だ。

 

「随分と好奇心旺盛なようだな。それに目敏く、聡明だ。ついでにかなりの頑固者と見た。私の魅了にこうも抵抗出来る人間は滅多に居らん。誇っても良いが…ふむ。"こちらを向き給え"」

 

底冷えする冷たさの音が、体に突き刺さるように入り込む。苦痛とともに振り向かされると、皺一つ無いスーツを纏った男が不敵な笑みを浮かべてこちらに向かって歩いてきていた。歳は中年頃だろうか。しかしその威圧感には老獪さが滲み出ている。間違いなく熟達した手合いであるのに、目だけは恐れを知らない若者のようにギラギラと輝いている。

振り向いたあとは体が動かなかった。指先ひとつ、ぴくりともしない。瞳は釘付けになり、呼吸すら浅く沈んでいた。ただ、心臓だけが激しく踠いている。

 

「ふむ、顔が見えん。手ずからフードを剥ぎ取ってやってもいいが…それは呼びつけた客人にする仕打ちではないな。よし、こちらへ来なさい。いつまでもそんなところに突っ立っているものではない」

 

そう言うと、男は指をパチンと鳴らした。心臓を握る手が失せ、私はようやく呼吸を思い出した。同時に、何かが頭の奥底からするりと抜け出ていく。意識がはっきりとする。思いの外で身体が動く感覚はなくなった。私は何をされていた?  

 

男はそんな私に目もくれずに奥の方へ歩いていった。私は軽い眩暈を感じながらよろよろ追って行く。不思議なことに、逃げ出したいとは思えなかった。浮かばなかったわけではないが、好奇心が遥かに勝っていた。

 

彼が部屋に入るのを見て、私も中に入ると応接室のようだった。身振りで座るように促されたので、革張りのソファに腰掛けフードを除いて一息ついて見せると、男は腰掛けずにこちらを見て頷く。

 

「ほう、ほう。成る程。ローブなど着込んでいるものだからカルティストなのかと疑ったが…そうか、君はアルビノと言う奴だな?」

 

男は私の顔と髪をまじまじと見つめ、そう言った。その通りだ。私の肌は透き通るほどに白い。いや、事実透き通っているのか。その為、季節や天候を問わず肌を日の元に晒すことを避けなければならない。

 

「噂には聞いていたが、やはり目の当たりにするとよくわかる。雪のように美しいと言うのは本当だな。いや、それは君自身の美貌故か?」

 

「あー、ええと、ありがとうございます…?」

 

困惑した。容姿に対して明け透けに述べる相手であることもそうだが、その余りある自信に圧倒される。己が発する言葉で相手を不快にさせる事などないと言われているかのようだ。何より、実際に不快でない事に戸惑ってしまう。

 

「しかし、何よりも驚くのは…その神秘性だ。君からは確かに力を感じる。だがどこからだ?その瞳か、心臓か。或いはその精神?わからん。君は魔術の素人どころか、全くの無知にしか見えんが、確かに神秘を纏っている。つまり生まれながらの神性か。この私をして圧倒される。こうして出会えた事を光栄にすら思うとも」

 

「は、はぁ…」

 

「君はわかっていないのだろう。強大な力を持つ魔術師が用いる魅了の魔術が如何に恐ろしいかを。それを抜け出して見せることが如何に困難かを。君は世界で最も強い魔術師を、何の知識もなしに出し抜いたと言える。いや、無論完璧にではないがね。せいぜいが疑う程度だろうが、それでもだ。この私から逃れる事が出来る者など、世に数える程も居ない」

 

「えー、その、シャルンホルストさん?ともかく、私が何か、予想外のことをしてみせたのはわかりました。しかし、先程から仰っている魅了…の魔術?とは一体何のことですか?」

 

異なことを言う。と、無下には出来なかった。そうでなくては、昨日から私を蝕む違和感に説明がつかなかったからだ。魔術というものがあるならば聞かずには居られない。他者の認識を自在に歪ませるのだろうか。この男の口振りではそれは逃れようのないものらしい。

 

「ふむ。素人らしい質問だな。僅かでも魔術に通じているならば知らぬとは言えん。そして君は嘘をついていない。私にはお見通しだとも。で、あるならば、先達として講義を施すのは吝かではない。さぁ、この水晶に触れ給え」

 

そう言うと、カール・シャルンホルストは杖をこちらに向けた。その持ち手の先には確かに大きな水晶が嵌っている。触れて、何だというのだろうか。僅かにそういう気になったが、私は好奇心の騒ぎに身を任せることにした。

 

すると、だ。

 

「止めておきなさい」

 

背後から声がかかる。この屋敷の人は知らぬ間に背後に現れて警告するのが決まりなのだろうか。聞こえてきたのは女性…というよりは少女の声だ。丁度私と同じくらいの年頃に感じる。だが冷ややかで、情を感じない声だった。何か心配や同情があったというよりは、無駄なことをするなと言われたような気がした。

不幸なことに、私にはそれなりの反骨心と自尊心が備わっている。故にその手が止まらなかった。大好物を目の前に出されて「召し上がれ」と言われているのに敢えて止まる人間が居るだろうか。いや、居ないだろう。それと同じだ。私のしたことは、仕方のないことだ。知りたくなったのだから仕方ない。だが、そのせいで私は長い旅をする羽目になる。やはりそれも仕方のないことだったのだろう。

 

さて、傍目にはこう映るだろう。私は一瞬ビクリと身を震わせると、血の気の引いた顔で周りを見渡した。そんなところだ。

 

「理解したかね」

 

だが、真実はもう少し複雑だ。端的に言うと、私は見た。それは長い時間であったが、あっという間の出来事でもあった。謂わば情報の濁流とも言うべき流れに飲み込まれたのだ。

普通ならば、余りの衝撃と流れの速さに圧倒され、少しばかり何かを知った気になる程度だろう。だが、私は見聞きしたことを決して忘れない。

 

私は、言葉を飲み込んで一度頷いた。

 

この世界は、夢なのだ。果てに眠る白痴の王の。魔術とは、夢の住人たる我々が起こす精神の波動であり、それはつまり眠れる邪神の精神の起伏である。簡単に言えばこうだ。

夢の中で「次にこうなるだろうな」という思いが生まれた時、夢がそのように変化する事があるだろう。明晰夢というほどはっきりしたものでなくとも、そういったことが起きた経験はあるのではないだろうか。その、思いの発生源が我々であり、魔術なのだ。魔術とは、精神の波動のよる波である。そして、我々もまた同じなのだ。我々は白痴の王から分かたれた精神の存在であるゆえに。

 

「どうだね、アン。この子は素晴らしいよ。私が見るに、原初の光景をきちんと受け入れている。余すところなく取り込み、理解してなお精神が乱れていない。天才的ではないか?」

 

「魔術師としての素養はあるかもしれないわ。けれど、それと志を共にできるかは別問題よ。カール、何の悲しみも知らない子供に私達を理解することはできない。いたずらに誑かすのはやめなさい」

 

アン、と呼ばれた冷たい声の女がそういった。振り返ってみると、なるほど。美しいブロンドの髪を腰ほどに伸ばした、端正な顔つきの少女が立っていた。まぁ私ほどではないにしても、美形中の美形と称していい。しかし、纏う雰囲気はティーンエイジャーのそれではない。もっと老獪な、少しの隙もない佇まいだ。私のように、天性の才能を持ってして成熟を早めたわけではない。実際に、それだけの年月を生き延びてきたような。

視線を戻すと意気揚々と私の存在を自慢気に語っていたシャルンホルストは、少女が乗り気でないと見るや肩を竦めて見せていた。

 

「貴女も。特別な才能を持っているようだけれど、好奇心だけで生きるのはよしなさい。なんの意志も持たない人間が真理を知ったとして、待っているのは破滅よ」

 

次に咎められたのは私だ。なるほど、確かに道理である。今し方知ったことに対して、熱心な宗教家でもない私にそれ程の動揺は無かったが、いつか自身の根底を揺るがす真理に出逢えば冷静では居られないだろう。

そう、私はこの時大して動じていなかった。幸いにも元々、そういう妄想はよくしていたからだ。死後について考えるとき、実は自分の存在は誰かの夢或いはそういうものだったとわかるのではないかと思った事があった。私は他よりそういう考えに柔軟だった。天に召されて神の膝下で幸せに暮らすだとか、ヴァルハラに召し上げられてどうこうとか、まぁそういう考えも悪くはないが、そうだと信じて生きるのは不気味に思えたからだ。

 

「まぁ、良いじゃないか、アン。彼女はこうして平然としているんだ。或いは、我々の新たな世界にはこういう存在こそ必要かもしれないぞ?」

 

「出鱈目ね。私は忠告したわよ」

 

少女が部屋を後にする。その声色に、苛立ちは見えなかった。冷たく、凪いでいる。感情を無くしたかのようだな。と、私は思った。

 

「すまないね。シルキー・ブランケット。彼女はアン・シャトレーヌといって我々の仲間なのだが、高潔すぎるきらいがある。信念や覚悟を見せていない君を私が仲間に招き入れようとしていると思って、あぁして小言を言いに来たんだ。」

 

「あぁ、いえ…それは仕方のないことだと…いや、私、名乗りましたっけ?」

 

いや、名乗ってはいない。間違いなくだ。なぜ私の名前を?

 

「ふっ、何故私の名前を、か。君の他にも百万遍も聞かれたがね。私に見通せぬものなど無いのだよ、シルキー。第一、君は先程私の精神に接続したではないか。であるならば、私が君を覗き見ることも容易い事だ。何より、君はまだ我が術中にある。愉快であるが故に自我はそのままにしているが、君はいつでも私の思い通りになるのだよ」

 

そう、こんなふうに。

 

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