シルキー・ブランケットの魔術師録 作:シルキー・ブランケット
1921年5月16日。アン・シャトレーヌの従者となってしまった日の翌日。
私は無事、カール・シャルンホルストと相対するための心構えを得た。と言っても大層なものではない。彼への興味関心を捨てる為に、アンから一通りのことを聞いただけだ。もう知っているのだから知らなくて良い。それに、彼の悪行を聞けば関わり合いになりたいとは思えなくなった。
だがこれは、彼からの一方的な干渉を防ぐ為のものでしかない。会話などしようものなら、私はうっかり気を許し、絡め取られる事だろう。
私は、この心理的な技術を閉心術と呼ぶ事にし、研鑽する事を決めた。必要であれば誰かに伝えようとも思っていた。
が、これは真理に気付き、自分が大いなるものから独立した存在であると強く自覚していなければならない。真の意味で扱えるのは特別の素養を持つものだけだ。先ず、この世界の嘘を心から受け入れなくてはならないのだから。
見識を広めろと言われて訪れたアメリカだが、私のそれは思いも寄らない方へと広がってきている。混乱していたいところだが、生憎、時は待ってくれない。今日は食事会とのことで、ここに沢山の人が来るそうな。
…あぁ、私はアンの部屋に泊めてもらう事になった。彼女の身の回りの世話を小言を言われながら済ませなければならなかったが、今、カールと一人で対面すればどうなるかわからない以上、命懸けで彼女のご機嫌取りをしなければいけないのであった。
正直疲れたが、楽しくはある。自分より優秀で知識や経験のある人と話すのは新鮮だ。私は特異な才能があったから、気が向けば何でも覚える事が出来たし、新しい理論を考えたり、今ある問題を解くのは好むところだった。その気になれば学会に身を置くことも出来たはずだ。祖母のおかげで資金繰りには困らないし、大抵の事は自由に出来た。
でも、それをしなかったのは周りが自分より優秀に思えなかったからだ。今にして思えば、それは思春期特有の全能感。傲慢というものだったが、私はそれに気づいていなかった。自分以上に物事を分かっている人と話がしたい等と思っていた。だから厄介払いされたのだろう。さっさと博士号を与えられ、院を卒業出来てしまったのだ。なまじ、優秀であるが故に。
その私が圧倒される。面白い感覚だった。アンも、カールも、逆らってはいけないと本能が訴えかけてくる。そういう危険な相手に興味が湧いてしまうのも、私が若く未熟だったからだろう。
さて、この日は正しく特異点の日だ。この日の振る舞いで、私は強力な魔術師として世界を滅ぼす事もするし、勇気ある探索者として世界を救いもする。しかし、どんな私であれ、真の敵に迫る事が出来なくては意味が無い。そしてそれは、私自身がどれ程努力しても成されない。勿論、この時の私は、そんな事を知る由もない。ただ、思いの向くままに振る舞うだけだ。それが今の私に届くには、少しばかりの仕掛けが必要だったのだ。
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「アン、お水です」
次から次へとやってくるスーツ姿の男達にあれもこれもと質問攻めを受け、その全てに端的に応え続ける。
鉄面皮を崩すこと無く、淡々と、まるで全て知っていると言わんばかりに。
疲れているようにも見えないが、生きている以上喉は渇く…はず。そう思って水を出した。身の回りの世話をしろと言われたが、何をどの程度世話すれば良いのか、そんな事は一言も言われていないのだからおっかなびっくりだ。
「気が利くわね」
その私の心を知ってか知らずか、アンは平然と受け取り、平然と飲んだ。取り敢えず間違いではなかったようで、私は安堵する。
「随分と人が多いですね。東海岸中から集まってると言われても驚きませんよ」
「人じゃないわ。あれらは怪物、或いはその欠片」
「あー、はい。そうでした」
昨日から今日でわかったことが一つある。アンの好む話題だ。
この、アン・シャトレーヌと言う人物は、自分や術師会の事を話す時、私の過去について聞く時などは多少饒舌になる。何故か、私に指示をする時、何かを伝える時は口数が少なくなるが。
「それで、この後は説教でしたか」
「えぇ、そうよ。この世界では怪物も諭せば人に成り得る」
「私は助教との事でしたが、具体的には何を?」
「出来るだけ多く、私の教室に呼び込みなさい。露骨にしてはダメよ。カールの信奉者も多いから」
そう言われ、私は辺りを見回した。今日ここに来ているのは、殆どが政治家や実業家として成功しているものばかりだ。皆、多額の寄付を術師会にしていると言う。しかし、そうでない、平民の様相をしたものがちらほら見えもする。
「術師会は同志を、人に成り得て、この偽りの世界から真の生命たるを目指すものを集める為に私が作った。カールはそれを金儲けに使っているけれど、私の目的は高いワインなんかじゃないわ」
「では、意志の強い方を探せば良いのですね」
「そう言うことよ。少しは期待してあげるから努力しなさい」
アンは意外と話を振れば返事をしてくれる。勿論内容は無感動で無遠慮だし、雑談として成立しているかはわからないけれど。
まぁ、期待されているというのは悪くない。私は、この恐ろしい魔女との付き合い方を少しだけ掴む事が出来ている気になっていた。
「一つ言っておくけれど、富裕層は狙わなくて良いわ。あれらは大抵カールの息がかかるから」
「はい、わかりました」
「この会合に一人、まともそうなのが居る。カールが興味を持たなさそうな、それでいて怪物にしておくには勿体無い精神の持ち主が。それを探して味方につけなさい。後はあなた次第だけど、それ以外のことは何とかしてあげましょう」
「わかりました。では、私も何とかしてみます」
その人物の特徴について、アンは話さなかった。と言うことは、伝える気が無いと言うことで、つまり私が自分で分からなければならないと言うことだ。
で、あるならば私自身の感性に従えば辿り着けるだろう。それは奇妙な自信かもしれないが、自信は自信だ。
私は、彼を探しにその場を後にした。