癒し手の殴り拳 作:熾天使チュリン
「…はっ!」
ここは…どこだ?
赤髪の少年ハンター、ギルベルト・ブッシュは突然目を覚ました。辺りは文明を巻き戻したかのような、酷くボロボロな建物だらけ。彼はそれらを見て、一目でここが退廃都区だと分かった。
だが分からない。彼はクラン『始まりの足跡』のメンバー募集に行っていたはずなのだ。今最も快進撃を続けているクランのメンバー募集。パーティを抜けて間もなくに開催を聞いた時はまさに運命だと心を躍らせたものだ。
必ずや自分は大物の目に止まるだろうと、少し前の自分はそう過信していた。
「目が覚めた?」
過信と表すのは間違いじゃない。なぜなら、探索者協会の抹殺兵器とも呼ばれるその存在に彼は目をつけられたのだから。きっと【死】はすぐそこにあるのだろう。これでは大成の問題ではないのだ。
赤黒い。見る者を怯ませるような鮮烈な色彩が脳をつく。才能溢れる彼だから分かるその
その怪物は
そんな怪物がこちらを見下ろしていた。
「…ッ!? なッ! んで……これは一体…」
「長く語るのは好きじゃないから端的に言おう。君には世直し活動を手伝ってもらう。正義の恩寵を身近で触れ合わせてあげようじゃないか!」
「…は…?」
ギルベルト・ブッシュは黄金第二世代のルーキーである。黄金第二世代は後追い星だ。トレジャーハンター黄金期にほんの少し出遅れたというだけで黄金世代は風のように隔絶した差をつけ、彼らはその黄金世代に追い付かんと駆けている者たちだ。
それはギルベルト・ブッシュによく当てはまる。
彼には素晴らしい才能と恵まれた環境があった。トレジャーハンターの聖地ゼブルディアでハンターとなった幸運と、初めて向かった宝物殿で得た『煉獄剣』。
それらは彼に目覚ましい成長と過度な自信を身につけさせた。しかし、同時にその過激な才能は人との繋がりを引き剥がした。彼に人を惹きつける能力はなかったのだ。
だがそれでも構わない。彼が目指すのは仲良しこよしの停滞ではなく、極められた強さである。だから彼はそのクランの門戸を叩いたのだ。
「コイツを殺せたなら、お前たちを見逃してやる」
トレジャーハンターとして、彼は力が欲しかった。輝かしく、極めて栄光なその地位のための力が。だが………
「一人ずつ襲え。破ったら殺す」
こんなのは聞いてない!!
ギルベルトは今、退廃都区の犯罪者と熾烈な生存競争をしていた。互いに命をかけた争いである。退廃都区を現在支配している《死屍累々》のデスゲームが火蓋を切った。
ハンター崩れ、レッドハンター、秘密結社、その他諸々。全員がギルベルトを殺すために襲いかかる。ギルベルトは一人一人とはいえ、長時間争い続けてまさに死ぬ気で抗っていた。
ある者は
ギルベルトはもはや立つこともやっとの状態だった。青あざは至る所にでき、血は垂れ流しで、剣を持てているのは筋肉が硬直しているからだった。
惜しむべきは手元に『煉獄剣』がないことだった。《死屍累々》はギルベルトから宝具を没収した。理由を聞けるわけもなく、今は安物の剣で戦っていた。
「どうかな? 君は【正義】を感じられたかな?」
十何人目かの犯罪者を倒す。そして崩れるように倒れたギルベルトを前に、ロキスはそう言った。
無論、彼はそんなことを考えていなかったが、考えることができない今の頭は感じたことを素直に言った。
「俺じゃ、コイツらを抑えられない……のに、ならず者が暴れない帝都はすげぇ…よな…」
「良い視点だね。悪党が悪事を実行しないのは抑止力があるからだ。帝国騎士団、探協、そして俺。人はそれらを【正義】と呼ぶ」
「すげぇ……」
限界まで酷使された頭は目の前の怪物の言葉を脳に刻む。正義はすごいのだ。ギルベルトでは十数人程度しか倒せない敵を何百人も抑え込み、悪事を働かせないようにしている。
あまり学のないギルベルトであってもその凄さは身に沁みて分かっている。彼は今まで見ようとしなかった事情というものが、どういうわけかとても尊いものに感じた。
それは変化だった。たった数刻の時間で起きた変化。極限状態まで追い込まれたギルベルトの適応能力とも、あるいは常識の打破とも言える。
ギルベルトはその身に深い正義をやどーーー
「早く起きろ」
「…!」
気づけば、ギルベルトの傷は全て癒えていた。先ほどまでの身体のだるさや異常は消え去り、なんならいつもより調子が良いと感じるほどだった。
治癒術師。にわかには信じられないが、彼は本当にヒーラーらしい。これをヒーラー扱いしていいのか分からないが、あまりにも攻撃力が高すぎる。
《嘆きの亡霊》というのはこんな怪物がうじゃうじゃしているのか…?
そんなことを思うギルベルトの前でロキスは言った。
「なかなか筋が良いね。【正義】を深く刻み込めたらしい。…だからと言ってはなんだけど、【正義】をもっと知ってもらおうと思う」
「……まだ、何かやるつもりなのか…」
ロキスは辺りを見渡し、まだまだ残っている犯罪者を確認すると、あまり正義には似つかわしくない笑みで言った。
「正義の鬼ごっこだ」
血潮が舞う。人の悲鳴と肉が千切れ落ちる音。首がそこらに転がり、犯罪者達は四方八方へと逃げていく。
血潮が舞う。ヒュンという鋭い音が命を刈り取る。死体が転がり、その死んだ瞳がこちらを覗いているような気がした。
血潮が舞う。その中で、ギルベルトは駆けていた。まるで隼のように跳躍し、とんでもないスピードで犯罪者達を刈っている《死屍累々》に追いつくためにだ。
追う。血と臓物で彩られた退廃都区の裏路地を駆ける。心臓が破裂しそうなほど脈動していた。
追う。この世のものとは思えない地獄絵図を見る。吐き気が込み上げ正気が削れる。転がった死を踏みつけて駆ける。
追いつけない。尋常ではない速度と無尽蔵の体力を持つロキスに追いつけない。涎が流れるのもお構いなしに走って走って駆け抜ける。
追いつけない。もう姿も見えなくなった。耐えられなくなって胃の中のものを吐き出した。その拍子に下を向いて、下にあるモノのあまりの惨さにさらに嗚咽する。
追いつけるわけがない。だって《死屍累々》はレベル7だ。こんなのおかしい。何が追いつくだ。経験を沢山積んできたロキスと自分は比べ物にならないほどの差があって……
それにだって、こんなにも感じ取れるのだ。これは、才能のーーー
『お前にはついていけない』
「ッ!」
ギリッと、思わず歯噛みする。無意識に脳裏に浮かんだその言葉は彼の初めての挫折であり、順調に進んでいたトレジャーハンターの道にできた陰りだった。
隔絶した才能の差という、これ以上ないほどに残酷な事実がパーティであった彼らを突き放したのだ。
『こんなパーティじゃ俺は強くなれねぇ。俺は、パーティを抜ける』
ギルベルトでも感じ取れた才能の差だ。パーティメンバーともなると一体どれだけ感じていたのかは計り知れない。
もっと努力しろ。俺に追いつけ。やれるまでやれ。強くなれ。
「はは…ウゼェ」
残酷なまでにはっきりとした差というのは、時に重くのしかかる。上の者にも、下の者にもだ。だが、感じることは違う。
惨めで、這いつくばって、頑張って、追いつこうとして、ずっと不安で、不満なんて言えなくて、それらを合わせて、もっと惨めになって。
「あいつらも…こんな、感じだったのか………」
それは、最低の底の中で初めて感じたもの、言うなれば啓示だった。それはギルベルトの中で燻っていた挫折を乗り越えさせることができるものだった。
啓示の内容は簡単だ。ただ、振り返って欲しかったんだ。それだけで、こんなに惨めにはならなかったのに…
そしてギルベルト・ブッシュは振り返った。
「やっと来た」
トボトボと歩くギルベルトの姿を見たロキスは、怒るでもなく呆れるでもなく、ただの少しも表情を変えなかった。
何故なら、歩いてくる彼の目が少しも死んでいなかったからだ。ロキスはとりあえず言った。
「なんか成長したっぽいね」
「ああ、俺は俺の愚かさとか、浅はかさみたいなのを知った。俺はまだまだ子供だったんだなって、そう思ったんだ」
「よかったね」
相手側に何も伝える気のない説明を聞いて、ロキスは脳死で反応した。しかし、ギルベルトから溢れる
「満足してるね。ならば問おうか。【正義】とは一体なんなのかを!」
一層と覇気が強まる。ギルベルトは怯んだ身体に鞭を打ち、ロキスを睨みつけるようにして言った。
「正義とは…相手に歩み寄り、共に良くなろうとする心だ!!」
「この殺伐とした活動で、その正義にたどり着いたのは意味が分からないが……良いね! お前の正義はそれか」
今までのギルベルトのキャラではないような、ちょっとクサイセリフ。だがそれはギルベルトの本心だった。心の叫びだった。
そんな彼を見て、ロキスは身に纏っていた覇気を消し、くしゃっと笑って見せた。そして聞く。
「俺は《正義》のロキス・ロングウィットン。君の名前は?」
「俺は…ギルベルト・ブッシュ。いつかトレジャーハンターの頂きに立つ者だ」
「なるほど、まあギルベルトなら不可能ではないのかもしれないね。これだけ隔絶した差を見てもなお、俺のところまで辿り着いたんだ。諦めの悪さは人一倍あるさ」
ロキスはそう言って腰につけていた『煉獄剣』を取り出した。そしてそれをギルベルトに差し出す。
「はい、返すよ。強くなるために必要な物だとは思わないけど、君の所有物だからね」
「いや……それはロキスが持っててくれ……俺は、本気だ。本気で強くなる。そのためには宝具に頼ってちゃダメなんだ」
その言葉を聞いて、少し驚いた顔をするロキス。今まで『煉獄剣』に頼ってきたハンターの言い分とは思えなかったのだ。
しかし、これも成長の証であろう。ロキスはなんだか無性に嬉しくなった。
「良い心がけだよ。《嘆きの亡霊》のメンバーにも攻撃に関する機能を持った宝具を使ってる人はいない。攻撃宝具は甘えなんだってさ」
「……いつか、取りに行く。俺がお前を追い抜いたとき、取り返しに行くからな!!」
「取り返すとか…語弊が生まれるからやめろ」
そんなこんなで彼らの活動は終わりを告げた。そして死屍累々の地獄絵図の中で、彼らは爽やかな気持ちで帰路についた。
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夜、『始まりの足跡』のクランマスター室で炎が舞う。それはギルベルトが残していった『煉獄剣』の能力だった。
「クライすごい!!」
「ふふふ…良い宝具だ。癖もない能力で属性付与。拡張性も高い。良いなぁ、これ欲しいなぁ…」
「ごめんね、流石のクライにでもこれはあげられないよ。俺が持っておかなきゃならないからね」
クライは机に置かれた『煉獄剣』を触るだけで宝具を発動させた。この炎はそれによるものだ。とても明るくて暑い。だが二人は何も気にしなかった。
ゆらゆらと遊ぶように空中を漂う炎にロキスは目を輝かせていた。そんなロキスを見てどこか嬉しそうなクライ。
炎はものを燃やさないようにクライによって完璧に制御されていたが、エヴァが見れば冷たい眼差しを向けることは間違いないだろう。
「もし良かったら、宝具の範囲拡張発動でも教えてあげようか?」
「良いの? ありがとう!」
宝具関係の話題ができて満更でもないクライ。炎を使いたいロキス。両者はWin-Winだった。
「ついにロキスも気づいてしまったか。宝具の面白さに…!」
宝具をやれ便利な道具だとか、戦いに使うためのものだと言う人もいるが、なぜ人は宝具を持つのかといえば、やはり一番は面白いからだろうとクライは内心思う。
全然違うが、クライの宝具愛はそれだけの熱量を持っていた。そんなにこにこクライはロキスと宝具の話をするために話題を振る。
「ロキスはその宝具でどんなことしたいの?」
「犯罪者の死体を燃やしたいんだ。いつも死体の片付けは名無し草の物拾いがやってくれてるからさ」
「………」
クライは引いた。まあ、そんなところだとは思ってたよ。《嘆きの亡霊》はどのメンバーも暇な時間はほとんどない。いつも鍛錬と依頼を受けている。
ロキスもそんな感じだ。平和主義のロキスから物騒な言葉が出てきたから驚いて引いただけで、実のところ、クライには予想できていたことだ。
彼らに無駄な時間や遊びなんてものはない。
「これから毎日人を焼こう!」
だから…というわけではないが、クライは遠い目をしながらウンウンと頷いた。