ダイア・ロックは砕けない   作:山雅将暉

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断ち切るべき未練

 敗北。

 

 それは勝負の世界で提示された結果の一つ。それ以外には勝利と引き分けしか存在しない。

 

 私は今、引き分けという結果を提示されてなお、テーブルの温かい紅茶から漂う蒸気と同じようなぬるく淡い敗北感が湧き上がっていました。

 

 すでにポケモンたちの回復は終えたのにも関わらず、未だにポケモンセンターのカフェスペースで何杯目かもわからない紅茶に口をつけて、メモ帳に万年筆の先を叩いている。

 

 すっかり染まった夕焼けの空を窓越しに眺めるとほんの3時間前の出来事が夢のように感じられる。

 

 それでもあのときの私は、今までのどの私よりもポケモントレーナーだった。

 

「悔しかったなぁ」

 

 当事者だった。物語の中心だった。一登場人物として熱狂していた。

 

 私は小説を書くことが好きだ。読んでもらうのも好きだ。批評してもらうのも、それを糧に書くのも好きで好きで仕方がない。

 

 ポケモンバトルは私にとって取材の一種だった。シャンデラたちが活躍したシーンをそこに宿る想いを物語にするための・・・・・・"手段"に近いなにかだった。

 

 私のポケモンたちはみんな優しい。いつものようにメモ帳にそれとなく次に書く小説の内容を書いているとワクワク、ドキドキとした表情で覗きに来ては、紅茶を淹れてくれたり、熱くなった頭を冷やしたりしてくれる。

 

 彼女たちを戦わせるのは胸が痛んだ。でも彼女たちが期待する物語を書けることが嬉しくて、彼女たちが輝く瞬間をもっと見たくて、気がつけばポケモンバトルをやめられなくなっていた。

 

 とん、とん、とん。

 

 思考とは裏腹に筆は進まない。メモ帳の一部分に集中的にインクが滲んでゆく。こんなことは初めてでした。私は物語の代弁者、よりよいハッピーエンドを想像して創造する執筆者。

 

 なのに私は今日、観るだけじゃなかった。聴くだけじゃなかった。感じるだけじゃなかった。湧き上がる高揚感、熱く燃え上がる闘志、勝利の女神がどちらに微笑むか、なんて考える余裕もなかった。

 

 そうでもしないと勝てないから?

 

 きっと違う。

 

 ブルンゲルが死物狂いでギギギアルを相打ちにしたあの瞬間、勝負の熱は私自身からも湧き起こっている事実を自覚していた。

 

 とん、とん、とん。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 頭部を机に預けて、右側の椅子に立て掛けたマフラーの穴を覗く。

 

 こんな日が来るとは思わなかったって言ったら嘘になります。私は精神的な当事者になった。俯瞰的に観ていた現実が新しい彩りを持って私に想像を伝えてくるんです。

 

 まるで二次元の世界から三次元の世界へ迷い込んだような、そんな感覚。しかし、どれだけ取り繕っても私の身に起こっている異常はたった四文字で説明がついてしまいます。

 

 "スランプ"。

 

「ん〜〜〜!」

 

 意味もなく唸る。

 

 書けない。登場人物がどのような思考でどのような意図を持って喋らせていたか、過去の自分を振り返っても思い出せない。

 

 派手で爽快なストーリーは思いつくのに、それを担うキャラクターが思いつかない。人の感情を深く知ってしまったばかりに、もっと深く人を描けるはずだって思ってしまって、頭の中であーでもないこーでもないと考えるばかりに筆が進まない!

 

「恨みますよダイアくん」

 

「ほう、俺はお前にどんな恨みを買ったんだ? シキミ」

 

「はぇ?」

 

 思わず溢した一言に、思わぬ人物の声が重ねられ、私は躊躇いながらもゆっくり振り返ると、逆立つ銀髪を波打たせるダイアくんがそこに居ました。

 

「あ、えぇっと〜?」

 

「・・・・・・書いてないのか?」

 

 誤魔化そうとする私に、ダイアくんは目敏くメモ帳を見ていたようで、本質に迫った問いを掛けてきた。

 

「あっ! いえ、その、これは・・・・・・はい。書けなくなりました」

 

「・・・そうか。辛いなそれは」

 

「っ、ダイアくんも作家なんですか?」

 

「まぁな、俺はアクセサリーを作ってる。石好きなのもそれが影響している。だが、俺はお前と違って趣味の延長だよ。・・・・・・相席いいか?」

 

「どうぞ」

 

 正面の席に座るダイアくん。肩にかけた小型リュックを床に下ろすと、ダイアくんは淡々と言葉を紡いだ。

 

「イッシュリーグを辞退した」

 

「へ?」

 

「そろそろ地元のリーグが始まる時期でな、明後日の航空便に乗らないとエントリーが間に合いそうにない」

 

 困惑する私にダイアくんは「ここに来たのは誤解して欲しくなかったからだ」と言葉を続ける。

 

「シキミとのバトルは本当に楽しかった。最後の最後まで予想のつかないアドリブ的な戦略で満ち溢れていた。あのバトルでこれ以上ない成長を実感できたよ。だが、俺は地元の・・・・・・タチバナリーグで結果を出したい。だから、シキミのバトルを最後まで見ることはできない。それに取材を受ける時間もとれそうにない」

 

 ダイアくんはやや目を伏せて「その謝罪にきた」と話を終える。

 

「・・・・・・そうですか」

 

 私はダイアくんの想いを呆然と受け止めた。理解が追いついて反射的に下唇を噛んだ。

 

 胸が痛い。私の人生観すら変えるバトルをした彼にとって、私は未だ端役なのだろうか。

 

 彼は伏せていた顔を上げて、引き締めた唇で強引に口角を上げて口にした。

 

「・・・・・・シキミ、イッシュリーグ優勝してくれよな! 決着ついてねえのは複雑だけどよ、いつか凄いトレーナーになってまた楽しいバトルをしよう!」

 

 思ってもないことを。すぐに決着をつけたいって顔に書いてあるよダイアくん。

 

「うん」

 

 もう一回バトルしたい。ただそれを言うだけなのに、凄く難しい。取材だったらもっとグイグイ行ってたんだけどな。ダイアくんがどれだけの想いで口にしたかを想像すると、頷くことしかできない。

 

 本当にこれでいいのかな。

 

「じゃあなシキミ。元気でな」

 

 ダイアくんと私のバトルの終着点がこんな形で……。

 

 彼が席を立つ。リュックを肩にかけ、ホルダーにつけたモンスターボールを確認すると惜しむような表情で歩き出す。

 

 良いはずがない!

 

「待ってください」

 

「ん・・・・・・?」

 

 彼とバトルできる機会がいつ来るかなんて神様でさえ知らない。これが、この一瞬が彼と決着をつけられる最後の機会だとすれば、私が歩む物語は既に決まっている。

 

「ダイアくんは、勝負がつかなくて不満ですよね?」

 

「そりゃあ———」

 

「———ええ、不満を抱かないはずがないんです。ポケモントレーナーとして」

 

 答えを待つ前に振り翳したポケモントレーナーとしての哲学。私の言葉に目を見開いて驚いたダイアくん。

 

「これは今できた持論ですが、勝負の世界において引き分け以上に気持ちの悪い結果はありません。受け止める敗北感も無ければ、感受すべき喜びもない。バトルフィールドに立てば等しく手に入れられるいずれかの結果、私たちはそれを手にできずにフィールドを降りてしまいました」

 

 私が言葉を発すれば発するほどにダイアくんは野性的な笑みを深めて、一つのモンスターボールを手にした。

 

「不満か?」

 

「不満ですよ! あれだけ頑張ってくれたポケモンたちに私は何一つ答えを提示できていない! 私は私のために戦ってくれた彼女たちの物語に終わりを伝えたい」

 

 高揚する心のままにメモ帳を閉じた私は、モンスターボールをダイアくんに突き出した。

 

「・・・・・・ハッ! いいね」

 

 ダイアくんも同様にモンスターボールを突き出し、ポケモンセンターの裏口にあるバトルフィールドを指差した。

 

「シキミ。このバトルの最後を飾るぞ」

 

「っ・・・・・・はい!」

 

—————————————————————————————

 

「悪いがバトルは一対一だ。2時間後にここを出ねえとフキヨセシティのフライトに間に合わない」

 

「ええ」

 

 バトルフィールドに立った今、迷いが湧き立つ。

 

「短い時間だろうが、思いっきり楽しもう!」

 

 私はどのポケモンでこの物語の最後を飾るべきなんだろう。一番長い相棒はシャンデラ。ダイアくんのポケモンたちにも有効なほのおタイプを持っている。現実的に考えて、最善はシャンデラ。

 

「雪辱を果たすぞギギギアル!」

 

「・・・ギア」

 

 ダイアくんはギギギアル。彼らしいと思ってしまった。道連れで倒れてしまったギギギアルの意志を尊重したことがよくわかる。

 

 それなら私は、私を本物のポケモントレーナーにしてくれた彼女を!

 

「最終章の主役はアナタですブルンゲル!」

 

「ブルゥン」

 

 合図は軽い会釈。一つ頷き、私はブルンゲルに『なみのり』を指示する。

 

 どこからともなく大量の水がブルンゲルの足下に集まり、高まる波となる。通常のそれより明らかに多い水がギギギアルに迫る。

 

 ダイアくんのギギギアルの『ギアチェンジ』は身代わりの効果を上乗せしている。でもそれはあくまで『ギアチェンジ』で高まったスピードで躱して残った歯車を目標と勘違いさせているだけ、この広い範囲攻撃では使えない。

 

(さあダイアくん、どう来ますか?)

 

「『エレキフィールド』」

 

 その指示がギギギアルに届いた瞬間、ギギギアルから凄まじい電力がフィールドに広がり、ブルンゲルの『なみのり』に集まり、放電した。

 

「ブルゥゥゥゥン!?」

 

「っ、電気が水を通って———! 『じこさいせい』」

 

 ブルンゲルの身体が光沢を帯び、傷が光とともに消えていく。

 

「『ライジングボルト』!」

 

 フィールドの電気エネルギーがギギギアルに集約し、ブルンゲルに向かって放たれる。

 

 きたっ! 大技!

 

「ブルンゲル受け止めて!」

 

「はっ?」

 

 大丈夫。ブルンゲルの耐久力なら耐えられる。

 

「ブルゥゥゥ!?」

 

 耐えさえすれば、ブルンゲルはのろわれボディを発動してくれる。

 

「なんつぅ博打を仕掛けてきやがる!?」

 

 かなり冷や冷やしながらもブルンゲルから発せられた紫色のオーラがギギギアルを包み込んだことに安堵する。

 

「続けて『じこさいせい』」

 

 かといってブルンゲルの体力は残り僅か、まずは回復して体勢を整え———

 

「けど、ギギギアルにはもう一つ電気技がある! 『ワイルドボルト』」

 

「っ、中断して『なみのり』!」

 

 不十分な『じこさいせい』を終え、ブルンゲルが再び高波に乗って、突進してくるギギギアルを強襲する。

 

「よし。波に飛び込みつつ『ギアチェンジ』だ!」

 

「え?」

 

 ダイアくんの指示が耳に届くと同時に、ギギギアルは迷いなく波の中へ飛び込んだ。水中では鋼色のエネルギーが輝いており、ギギギアルが歯車を入れ替えたことがわかった。

 

 しかし、予想外のことはその後に起こった。

 

「ブルゥゥゥッ!?」

 

「ブルンゲル!」

 

 切り離した歯車が波に流され、ブルンゲルの身体へ直撃した。

 

 原理としては理解できる。『なみのり』の波の流れはその性質上、使用ポケモンの足下へ流れていく。けれど、ギギギアルの歯車の重量だって相当のものなはず、歯車が波に流される保証なんて———

 

「シキミ。お前のブルンゲルの『なみのり』は威力がかなり高い。水量、範囲、流れの強さ、どれをとっても一級品だ。だが———」

 

 あ・・・・・・終わる。

 

「ギアッ!」

 

 ギギギアルが波に乗ったのか流されたのか、上へ立ち昇る波を利用してブルンゲルの頭上に姿を現した。

 

 いやだ。私たちの物語がこれで終わるなんて……!

 

「———その質の高さが仇になった。ギギギアル『ワイルドボルト』!」

 

 ギギギアルが凄まじい電気エネルギーを身に纏う。水中を通過した影響で濡れた身体もじょじょに乾いていく。

 

 まだ水は蒸発しきっていない! 凍らせればまだ!

 

「ブルンゲル『れいとうビーム』!」

 

 悲鳴のような声を出した。ブルンゲルも瞬時にエネルギーを溜めて、ギギギアルに狙いをつけた。

 

「ギアアアア!」

 

「ブルウウウウ!?」

 

 しかし遅すぎた。『ギアチェンジ』で高まったスピードは純粋な機動力だけでなく、技の出の速さにも影響する。攻撃力も上昇し、『エレキフィールド』を展開された今、体力の回復しきっていないブルンゲルでは到底受け止め切れなかった。

 

「ぶるぅ……」

 

 これが結末。これが敗北。

 

 私たちの物語がこんなにも呆気なく……。

 

—————————————————————————————

 

 テンテンテテテン♪

 

「お預かりしたブルンゲルとギギギアルはすっかり元気になりましたよ」

 

 ジョーイさんの声が遠く聞こえる。

 

「ありがとうございます」

 

 それと反比例するようにダイアくんの声が身近に聞こえる。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 絞り出したような声はどことなく息苦しさを感じさせるものだった。ブルンゲルの入ったモンスターボールがいやに重く感じられる。

 

 ああ、私負けたんだなって今更ながらに思う。リベンジがしたい。この物語を塗り替えるような鮮烈なバトルをもう一度……。

 

「もう心残りはねえ」

 

 待って。待ってよ! 私はまだ……!

 

「ありがとなシキミ。楽しいバトルだった」

 

 ダイアくんが切れ長な目を細めてそう言った。その声音には嘘なんて何一つないはずなのに、私の心は『嘘だ』と叫んでいる。

 

「・・・・・・はい、私も……わたしも楽しかったです」

 

 もっと楽しいバトルができたはずなのに。

 

 そんな心を押し殺して私はただ頷いた。

 

「じゃあなシキミ。イッシュリーグ制覇の吉報、待ってるぜ」

 

「っ、次は絶対に勝ちます!」

 

「おう」

 

 ギギギアルのボールをホルダーに戻し、リュックを肩にかけたダイアくんは満たされたような、吹っ切れたような晴れ晴れとした表情でポケモンセンターを後にした。

 

 本当にこれでいいのかな。

 

—————————————————————————————

 

 翌日。

 

「書けなくなったぁ? アンタが?」

 

 場所は変わらずポケモンセンター。常備されている通信機から編集者のアスカさんの間の抜けた声が機械的に鼓膜を揺らした。初めて体験する奇妙な罪悪感を新鮮に感じる余裕もなく私は映像が見えない位置で指を弄りながら答える。

 

「はい。お恥ずかしい限りですが、私はしばらく原稿を上げられそうにありません」

 

「いやそれはいいよ。流石にイッシュリーグと並行して原稿上げるのは無茶だと思ってたし、途中で音をあげるとも思ってたけど……」

 

「そんなことを思われていたんですか……まあ実際に音を上げた以上弁明の余地もないですけど」

 

「ああ、ごめんごめん! そういう意味じゃなくてね・・・・・・え〜と」

 

 アスカさんはバツが悪そうに細い煙草を吹かして、間をとった。彼女が困ったときにする仕草はここ2年の付き合いを経て把握している。けれど、彼女がここまで言葉を濁したことは一度もなかった。

 

「・・・・・・最近のアンタ見てると凄く退屈そうだったから、バトルもなんだかパターン化してて得るもの少なそうだったし、小説の調子も全体的に悪かったでしょ?」

 

「・・・・・・・・・・・・やっぱりわかりますか?」

 

「当たり前よ。アンタの作品は彼此5年も見てる」

 

「2年です」

 

「・・・・・・そういう気持ちでやってるってこと。アンタ原稿上げる頻度が毎度早過ぎるのよ。私は普通の小説家の原稿5年分はアンタの小説読んでるの。たった2年でね。わかる? だからさ———」

 

「———アスカさん、どうしよう・・・・・・」

 

「え?」

 

 自然と声が震えた。多分アスカさんは何かしらの励ましの言葉を私にくれるはずだった。けれど、急に胸の底から不安感が押し寄せてきて、今ここで曝け出さないと取り返しのつかないことになる気がして、零れる一滴の涙を皮切りに思いの丈が溢れ出した。

 

「ふとした瞬間に筆が止まるんです。いつもはとにかく筆を走らせることに集中していたのに、もっと素敵なアイデアがきっとあるって考えちゃって、気がついたらメモ帳の端にインクが溜まって……鉛筆で書けばよかったなんて、初めて思いました」

 

「シキミ・・・・・・アンタ」

 

「きっかけは絶対にダイアくんとのバトルでした。けれど、私は……ワタシは! あの素敵なバトルを書けない理由にしたくないんです!」

 

 私は恥も忘れて通信機に縋りついた。

 

「教えてください……私が書けるようになるには、どうすれば……いいんですか?」

 

 下を向いていると眼鏡がカチャンと音を立てて落ちた。一滴また一滴零れる涙を呆然と眺めて私は答えを待った。

 

「引き分けはそんなに嫌だった?」

 

「・・・・・・はい。だからダイアくんと一対一の再戦をしたんです。酷かった! ただひたすらに酷いバトルでした。私は終始彼に翻弄されてなにもできずに終わってしまいました」

 

「なるほど。アンタはダイア・ロックに負けたんだね?」

 

「はい。でもそれが嫌だったわけじゃないんです。私が変わるきっかけをくれた彼に、あんな醜態を晒したことが情けなくて———」

 

「———嫌じゃなかった? そりゃおかしな話だね」

 

「え?」

 

 アスカさんはそう言って煙草を握り潰した。

 

「シキミ、アンタの話通りなら、まだアンタをポケモントレーナーとは呼べないよ」

 

「な、なんで、ですか?」

 

「だってアンタ悔しくないんだよね?」

 

「そんなこと……! 悔しいに決まってます! アスカさんが私のどこをどう見てそう思ったのか知りませんけど、私はあのバトルに本気で臨んだんです!」

 

「途中からね」

 

「あ……」

 

「フワライドとユキメノコ。もう少し上手く立ち回れたでしょ? フワライドはドータクンに一撃、ユキメノコはナットレイを倒したとはいえボスゴドラに一撃、他にも反省すべき点はあったはずよ」

 

「わたしは……」

 

「アンタの悪い癖だよ。なんでもかんでも美談にしてしまう。ハッピーエンドが好きなのは構わないさ。けどね、全部が全部ハッピーなら世界に敗者は必要なくなるんだ。勝者だけの世界なんて考えるだけでつまらない」

 

 アスカさんは苛立ちを隠せない様子でもう一本の煙草に火をつけた。

 

「もう一度聞くよ? アンタはダイア・ロックに負けたんだね?」

 

「……はい、負け、ました」

 

「それならもっと本気で悔しがれ! 書けなくて良かったよ! このままじゃアンタ、敗者にもなれないまま全てが終わるよ! 本当の意味での敗北も知らないで勝者を語るんじゃないよ!」

 

「っ!」

 

 足の力が抜けていく。訳もわからず床に膝をついた。

 

 なんなのこの感情。酷いなんてものじゃない。今すぐこの感情に効く抗生剤があるのならどんな副作用があっても飲んでしまいそうな、身体が耐えられないほどの精神的苦痛。

 

 わたし、まだ現実を受け止められてなかったんだ。

 

「でも、負けたことがないからわからないんです。次にどうするべきか」

 

「はあ、アンタはこれまで何を見てきたんだい? リベンジよリベンジ! 主人公がライバルに敗北し、その悔しさをバネに修行やライバルに勝つための要素を探す。ありがちな物語でしょ?」

 

「……でも、ダイアくんは地元のリーグに参加しに行くって、明日にはもう出発するって……」

 

「はあ!? アンタなんで追いかけてないの!?」

 

「だって、ダイアくんにイッシュリーグ制覇してって言われたから」

 

「それは向こうの言い分であって、アンタの意志とは関係ないでしょ? それともなに? アンタ惚れたの?」

 

「・・・・・・」

 

「惚れたからなんでもかんでも言うこと聞きたくなっちゃうの?」

 

「確かに好きにはなりましたよ。人間的な意味で。けれど違います。彼が形式上の敗者になった以上、私は彼の勝者になってしまったんです。だから、彼の分まで———」

 

「———あ〜、もういい気分悪い」

 

「へ?」

 

 アスカさんは再び煙草を握り潰すと、側に置いてあったパソコンを開いてタイピングの音を奏でる。

 

「ダイアは確かロック島出身だったね。んじゃあ、タチバナリーグ。リーグの受付は3日後のフレイム島のみ、結構ギリギリだね。その上航空便も少ないなっと・・・・・・おっ、あった! 明日の直行便!」

 

「ちょっ、アスカさん!? 急になにを!?」

 

「私の可愛い担当小説家に取材の依頼」

 

「取材って……私にはイッシュリーグが」

 

 私が迷う素振りを見せると、アスカさんは目尻に筋を立てながら、私を睨んでいた。

 

「ひっ!」

 

「変な言い訳に言葉尽くしてる暇あったらさっさと書く! それができないなら取材する! こちとら編集者なんだよ! 担当が書けないと私が困るの! わかる? イッシュリーグ優勝しても担当が書けてなかったら意味ないの! わかるよね? わかれよクソが!」

 

 ガンと机を蹴り飛ばしたような音が通信機越しに聞こえてきた。

 

「ああもう! 煙草切れた!」

 

 懐から取り出した煙草の箱をトントンと叩いて、中身がないことがわかるとグシャリと握り潰し、床に投げ捨てた。

 

「あ、アスカさん、一旦落ち着いてください」

 

 数回空の煙草の箱を踏み潰して落ち着いたのか、アスカさんが真剣な表情で改めて口にする。

 

「で、行くの?」

 

「はい?」

 

「このままアンタが優勝しても、アンタはたった一度の敗北に縛られることになる。私もイッシュリーグに参加したことはある。ラスト一個のバッジを集めるのに苦戦して、別のジムで妥協したのは私の一生の恥だよ」

 

「……っ」

 

「なんで妥協しちゃったかなって5年・・・・・・じゃなかった。2年前までずっと考えていたよ」

 

「どうしてそれを私に言うんですか。それじゃあまるで……」

 

「だってアンタの小説はいつだってハッピーエンドを諦めないからさ……」

 

 彼女はポケットから一つのバッジを取り出した。刺々しい見た目とは裏腹に荘厳な黒のコントラストが輝くソウリュウジムのレジェンドバッジだった。

 

「私も私の人生をハッピーにするために未練を断ち切る勇気をもらったんだよ」

 

—————————————————————————————

 

 ピーンポーンパーンポーン

 

『大変お待たせ致しました。フキヨセ航空にてフレイム島へご出発のお客様にご案内いたします。○○航空◻︎△便、フレイム島行きは全てのお客様を機内へとご案内いたします。搭乗券とパスポートをご用意の上、7番搭乗口よりお進みください。皆様のご協力をお願いいたします』

 

「イッシュ地方も見納めか」

 

 煌びやかで派手な光の中にある繊細なデザイン。どこを見ても楽しめる地方だった。ヒウンアイスはもう一回食べてみたかったな。あれは美味かった。

 

 ジム戦も各々のスタイルがあって得るものが多かった。特にドリュウズが攻撃技だけで全ての策を圧倒してきたヤーコンさんのバトルは俺に新しい景色を見せてくれた。

 

「行けると思えばどこまでも、やれると思えばいつまでも。とことん極めて見せますよ」

 

 ここには居ない彼への決意を口にして立ち上がる。

 

 搭乗券を挟んだパスポートを片手に搭乗口を通り、ビル一つ見えない空港を眺めてイッシュを名残惜しむ。

 

 航空便に入るギリギリまで外を眺め、機内に入ると同時に切り替える。俺はタチバナリーグを制覇する。その新たな目標を胸に指定された座席を探していた。

 

「Dの2、Dの2……っとここか。・・・・・・ん?」

 

 座席はここで合っている。合っているが問題はそこじゃない。

 

「すぅ……すぴぃ」

 

 上下紫色に染まった衣服、外された丸縁眼鏡がシートポケットにかけられており、見覚えのある女性がマフラーを枕代わりに眠っていた。

 

 横になって。

 

「・・・・・・」

 

 思わず無言になる。5秒、10秒、あるいは20秒だったかもしれない。とにかく俺はその衝撃的な光景に呆然としていた。

 

「すみません。前に進んでいただけませんか?」

 

「っと、失礼しました」

 

「いえいえ」

 

 後続の乗客に急かされて座席の隙間に入ったが、彼女は変わらず寝息を立てていた。

 

「すぅ、すぅ」

 

「・・・・・・お〜い、起きてくれシキミ」

 

 できるだけ小声で伝えると彼女は口元をムニムニ動かしながらゆっくりと瞼を上げた。

 

「んぅ……あっ、私横になってたんですか。すみません、今日は徹夜だったので」

 

 マフラーを抱いて身体を起こした彼女は軽く伸びをして、「ふわぁ」と緩やかに欠伸をこぼす。

 

「そうか。で、イッシュリーグはどうしたんだ?」

 

「んぁ?」

 

 ようやく意識がはっきりしたのか、焦点の合った瞳で俺を映すとシキミはにこやかに、そして誇らしげにピースサインを掲げた。

 

「私の未練を断ち切るための犠牲になりました♪」

 

「・・・・・・そう、か。そりゃ予想外だったな」

 




書き方コロコロ変わっちゃってすみません。
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