鉄華団が滞在している、ネオヤマト・コロニーの宇宙港。埠頭の片隅に係留された彼らの母艦〈イサリビ〉は、無数の傷が刻まれた赤い巨体を休めつつ、穏やかな朝のひとときを迎えている。
今、その船内では一人の少女が、世界全体で見ればごくありふれた、しかし彼女にとっては大きな勝負に挑もうとしていた。
「あっ、タグ付いてる!」
素っ頓狂な声が上がったのは、〈イサリビ〉に乗船している女性陣に対し、一人一部屋ずつ当てがわれている鍵付きの個室。
その内の一室にて、アトラは小さな体を目一杯捩りながら、服の裾を引っ張って、どうにか鋏でタグの紐を切る。
「危なかったあ。恥ずかしすぎだよ、もう……うん。これで大丈夫、だよね?」
自室に備え付けの鏡の前で、アトラは身体を捻ったり傾けたりしながら、どこか変なところが無いか、いつも以上に入念にチェックする。
ここまで身だしなみに気を配るのには、もちろん理由がある。
(三日月と、二人っきりでデートだもん。絶対、絶対成功させないと!)
火星を発つ以前から、三日月に想いを寄せていたアトラであったが──この度、一大決心をして、二人で外出する約束を取り付けることに成功した。
その決戦の日こそ、まさに今日である。
服装のチェックを終えると、今度は数日前に買ったばかりの肩掛け鞄を開けて、中身を一つ一つ確認する。
「お金に、リップに、
忘れ物無し。気合い十分。出撃準備、完了である。
ただ一つだけ、気がかりがあるとすれば。
(クーデリアさん、ごめんなさい。本当は一緒がよかったけど……)
アトラが三日月を好いているのと同様に、クーデリアもまた三日月を好いていることを、アトラは知っている。いわば二人は、恋のライバル──なのだが、アトラはあれこれ考えた末に「三人仲良く一緒になれば全てが丸く収まる」という
なお、この将来計画は三日月には話していない。クーデリアには話したのだが、今のところちょっぴり引き攣った、困惑したような笑顔を返されたままだ。
ともあれ、アトラは三日月の愛を、クーデリアと自分の二人で分かち合おうと決意した。
けれども、今日のアトラはその決意を、敢えて自ら破るのだ。何故なら。
(三日月を、繋ぎ止めるためだから)
三日月の右目が見えなくなり、右腕が動かなくなったと、彼自身の口から聞かされたとき──あっけらかんとしていた本人とは裏腹に、アトラの胸は張り裂けそうなほど激しく痛んだ。
そして、実感した。
このままではいつか、三日月はアトラの側から離れて、どこか遠いところに行ってしまうかもしれない。あるいは、敵との戦いには勝てても、〈バルバトス〉に連れていかれてしまうかもしれない。
だから、繋ぎ止めなくてはいけない。
離れてしまわないように。帰りたい、帰らなければならないと思えるように。
三日月がいなくなるのは、きっと、自分が傷つくよりも、怖いから。
(だから……だからごめんなさい!
いざ、約束の地──待ち合わせの場所へ。
鞄を肩にかけたアトラは、部屋の時計を一瞥し──顔色を変えるや否や、扉を開けて一目散に走り出した。
◆
『オセアニア宇宙運送、グラナダ行き定期便、まもなく乗船を開始いたします。保安検査がお済みでないお客様は、至急、保安検査場までお越しください──』
人のざわめきにかき消されそうになる、澄んだ声のアナウンス。何処かから来た人々と、何処かへ行く人々が交錯する、宇宙港のロビー。
待ち合わせ場所に指定された、大きな時計のオブジェの前で、三日月は一人、来るべき人の影を探す。
「…………まだかな」
約束の時刻を少し過ぎたところだが、アトラの姿は見えない。もしかして場所を間違えただろうか、と、三日月は少し不安になる。
二人で一緒に出かけないかと、アトラに誘われたのは一昨日のこと。丁度暇を持て余していたこともあり、三日月はその場で快諾した。噂を聞きつけた団員には軽く茶化されもしたが、かく言う三日月自身、アトラと共に外出できるのはかなり楽しみだったりする。
大きな声が聞こえ、三日月は反射的に顔を向ける。旅行客と思しき、沢山の荷物を持った親子連れ。子供の歳は、幼年組のエンビやエルガーよりも少し下ぐらいだろうか。何やら駄々をこねる子供に、両親が手を焼かされているようだ。
自分にもし、親がいたら──と、三日月は思いを馳せつつ、名も知らぬ家族を遠巻きに眺める。
「三日月いー!」
耳に届く、聞き慣れた声。
「ごめーん! お待たせー!」
こちらに向かって手を振る人影は、待ちわびたアトラその人。人混みを器用に躱しながら、息を切らしてこちらに駆け寄ってくる。
白の長袖ブラウスはいつか見た雪のように眩く、丈の長い
三日月は思わず、目が釘付けになる。
「はあ、はあ……ごめんね。待ったでしょ?」
「ううん、俺もさっき来たとこ」
オブジェの前に辿り着き、息を整えるアトラを気遣いつつも、三日月はつい、その姿に見入ってしまう。
アトラは普段、動きやすいショートパンツを好んで着用しており、記憶にある彼女の服装もまた、殆どがズボン姿である。そんな彼女がスカートを履いているというだけで、三日月の目にはとても新鮮に映るのだ。
「えっと……三日月?」
どことなく不安げな声色のアトラに尋ねられて、三日月は我に返る。
「ああ、ちょっとびっくりしてた」
「え?」
「その服、可愛いね」
「……ふえっ!?」
アトラの頬が、一瞬で朱に染まる。
「ど……どうかな? 似合ってる?」
「すごく似合ってる」
追撃を受けたアトラの顔は、いよいよ林檎のように真っ赤である。
親しい人への賞賛は素直に伝えるのが、三日月という男なのだ。
「ああ、その、きょ、今日はよろしくね三日月!」
「うん、よろしく」
動きも表情も豊かなアトラと一緒にいると、それだけで今日は良い一日になりそうな予感がしてくる。
何を思っているかわかりにくい──そう言われがちな三日月にだって、心が躍るときはあるのだ。
楽しげに言葉を交わす二人を、物陰から見つめる影が三つ。
「ふうーッ。一時はどうなるかと思ったが、どうにか上手くいきそうだな」
実況を務めるシノ。
「本当は二十分前から待機してたが、気を遣わせねえよう敢えて『さっき来た』と言う……常套手段だな」
解説役のユージン。
「なあ、帰って良いか?」
そして、いつも通り日課の筋力トレーニングに励んでいたはずが、気がついたら何故か巻き込まれていた昭弘である。
「バッカお前、今帰ったら任務完了できねえだろうが!」
「いや、任務っつうか、覗き見だろ……」
トレーニングの邪魔をされたことはまだ許すとして、仮にも仲間──しかもデート中の──をつけ回すことには今一つ気分が乗らない。というより、なんとなく、やっては駄目なことをやっているような気がする。
だが、そんな昭弘の心境とは裏腹に、語気を強めるシノの眼差しは、真剣そのものであった。
「いいや、これは真っ当な護衛任務だ。
「いや、けどよ……」
戦闘と女に関すること以外でここまで気合いの入ったシノを、未だかつて見たことがあっただろうか。
食い下がろうとする昭弘に対し、シノはさらに衝撃的な一言を放った。
「この作戦には、オルガやビスケットの許可だって出てんだ」
「……嘘だろ……?」
てっきりシノが勝手にやり始めたものと思っていたが、まさか年長組の中でも真面目な側に属する、鉄華団のツートップと言える二人も一枚噛んでいるとは。
流石の昭弘も、これは予想外である。
「嘘じゃねえ。大マジだ。後でアイツらのイチャつきっぷりを報告するっつう条件付きでな」
「マジかよ……」
「シッ! お前ら、ターゲットが移動するぞ」
ユージンの言葉通り、仲良く並んで何処ぞへと動き始める男女二人。
少し離れてその後を、悟られないよう身を隠しながら追う、三人の男たち。
今日は変な一日になりそうだと、昭弘は大きく息を吐いた。
◆
綿密な都市計画に従って、コロニー内部に建設された街の一角。
今日はどうやら休日らしく、種々様々な店舗が立ち並ぶアーケード商店街は、多くの客で賑わっている。
「あれ美味そうだな……」
「あ、じゃあ買って食べる?」
「良いの?」
「うん! 私も気になるから」
小さな行列ができている店のカウンターにて、アトラは暫し悩み、三日月は即決で、一緒に買ったソフトクリーム。少し行儀は悪いけれど、二人並んで歩を進めながら口に運ぶ。
柔らかく口当たりの良い冷たさが、歩き回って火照った体を、心地よく冷ましてくれる。
「この辺、変わった服の奴が多いな」
「
「可愛いけど、動きにくそうじゃない?」
「んもー、夢がないんだから……」
などと呆れられつつも、三日月は隣でほっぺたを膨らませるアトラに、先ほど目にした服を想像の中で着せてみる。
頭には大きなピンクのリボン。各所に小さなリボンをあしらった、白とピンクのフリルのワンピース。背中には小さな羽をつけ、手には白いクマのぬいぐるみを抱えて。
──大人っぽい雰囲気の服も良いが、これはこれで。
「……もう、何考えてるの」
「別に」
最後に残ったコーンの先端を口に放り込み、
両手で持ったコーンに齧り付くアトラを横目に収めつつ、三日月はゴミを捨てる場所を探して、周囲を見渡す。
「……?」
そのとき、三日月が背後に顔を向けたのは、確かな気配を感じたからではない。
例えるなら、戦いの日々の中で磨き抜かれた勘というべきものが、たまたま三日月に後ろを振り向かせたのだ。
「三日月?」
「……何でもない。行こうか」
とはいえ、勘とは常に当たるようなものでもない。
屑かごが見つからなかったので、ゴミは上着のポケットに入れることにした。
「……あっっぶねええ。見つかったかと思ったぜ」
一方、こちらは脇道の影から様子を伺う、シノ、ユージン、そして昭弘。
この三人は普段着ている鉄華団のツナギではなく、白地の半袖Tシャツに下はジャージ、そして申し訳程度のサングラスという出で立ちだ。流石にいつもの格好だと目立ち過ぎるということで、シノが前日にその辺の店で適当に見繕ったものらしい──本当に何も考えずに選んだようで、それぞれ微妙にサイズが合っておらず、ひときわ筋肉質な昭弘に至ってはTシャツがパツパツになってしまっている。
なお、各々のTシャツの背中には、やたらと力強い筆さばきで『敢えて言わせてもらおう!』『阿修羅すら凌駕する!』『まさしく愛だッ!』と書かれていたりする。
「なあシノ……俺たち、本当に大丈夫なのか?」
昭弘に尋ねられたシノが、右手の甲で額を拭う。
三日月がいきなりこちらを振り向いたときには、さしもの昭弘も冷や汗が噴き出したのだが。
「ああ。三日月にバレたら命は無えだろうな……!」
「やっぱり帰って良いか?」
言うが早いか、昭弘は踵を返そうとするが、抵抗虚しくシノに羽交い締めにされた。
「馬鹿野郎! 敵前逃亡は重罪だぞ!」
「放せ! 俺は帰る!」
「お前ら声抑えろ! アイツらに気づかれるだろうが!」
仲間割れを起こしつつも、三人の奇妙な
◆
三日月とアトラが訪れたのは、商店街のすぐ隣に建つ映画館であった。
火星の街にも寂れた映画館はあるが、こちらはそれよりもずっと洒落た建物で、通りに面して大きく張り出されたポスターが、道ゆく人々の目を引きつける。
そしてもちろん、後ろをつけていた三人も同じ場所だ。
「映画かあ。デートの定番つったらだな」
「まあ、ここには遊園地なんて無えからな」
三人の視線の先には、インパクトに溢れるポスターを指差しながら、何やら楽しげに話している三日月とアトラ。
昭弘たちは気づかれないよう慎重に距離を保ちつつ、二人の仕草から、目当ての映画を割り出そうと試みる。
「映画で思い出したけどよ。帰りにまたどっかでホラー上映会やろうぜ、ユージン」
「またやんのかよ。夜中にトイレの付き添いで起こされんのはもう嫌だぜ?」
昭弘はあまり映画を嗜まない方だが、まだ家族が生きていた頃、父親と一緒に映画を見に行った記憶が、朧げながら自らの中に残っている。
〈イサリビ〉のデータアーカイブには、長期航海時の気晴らしのため、何種類かの娯楽映画も記録されている。あるいはその中に、あの日の思い出と同じ映画も、存在しているのだろうか。
「ん、どしたんだユージン? 思い出してチビったか?」
「んな訳あるかアホ。そうじゃなくて、アイツらのことがな……」
シノに声をかけられたユージンは、奥の券売機へと向かう二人を、何やら浮かない顔で見つめている。
「前にタービンズの人らが言ってたんだが……デートで映画ってのは、簡単なようで実は難しいんだとよ」
「選ぶ奴のセンスが、ってことか?」
「それもあるが、好みの合う合わないが一発でわかっちまうからな。誰がどう見たってクソな映画ならまだネタにできるが、感想が割れちまったときが最悪だ。下手すりゃそれで、一気に冷めちまうこともあるらしいぜ?」
まあアイツらに限って、滅多なことは無えと思うが──と述べつつも、晴れやかでない面持ちのユージン。
そんな彼の懸念を他所に、券売機でチケットを買おうとしている三日月とアトラ。
それを観察していたシノが、二人に目を向けたままで。
「──よし、俺らも乗り込むぞ!」
「シノ!?」
首が捩じ切れんばかりの早さで昭弘は振り向いた。
「正気か!? いくらなんでも流石に見つかんだろ!」
ユージンも今度ばかりは慌てた様子で、声を抑えつつも食ってかかる。
だがシノは反対意見にも動じることなく、むしろ自信ありげな表情だ。
「たまたま見るもんが被ったふりして、堂々としてりゃ大丈夫だ。出先で知ってる奴とばったり会ったって、別におかしくはねえだろ?」
シノの作戦を受けて、顎に手を当てるユージン。
昭弘が三日月とアトラに目を遣れば、二人して券売機の画面に向き合いながら、同じ方向に首を傾げている。
どうやら、チケットを購入するのに、少しばかり苦戦しているようだ。
「……そうだな。どの道このままじゃ気になって眠れねえ。わかった。乗るぜ」
ユージンは覚悟を決めたらしく、さながら戦いに赴くときのような、緊張感を漂わせた笑みを見せる。
昭弘は──正直まだ気は進まないが、ここでこのまま帰るのも、それはそれで心残りである。三日月とアトラが見る映画に──二人の趣味ではなく、あくまで映画そのものに対して──興味が湧いてきたのも事実だ。
故に、昭弘はシノの視線に、無言で頷きを返す。
「決まりだな──っと、終わったみてえだ」
無事に目当てのチケットを手に入れられたらしく、三日月とアトラが券売機から離れていく。
二人が物販コーナーに気を取られている隙に、券売機の前へと移動する昭弘たち。
「……どうするんだ……?」
「あー……ユージン先生」
「ったく、しょうがねえな……えーと、タイトルは何だっけか……」
慣れない画面に戸惑いながら、どうにかチケットを買うことができたのは、上映が開始される七分前のことだった。
(後編に続く)
某名言Tシャツの組み合わせは以下の通りです。
・敢えて言わせてもらおう!:ユージン
・阿修羅すら凌駕する!:昭弘
・まさしく愛だッ!:シノ