咲き誇る鉄の華   作:ハトンビー

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夜明けの地平線団編
新たなる日常


 

「すいませーん! 誰かいません、か……」

 

 小さな畑の中に人影を見つけて、ハッシュ・ミディは言葉を詰まらせた。

 照りつける日差しの中、その人影は畝の傍らにしゃがみ込んで、生えている雑草を片っ端から引っこ抜いていた。

 彼の動かない右腕はアームホルダーで吊るされ、タンクトップの背中からは、無機質な三つの突起が青空の下に姿を晒している。

 

「……ん」

 

 ハッシュに顔を向けたその人物は、三日月・オーガス。名声を轟かせる鉄華団の遊撃隊長にして、最強戦力と謳われる張本人。

 だがハッシュは今のところ、格納庫で寝転がっている姿しか見たことがない。つい先日も寝ている彼を見かけて、思わず揶揄するように毒づいたら、居合わせた先輩にすかさず注意された──嫌な思い出だ。

 

「誰だっけ?」

「ああ、ハッシュ・ミディです、新入りの……あのこれ、頼まれたんで、持ってきたんですけど」

 

 ハッシュが掲げた右手には、透明なフィルムで包装された、プラスチック製のスプレー。

 つい先程、先輩の団員から、ここに持っていくようにと指示を受けたのだ。

 

「ありがと。そこに置いといて」

「ウッス」

 

 三日月が指差した地面の上に、ハッシュはそっとスプレーを置いた。

 スプレーの側面には、デフォルメされた虫らしき生き物が、目を回しているイラストが描かれている。

 

「……何に使うんですか、これ?」

 

 つい口に出してから、しまった、とハッシュは眉間に皺を寄せた。

 しかし、ハッシュの胸の内を、三日月は気にする素振りもない。

 

「農薬。葉っぱに虫が寄らないようにする──去年は、全部食われたから」

 

 その声色からして、葉を食い尽くしたという虫に恨みを抱いているようだ。

 ハッシュが畝に目を遣れば、なるほど、野菜たちの青々と茂る葉には、ところどころ虫に齧られたと思しき穴が空いている。

 

「何、育ててるんですか?」

 

 この際なので聞いてみた。

 三日月はゆっくりと立ち上がり、軽く腰を反らせてから、畝を順番に指差した。

 

「これはカボチャ。あっちはトマト──俺の畑だから、勝手に食ったら駄目だよ」

「……ウッス」

 

 盗人扱いされるのは心外だが、スラム育ちのハッシュは残念ながら、飢えに耐えかねて盗みを働いた経験もある。故に、ただ黙って頷くことしかできなかった。

 長時間しゃがみっ放しだったらしく、足腰を曲げ伸ばしする三日月。

 その背中から生える三本の突起に、ハッシュの目は吸い寄せられる。

 

(鬼神だ悪魔だなんて言われてるけど、この人も多分、()()……でも、それでも働ける……)

 

「……背中に、虫でもいる?」

 

 三日月の声が耳に届き、ハッシュは慌てて目を逸らした。

 

「あ、いや……そろそろ、戻ります」

「うん。訓練、頑張って」

 

 三日月は再び座り込んで、草毟りを再開した。

 ハッシュはその背中を眺めながら、心の中で呟いた。

 

(……よく、わかんねえ)

 

 これが、ハッシュと三日月が交わした、初めての会話らしい会話だった。

 

 

 

 時に、P.D.(ポスト・ディザスター)三二五年。

 火星の、ある昼下がりのことであった。

 

 

 

 

 

 

 鉄華団によるエドモントン侵攻から、二年。

 世界は少しづつ、しかし着実に変化した。

 

 

 

 アーブラウ政府との交渉を経て、念願のハーフメタル利権を手にした火星。その恩恵はアーブラウ植民地域から、他の経済圏に属する地域へも波及しつつある。

 交渉を見事成功させたクーデリアは、後ろ盾であるテイワズの協力の下、ハーフメタルの採掘、一次加工、輸送業務を担う『アドモス商会』を設立。社会的弱者の救済と、火星全土の経済的独立のために、日々奔走を続けている。

 一方、一連の戦いで名を上げた鉄華団は、ハーフメタル利権を手土産に、テイワズの直系団体へと昇格。

 その実績は地球圏、圏外圏を問わず広く知れ渡り、元は少年兵の集まりに過ぎなかった鉄華団は、いつしか同業者も羨む、屈指の急成長企業となっていた。

 

 

 

 

 

 

 ハッシュの平日は、朝六時半の起床から始まる。

 手早く身支度を済ませ、七時に皆で朝食。八時に朝礼をしたら、すぐに訓練が始まる。

 新兵の最も多い訓練メニューは、走り込みや腕立て伏せといった体力作りだ。他にも、読み書き計算をはじめとする座学、塹壕掘りや徒手格闘、銃器の取り扱いにMWの操縦等々、訓練内容は日によって様々。たまに訓練の代わりに、農場の手伝いに駆り出されることもある。

 途中で一時間の昼休憩を挟み、十七時に訓練は終了。夕食後は自由時間だが、日によっては勉強会が開かれたり、夜間訓練が課されたりするときもある。消灯は夜の二十二時で、目を閉じればまた朝が来る。

 訓練はきついし、覚えることは山ほどあるが、それでもスラム街にいた頃と比べれば天国だ。住処は保障され、夜盗に襲われる心配も無く、服の洗濯も、シャワーを浴びることだってできる。何より、毎日欠かさず三度の飯にありつけるだけで、ここに来る前よりも、ずっと人間らしい生活だと言えるだろう。

 

 

 

「オラァ新入りども!! ペース落ちてんぞ! 根性見せろや根性!」

 

 ハッシュの頭上から、聞き慣れた怒鳴り声が響く。

 彼を含む新米団員たちは、今日も今日とて、小高い丘の上を走り込みの真っ最中だ。

 現在は七周目に差し掛かったところ。ハッシュは少しペースを()()()()()、前方集団を見据えて淡々と走り続ける。

 ハッシュの隣では、リーゼント頭がトレードマークのザック・ロウが、へろへろになりながら足を動かしていた。

 

「ゼェ……ゼェ……血の味がしてきたっすぅ……」

「ザックぅ! チンタラしてっと、もう一周増やしちまうぞお!?」

「えええ〜っ!?」

 

 訓練教官のシノから、ザックへと雷が落ちた。

 道端の一段高くなった所で、仁王立ちしているシノ。毎回こんな感じで新人たちを怒鳴りつけているので、ハッシュの周りでは密かに『鬼教官』と呼ばれている。

 

「ほら、あと半分だ。頑張れ」

「お前は、なんでそんな、余裕なんだよ……!」

 

 ハッシュが励ましの声をかけると、息も絶え絶えな返事が返ってきた。

 ハッシュとザックは、共に予備隊に配属された同期であり、複座式のMWでバディを組んでいる。普段のハッシュは前方集団と同じくらいの速さで走っているのだが、今日はザックに合わせて、わざとペースを落としていた。バディ同士で助け合うこと、というのが、今日の訓練の課題なのだ。

 

「なあハッシュ? ちょっと、休みながら走ろうぜ?」

「ペース乱すと、余計キツくなるぞ」

「ぬおあ〜ッ! ちっくしょお〜ッ!」

「……頑張ろう」

 

 後ろを走っているデイン・ウハイが、いつもの調子で静かに呟いた。

 デインはハッシュよりも一月早く入団しており、二人と違って整備班の所属だ。今日は人数の関係でペアからあぶれたため、ハッシュたちと同じグループになっていた。

 新人の中でも一際図体がでかいデインは、その分体も重いらしく、ザックほどではないが辛そうだ。

 

「くっそお、あの鬼教官、いつか見返して──」

 

 ザックの恨み節は、遠くから届いた轟音によって、途中で遮られた。

 

「おお、すっげえ……」

「やってるな」

 

 ザックとデインに釣られて、ハッシュが音のした方に顔を向ければ。

 新団員たちの憧れである、葡萄酒色(ワインレッド)のMS二機が、今まさに模擬戦を行っていた。

 

 

 

 

 

 

 モニターのすぐ向こう側で、二つの巨大な武器(パルチザン)が正面からぶつかり合い、ダンテを乗せた〈獅電〉のコクピットが音を立てて振動する。

 

『ダンテ! 反応遅い!』

「くっ……!」

 

 無線越しに届くアジーの指導。

 ダンテは歯を食い縛りながら、両手にそれぞれ握った操縦桿を右へ左へと動かし、対峙するもう一機の〈獅電〉が振るうパルチザンを、やっとの思いで捌き続けていた。

 STH-16〈獅電〉。テイワズの技術力で開発された、大量生産(マスプロダクト)モデルの汎用型MS。内部フレームには、従来の〈テイワズ・フレーム〉をベースとして、量産向けに設計を最適化した〈イオ・フレーム〉を採用。戦力拡充に勤しむ鉄華団へ、テイワズが格安提供してくれた新鋭機だ。

 眼前の〈獅電〉を駆るラフタのよく通る声が、通信と外部スピーカーの両方を通して響き渡る。

 

『ほら、ほら、ほら! 守ってばっかじゃ勝てないよ!』

「んなこと言われても……!」

 

 念願叶ってMSパイロットとなったダンテだったが、模擬戦ではラフタに翻弄されっぱなしだ。自分で言うのも悲しいが、練度が違いすぎる。

 せめて阿頼耶識システムの恩恵があれば、力量差も少しは埋まるかもしれないが、そうは問屋が卸してくれない。

 何しろ〈獅電〉には、阿頼耶識システムが搭載されていないのだ。

 曰く、厄祭戦時代の遺物である阿頼耶識システムは、今では得体の知れない部分が多いため、テイワズ製のシステムには乗せられないという。また、新たな団員たちが危険な手術を受けなくて済むようにしたい、という団長らの意向もあって、購入後に阿頼耶識を組み込むような改造も行われていない。

 故に〈獅電〉で戦えるようになりたければ、操縦桿とフットペダルによる操作を、体に叩き込むしかないのだ。

 

『そこ!』

「うおっ!?」

 

 重い一撃に半ば突き飛ばされるようにして、よろめきながら間合いを取ったダンテの〈獅電〉。

 ダンテはCGS時代に電子戦の訓練を受けていたこともあり、操作マニュアルについては比較的すんなりと覚えられた。だが、実際に機体を操って戦うとなれば、話は別だ。

 

『さあ、どうすんの!? カッコ良くなりたいんでしょ!?』

「うっ……うおおおお!!」

 

 ラフタに乗せられ、ダンテは操縦桿に配されたボタンを覚えた通りに叩いた。

 入力されたコマンドに応えてパルチザンの柄が延伸し、短槍から長槍へと瞬時に変形。続け様にスラスターを噴かせて突進しながら、ダンテの〈獅電〉はパルチザンを大きく突き出した──が。

 

『踏み込みが──甘いッ!』

 

 ラフタ機に自機のパルチザンを上からはたき落とされ。

 直後、強烈な衝撃。

 自機の胴体に、お返しの膝蹴りをもろに食らったのだ。

 

「だああああっ!?」

 

 宙を舞うダンテの〈獅電〉。

 そういえば〈獅電〉のモーションプログラムには、〈バルバトス〉の戦闘データが使われているんだっけ──と、思い起こしたダンテを乗せて、〈獅電〉は地面にキスをした。

 

「いってえ……」

『もう、勘弁してよね! アンタらが使い物になんないと──』

『うちら名瀬んとこに帰れないんだからね!』

 

 頭を摩るダンテへと容赦無く浴びせられる、お姉様方からのやや私怨混じりな熱血指導。

 倒れた〈獅電〉を起こしながら、ダンテは二人に聞こえないよう、小さな声で呟いた。

 

「キビシイィ……俺も今日は採掘場に行っときゃ良かったかなあ」

 

 

 

 

 

 

 赤茶けた荒野の只中にある、露天掘りのハーフメタル採掘場では、今日も作業員たちが汗水を垂らして働いている。

 そこかしこで唸り声を上げる重機たちに混じって、大地を歩く白いMSが一機。

 

『オーライ、オーライ、ストーップ! よーし、そのまま真っ直ぐ下ろしてくれ!』

 

 無線と手振りによる誘導に従って、ライドは作業員たちの位置を確かめながら、慎重に操縦桿を傾けた。

 ライドが乗る白い〈獅電〉が、両手に持ったスリングで吊り下げられたコンテナを、膝から屈むような動作でゆっくりと下ろしていく。

 

『ゆっくり、ゆっくり、よーし! OK、外すぞ!』

 

 地面に置かれたコンテナからスリングが外されたのを確認し、ライドは白色の〈獅電〉を立ち上がらせると、深々と溜息をついた。

 

「はあ〜あ。俺も模擬戦行きたかったなあ」

『文句言わないの』

 

 すかさずヤマギから無線越しの注意。

 地上のヤマギを拡大ウィンドウで表示すれば、その隣にはエーコもいて、こちらに手を振っている。二人の頭には、鉄華団のロゴが描かれた黄色いヘルメット。ライドの足元にも転がっている、採掘現場での標準装備だ。

 

『作業用〈獅電〉のデータ取りも、テイワズからの大事な仕事』

「わかってるよ……」

 

 大量生産を前提に開発された〈獅電〉には、幾つかの派生モデルが存在する。

 その一つが、ライドが操縦している民間向けモデル〈獅電作業型〉である。構造は通常の〈獅電〉とほぼ同じだが、砂埃が舞う地上での運用を想定し、関節は防塵仕様。作業用に出力は制限されており、スラスターは使わないからと全て蓋が被せられて、推進剤タンクも空っぽだ。頭部バイザーは通常機と少し異なる形状で、安価という理由で採用された白色の塗装は、今やすっかり土や砂にまみれている。

 団員たちが交代で動かしているこの機体は、将来の本格流通に向けたデータ収集のため、鉄華団が試験的に導入したものだ。今のところ採掘そのものには使われていないが、先程のような資材の運搬には役立っている。ついでに、MS戦に慣れていない団員たちの、丁度良いトレーニングにもなっていたりする。

 

『エーコさん、どうですか?』

『うんうん、調整はいけてるっぽいね。現場の受けは?』

『思ったより良いです。給油いらずで楽だって』

 

 そのまま専門的な会話を始めた二人は放っておいて、ライドは軽くストレッチをしながら、モニター越しに採掘現場を見下ろした。

 アドモス商会が管理するこの採掘場では、鉄華団の少年たちと、他の企業の大人たちが一緒になって働いている。大人たちは作業の安全には煩いが、少なくとも、かつての一軍のクズたちに比べればずっと善良だ。

 ライドだって、彼らが頼りにしてくれるなら、悪い気はしない。

 

「けどなー。やっぱこう、血湧き肉躍るっていうか──」

『おーい! 次はこっちを頼む!』

「はーい! 今行きまーす!」

 

 顔馴染みの作業員から呼ばれて、ライドは意識を仕事に戻した。

 

 

 

 

 

 

 鉄華団本部にある格納庫(ハンガー)の一角では、一台の小さな車が、整備班に属する団員たちの手で分解されている。

 機動兵器の整備に慣れ親しんでいる鉄華団は、その技術を平時にも活かすべく、車の修理に目を付けた。今はまだ、整備所の片隅を間借りする程度の小規模な業務だが、ゆくゆくは専用の建屋を用意することも検討されている。

 現場を纏め上げるのは、整備班長の雪之丞だ。

 

「こんくらいで切って、溶接すりゃあいけるだろ」

「おやっさん、サス取れました!」

「おう見せてみ──ああ、こりゃ交換だな。完全に錆び付いてら」

 

 ベテランの団員たちは時に雪之丞の知恵を借り、時に彼ら同士で助け合いながら、大人顔負けの手つきで作業を進めていく。配属されて日の浅い新米たちは、日々先輩たちの教えを請いながら、少しずつ腕を磨く。

 雪之丞からすれば、どちらも同じ子供である彼らを見守っていると、視界の端に、背の高い金髪の影が映った。

 

「ようおやっさん、調子はどうだ?」

 

 雪之丞が振り向けば、やって来たのはユージンだ。

 

「おうユージン。見ての通り順調だ。こんなとこで油売ってて良いのか、()()副団長?」

「現場を見るのも仕事の内だろ、整備班長?」

「ハッ、違えねえ」

 

 軽口を叩き合うのもいつものことだ。

 副団長を任命する話が出たとき、最初に名前が挙がったのはビスケットだった。だが当の本人が、いざというとき団長(オルガ)に代わって団を引っ張れる者が良いと、ユージンを推薦したのだ。それから何やかんやあって、現在は二人が共同でオルガを補佐している。

 

「ところでおやっさん、昭弘見てねえか? 新入りどもの配属について話してえんだけど」

「ああ、今日はなんか孤児院に荷物運ぶとかで、人足に行くっつってなかったか?」

「……そういやそうだったわ。てなると夕方まで帰らねえな。残業確定じゃねえか、ったく……」

 

 渋い顔で頭を掻くユージンを見ながら、雪之丞は小さく笑みを溢した。

 年長組としてはオルガよりも古参で、かつてはリーダー格だったこともあるユージン。鉄華団が立ち上がる前の頃は、やたらとオルガに突っかかりがちなガキだと思っていたが。

 

「んだ? おやっさん」

「いや、お前も中々、副団長っぽくなってきた、ってな」

「……オルガがよ」

 

 雪之丞が瞬きすると、ユージンは引き締めた顔を、車を整備している団員たちへと向けた。

 

「団長が似合わねえ真似やってんだ。俺もちったあ、役に立たねえとよ」

 

 

 

 

 

 

「……おい、なんかここ数合わなくねえか?」

 

 本部のオフィス。オルガはすっかり着慣れた葡萄酒色(ワインレッド)のスーツ姿で、デスクに肘をつき額を手で押さえながら、情報端末に表示された文書を睨みつけていた。

 

「えっ……ああ、すみません!」

「他はチェック終わったぞ。問題無しだ」

「はい、ありがとうございます」

 

 オフィスには経理担当のメリビット、会計担当のデクスターに加えて、オルガより年下の少年たちの姿もある。資料の誤りを指摘され、慌ててキーボードを叩いているのも少年団員の一人だ。

 地球から帰る船の中で、また火星に帰ってからも、何度となく開かれた勉強会。それに参加した団員たちから適正のある者を引き抜き、書類作成をはじめとする事務仕事に充てている。足りない分は、オルガや他の幹部たちが慎重に吟味した上で、信頼のおける大人を雇い入れた。

 先程のようなミスは日常茶飯事だが、それでも月日を経るにつれて、着実に質は向上しつつある。そうオルガは実感していた──主に、自分の仕事が、多少なりとも楽になることで。

 

「団長。こちらの資料、確認お願いします」

「……わかった」

 

 とはいえオルガ自身、朝から晩まで机に向かっているのは、苦痛以外の何物でもない。最前線で指揮を執っていた頃に比べれば、自分めがけて砲弾が飛んでこないだけ百倍マシではあるが。

 オルガは資料に目を通しながら、自らの予定を思い返す。

 明日は午前に取引先との商談。午後はタービンズとの打ち合わせに、定例の幹部会。それから、エイゼン商会の新事務所開業祝いに、花の手配もしなければ──。

 

「……ん?」

 

 オルガは何の気なしに、自身のパソコンに表示された時刻を見て、それからデスクワークに没頭しているビスケットに目を向けた。

 

「おいビスケット。そろそろ出る時間じゃねえのか?」

「──えっ? うわっ本当だ! すみません失礼します!」

 

 この場の誰もがその理由を知っているから、慌ただしく席を立ったビスケットを咎める者はいない。

 ビスケットの背中を微笑ましく見送っていると、メリビットがデスクの側にやって来た。

 

「いいお兄さんですね」

「あいつの家族思いは筋金入りさ」

「団長さんも彼を見習って、公私のバランスを保ってくださいね」

「……善処する」

 

 メリビットの迫力満点の笑顔から逃げるように、オルガは資料に目を戻した。

 

 

 

 

 

 

「もう、おにいちゃん遅刻!」

「おにい遅刻!」

「ごめんごめん。渋滞にハマっちゃって」

 

 後部座席から何とも可愛らしい非難を受けて、ビスケットはハンドルを握ったまま苦笑した。

 バックミラーの中で仲良く頬を膨らませているのは、小洒落た制服を着た双子の女の子、クッキーとクラッカ。

 ビスケットの、年の離れた妹たちだ。

 

「学校には、もう慣れた?」

 

 ビスケットが話題を逸らすと、クッキーとクラッカはぱっと顔を明るくし、口々に学校での生活について語り始めた。

 彼女らはクリュセ自治区が運営する寄宿学校に通っており、明日からの休みに合わせて実家に帰るところだ。

 迎えの車は、ビスケットが自身の給料を貯めて買った、中古の小型車。馬力はないが小回りが利くので、街中の移動には重宝する。

 

「もう難しい本も読めるよ!」

「今度おにいにも読んであげる!」

「おっ、それは楽しみだ」

 

 授業のこと。友達のこと。寮の食事のこと。

 楽しい日々の話に相槌を打ちながら、ビスケットは今は亡き兄のことを思う。

 ビスケットの兄サヴァランは、自身に多額の保険金を掛けており、その受取人に祖母の桜を指名していた。きっと、彼なりに弟や妹たちを、気にかけてくれていたのだろう。

 彼が遺してくれた金とビスケット自身の給料、さらに鉄華団との提携により大きく増えた農場収入を合わせて、妹たちを寄宿学校に入れることができた。

 兄の仕事仲間がくれた写真は、ずっと昔に亡くなった両親の遺影とともに、実家の居間に飾られている。

 

「みんな、おにいたちが大好きだよ! 鉄華団は英雄だ、って!」

「英雄?」

「そう! 火星のために戦った英雄!」

 

 夕刻のクリュセの空には、ヴェールのように薄い雲が掛かっている。

 歩道の通行人はまばらで、車の数も多くない。市の中心部からは少し離れた、賃貸住宅が立ち並ぶ静かな道だ。

 

「そりゃ嬉しいね。でもあんまり、自慢ばっかりしてちゃ駄目だよ? そういうのが嫌って子もいるだろうし──」

 

 車線の前方、路肩に駐められた一台の車が、視界に入ったその直後。

 

 

 

 その車が、閃光と共に爆発した。

 

 

 

「いいっ!?」

「「いやああーっ!?」」

 

 咄嗟にブレーキを目一杯踏み込み、つんのめりながら急停車した。

 衝突を回避できたことに安堵する間もなく、戦場で身に付いた怜悧な思考が、すぐさまビスケットに状況を確認させた。

 

「二人とも大丈夫!?」

「うん、大丈夫……」

「な、なに……?」

 

 自分とクッキー、クラッカは、シートベルトのお陰で無事だ。

 軽く見渡した限り、周囲に怪しい人影は無い。燃え盛る車の近くには、うつ伏せに倒れている一人の男──怪我人がいる!

 

「助けてくる! 二人は中に──」

「おにいちゃん!」

 

 外に出ようとしたビスケットを、クッキーが呼び止めた。

 妹たちの不安そうな目が言っている。

 危ないところに、行かないで。

 

「……大丈夫。ここにいて。シートベルトは外してね」

 

 彼女らを安心させるようにビスケットは笑って、車から降りると、遠巻きに眺めている野次馬へと声を張り上げた。

 

「怪我人がいます! 手を貸してください!」

 

 

 

 

 

 

「──そうか。何かあればすぐ連絡してくれ。じゃあ、またな」

 

 すっかり夜になった、本部の団長室。

 オルガは通話を切ると、一つ息をついて、応接スペースのソファに腰掛けているユージンの方を向いた。

 

「ビスケットは無事家に着いたそうだ」

「……()()テロか」

「……ああ」

 

 オルガが小さく首肯すると、ユージンは大きく息を吐いた。

 応接スペースのテーブルに置かれた情報端末には、そのテロ事件を報じるニュース番組が映されていた。車に爆発物を仕込む、珍しくもない手口だ。不運にも車の近くにいた一人の男が重傷らしいが、命に別状は無いとの知らせが不幸中の幸いか。

 二年前と比べれば、火星は豊かに、自由になったが──犯罪やテロの発生数は、当時よりもむしろ増加している。

 クリュセ自治区では、ひと月ほど前にも似たような爆弾テロが発生していて、銃の乱射や、車で群衆に突っ込むといった犯行も含めれば、その頻度は更に多い。

 

「無差別……だよな?」

「多分な。何とも言えねえが」

 

 オルガが返答に含みを持たせたのは、ビスケット本人とまではいかずとも、鉄華団の関係者が狙われた可能性を否定しきれないからだ。

 僅か二年で大きく成長した鉄華団だが、もとより出る杭は打たれるのが世の常。その上、鉄華団は二年前の戦いで、ギャラルホルンの弱体化を招き、火星の治安が悪化する原因を作った張本人たちなのだ。

 当然、それなりに恨みも買っていることは、オルガも自覚している。

 実際、過去に一度だけだが、オルガ宛てに刃物入りの封筒が送られてきたことさえあった。それ以来、得体の知れない郵便物は、開ける前に注意深く確認するよう対策を取っている。

 

「こう何度も起こったんじゃ、おちおち遊びにも行けやしねえ」

「あいつらが無事なのが何よりだ──飲むか?」

「飲む」

 

 オルガは二人分のカップに緑茶のティーバッグ──テイワズ系企業の新商品とのことで、名瀬から大量に貰った──を入れ、ポットの湯を注いでからユージンの元へと持っていった。

 テーブルを挟んで向かい合わせに座ると、画面のニュースは別の話題へと移っていた。

 隣の自治区で犯罪グループが摘発され、多数のヒューマンデブリが保護されたという。顔は隠されているが、男児であるとわかる写真。背中には、オルガたちと同じ()()──阿頼耶識のコネクタ。

 

「多いな。こういうの」

 

 嘆息したユージンを横目に見ながら、オルガはカップに口をつけた。

 二年前の戦いがもたらした、もう一つの側面──鉄華団の活躍によって、少年兵の有用性が示された結果、子供たちは戦場へ大量に投入され、ヒューマンデブリも増加している。中には少年だけでは飽き足らず、少女にまで阿頼耶識の手術が施された例もあると聞く。

 捕まった連中は大方、深く考えもせず()()()に乗って、順当にヘマをした、といったところだろう。

 力なき子供たちが搾取される世界は、未だ、続いている。

 

「……俺たちは勝ったが、そのせいで、俺たちみたいな奴が増えてる……」

 

 呟いて、オルガはそっと、カップをテーブルの上に置いた。

 緑色の水面が、天井の光を反射して、ちらちらと輝いている。

 

「……最近思うんだ。だったらそのケジメは、俺たちが付けなきゃいけねえ、ってな」

「……俺たちゃ正義の味方じゃねえし、全部を助けるなんてできっこねえ。それはお前も、わかってるだろ」

「だとしても、何もしねえってのは、筋が通らねえ」

「筋、ねえ……」

 

 見つめた先で、ユージンは俯き加減になりながら腕を組んでいる。

 暫し、空調の音だけが、二人きりの空間を満たしたのち。

 

「……まあ、何もしねえってのは無しだよな。とりあえず、夜警の人数でも増やせねえか、考えてみるか。ちょうど新入りも仕上がってきたしな」

「悪いな。手間かけて」

「おう、給料は期待してるぜ」

 

 軽く茶化すような声の後、ユージンはこちら側へと、少し身を乗り出した。

 

「ってか、そっちも大事だけど、今は()()()の方が先決だろ」

「だな……よりによって今かよ、って感じだ」

 

 オルガは定時の少し前に来た連絡を思いながら、テーブル上の資料に目を落とした。

 よりによって、〈バルバトス〉と〈グシオン〉を、二機とも修理に出している時に。

 

 

 

 クーデリアから届いた、身辺警護の依頼。

 彼女が鉄華団を頼る──それはすなわち、血と暴力の匂いを、強く予感させるものであった。

 




・『獅電作業型』
テイワズの新型機〈獅電〉の民間作業用モデル。民間向けMS市場への参入を見据えた、一種の試金石として開発された。
基本構造は通常機の設計を流用しているが、頭部バイザーの形状が異なる他、作業用のため出力が落とされている。特に地上用の機体では、スラスターのノズルは全てカバーで保護され、推進剤タンクも基本的には空のままで運用される。なお、スラスターの機能自体は生きているため、小改造で宇宙空間にも対応可能。外装は安価な白で塗装されている。
鉄華団に卸された機体は、関節部が幌で覆われた防塵仕様。試験的に一機が導入され、主に火星のハーフメタル採掘場で、資材の運搬などに用いられている。

外見のイメージは、角と肩シールドを取った王様の椅子。



現場作業用鉄華団ヘルメットは例によってライドのデザインです。
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