ギャラルホルン地球本部『ヴィーンゴールヴ』。
四大経済圏への干渉を避けるために海上に建設された、都市機能を有する
「そうか……了解した。何か変化があれば連絡してくれ」
その一角にある執務室のデスクにて、マクギリス・ファリドは部下との通話を切り、深くため息をついた。
「カルタは命拾いしたか……全く、つくづく悪運が強い」
そもそも、ギャラルホルンに鉄華団の情報を伝え、カルタを追討任務に赴くよう促したのは、他ならぬマクギリスである。
カルタには、君に屈辱は似合わない、などと言ってはみせたが──率直に言って、彼女の実力で鉄華団に挑むのは無謀だとわかっていた。
MS同士の真っ向勝負に敗北すれば、彼女自身もただでは済まない。それを承知の上で、敢えて推薦した。
仮にも幼馴染、かつ同じセブンスターズの跡継ぎであるカルタの、ともすれば奇跡とも呼べる生還。
だが、マクギリスの胸中は、それを素直に喜んでなどいなかった。
己の理想を実現する、そのための踏み台として。
マクギリスは本当に、カルタを殺すつもりで死地に送り出したのだから。
「しかし、あれだけ叩きのめされれば、カルタとて当分再起はできんだろう。父上は今頃、頭を抱えているだろうな」
「よろしいのですか、特務三佐?」
前に立つ長髪の士官が、マクギリスに疑問を投げかける。
彼はマクギリスにとって、同じギャラルホルン監査局に所属する部下であり、また自身の思想に共鳴する同志でもあった。
ここでカルタを生かしておけば後々の障害になる、と彼は言いたいのだろう。
「なに、構わんさ。少々見通しの修正は必要だが、いくらでもやりようはある」
無理に手を出して、こちらの首まで絞める必要はない。それに、生きているのならそれはそれで、彼女は
鷹揚に前髪を撫でるマクギリスのもとに、一本の通信が入る。
『特務三佐。
「了解した。報告ご苦労」
マクギリスは椅子を回して、背後にある窓の外を眺める。
硝子越しの水平線は波一つない穏やかさで、その上には澄み渡る蒼穹が遠く果てしなく広がっている。どこまでも続くあの空の向こうに飛び出したいと、最初に願ったのはいつの頃だっただろうか。
「これで、ギャラルホルンは変わる」
背もたれに身を預けて、マクギリスは静かに呟く。
カルタが死なずに済んだことに、安堵する気持ちが無いわけではない。実際、数日前にカルタに語った言葉は、全て本心からのものであった。
しかし、それを自覚してなお、マクギリスの決意は揺るがない。
だからこそ、セブンスターズの次代を担う一員でありながら、立場上は敵対者であるはずの鉄華団の行軍を、獅子身中の虫として陰ながらに支援してきたのだ。
「役者は揃った。あとは、舞台に少しばかり花を添えてやらねばな」
仮面の商人、モンターク。
それがマクギリスの、もう一つの名だ。
「私もエドモントンへ発つとしよう。石動、ここは任せたぞ」
◆
深夜。エドモントン近郊の廃駅。
かつては多くの客で賑わっていたのだろうそこは、今やすっかり寂れ果て、訪れる人もなくなって久しい。
静かに朽ちるはずだった駅に駄賃も払わず踏み込んだ自分たちは、この街にとっての
いずれにせよ、向けられた大口径の砲塔から放たれる、砲弾の
「さっきの戦闘で、また一台やられた。これでMWは二十を割っちまった」
元は駅員室だったと思しき部屋に設けた即席の指揮所にて、市街周辺の戦況図を睨みながらオルガは唸った。
向かいに座るビスケットが、手に持つタブレット端末の画面を見つめて、眉尻を下げる。
「やっぱり、ここにきて被害が増えてきてるね……」
「もう三日だからな……流石に連戦はキツい」
鉄華団が、エドモントン市内への進入を阻むギャラルホルンと会敵してから、明日の朝で四日目になる。
この三日間、オルガたちは敵の防衛線を突破するため、断続的に攻撃を仕掛けていた。無謀な突撃は避け、なるべく戦力の温存に努めてきた甲斐あって、こちらの損耗は当初の想定よりも抑えられている。
それでも、数では圧倒的に向こうが有利だ。どうやっても被害は出る。
戦力が減れば、その分だけ残された者の負担は増す。敵の数は減る気配もなく、戦線は一向に進まないまま、時間だけが無為に過ぎていく。焦りと疲労でミスをする者が出て、さらに死傷者が積み重なる悪循環。
幸いにして、オルガの指揮車を含む、阿頼耶識システムに対応した五台は全機健在であるが──阿頼耶識搭載・非搭載合わせて二十五台あったMWは、今や十九台にその数を減らしていた。
一方で背後からは、ギャラルホルンのMS部隊が、こちらを挟み撃ちにしようと襲撃を繰り返している。そちらは三日月をはじめとするMS隊が踏ん張ってくれているが、彼らの疲労も相当に蓄積しているはずだ。
「人はもう限界だし、燃料や弾薬も底を突きかけてる。まともに戦えるのは、多分、次の攻勢が最後だ」
「どの道、明日の午後には代表選だ。もう後はねえ。蒔苗の爺さんを当選させたきゃ、次がラストチャンスってことだ」
オルガは再び戦況図に目を落とす。
駅舎とエドモントン市街の間には、一本の大きな河が流れている。河を渡って市内に繋がる橋は三つ。うち二つは会敵初日にギャラルホルンの手で爆破され、残る一つはMWがこれでもかとばかりに展開して道を塞いでいる。
橋を三つとも落としてしまわないのは、おそらく復旧の手間を惜しんでのことだろうが──いずれにせよ、対岸からの砲撃に行手を阻まれ、この三日間は一メートルたりとも前進できていないのが現状だ。
「けど、良いニュースもある」
オルガは残っている橋の横、両岸を隔てる河を指差す。
そこは河の中でも水深が比較的浅く、車両でも登り降りしやすい地形の場所だった。
「ライドに偵察に行かせたが、河の水は確実に少なくなってた。上流で雨が降らなきゃ、明日にはMWでも渡れるようになるはずだ」
「そこは祈るしかないね……」
「ああ。だが、ツキはこっちに回ってきてる」
そう言って、オルガは右目を閉じる。昔から、考え事をするときの癖だ。
「次の作戦に参加する人員だけど──はっきり言って、犠牲は避けられないよ」
「……だとしても、打って出るしかねえ。MWは年長と年中で回すとして、問題は──」
ちょうどそのとき、部屋のドアをノックする音がして。
「すみません。お夜食作ったので、よかったら」
ゆっくりとドアが開いて、アトラが中に入ってきた。
手に持ったトレイには、小さく切られたサンドイッチが乗せられている。
「悪いなアトラ。お前も、もう休んどけよ」
「いえ、夜遅いのは得意なんです」
「寝といた方がいいよ。でないと保たない」
ビスケットと共にアトラを気遣いつつも、オルガはサンドイッチに手を伸ばす。
食べやすいように配慮してか、均等に一口ほどの大きさに切られたサンドイッチ。指で摘んで口に入れれば、みずみずしい野菜の食感と程よい塩味が、疲弊しきった身体に僅かながら元気を取り戻させた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて、私もそろそろ寝ますね。あっ、トレイはそのままで大丈夫です!」
「おう、ありがとな──それで、運転手についてだが……」
オルガが話を再開すると、部屋を出ようとしていたアトラが、立ち止まって振り向いた。
「運転手、ですか?」
「ん? ああ、車の運転手をな」
本来なら、ただの炊事係であるアトラに、これからの作戦について明け透けに話すのはよろしくない。しかし、それがさして気にならなくなる程度には、オルガも、向かいに座るビスケットも疲れが溜まっていたのだろう。
「蒔苗さんとクーデリアさんを乗せる車だよ。運転手を誰にするかで悩んでてね」
「クーデリアや蒔苗に運転させるわけにはいかねえし、あの秘書のおっさんはちょっと頼りねえしなあ。やっぱ年少の誰かにやらせるしかねえか……」
ここはタカキ辺りに任せるのが良いか、とオルガは腕を組んで黙考する。
暫し、無言の時間を経て、オルガが再び口を開こうとしたとき。
「……あの!」
呼びかけられて、オルガはアトラに顔を向ける。
アトラはオルガを真っ直ぐに見て──息を吸って、大きく声を張り上げた。
「運転手──私にやらせてもらえませんか!?」
その言葉の意味を理解するのに、数秒を要した。
「「────はあぁ!?」」
オルガとビスケットの声が重なる。
叫んだ拍子に、握り潰したサンドイッチから、輪切りの胡瓜がすっぽ抜けた。
「だっ、駄目に決まってるでしょ! 下手したら死ぬんだよ!?」
「大丈夫です! 運転は慣れてますから! それに私、こう見えてタカキ君よりも年上なんですよ!」
「いや、そういう問題じゃなくって! アトラはもう十分頑張ってる! これ以上危ない目に遭わせるわけにはいかないよ!」
ビスケットが必死になって止める。鉄華団の一員とはいえ、アトラはあくまで炊事係なのだから当然だ。
一応、火星では、子供でも技術さえあれば車の運転はできるから、アトラの言うことも全くの無理筋ではないのだが。
「……それでも、行きたいんです」
アトラは俯いて、その小さな拳を固く握りしめる。
「みんな、必死で戦って、傷ついて、それでも前を向いて──クーデリアさんだって、本当は怖いはずなのに、逃げずに先に進もうとして……なのに、私だけ、待ってるだけなのは嫌なんです」
「で、でも……」
「だから、お願いします! 私に、やらせてください!」
深く頭を下げるアトラ。
困り顔でこちらを見るビスケットを一瞥して、オルガは右目を閉じる。
(言ってることはビスケットの方が正しい……が)
ビスケットの狼狽ぶりとは対照的に、オルガの内心はむしろ落ち着いていた。人は自分より慌てている者を見ると冷静になれる、とはよく言ったものだ。
オルガはおもむろに席を立つと、そのままアトラに近づき、正面から相対する。
「アトラ」
「はっ、ハイ!」
声をかけると、アトラは弾かれたように顔を上げた。
こうして並んでみると、長身のオルガに対して、改めてアトラの小柄さが際立つ。
オルガは膝を屈めて、アトラと目線を合わせる。
「護衛はそう多くは付けられねえ。運転手やるってんなら、少ねえ守りで、敵陣のど真ん中に突っ込むことになるぞ」
「わかってます」
真っ直ぐに見返してくる澄んだ瞳は、どことなくオルガを見つめる
「……覚悟の、上だな?」
「──はい!」
ゆっくりと、言葉を区切って問うオルガに、アトラが力強く頷く。
その視線を、オルガは真正面から受け止め──立ち上がって、決断を下した。
「……わかった。運転手は任せる」
「ちょ、オルガ!?」
咎めるビスケットの方を向いて、オルガは自身の考えを述べる。
「情だけで言ってるわけじゃねえ。普通の車を運転すんなら、俺らよりも、むしろアトラの方が適任だろ。なんせ、あの車に阿頼耶識は付いてねえからな」
「そ、それは、確かにそうかもしれないけど……!」
なおも食い下がろうとするビスケットに対し、オルガは口の端を少し緩めて言った。
「それに、こうなっちまったアトラは梃子でも動かねえ──わかるだろ、ビスケット」
アトラは体力こそ団員たちよりも劣るが、その心の強さは、ときに団員たちをも上回る。
ドルトコロニーで、アトラは自らクーデリアの身代わりとなり、捕えられ殴打されても、決して口を割らなかった。
それは、あのとき近くにいたビスケットこそ、その目でよく見ていたはずだと、言外に伝えて。
「………………」
ビスケットも、小さい双子の妹たちを養う身だ。アトラを危険に晒すことには、色々と思うところがあるのだろう。
かなり長い間、悩む様子を見せた末に。
「……確かに、そうかもね」
オルガを見て、苦笑した。
「わかったよ。オルガの判断を信じる」
「あ……ありがとうございます!」
再び頭を下げたアトラに頷いてから、席に戻ったオルガは落ちるように椅子に腰掛け、脱力して天井を仰ぎ見た。
「はあ……こりゃ絶対に失敗できないね」
ビスケットの大きなため息に、オルガは心の底から同意した。
「全くだ。アトラに怪我でもさせたら、ミカに殺されても文句言えねえよ」
最大の懸念事項はそこである。それこそドルトコロニーでの一件の際は、オルガが一目見てわかるほどに、静かに激怒していたのだから。
無論、オルガとしても、アトラに指一本、破片の一欠片たりとも触れさせる気はないのだが。
「な、なんか、すみません……」
気まずそうに、顔を引きつらせるアトラ。
今更言うな、と言いたくなった気持ちを、オルガはぐっと抑え込んだ。
運転に必要なのは免許ではなく技術()。
火星にも一定の法はあると思われますが、地球に比べると色々緩いので、子供でも車を運転できるという設定。もちろん地球では一発アウトです。