僕、マルク・ドランは出来損ないだ。
生まれつき身体が弱く、幼い頃は頻繁に発熱し、治ったと思えばぶり返す。なので、ベッドの上から離れられない。
ベッドから見える世界が僕の全てだった。平民に生まれていたのならば、直ぐに命を落としてただろう。だから、その点については幸運だった。
高熱にうなされて、生死の狭間をずっと揺蕩っていたことが、幸運かと問われると微妙なところだけど。
そんな幸運に恵まれた僕だけど、人生というのはどこかしらで帳尻が合ってしまうものらしい。
──相応の報いがあった。
キッカケは、僕と同じく病弱だった母が亡くなったことだ。
元より、僕はあまりに病弱が過ぎた。
他の貴族の跡継ぎが受けている様な教育を、同じ様に受けることが出来なかった。
だから、新しい跡継ぎを作るために、父上は再婚した。
その話をしに来た父上は、僕のことを酷くつまらなさそうに見下ろしていた。でも、珍しく僕の前に現れた父上に、あんまり細かいことを考える余裕なんて、当時の僕にはなくて。
『ちちうえ、なにかごようでしょうか?』
久しぶりに肉親に会えた喜びから、熱にうなされている身体を起こして、胸に小さな嬉しさを宿したりしていた。
そんな僕に、父上は一言だけ。
『──お前はドランであって、ドランでなくなった』
謎かけみたいな言葉だけ残して、直ぐにその場から立ち去った。
呆然とその背中を見つめていた僕は、その言葉の意味をまるで理解できてなくて。
……意味が分かったのは、父上が再婚してからのことだ。
初めてその女を見た時、怖い人だと一目で思った。
縦ロールの髪が特徴的な、整った顔に鋭利な目を持っている人だ。その鋭い目で、ベッドに横たわっていた僕を見下ろしていた。
そして、その第一声。
今でも時折夢で見る、それは……。
『──礼儀を、知らないのですか?』
そんな、冷たい声だった。
身を竦ませる僕に、彼女はそのままこちらへと近寄ってきて。
『あなたは、不要となりました』
そのまま、僕の寝巻きの首根っこを引っ掴んで。
『ドランの嫡子でない貴方は、その血を引けども特別ではありません。ましてやその身体、なんら役立つことさえできないでしょう』
そのまま、床へと引き摺り落とされた。
背中から落ちて衝撃で咳き込む僕を尻目に、この女はひどく呆れた様に嘆息して。
『でしたら、弁えるべきなのです。私が姿を見せた時、頭を垂れて敬意を示しなさい。私が貴方を見遣った時、這いつくばって慈悲を乞いなさい』
言われていることに言い返したくて、でも咳が止まらなくて。ゲホゲホと咳き込んでいるだけの僕に、また溜息を吐いた。
そうして、蹲っていた僕に向かって一言。
『──それすら出来ないというのなら、疾く死ぬことが役目です』
心底、それを望んでいると言わんばかりの口調で、この女は吐き捨てた。
……なんでそんな事、言われなきゃいけないんだろう。
心の底からそう思って、でも怖くて、身体が苦しくて、辛くて。でも、気持ちが抑えられなくて、咄嗟に睨み付けてしまった。
この女は、眉を吊り上げて。
『聞いていた通り、頭の出来も劣っている様です。いいえ、それとも人間の言葉を解せぬだけでしょうか?』
整っていた女の顔が、ひどく歪んだ。
嗜虐的な赤い瞳が、僕を貫いて。
『──言葉で分からぬのなら、身体に伝えるしかないのでしょう』
そのまま、僕の頭を踏み付けた。
何度も、何度も何度もっ。
『ぐっ、うぅ、っ』
『感謝しなさい、こうして教育を施されることに』
『がっ、ぁっ!!』
『そうして、染み込ませなさい。貴方の立場と、貴方の価値と──貴方の無意味さを』
『ぅ、あっ、っ』
何度も頭を踏みつけられ、時折身体を足蹴にされて、口から喀血までして。
悔しいって思ったことが、塗りつぶされる。
酷いと感じた憤りが、塗りつぶされていく。
──痛い、苦しいって感覚に、全てが支配されていく。
……そうして、僕は。
『分かりましたね?』
『は、いっ』
苦痛と恐怖の前に、あっさりとこの女に屈してしまっていた。それが、この場で唯一の許される道であったから。
僕の意思なんて、この女の前には塵にも等しいと──そう教育されたから。
それから、少し月日がたった。
あの女は、自分から僕に会いにくることなんてない。
それが数少ない救いで、僕は息を潜めてひっそりと生きていた。それが数年続いて、ずっとこうなのかなと思い始めていた日のこと。
──事件が、起こった。
事務的なメイドに世話をされながら、起きると寝るを繰り返す日々。変わり映えしない、そんな無を煎じていた時のこと。
世話係が来る時間の前に、部屋の扉が開いた。
もしかしたら、あの女かも。
そう感じて、必死にベッドから身体を起こしたら、そこには……。
『あの……』
成長が遅れている僕よりも小さい、そんな黒髪の男の子が扉越しに顔を覗かせていた。
知らない子だ、なんて思っていたのも束の間。
その子は口をパクパクさせてから、こてんと首を傾げて。
『にい、さま?』
『!?』
なんか、とんでもないことを口にしたのだ。
僕に弟なんていない、少なくとも実のお母様は産んでなんかいない。であるならば、必然的に考えられることは……。
『兄様、かも』
既にドランの跡継ぎが、産まれていたということ。
屋敷の最奥にある部屋にいた僕には、全くそんなことは知る余地もなかっだけど。
でも、兄様という呼び掛けがくすぐったくて、本当に久しぶりに笑顔が浮かんだ。あの女から生まれたとは思えないくらい、愛らしい子だったし。
すると推定弟も、一緒になって笑ってくれて。
『名前、聞かせてくれる?』
『うん、僕はね──』
新しい、本当に久しぶりの繋がりが芽生える。
……そんな、直前のことだ。
廊下側から、慌ただしく誰かが駆けてくる足音がして。
数秒待たぬ間に姿を現したのは……。
『かあ、さま?』
冷たい目、なんかじゃすまない。
憎悪を煮詰めた目をしたあの女が、僕を睨み付けていた。
『よもや、我が子を籠絡しようとは……下賤なことをっ!!』
そのまま、僕を鉄製の扇子で殴打した。
『っ、けほっ』
『恥をっ、知りなさい! 出来損ないのっ、役立たずが! 情に訴えて、家ごと腐敗させようなどとっ! 偶然ドランの血を引いた、ノミの分際でっ!』
意識が明滅する、血のにおいが広がっていく。
その中で、あの日の記憶がフラッシュバックした。
何度も何度も暴力を振るわれた、あの日の記憶を。
……また、同じことに、なってるや。
『か、かーさまやめてっ。にいさまなんだよ!』
でも、あの子の声で、彼女の手がぴたりと止まった。
涙目で、あの子が必死にあの女に縋り付いていたのだ。
その訴えを聞いた、この女は……。
『ここまで、誑かしているとは』
『かあさま、あの──』
『黙りなさい!!』
『え?』
容赦なく、自らの子供を殴打した。
殴られた方は、呆然と自らの母親を見上げていて。
『──これは、お前には関係のないものです』
そして、言い含めるように、そんなことを伝えていた。
『で、でも!』
『繰り返しなさい』
『っ、けほっ!』
容赦することなく、もう一度この子を殴打して。
『──これは、下賤の輩です』
冷たい目をして、自らの子供を見下ろしていた。
僕に、ずっとそうしてきた様に。
『繰り返しなさい』
そう言いながら、鉄扇へと視線をやった。
この子は……僕の弟は、泣きながら、震える声で。
『これは、げせんの、やからです……』
ひどく苦しそうにしながら、そう呟いていた。
『そうです、貴方は選ばれたドランの後継者。炉端のゴミに惑わされることなど、あってはならないのです』
『……』
『返事をしなさい』
『……はい』
終わった、色々と。
始まりそうな予感も、芽生えそうだった想いも、全部。
──そう、思っていたのだ。
『憐れんで、いますね。これを』
だけど、この女は、この子の目を見てそう言い捨てて。
『──アレク、これを殴りなさい』
下衆な所業を、暴力を振るうことを強制する、なんてことを自らの子供に課そうとしていたのだ。
『…………え?』
言われた方は、まるで理解できないと言わんばかりで。
そんな彼に、この女は無言でビンタを振るった。
『い、いたいよ、かあさま! っ、ひぅ』
そんなこの子に返されたのは、もう一度のビンタ。
言葉はなく、いつしかの僕にやった様な苦痛と恐怖による強制。
自分の母親に、そんなことをされてしまい、その瞳からは溢れんばかりの涙が流れ落ちていって。
『いい、よ』
それがあまりに可哀想で、辛くて、見てられなくて。
『僕は君の兄じゃないし、君は僕の弟じゃないから』
目を大きく見開いて、なのにぽろぽろと涙を流すこの子に、出来るだけ素っ気なくそう告げて。
『…………うん』
そうして、まだ名前すら知らなかったこの子は、震える手を振りかぶった。
それ以来、この子は二度と僕のところへ来ることはなかった。
あの事件以来、僕は離れへと住まいを移されていた。あの女だと殺してしまえって言ってそうだし、多分父上の仕業だ。
離れなんて言い繕っても、そこが古くなって使われなくなった使用人の宿舎だ。僕は、そこで一人で暮らし始めた。
建物自体はボロが隠せていないが、使用人たちが最低限の手入れをしてくれていたお陰で、難なく住めている。体調も崩すことなく、ようやく案内を手に入れられた気分だった。
それどころか、あの女に脅かされる不安がなくなったからか、体調が徐々に上向き始めた。
まだ身体は弱く、無理をすれば簡単に体調を崩してしまう。だけれど、普通に昼間に起きて生活する分には問題がなくなってきていた。
……もしかすると、単に寿命の前借りをしているだけかもしれないけど。
とにかく、わずかに余裕ができたからか、こう思ったのだ。
──もう、痛いのも悲しいのも嫌だって。
だから、魔法の勉強を始めた。
この家から出て、一人で密やかに暮らすために。
教師なんてつけてもらえるはずがないから、独学で。憐れんだ使用人が恵んでくれたテキストを頼りに、試行錯誤しながら取り組んで。
そうして、父上から魔法学院へ入学する許可を取り付けた。
卒業後、指定の相手に婿入りすることを条件に。
……よっぽど、僕の存在が疎ましかったんだ。
『ようやく出ていくんだ、清々するよ』
そんなことを、僕の部屋によく入り浸っていた少女が口にした。
緩やかにウェーブしている黒髪に、吊り目で怒っている様に見える顔。……あの女に、顔の造りが似ている少女だった。
『……この部屋に残ってるものは、好きに使っていいから』
『当然♪ お母様ヒステリーすぐ起こすし、隠れ家は必要なのよねー』
でも、目の前の子には愛嬌があった。人懐っこいとも言う。ケラケラと笑っていて、話していて不快感がない。
『ねぇ、知ってる? あんたの結婚相手、身長3mで体重300kgのムキムキなんだって』
多分、妹。
けど、この子は、僕を兄さんなんて呼ぶことはしない。
そして僕も、家族かどうかなんて聞かない。
……また、あの時と同じことが、起こってしまいそうだから。
『それ、人間?』
『余り者同士、お似合いね』
ある日を境に、ふらりと現れる様になった女の子。
最初から今まで、ずっと口は悪かった。
……でも、僕と話していて楽しそうにしてくれている。正直に、表情をコロコロと変えてくれる子だったから、それだけは信用できた。
『……ま、子作りで死なないことね』
『下品』
『でも、あんたが向こうに求められてるのは、そう言うことでしょ?』
『……そうだろうけどさ』
だから、この子の表情に影が差して、僕のことを少しだけでも惜しんでくれているんだって伝わってくる。
『じゃあね、クソザコマルク。社交界で、枯れ枝みたいに細いから、取扱注意って広めておいてあげたから。精々、みんなに腫れ物みたいに扱われちゃえ』
『バイバイ、クラリッサ。お陰で、寂しくはなかったよ』
『っ、罵られて喜ぶなんて、ヘンタイなんだよバカアニキ!』
最後の最後で、彼女、クラリッサは僕のことを兄と言ってくれた。
今まで生きてきた中での、僕の唯一の縁だった。
そうして、僕は将来に苦笑いしながら、入学式を迎えることになる。
『身長3mで体重300kgのムキムキの女の子、かぁ』
どんな子かはわからないけど、きっと一目で分かる子だろうなぁ、なんて想像を逞しく(二重の意味で)していた。
けど、そんな子は全く見当たらずに、僕は入学式で校長の長話を前に倒れ伏してしまっていた。
……変わろうとしても、身体が弱いのは元々で。意識がなくなる前、ヒソヒソと聞こえてきたのは悪口ばかり。僕はやっぱり、そんなんだって思ってしまった──そんな時のこと。
医務室で目を覚ました僕の前にいたのは──青い瞳をした、ウェーブした金色の髪を持った女の子。
『ここ、は……天国?』
本当に心配してくれている顔で、僕なんかに気持ちをいっぱいにした視線を向けてくれていた。……僕なんかの、ために。
だから、一目見ただけで、この子は天使様なのかもしれないって、そう思ってしまったんだ。
マルクくん視点回は、章終わりに一話ずつ挿入していければと思ってます。つまりは、次回からカトリーヌ視点に戻ります。
更新に間が開いてしまってすみません。
本編の方は、フワッとプロット捏ねている最中で、もう少しお待ちいただければ……。
追記:作者のモチベ的に、評価とか頂けると大変ありがたいです……(乞食)。