旦那さまは、あの日からずっと演習場に通い詰めていました。
必死になって、魔法を使えるようになろうと練習を重ねていたのですわ。
……ですが、それも中々上手くいかなくて。
「……ずっと見てるだけ、飽きないの?」
「眼は閉じてますわ」
「それ、まだ守ってたんだ」
「見ないで、とこの前言っておられましたので」
気が付けば、もう魔法実習の前日まで迫っていた。
そしてワタクシも、そんな旦那さまの背中を見守る……ではありませんね。明鏡止水(3日前の晩ごはんが思い出せなくて至る境地)の心で、旦那さまを感じていたのです。
あと、ステファニーさんとイザベラさんから、少し忠告を受けてしまったのですわ。
『カトリーヌ様、全くもって他意はないのですが、すこぉし大人しくなされていただけると……』
『誤解というのは、カトリーヌ様が衆目の中にいらっしゃると発生してしまわれるのですわ……』
なんてこともあったので、今は旦那さまを大人しく見守っていましたの。……よくよく考えてみると、結構な言われ様ですわね?
「見てないなら、余計この場にいる意味なんてないよね?」
「そうでもありません」
そしてワタクシ、ここで何もしてなかった訳ではありません。演習場にいるのですから、ちゃんと魔法の練習と呼べることをしているのですわ。
「使用されては飛散する、旦那さまの魔力を追っていました」
ワタクシの言葉に、旦那さまは目を細められました。それに何の意味があるのか、旦那さまもお分かりなのでしょう。
「もうすぐ、魔法演習ですわね」
「そう、だけど……」
期限は確実に迫っている──もう、試験は明日に迫っているのに。けれど、旦那さまの鍛錬は上手く行っているとは言い難い状況ですわ。
魔法の基本、エネルギーの置換。
魔力を他の物質に変換し、現実に発現させる技術。
火を灯したり、水を溢れさせる。
そういったことが、自身の魔力と引き換えに可能になる。
魔法学院に来る生徒は、大体がこの辺りの基礎ができるようになってから入学していますの。できないと、授業について行けなくなるのですわ。
でも、旦那さまは……ご実家の方で、色々と苦労されていたから。まだ、その基礎が固まっていないのです。
魔力を手のひらに集めて、置換しようとするところで霧散させてしまう。そういったことを、ここ数日繰り返されていましたの。
魔法を使うのにはイメージや想像力が重要なのですが、その辺りで齟齬があったのではないか。そう思って、ここ数日は旦那さまの魔力の流れを追っていたのですわ。
お陰で、上手く魔法が発動しない大体の理由は分かったのです。後は……。
「ね、旦那さま」
目の前の、誰にも頼ろうとしていないこの人を、どう納得させるかということだけですわ。
「ワタクシが手伝わせてくださいましと言えば、頷いてくださいますか?」
「…………」
「旦那さま、お母様がラングセランモースを見た時みたいな目をしておられますわ」
ラングセランモース、全長50cmを超えるクソでかい蛾のことですわ。ラングセランの森に住んでるそれを、お母様は蛇蝎の如く嫌ってますの。近づいてきたら、よく燃やすくらいには。
要するに、クッソ嫌そうな目をされているってことですの!
「…………」
「…………」
少し見つめ合う、旦那さまは相変わらず妙に嫌そうな顔をしてるまま。
……まぁ、旦那さまの気持ちも分かります、わね。
「分かりましたわ、旦那さま」
「?」
一歩下がって、笑顔を浮かべる。
無理に強制するものでもないし、納得してないのにおしゃしゃり出ても鬱陶しさしかないですもの。
一度、自分で出来るできないを納得するまでやるしかないですものね。トライ&トライ、失敗なぞ恐るるに足らずなのですわ!
「ワタクシ、旦那さまが雨後の筍みたく成長するまで、ここから微動だに致しません!」
「いや、帰ろう。餓死する気なの?」
「要らぬ口出しもせず、太陽みたいな暖かな目で見守ると決めましたの!」
「すごく気になる、居るだけで邪魔だよ」
「ワタクシのこと、すごく意識してくださっているのですね。旦那さま、そのままデレてくださいまし」
旦那さまの目は、嫌そうからウザそうに切り替わっていましたの。ワタクシの足に根っこが生えていると理解してくださっているのですね。
これが阿吽の呼吸。
婚約者の間合いということですわね!
「今更だけどさ、自分の失敗してるところをあまり見られたくない」
そんなワタクシに根負けしてか、旦那さまはため息混じりに本音をこぼしてくださいましたの。
それは……うん、分かります。
気分、よくないですわよね。
そういうところばかり、見られるのは。
「では、やはり目を瞑っています」
「……やっぱり物好き」
結局、旦那さまは諦めてくれて、そのまま練習に戻ってくれた。ワタクシは、そんな旦那さまの気配と魔力を、閉じた瞼越しに感じ続けて。
たくさんの失敗と修正を重ねながらも、成功しないまま時間は過ぎ去って。
──気が付けば、日が落ちて辺りが暗くなる時間になっていました。
「本当に、ずっと居るんだ……」
「今のワタクシは、筋肉大菩薩像ですの。気にしないでくださいまし」
ずっとお互いが好きにしていた中、先に沈黙を破ったのは旦那さまの方でした。
暗がりの中、ワタクシを確認して、少し呆れたみたいな声音で話しかけてきたのです。
「あの、さ」
演習場は、辺り一面暗がり。
備え付けのランタンに火を灯せばいい話ですが、ワタクシたちのどちらもがそれをしてない。
つまりは、相手の顔も見えない状況でのことでした。
「はい」
「……君の話し方って、あっちが素なの?」
そして唐突に、旦那さまが全く魔法と関係のない話を始められましたの。しかも、よりにもよって一番ひっくり返されたくない話題をっ。
な、なんで急にそんな話、致しますの!?
「な、ななっ、何をおっしゃいまするでござりまするのっ! ワタクシは生まれた時から"ですわーっ!"と産声を上げていましてよ!」
「……君だと、ちょっとあり得そう」
「ですわーっ!」
生まれたての赤ちゃんみたいな気持ちで、ワタクシは産声(遠吠え)をあげたのです。故郷の方まで、ワタクシが元気で過ごしてますと伝わりましたでしょうか?
「……君は、なんか、その、ずっと変な人だね?」
そんなワタクシに何かを感じてくれたのか、旦那さまから話しかけ続けてくれてますの。
ちょっと嬉しい……です、けれどっ。
「へ、変ではありませんわっ。完璧お嬢様ですのっ!」
とっても重要なことなので、ハッキリ主張しておきます。
ですわ! は魔法の文言ですの。
これを使うことで、誰だってお嬢様になれるのです。
なのでワタクシも、もう僕なんかじゃなくて立派なお嬢様ってことなのですわ!
「……完璧なお嬢様じゃないといけないって、家の人に言われたの?」
なおも踏み込んでくる旦那さまに、ワタクシは胸を張って答えました。
「いいえ、ワタクシがワタクシでありたいと思ったのですわ。立派なお嬢様になって、家族に恩返しをしたいのですの」
実家では、僕という一人称を使っていた頃でも、特に注意されたことなんてありませんでした。お父様もお母様も、僕のままでも愛してくれていました。
お兄様は、暫く僕のことを男の子だって勘違いしたままでしたけれど。
なら、何故いまワタクシなのかと言えば──本当に自発的なものに過ぎません。
家族に喜んでもらいたくて、勝手にやってるだけですの。
「家族、かぁ……」
旦那さまは、その単語をもにゃもにゃと呟かれました。
奥歯に引っかかってる様な物言い、とても気になってるみたいです。
……歯磨きは、毎日致した方がよろしいのでしてよ?
「旦那さまのこと、お聞きしてもよろしいですわ?」
ならば、ワタクシが歯磨きして差し上げますわ。
奥歯のものを、全部きれいにして差し上げます。
だから、ワタクシは切り出しました。
旦那さまに少し踏み込ませてください、と。
「……うん」
一旦、ワタクシたちは魔法の訓練や明日に迫った実習のことを、全部放り投げましたの。色々とするにしても、まずは歩み寄りをすることを優先したのですわ。
そうしないと、ワタクシたちは手を取り合うこともできなくて。
今なら、暗がりが顔を隠してくれていて、いつもより素直を話ができそうでしたから。
「前に言ったよね、僕は病弱で何も期待なんてされてなかったって」
「はい、筋肉を鍛えることもできない環境だったと」
「捏造しないで」
捏造ではありません、要約ですわ。
「僕を産んで母上は亡くなり、必然的に父上は跡継ぎのために後妻を迎え入れなくてはならなかった。これも話したと思う」
「はい、それでお父上様はPC筋を鍛え、無事に子宝に恵まれたと」
「……父上は、もうそれでいいけどさ」
良いらしいですわよ、お父上様。
これからも頑張って、清々しい子作りをなされてくださいまし。
「それで、その迎えた後妻が……あの女、が」
旦那さまはそこで、一旦言葉を区切りました。
顔を顰めて、言いづらそうに、筆舌しがたそうな表情を浮かべたのです。
……単に、仲が悪かっただけじゃ、無いんだ。
「言えなくても、伝わるものはありますわ」
旦那さまに一歩近づき、その手を握る。
か細くて、肉付きがよくない小さな手を。
「……気安いね」
「婚約者ですので」
「……本当、なんで君が婚約者だったんだろうね」
ボソリと呟かれた言葉と共に、ワタクシの手が握り返されます。ギュッと、旦那さまの方から。
……初めて、旦那さまからワタクシに、アクションしてくれましたわね。
えへへ、ちょっと嬉しい。
胸がキュンとしたよ、父性が溢れてる感じする!
「ワタクシが、旦那さまのパパになる。そういう星の下にあったのですわ」
「どんな凶星かな、それは」
「北斗七星ですわ」
「揃って死にそうな星の下だね」
暗がりでも分かるくらい、旦那さまと距離が近付いていました。そして、旦那さまのお顔には……どうしてか、呆れたお顔でワタクシを見つめていたのです。
な、何故そのような目をなされてるのです?
お父様を見る目で、ワタクシと見つめあってくださっても良いのですわよ?
「オトウサマデスワヨー?」
「婚約者じゃなかったの?」
「ハッ、そうでしたわ!?」
あ、危ない、危うく父性に飲まれるところでした。
そうそう、今世のワタクシはお嬢様なのですから、ちゃんとお嬢様にならないとですわ。
危うく、お嬢様の皮が剥がれかけましたが、旦那さまのお陰で助かりましたの!
「……僕の婚約者、あの女はきっと嫌がらせをしてくるって思ってたんだ」
ワタクシがお嬢様の皮を被り直してるうちに、旦那さまはお話を再開しましたの。あと、ラングセランへの婿入りは、結構な嫌がらせだと思いますわよ?
「けど、実際に会った君は……」
「超絶美少女の筋肉でしたか?」
「──すごくうざかった」
「ですわっ!?」
流れは、完全に素敵な女の子だったと口にするところでした。ですが、旦那さまは唐突に牙を剥き、ワタクシに噛みついてきたのです。
ふ、ふふ。この感じ、文通をしてた時みたいで懐かしいですわね?
思わず、筋肉がプルプルしてしまいたわ。
「い、いわれなき誹謗ですわ!」
「謂れはたくさんあると思う」
「何があるっていうのですわ!」
ワタクシの問い掛けに、旦那さまは指折り数え始めて。
「素っ気なくしてるのに、ずっと付き纏ってくる。婚約破棄しようとか酷い提案をしてるのに、全然気にしない。勝手に部屋に押し入っては世話を焼くし、それでいて常に挙動もおかしい。凄くおバカだし、何かにつけて筋肉にこじつけようとする。しかも、鳴き声がですわ」
「で、ですわぁ」
けど、旦那さまの言い分を聞くと、ワタクシもちょっと、本当にちょおっとだけ押しが強かったかな、と思わないでもない側面がありました。
というか、ここまで羅列されるってことは……。
「……困らせて、しまっていましたか?」
もしそうだったら、本当にごめんなさい。
胸がチクッてして、重くなる。
旦那さまのこと、知りたかっただけで。……仲良くなりたかっただけで、困らせるつもりなんて微塵もなかったから。
そんな、しょんぼりの気配に包まれそうになった時。
「……君は本当に分からない人だね」
「ふぇ?」
どうしてか、旦那さまが今までで一番柔らかい声で話しかけてくれた。
今まで、ずっとツンツンして、素っ気ない感じだったのに。……なんで?
「猪突猛進で人の話を聞いてない風なのに、本当はずっと他の人を気にかけてる。強引なのに、ちゃんと尊重もしてくれてる」
俯きそうになって顔を上げると、目の前の旦那さまはそっぽをむいていて。けど、耳は暗がりでも分かるくらいに赤くて。
「おバカだし、本当にうざいけど──優しいって思うよ」
そう告げると、旦那さまは慌しく繋いでいた手を離して、僕から距離を取った。
「あっ」
繋いでいた手が温かくて、その手が離れてしまうと……少し寂しい。心の距離が縮まったかもって思っていたから、尚更。
「……あのさ」
「は、はい」
そんな僕に、少し離れた位置にいる旦那さまが畳み掛けるように話しかけてくる。
「本当は分かってたんだ。君が僕のことで、一生懸命になってくれてたってこと」
……そっか、そこは信じてくれてたんだ。
だったら、昔の僕より、旦那さまはよっぽど素直だ。
「けど、頼りたくないし信じたくない。何より、実家が用意した婚約者が、君みたいな……優しい人だと思っていなかったし」
旦那さまが、初めて本音で語ってくれている。
隠すことなく、赤裸々に。
結構恥ずかしいだろうに、それでもって。
……なんか、少し報われた気がする。
「何か思うところはあったって思う。でも、君は一緒にいるだけで、何かを強制するようなことはしなかったよね」
「嫌ですわよね、したり顔であれこれ指図されるの」
「僕は本当に何もできないから。それも仕方ないって思ってるけど、でも……」
暗くて、旦那様の顔は見えない。
けど今は、優しい気配に満ちていて。
「ずっと、僕の意思を尊重し続けてくれた。……そんなの、初めてだったから」
そうして旦那さまは、僕の目の前で──頭を下げていた。
「だ、旦那さま?」
「今まで、君の善意を無下にしてきてごめん。それから、そんな僕を見捨てずにいてくれてありがとう」
「旦那さま……」
頭を下げながら謝罪した旦那さまは、僕が何か言うまではずっとそうしていそうで。
「顔をあげてくださいまし、偏頭痛を起こしますわよ」
だから、近付いて無理にでも顔を上げてもらった。
抱き起こされた旦那さまは、困ったような、複雑なような顔をしていた。
「旦那さまの気持ち、受け取ります」
「あ、ありがとう」
私たちはこの暗闇の中で、少し歩み寄れた。
ちょっとずつ、旦那さまのことが分かった夜のこと。
なんか良いなって気分になっていた。
そうして、胸元にいた旦那さまは、もじもじと頬を掻いたりとかして。何かを言いたげに、逡巡していた。
しばらく待っていると、意を決したように僕の方を見上げて。
「それで、さ」
「はい」
「……僕に魔法、教えてくれないかな?」
囁くような声で、ポツリとそう切り出した。
魔法実習まで、24時間を切ったタイミングでのことだった。
それをお願いしたくて、一生懸命歩み寄ってくれたんだ。
旦那さま、かわいい……。
ちょっとデレましたが、マルクくんは自分には不釣り合いな婚約者(自分が釣り合ってない)と思ってるらしいです。