旦那さまがおずおずと前へ出て、演習場の中央に立っていた。
これから、魔法を行使するんだ。
頑張れ、旦那さま!
昨日あれだけ頑張ったんだし、きっと上手くいくから!
心臓がバクバクして、背筋がピンと伸びる。
緊張で、ソワソワが溢れてくる。
……なんか、自分の時よりも自分ごとな感じ。
ギュッと手を握り締めて、旦那さまを注視する。
一瞬、旦那さまと目が合ったけど……なんか、すぐに逸らされちゃった。
こんな時にも、ツンツンが直らないんだから。
……その方が、旦那さまらしいのかもだけど。
「ドラン、準備は良いか?」
「はい、いつでも」
旦那さまの横顔は、いつも以上に真面目でシャンとしてる。たくさんの気合いが入ってるって、それだけで伝わってくる。
固唾を飲んで、僕は旦那さまを見遣って。
「──魔力、変換……凝固」
旦那さまがボソリと呟かれた、そんな言葉。
多分、イメージをより具現化しやすくしている詠唱。
そうして、訓練通りに魔法は発動した。
──旦那さまの手のひらに、淡い炎が宿る。
よしっ、ちゃんと魔力変換できてる!
順調だよ旦那さま、あとは筋肉ムキムキの僕でも形作ってくれたら終わりだね!
お風呂に入りに行っても良いくらいの状況。
なので、胸を撫で下ろして後は明らかに見守るだけ……な、筈だったのだけど。
どうしてか、旦那さまはそこでピシリと固まって動かなくなってしまった。
……旦那さま、どうしたのかな。
「クッ」
旦那さまは顔を歪めたまま、淡い炎を手に宿して動かない。まるで、それ以上は無理だと言わんばかりに。
「旦那さま……」
急に、不安がぶり返してきた。
ここまできて、これ以上できないなんてことは普通ない。後は、手のひらの物質を成形していけば良いのだから。
けど、旦那さまは動かない。
こめかみあたりから、汗が伝って落ちていく。
……もしかして、魔力がガス欠してる?
旦那さま、訓練のしすぎで魔力、残ってない?
だとしたら、あれで精一杯なのも理解できる。
出して維持するだけで、もう限界。
──恐らく、旦那さまは魔力が回復しづらい体質なんだ。
顔から熱が引く、冷や汗が背筋を流れる。
だって……僕が、旦那さまにコーチングしてたから。
適度に体調を管理しなきゃダメなのに、僕はカカシみたいに突っ立ていただけ。自分基準で考えてて、旦那さまの体質のことなんて全然考えてなかった。
ど、どうしよう……。
ひそひそ
「おい、肉棒マルクはなんで動かない?」
「そのあだ名、半分くらい不名誉だぞ。……体調の問題かもな」
「言われてみれば、顔が白いな」
「噂によれば、ここ最近はずっと演習場で訓練していたらしい。最後の数日は、ラングセランに威嚇されて、演習場を貸切状態にしてたらしいが」
「それでこれか」
「まぁ、努力はしたんだろうがな」
ひそひそ
「マルク様、フラフラしておられますわ」
「試験中ですし、手出しできませんが……」
「カトリーヌ様、露骨にアワアワされてます……」
「お労しや、カトリーヌ様……」
ひそひそ
「ねぇ、あれヤバくないかな?」
「マルク様、魔力を維持するだけで手一杯みたいだね」
「顔色、悪くなっていってない?」
「……なっていってるね」
「何で?」
「多分、魔力を維持するのも一苦労してる。体力と精神力を使って、強引に維持してるから……」
「えっ、自分を燃やして何とか維持してるってこと!? や、辞めさせた方が良いんじゃ……」
「それは先生が決めること。それに、お貴族様のすることに手を出すと、後が怖いかな」
「それはそうだけど……」
クラスのみんなからも、気遣わし気な声が聞こえてくる。みんな、心配そうな顔をして、旦那さまを見守っていた。
……旦那さま、無理してる。
必死になって、歯を食いしばって頑張ってる。
「旦那さま、頑張って!」
きっと、投げ出したくないって思ってる。
だから、無理しないでなんてこと、言えなかった。
旦那さまは、僕の方へと僅かに顔を向けてから、頷いてくれて。
グッと、細腕に力を込めて、気色の無くなっていく顔を赤くして、必死に手のひらの炎を制御しようと試みて。
「っ、なんとかなれっ!」
旦那さまは苦し気にそう叫んだ結果、手のひらの炎は形を変えた。──三頭身くらいの僕の姿に。
……え?
ナニアレ!?
「ほう、ラングセラン……にしては小さいな」
「これで、せいいっばい、ですっ」
「いや、少ない魔力を良く練って作られている。──悪くない、合格だ」
先生に品評されて、旦那さまは顔を僅かに高揚させた。けど、力尽きたようにその場に崩れ落ちた。三頭身の僕もすぐに掻き消えて、旦那さまはその場で息を荒くしている。
「旦那さま!」
慌てて飛び込んで、旦那さまを抱き上げる。
相変わらず、本当にか細い身体。
……この身体で、一生懸命頑張ってくれてたんだ。
いつもの旦那さまより、体温が低い。
意識は既になく、青息吐息になっている。
「先生、ワタクシ旦那さまを医務室にお運びいたしますわ!」
「そうしてくれ」
旦那さまをお姫様抱っこで抱え上げて、僕は全力で駆け出した。
早く旦那さまを、休めてあげないといけないからっ。
待ってて、旦那さま。
今すぐ、医務官さんのところまで運ぶからね!
そうして、旦那さまを医務室まで運び込んだ後、直ぐに医務官さんは旦那さまを診てくれた。一通りの触診や、手のひらに術式を走らせての検査の後、医務官さんはおもむろにつぶやいた。
「魔力欠乏症だな、これは」
「魔力欠乏、症?」
聞いてそのまま、魔力が枯渇した状態のことを指すのかな? 良く症状を知らなくて首を傾げていると、医務官さんは説明を挟んでくれた。
「簡単に言えば、魔力を限界を超えて使った後に発生する症状だ。魔力の代わりに他の身体のエネルギーを消費して、魔法の発動する。その対価として、身体の諸々の代謝が低下する」
「……それは、大丈夫ですの?」
「ああ、今回は軽度のものだ。しばらく気怠さに苛まれるだけで、後遺症は残らないだろう。彼は元より身体が弱いから、要経過観察だが」
「よかったぁ……」
そこまで聞いて、ようやく肩の力が抜けた。
旦那さま、結構無理してたから。
僕の頑張れって声に、もっと一生懸命になってくれてたから。
本当、無事でよかった……。
「さて、安堵しているところ悪いが、無事な君は授業に戻ってもらう必要があるのだが」
ほっと一息ついていると、医務官さんにそう促される。
けど、今はここを離れる気にはなれなかった。
……旦那さまが目を覚ましたら、頑張ったねって一番に言いたかったから。
「ごめんあそばせ、昔に患った膀胱炎の古傷が痛むのですわ」
「再発か?」
「おっと、間違えましたの。疼いていたのは膀胱ではなく暴行、ワタクシの筋肉だったですの!」
「ふむ、どうやら頭を患っているらしいな」
「平常運行ですわ!」
なんかとんでもなく酷いことを言われたけれど、僕は平然と居座る気満々でテコでも動かない姿勢をとって。
そんな僕に、医務官さんは深々と溜息をついた。
迷惑かけてすみません。
でも、譲れないので。
「やれやれ、私はしばらく事務室に行っている。誰か来たら、呼びに来てくれ」
「ありがとうございますですわ!」
結局、気を利かせてくれた医務官さんが席を立ってくれた。
ありがとうございます、今度ラングセランの人気商品謎の肉をお中元として持ってきますね!
そうして、医務室に残されたのは、僕と旦那さまの二人だけ。僕は旦那さまの、ちょっと冷たくなっている手を握った。
「……本当に細い腕、これで一生懸命頑張ってくれてたんだ」
触り続けてると、壊れてしまいそうな手。
外にいても日焼けしない白い肌。
小柄な体躯に幼い顔立ち。
全部が全部、旦那さまを儚く感じさせる。
「無理、させちゃったかな……」
そんな旦那さまを見ていると、ずっと身体が弱かったということを思い出させられる。
「ごめんなさい、旦那さま」
なのに、旦那さまは頑張ってくれた。
一生懸命に、苦しい中で魔法を行使してくれた。
それってさ、自惚れなんかじゃなければ……。
「僕、ダメなのに……旦那さまが大変なのに、ちょっと嬉しいよ」
僕のために、一緒に魔法の特訓をして僕に、もうできるよって見せてくれようとしていた。それが、僕へのお礼にもなるって、旦那さまも分かっていたから。
「……ありがとう、旦那さま」
胸に溢れる思いを言葉に変えて、眠っている旦那さまに伝えた。こんなの、起きてる時には恥ずかしくて伝えられないし。
「──どういたし、まして」
「ですわ!?」
なのに、どうしてかお返事があった。
声変わりしていない子供みたいな、そんな掠れた声で。
……おき、てたの?
「い、一体、いつから起きておられたのですか!?」
「"僕、ダメなのに……旦那さまが大変なのに、ちょっと嬉しいよ"、辺りから」
「ですわーーーーっ!?!?!?」
よりによって、一番恥ずかしくて聞かせられないところから聞かれてるっ。
こんなのってないよ、酷いよ!!
「ち、違いますわ! 本当は"僕、ダメなのに……旦那さまが大変なのに、ちょっと無理強いを"と言っておりましたの!!」
「……やっぱり、僕って言ってたんだ」
「ですわぁーっ!!」
話せば話すほど、無限に墓穴が掘られていく。
僕の墓穴には困らないほど、深々と、あちこちに。
「……その話し方が、素?」
「ち、ちがいますのっ。ワタクシッ、ワタクシですわ! 僕は掘った墓穴に放り込まれて、もう帰ってこないのですの!!」
「そっか、残念」
何が残念なのか、旦那さまはちょっと寂しそうな顔をしていた。
……僕っ子萌えだったりするのかな、旦那さま。
「僕って一人称の女の子がお好きなのですか?」
「それは違うけどさ」
旦那さまは自分の金髪をクルクルと弄りながら、上目遣いで僕を見つめて。
「……僕って言ってる時の君の方が、なんか落ち着くから」
そんなことを、言ってきたのだ。
──何かが、きゅーんって胸元辺りで騒めいた。
「そう、なのですか……?」
「良いと思う」
…………旦那さまは、本当に仕方ないなぁ。
「……僕の方が良いなんて、旦那さまは変わってるね」
「うん、そっちの方が良いかな」
ですわ言葉、僕はお嬢様になれた感じがして、すごく好きだけど。
……旦那さまがどうしてもっていうなら。
本当に、ほんっとうにちょっとだけなら、僕でいてあげようかな。
旦那さまは、本当に仕方のない人なんだから!
「言っておくけど、僕もワタクシも両方一緒だから!」
「うん……僕だけが知ってる君って感じが、ちょっと良いなって思っただけかもね」
びしって指差して宣言したら、旦那さまははにかんでそう言って。
旦那さま、ずっと可愛いこと言ってる。
僕の胸、さっきからずっとキューンってしてる!
ど、どうしよ、父性が胸から溢れ出そうとしてるってことなのかな!?
「僕が唐突に男の子になって、君のお父様んだよって名乗り始めても知らないんだからね!」
「……その意味不明さは、やっぱり君なんだなってなるね」
「意味不明じゃないよ!」
旦那さまが可愛すぎて、僕の父性を刺激しまくるのが悪いんだっ。
旦那さまは多分、赤ちゃんの才能がある男の子なんだね……。
赤ちゃんの才能って何? 愛される才能ってことなのかな?
「……うん、けど僕なら、結構許せそうかも」
「何のこと?」
「……なんか、イラっとしない」
「ですわぁ!?」
"それ、僕の中でも出てくる鳴き声なんだ"なんてだなんて仰ってますが、それより何よりも重大なことがあった。
ワタクシ、旦那さまにウザいって思われてた挙句に、イラっとさせちゃってましたの!?
ですわーーっ!!!
「旦那さま、やっぱり僕っ子が好きなの……?」
「何でちょっとショック受けてるの。……僕って言ってる時の方が、飾り気なくて安心するだけだから」
じゃあ、イラっとするのはデフォなんだ……。
僕の時に許せるのなら、やっぱり旦那さまは僕っ子萌えだった。
むぅ、悔しい。
ワタクシの方が、ちゃんとしたラングセランのお嬢様なのにっ!
頑張って、ワタクシの方も好きになってもらわなくちゃ! 今すぐじゃなくても、その内に!
……けど、今は僕とかワタクシとか関係なく、旦那さまに伝えたいことがあったから。
今は、その問題は脇の方へと寄せて。
「あの、ね。旦那さま」
「な、なに、改まって」
背筋を伸ばして、真面目な顔で旦那さまへと話しかける。旦那さまは戸惑ったお顔を浮かべていたけど、僕はお構いなしで。
「今日の旦那さまは──素敵でかっこよかったよ。一生懸命になってくれて、ありがとう」
頬が赤くなるのを自覚しながら、何とかそのことを伝えられた。
……素面で伝えるの、結構恥ずかしいよぉ。
「………………」
「っ、何で旦那さままで赤くなってるの!」
「き、君のせいだよっ!」
自分だけじゃない、二人揃って真っ赤になってた。
うぅ、お互いに照れちゃうなんて……。
これじゃあ恥ずかしさも2倍だよっ。
「と、とにかくっ! 旦那さまはよく頑張りました、嬉しかったです! 以上だよ!!」
「……ありがとう」
結局、僕たちは二人して、しばらく真っ赤になって沈黙することになってしまった。
……何でこんなに照れちゃったんだろうね。
「ところで、何だけど」
「な、何かな、旦那さま!」
ようやく、真っ赤なのが少し落ち着いて。軽く頬に朱が差してるくらいになった頃、旦那さまがおもむろに口を開いた。
……気まずくて話せない、なんてことになってなくてよかったぁ。
「あの、ね。本当に今更なんだけど……」
「うん」
旦那さまは、さっきと同じくらいモジモジしていた。伝えたいことの内容が、恥ずかしいことみたいな、そんな感じのモジモジだ。
……まさか、今度は僕が誉め殺し返されるなんてこと、ないよね?
やられたからやり返す、なんてされたら……。
"世界一の筋肉美少女だね、惚れちゃった"とか言われたら、表情筋を鍛えて無表情系クール美少女を目指していたことのある僕でも、きっと耐えられないと思うから。
……で、でも、旦那さまに言ってもらえるなら、特別に受け入れてあげないこともないかもしれないね!
さぁ、言ってくれても良いんだよ!
「──君のことを、名前で呼びたいんだ」
「ふぇ?」
けど、旦那さまの口から発せられたのは、僕が予想してた言葉とは全然違って。
「名前?」
「本当に今更だし、嫌なら仕方ないって思ってる。でも、今からでも君の名前を呼ばせて欲しいんだ……」
一体、何のことなんだろう。
名前名前、僕って旦那さまに呼ばれたこと、なかったっけ?
えっと……あれ?
「ずっとハニーって呼んでくれてたから、必要なかったんだっけ?」
「なんで君は、いつも記憶の捏造から入るんだっ! 君の名前を呼んだら認めてないのに甘えてしまいそうで、呼ぶに呼ばなかったんだよ!!」
言われてみれば、ずっと君って呼ばれてた気がする。
全然気が付いてなかったけど、言われてみると何だか不思議な感じだ。旦那さま、ツンツンしてても、ずっと僕に構ってくれ続けるくらいに優しかったから。
……ん、待って。今まで、甘えてしまいそうだから呼ばなかったってことは、つまり?
「旦那さま旦那さま、是非にカティと呼んで?」
「いや、なんでそんなにニコニコしてるの。それと、いきなりあだ名はレベル高いよ……」
「そかな?」
「そうだよ」
むむ、ちょっと残念。
勢い任せに、旦那さまにカティと呼んでもらって、ひたすら甘やかしてあげる休日のお父さん的プランが、即座に崩壊しちゃった。
カティって呼ばれたら、嬉しくて絶対にいっぱい甘やかしてあげたのに……。少し先の未来に、しばらくお預けなのかもしれない。
うん、それなら。
「……僕の名前、呼んで?」
まずは、最初の一歩を歩み始めたい。
だから、呼んでと提案する。
旦那さまは、赤い顔のまま、けれども今回は視線をそらさないで。
「──カト、リーヌ」
「はい」
まっすぐな視線で、逸さずに僕の名前を呼んだくれた。
何だか嬉しい、胸がほわーってなったよ!
「……カトリーヌ。その、あの……これから、よろしく」
「はい!」
こちらこそ、これからもよろしくお願いします旦那さま!
まずは、婚約者候補から、正式な婚約者として!
……旦那さまとなら、これからもやっていけそうな気がするし。
「こちらこそ、沢山たくさんよろしくね!」
いっぱいいっぱい、楽しいことや嬉しいこと、いろいろ積み重ねていこうね!
第一章完!
そんな感じなので、二人の恋愛はまだまだ続いていきます。
……それはそれとして、考えていた美味しい部分をある程度書いてしまったので、今後はかなりのんびりの更新になるかもしれません。
にゃーん。