「あなた、は……わ、私の、すべてを否定するのですね。せめてもの贖罪たらんとしたこの、心構えさえも……」
「同情に値する、とは言っている。お前の未来予知が暴走し、見てはいけないものを見てしまった結果として心身を損ねたことは、なんら否定する余地なく不幸なことだ」
悲嘆に暮れるオーヴァに、にべもなくヴァールは返した。無表情の眼差しは凍てつく氷河のように鋭く冷たい。それがまた、心をひどく痛めつける。
贖罪のはずだった。見てはならない"邪悪なる思念"を見てしまい、その未来を確定させてしまったことへの罪償い。自分がすべてを犠牲にし、あえて汚名を被ってでも未来への障壁となることでチェーホワの力に寄与する、と。そのつもりだった。
しかし……その結果、目の前のWSO統括理事は自身の行いを、能力者解放戦線のすべてを断罪し尽くしている。
未来を見たこと、邪悪なる思念を認識してしまったことは不幸だと理解を示しつつも、そこから先のオーヴァのすべてについてはこれ以上ないほどにまで否定してきているのだ。
「だが、そこから先。それを踏まえて貴様のやったことは、断じて許されることではないし肯定されるはずもないことだ。それを承知で動いたのではないのか、能力者解放戦線首魁オーヴァ・ビヨンド」
「ええ……それは、それはもちろん。しかし、正直なところ、この行為には価値があるはずだと。そう思っているところはありました。あなたとて、それだけは否定できまい、と」
「だが現実はこうだ。貴様がやったことは我々の計画をいたずらに妨害し、邪魔立てしただけにすぎない。そこにワタシは価値などなんら見出さない。貴様の不幸とその先の行動とは、話が別だ」
「…………私は。自分に酔っていた、とでも言うのですか」
「陶酔していたかどうか、自分の胸に手を当てて考えてみれば良い。そのような物言いをする時点でもはや、気づいているとは思うがな」
「……………………うっ、うううっ!!」
言われるまでもなく、口にするオーヴァはすでに気づいていた──正気に戻っていた。わずかにでも、今さらにでも。
邪悪なる思念がおぞましすぎた。すべてを喰らいつくそうというあまりに暗黒なるその姿が、見目こそ麗しい子供ではあったが放つ威圧が、オーヴァに狂気と恐慌とをもたらしたのだ。
そしてそれ以降、彼女は屈服した心と魂を誤魔化しながらことに及んだ。これは世界のため、未来のためだなどと大義を捏造して怯えと恐れを掻き消して、正義の行いですらあると陶酔してテロリズムに手を染めた。
イルベスタすら巻き込んで。ニルギルドも火野も、何も知らない北欧の人々さえも巻き込んで。彼女は、とどのつまり逃避したのである。
途端、ただでさえ顔色の悪かったオーヴァが口元を手で押さえた。自覚してしまえばこみ上げる吐き気と絶望。良かれと思って、たしかな正気と思って成したすべてが狂気の産物だったと気づかされて、彼女は堪らず椅子からも転げ落ちてその場でえずいた。
気力と体力、精神力に深い傷を負ったのだ。その様子を静かに、そして冷たく見下ろすヴァール。憐憫さえ抱きながらも、その腕からゆっくりと鎖を伸ばした。
技の発動だ。
「鉄鎖拘束──オーヴァ・ビヨンド。貴様を逮捕する」
「うぐっうっ、うううっ……!! ──はぁ、はぁ、はぁ。わ、私、私は」
「見たものは見たままに、放っておけば良かったものを。そうもできなかったのはやはり、ヤツがあまりに恐ろしすぎたのだな。繰り返すがそこまでは同情する。ゆえにそこまでについてはもう、心配するな。後のことは我々に任せろ」
「く、ぅ……こんな、私一人の安心のためにっ……人々を危険に巻き込んだわけでは、イルベスタまで巻き込んだ、わけではっ……うううう、ううううう……!!」
吐瀉物に、滂沱の涙と汗が混じる。自分のしてしまったことの本質を、致命的なまでのミスを完全に受け入れて今、オーヴァの心は完全に折れきっていた。
愛する者を、害するべきでなかった者達をいたずらに追い込んだだけの顛末。狂気にまみれてそうするしかなかった女の、静かな慟哭が響く。
ヴァールはただ、彼女を見ていた。もはや怒りも何も無い。ただわずかな悲しみと、自責の念があるばかりだ。
元を糺せばこの女とて、自分がもっと上手くやれていればここまで道を過つことはなかったのかもしれない。大ダンジョン時代社会そのものがそうであるように、オーヴァ・ビヨンドもまた、結局のところかつての自分が呼び寄せてしまった者なのかもしれない。
そう考えると、どうにもこれ以上責め立てる気にもなれない。北欧を脅かしたことは統括理事として許せないが、ヴァール個人としてはもう……この女のせめてもの安らぎをも、願ってしまう。
ゆえにいくらか声色を柔らかくして、彼女はオーヴァに告げるのだった。
「哀れなオーヴァ・ビヨンド。お前の命ももはやいくばくもないだろうが、せめて余生を償いのために費やせ。それこそがお前自身を救うだろう……もう、邪悪なる思念のことに思い煩う必要はない」
「チェーホワ、ソフィア・チェーホワ……ごめんなさい、ごめんなさい私は、私は、何も……こ、んな、つもりでは」
「そうだな。だがこうなってしまったのがすべてだ……どんな命も変わらない。いつだってことが起こってから、誤ってからこんなはずではなかったのだと言う。誰も彼も、ワタシもが」
自嘲しながら、むせび泣く女へと答える。ヴァールの胸にはたしかなやるせなさ、虚無感が広がっていた。
それでもオーヴァは拘束、逮捕した。これをもって能力者解放戦線は壊滅し、第二次モンスターハザードは終結したのだ。気の重さを自覚しつつも、それでも吐息する。
《気配感知》では自分が来た道にモンスターが多数いたようだが、おそらく外部から侵入してきた連中だろう。
しかもそれとてすさまじい勢いで数を減らしている。察するにエリスなりラウエンなりが奮闘してくれているのだろう、これならばもうすぐにオーヴァを連行して外に出られる。
そう、思っていた瞬間だ。
『ああああああっ! ああっ、あああああっ!! うわああああああっああっ! ──あああああああああああああああああっ!!』
────洋館中に大声が響き渡った。
「なんだ!? …………エリスか!?」
まるで断末魔の叫びのような悲鳴。それが今や、ソフィアに近いほどに信頼できるエリスの声であることを即座に直感してヴァールは叫んだ。
何かが起きた。異常事態だ……すぐさま彼女は拘束したオーヴァを抱え、書斎から飛び出た。