日本は中部地方に滞在しているソフィアだが、当然WSO統括理事としての仕事は常に山積みだ。
世界を牽引する彼女はそれゆえに、岐阜の全探組施設内に特別に用意した執務室にあってもそうした業務を片付けていた。
「ブラジルにおける探査者関連施設への支援についてはこれで良いとして……ポルトガルでの能力者犯罪への対処も国際探査裁判所の進めるプランを承認と。ああ、中国における能力者関連産業への協力も国際ダンジョン探査経済推進連盟を通して報告させないといけないわね」
矢継ぎ早に書類を見、サインと印を捺していく。WSO発足以来10数年の生活のなかですっかり慣れた仕事だ。
とはいえ現状はモンスターハザードの捜査も並行して行う都合上、生活の大半をヴァールに表向かせなければならない日々が続いている。
つまりソフィアが表舞台に立つ頃には常に業務が山積しているため、実際のところ平時よりはるかに大変なことには間違いなかった。
これでもある程度はヴァールも手伝ってくれているのだからマシなほどだけれどと、軽くため息を吐く。
「そしてスタンピードについての報告……権藤武虎くんと華さん、そして光太郎くんのグループがスタンピード鎮圧に精を出してくれているおかげで、エージェント達も身動きが取りやすくなっているわね。前より報告の頻度と量が多くなってるもの、助かるわ」
次いで目を通すのはまさに渦中のスタンピード、第三次モンスターハザードについての調査、捜査資料だ。
武虎率いるスタンピード鎮圧グループは猛烈な勢いで岐阜県内のモンスターを駆逐して回っており、長野や富山においてもWSOによって改善を受けた地元探査者達が以前とは比べ物にならないほどの成果を挙げてきている。
同時に他の県……石川や新潟、愛知、福井などにおいても派遣しているエージェント達の教育が効果を発揮しつつあり、似たような状態になりつつあるのだ。
そちらもずいぶんと手を焼いたようだが、実際にWSOによる指導が馴染んでいくにつれて捜査資料も徐々に増えていっているのだから、懸念事項の一つであったこの地の探査者の質の低さについては今後、かなりのスピードで解決が見込めるかもしれなかった。
さておき、資料の内容だ。
やはりというべきかスタンピードの起きた地点のすぐ近くで、不審な人物を複数人見たという報告は枚挙に暇がないほどに挙がっていた。
さらに言えばそのうちの何人かが、日本国内のいわゆる裏社会にて名を馳せている能力犯罪者だということもすでに判明済みだ。
「日本のアウトロー達が何かを目論んでいる……反社会的勢力のほうはまだ動きが見られないけれど、けれど怪しい。ヴァールも不審がっているし、ありそうよね、何かが」
長年の経験から来る勘。WSO統括理事としてだけでなくそれ以前の、ある絶望的な戦いのなかで無理矢理にでも積み上げた経験による直感が、ソフィアにこの国の闇が蠢いている様を想起させる。
なんとなく見えてきている構図がある。だが何か、決定的なピースが欠けているような気もする。ここまで長期かつ頻度の多いスタンピードを、反社会的勢力だからといって引き起こせるものだろうか?
加えて一度のスタンピードにつき、モンスターの数が多すぎるのも気になる。それらがまるで示し合わせたかのように人間の都市を狙い撃ちするのも、誘導している何かがあるようで薄気味が悪い。
どうにも謎の多い事件だ、今回の騒動は。紅茶を口にし、悩むソフィア。
そんな彼女の執務室のドアをノックして、WSOエージェントが入ってきた。
まだ年若い青年で、ソフィアに慣れていないのか緊張した様子でいる。
「失礼します、統括理事! き、緊急でご報告があり参上しました!」
「ええ、なんでしょうか? おそらくスタンピードに絡むこととは思いますが」
「9月下旬頃に起きた長野と山梨の県境におけるスタンピードですが、何者かに鎮圧されていたという報告をさせていただいたと思います! そのことについて、鎮圧したと思しき人物の写真を入手できましたのでご確認いただきたく!」
「…………写真? よく撮れましたね、そんなもの」
「たまたまでした! 近くで野鳥観察をしていた写真家の、写真にそれが写っていたとのことです!」
言いながら一枚の写真を提出してくる。鳥をメインにした構図だが、たしかに片隅に人影が見える。
これが例の人物か。ソフィアは目を凝らした。
先々月頃に起きた、山奥の県境でのスタンピードが鎮圧されていたというのは、後から報告を受けて急行したエージェントや現地探査者達の調べから何者かによるものだということはすでに把握していた。
それ以前やそれ以後にも度々、自分達の知らぬ間に人知れずスタンピードを鎮圧し、密かに隠れながら人々を救っている誰かがいる──ソフィアもヴァールもそのことは知っていて、どうにか接触できないかとエージェントに捜査させてもいたのだ。
けれどもここに至るまでまるで足取りのつかめなかった人物が、ついに一端でも姿を確認できるのか。
気になって封筒を手に取る。なんの変哲もない写真に、わずか写ったその人を見て。
「────────これ、は」
「統括理事? 何か心当たりがあるのですか? その……青い髪の女性らしき人影に」
「…………え、ええ。あります、たしかに。ごめんなさい、悪いけれどこれは一人で検めます。退出いただけますか?」
背筋が粟立つ感覚。まったく予想していなかった人物がたった一人思い浮かび、またそれ以外に考えられなくなったことにソフィアは慄然とした。
エージェントを下がらせる。再び一人になった執務室のなかで、再度写真を見る。
青い髪を長く伸ばした背中。たしかにあの旅のなか、見覚えのある姿だ。間違えようもない、ずっと探していた少女。
彼女だ。彼女がこの地にいる。そして人知れず人々を救い、今また私達に力を貸そうとしてくれているのだ。
ソフィアは、震える声でその名を呼んだ。
「エリス・モリガナ……エリスちゃん。あなたは今、この地にいるのね。人知れず、それでも人のために戦い続けているのね……!」
エリス。エリス・モリガナ。
3年前にともに過ごしともに肩を並べ、そして手を差し伸べてあげられなかったあの少女。
ずっと探し続けていた、不老となってしまったあの聖女が……ここに来て、ついに捕捉できたのである。