一方その頃──
能力者解放戦線メンバー、火野源一は単身にてラトビアのリガへと潜入し、人知れず夕闇時の酒場の片隅で息を潜めていた。
テーブルにつく彼の前に一人、ローブ姿の男が座り、彼をじっと見つめている。
イルベスタ・カーヴァーン。
能力者解放戦線の首魁オーヴァ・ビヨンドの腹心にして、先だってはニルギルドと火野の逃亡を幇助すべくエストニア北部でスタンピードを引き起こした大罪人がそこにいたのだ。
ともに差し出される料理と酒を多少、口にしつつも小声で会話する。
「……ニルギルドは役目を果たしきった。殺されこそしなかったが捕縛はされたようだ。個人的には生き延びたことを喜ばしく思うが、組織としては情報漏洩が確定したも同然だ。悩ましいところだな」
「アイツ自身、死に場所を求めてたのに死ねなかったって点でも悔しさ苦しさはあるんじゃねえのかね? ……なんにせよ、はっきりと助けられた形になる俺としちゃ感謝するしかねえが。おう、傭兵馬鹿に乾杯でもしようか」
「ああ。哀しくも勇ましき仕事人、己を律し続けた傭兵に」
「戦争に取り憑かれた亡霊に」
手向けの、あるいは弔いのグラスを軽くぶつけ合う。能力者解放戦線にとって、あるいはつながりの薄い傭兵稼業でしかない者だったが……それでもここに至るまでずいぶん助けられてきた、仲間と呼べる間柄であったのはたしかだ。
火野など今回の逃亡ではフィンランド以来、最初から最後まで世話になりっぱなしの恩人だった。辛辣で口も態度も悪かったが、それでも友人であり相棒だった男を想い、彼は一口酒を飲む。
──そして切り替え。
友の終わりを偲ぶのも束の間、二人はすぐに冷徹かつ酷薄な表情でこれからの予定についてを語っていった。
この切り替えの速さこそが彼らの武器とも言えるのだろう。
「そんでよう、イルベスタ。俺ァこれからノルウェーに戻りゃ良いのか? 拠点で大将の護衛でもするかぁ?」
「最終的にはそうなるだろう。閣下はすでに、本拠点にまで踏み込むチェーホワの未来を確定なさっているからな……だが火野源一、お前にはさしあたりやつらの足止めと妨害を行ってもらう。リトアニアへ南下しろ」
「へえ? 十中八九負け戦ながら、せめてもの嫌がらせは十全にやるってかい。良いねえその性根、いやらしくて疼くぜ」
「閣下に卑しい心根を向けるなよ、貴様っ」
軽口を叩く火野を睨みつけ、イルベスタは小声で鋭く叱咤する。オーヴァ・ビヨンドの信奉者たる彼にとり、自他ともに認める変態である火野の性欲が彼女に向けられることは耐え難い苦痛に他ならない。
そうした反応が返ってくるのも想定済みの火野はカキキキと、ひどく耳障りな声で嗤う。たとえ仲間であっても誰とも相容れることのない殺人鬼の、本性の発露であった。
「怒んなよ怒んなよ、カーヴァーン……! 安心しろよ、今の俺の目的はたった一人、あの田舎娘だけだァ」
「……エリス・モリガナか。このイルベスタ・カーヴァーンと同じスキルを保持し、しかし異なる用途をする娘。たしかに、アレは素晴らしい目をした逸材だろうが」
「だろ? 良いよなァモリガナは……あの正義に溢れた光の眼差し、美しいかんばせ! それでいて俺に一太刀浴びせたあの顔つきは、思い出すだに興奮する……!!」
「変態め。貴様の性癖暴露などいらん、良いから指示に従いリトアニアへ行け。ただひたすらにスタンピードを引き起こせ、やつらを撹乱しろ。できる限り長く、リトアニアにやつらを縫い付けるのだ」
そんな火野の執着を今や、一心に浴びるのが敵方であるソフィア・チェーホワ一味の一人、エリス・モリガナ。
先日の自然公園でもいくらか相対した美しいあの娘に、男であれば誰であれ惹かれることもあるだろうと納得するイルベスタだが……火野のソレはあまりにも毒々しく禍々しい、邪悪としか表現できない欲望そのもので直視に堪えないものだ。
ゆえに、会話を半ば強引に打ち切って指示を出す。オーヴァの見た未来の実現は避けられないが、その先にある趨勢は確定していない以上、変動させられる余地がある。
原因と結果──しかしその先にまた、続いて残る新たな因果がある。オーヴァの能力をより自分達にとって都合の良い形で実現させるために、イルベスタの奮励努力があるのだ。
「貴様が足止めに専念する間、我らは決戦に向けて戦力を整える。スウェーデンのほうでも厄介な探査者が我らの邪魔をしているため、そちらにも注力せねばならん」
「あぁ? なんだよWSOのエージェントか? チェーホワとウェインと俺のモリガナ以外は雑魚だろうに、何やってんだよカーヴァーン」
「違う。WSO側ではあるだろうがエージェントではない。アジアは中国からどうしたことか、武術家が単身でスタンピードに殴り込みをかけているのだ」
「……なんだそりゃ」
火野への指示の傍ら、自らも抱えた懸念事項について伝達しておく。ソフィアだけかと思われた能力者解放戦線の大敵が、ここに来てまさか単独なれど増えると思っていなかった。
アジア人……中国人の探査者が、たった一人でスウェーデン中のスタンピードというスタンピードに突撃しているのだ、ここ最近。恐るべき"星界拳"なる拳法を用いモンスターを薙ぎ倒すその男は、瞬く間に英雄扱いされてしまっている。
紛うことなき能力者解放戦線の敵だ。
全力で排除すべきその者の名を、イルベスタは静かに口にした。
「────シェン・ラウエン。星界拳のシェン・ラウエンと名乗る輩を、チェーホワが来る前に仕留めねばならん。万一にでも合流されてしまっては敵わんからな」