天使レイと出会った日の開店前ミーティングでは、各ホストの昇進が発表された。
エンペラーグループでは『役職つき』としては下から幹部補佐、総支配人、主任、取締役、代表の順になるのが基本だ。
とはいえホストと店は、個人事業主と法人の業務委託の関係。社会保険がない一方で業務命令に服する必要もないはずだが、そこは社会的動物の性。それらしき役職を手当つきで用意することで『成り上がっていける』分かりやすいレールと物語が用意される。
マットホワイトのソファにはオーナーである銀治が腰掛け、その傍らにタブレット片手に直立する金髪の美青年がいた。
歳は二五前後であろうか。一八〇センチメートル近い高身長に、端正なマスク。くすみひとつない美麗な容貌は物語の王子像を想起させた。
「良かったよ、時間前に来れて。オーバードーズした女の子の介抱してたら救急車が来てさ。スマートウォッチの機能で自動呼び出しされたらしいけど、さすがに病院同行まではできないから後は救急隊に任せてきた」
王子──源リキヤはこともなげに言い放つ。一一九されたと知り、リキヤの前に集合して座るホストの面々から疑問の声が上がる。
「大丈夫なんですか、それ」
「大丈夫。前にも似たようなことあったけど翌日には出勤してくれてたし」
「いや、その子の体調もそうですけど、救急車とかって大ごとになりませんかっていうか」
「身寄り消しちゃった系の子だからね。保険証も持ってるからわかんないし、きっと今日は泊まらせられるだろうから。明日にでも面会してメンケアしてくるよ」
ナルミは隣に座る天使レイとともに、ホストの輪から後ろに離れていた。
「ヤク吐き女はたいぎぃのう」
「今回は市販薬だからまだオーケーでしょ。胃洗浄して点滴打ってて感じじゃね……韓国とかアメリカから個人輸入してるやつたまにいるけど」
「大人しく葉っぱでも吸っちょれば面倒もないんじゃが」
「関係者全員パクられるやつじゃん」
二人がささやくように話してる間に、リキヤはタブレットを操作し、マイク片手に昇進するホストを次々と挙げていく。
「ファーストから幹部補佐、綾鷹ティー」
いつだったかの卓で早々にブランデー一気飲みを諦めた根性無しが昇進していた。センター分けにした前髪を脱色しており、あの夜を思い出すと二股の髪の毛を引きちぎってやりたくなる。
綾鷹が何か口上を垂れようとするが、リキヤが素早く次、とマイクからの音声で遮る。
「幹部補佐から主任、ナルミ」
ナルミはへぇっと間抜けな音を漏らす。
たむろするホスト達のざわめきが大きくなる。
「うちって幹部補佐の次は総支配人じゃなかったか」
「幹部補佐から二階級上げはエグいって」
「売上積めば役職貰えんのかよ」
パンッ、と手が太ももを叩く音が聞こえ、突端にホスト達はそれがどの席から発せられたかを察するとともに雑談どころか呼吸を止めた。
「レイ」
「はいッ」
それまでの気だるさが嘘のように素早く立ち上がる天使。
「ミナミから引っ張ってきた天使レイや。おう、ひとこと」
「二億四千万プレイヤー、天使レイじゃ。対よろ〜」
そんで、と銀治の言葉は続く。
「リキヤ、いま勢いのあるホストクラブ上げてみぃ」
「整形とモデルのリップグループ、問題児突撃クラスのリッチ、青瓢箪のハニーに、規模最大級のダーリン、ですかね」
「いつまでも連中にでかいツラさせとくわけにもいかんじゃろ……三億のリキヤに二億のレイ。それに追いつけのナルミ。今年こそ歌舞伎町の覇権握ってやらんとな。皆、気張りや」
ナルミも名前を呼ばれて立ち上がったが、手持ち無沙汰に周りを見渡すだけだった。他のホストたちも座りながらピンと張られた背筋が更に反る。
シャンデリアの灯りの下でレイが自慢気にウインクを飛ばしてくるので、鼻をつまんでやる。向こう脛を強かに蹴られた。
銀治オーナーがフロアから出ていった後、ナルミに真っ先に話しかけてきたのはくだんの軽薄男、綾鷹ティーだった。
「いや~幹部補佐に上がったんでタメ口きけると思ったんですけど、一足先に幹部昇格っすか、おめでとうございます」
中途半端な敬語。ナルミが口を開く前にレイが応える。
「なんやこいつ急に擦り寄ってきて。お前知っとるぞ。マクラしまくった挙げ句バンス自腹で一千万プレイヤーって名乗ってるキッショい輩やろ」
「な、なんでそれを」
「ネットでお前の寝顔が回ってくるの勘弁しれくれんかのう。それとも新手の魔除けにでもなる気か、えぇ?」
「っく、いいもんね、俺にはあやかがいるからね」
「根っこが一本やと太い樹じゃろうとはよう枯れるって知らんのかコイツは」
ドッチボールのような会話を聞く一方だったナルミはようやく口を挟んだ。
「俺は綾鷹のこと嫌いじゃないよ。売上計算できないから酒飲みにきてるだけだけど、ヘルプでつくと卓が静かにならないから」
「役職付のモンになるにゃあ致命的な弱点が聞こえたんやけど。単なるヘルプで話終わっちょるけど大丈夫か本当」
そそくさと視界から消え去り、サード(下っ端)たちが椅子の片付けるのを手伝い始める綾鷹をみやり、レイがつぶやく。
「そこは銀治さんのスカウト眼を信じるしかないんじゃね」
「ならヒャクパーじゃな。打率十割、セ・リーグ優勝間違いなしじゃ」
「カープ基準に考えるなよ。樽基金すんぞ」
「銀治さんにキャッシャー会計する方法……樽基金……寄付、ハッ」
無言で椅子を戻し開店準備に勤しむ集団の中で二人の漫談が聞こえていたのだろう。代表リキヤが近づきながら微笑む。
「そこの四捨五入二億と、約二億の二人」
「なんや、リキヤ」
「なに、リキヤ」
素知らぬ表情を貫く二人を前にして源リキヤは深呼吸一つ、するまでもなく叫んだ。
「えぇからその身ぃ繕ってお客さん出迎える準備せぇ!」
珍しく関西弁を全開にする代表を前にして、アホを演じた二人はそそくさとフロアから逃げ出した。
「──それでなんで大型新人の髪に俺がコテ当ててるんですかねぇ」
クラブ内の女性用化粧室に椅子を持ち込み、レイに腰掛けさせたナルミ。メッセージ・アプリを操作する青髪男を鏡越しににらみつけながらもヘアアイロンを操作させつつ呟く。
「ええやろ、銀治さんの髪整えとるんやし。今更一人増えても変わらんじゃろ」
「お前とオーナーじゃ月とすっぽんだからな、そこんとこ弁えろよ。っていうかなんで知ってるんだよ」
自分はオーナーが超多忙な時のピンチヒッターとしてしか呼び出されないレアキャラのハズだ。なぜ大阪にいたというレイにまで知られているのか。
ナルミの問いかけに、スマートフォンを揺らして返答がされる。
「今の世ぉだと美容師もインスタしとるけぇの。メッセで一発や」
こいつサロンを間貸ししているエンペラー系列の店舗付美容師にメッセージして聞きたい情報を引き出してやがる。改めて年下ホストのコミュニケーション能力に戦慄しつつも襟足の流れを形作り、整髪剤を手に取ると空気と絡めるようにレイの髪に絡めていく。
「銀治さんマジ意味わかんねぇ。昇進するかも程度のことは言ってもらえてたんだけど、まさか支配人スッ飛ばすなんて。なに考えてんのだよ一体」
「この店初日の俺に聞くなや。でもわかるやろ、売れてんのが正義の業界や。役職なんて足裏のカスやから気にすることないわ」
「流石エクゼティブプロデューサー様は言うことが違うな」
「褒めとんのかコラ」
役職の序列からほぼ例外的に外れているのがエクゼティブプロデューサーという名称だった。他店だと顧問などと呼ばれることもあるとか。
レイの髪形を頭頂部から順にスプレーで固めていく。鏡の中のレイは椅子の上であぐらをかきながら目を閉じ、前髪がキマるのを待っていた。閉じた瞼からまつ毛の長さが目立つ。
目の前の青年は意味などないと言い放つが、店は組織の体裁を取られており、一応は役職が上の者の言葉を下の者は聞くポーズが取られていた。売上と技術と年功で役職が決まるのは、比率の差異こそあれど昼職時代を思い出させるものだった。
「レイを呼び込んだのは内部のカンフル剤を狙ってのことだと思う。でも俺はなんなんだろうな......銀治さんと知り合って四年くらいになるけど、なに考えてるか全然わかんねぇ」
「勝った。俺はその倍以上知っとる」
前髪を手で触ろうとするレイをそっと押し留め、言葉を続ける。
「こっちの専門出て美容師してて。銀治さんと知り合って、この店に入れてもらったり海外行かせてもらったりで恩はあるんだけどね」
「待て。その海外って一緒に旅行行っとったんか。おい、答えんか」
「でも役職飛びはないよなぁ。支配人でやること覚えるのすっ飛ばすの少し辛いわ」
「程度の低い悩みに浸ってへんで答えいやオイ」
冗談めかして話していたが、いつの頃からか銀治を無条件に慕うことはなくなっていた。今でも情はあるし信用はしている。しかし幼い弟が兄を頼るような、無根拠な感情は融け去ってしまっていた。
頬をレイに摘まれたままのナルミがヘアセットの類を手際よく片付け始めると、扉が開いてリキヤが顔を出した。
「ここにいたんだ、探したよ。女子トイレでヘアセットするかなぁ普通」
「でかい鏡あるし、洗面台下にコンセントあるからコテ使えるし。スツールさえ持ち込めば意外と便利だよ」
「ふうん。オーバードーズした子が病院脱走したらしいから、ちょっと席外すね」
「場所わかるんか」
「弱ってるところに王子様登場とかドラマティックだな」
女子トイレにたむろする二人からの返答に対し、リキヤは爽やかな笑顔を浮かべた。
「真っ先にラインした。ドンキ前で待たせてるから説得して今晩のデリヘルドタキャンを取り消させる」
こいつ病院搬送された風俗女からの集金しか考えてねぇな。我らがホストクラブ売上一位の言動に笑いながら、自前のメイクセットを取り出す。自分のメイクついでにレイの顔も仕上げてやろう。
「吐いたからスペ上がったとか言ってて一時的にハイになってるから、説得は簡単だと思うけど」
「行ってらっしゃい、モンスターでも差し入れて血糖値ハイさせちまえ」
「ちょうどいい機会や。オプション緩めさせれや」
王子様が旅立つと、室内に沈黙が立ち込めた。
「絶対半年以内に二回目あるのに一万」
「スマートウォッチ捨てさせるやろうから、搬送なしだとドラマ足らんのう。インスタライブ実況オーバードーズに二万」
水清くて魚住まず。しかし物には限度があると思わなくもないとナルミは一人心中でつぶやくのだった。
書き溜め終わり。呪術廻戦コミックス完結おめ。