梅雨時に入り、シャツ一枚でも汗ばむ夜が始まった。
二週間ぶりにエンペラー・ファーストに来店したアミ。その卓にナルミがつくと、その腕に絡みつくと同時にテディ・デキャンタがオーダーされた。
「会いたかったぁ」
言葉と裏腹にその仕草に艶かしさなどなく、幼児のようにまとわりつくとナルミの腕に頭を載せてじっと動かずにいる。
卓上に真っ白な陶器のテディベアが置かれた後、右手だけでソーダ割りが二杯分作られるまでアミはまんじりともしなかった。
カツン、と硬質のグラスが合わさって乾杯をすると、パールグレイ・カラーのスーツを着たアミは勢いよく宣言した。
「今日は飲むからね」
「いいけど、今日は青伝票はなしだからね。前回の掛けがまだ終わってないんだから」
「ふふーん、我が社の賞与日はなんと六月一〇日。一二〇万ぽっちはほら、このとおり」
そう言いながらグッチのハンドバッグを開けると、厚みのある封筒をテーブル上に取り出した。
ガラステーブルの下で中身を見ると、確かに一万円札の束だった。ベテランの黒服に手渡し、掛けの精算を待つ。
「すごいじゃん、証券の営業って本当に稼げるんだね」
先月は来店ごとにシャンパンを卸して二五〇万、先々月はタワー含めて三〇〇万強と、昼職のみの姫としては異例の振る舞いであった。
「あくせく働いているんだから、これくらいもらって当然でしょ」
ナルミは昨年末から購読し始めた東洋経済の証券会社に関する特集記事を脳裡に写す。社長が年収五億円の会社だ、三〇〇万程度は社員に振る舞われるのだろう。結局何も答えることなく、左腕に絡まれた腕を撫でる。
内勤の男から掛け分を支払い終えた残額の入った薄い封筒を渡され、黙ってアミのハンドバッグに押し込む。名刺入れはカルティエだと見て取れた。
「ナルミって誕生日いつー?」
「急に何よ。八月。盆の後」
「じゃあパーっとパーティしようよ。わたしもお揃いで買うから時計あげるね。今時スピードマスターなんて流行りきっちゃってるでしょ」
「仕事道具は自分で買うようにしてるからさ、それより俺は一生の思い出になるようなものがいいな」
赤銅色をしたオメガの限定ムーン・ウォッチは、ナルミが店のナンバー入りした時に箔付けで購入した一本だった。
「えぇタンクに揃えちゃ駄目なの。思い出って逆に困るよぉ。ちょっと考えさせて、いや、一緒に考えようよぉ」
「俺への誕生日プレゼントを俺に相談してちゃ駄目でしょ」
黒服が近づく。鷹揚に手を振る。
「他のとこに呼ばれたからちょっと行ってくるね。宿題だから、考えとくの。じゃあ、あゆは君よろしくね」
ナルミは去り際にアミの頭を一なでし、ヘルプに声をかけると死角に配置された卓へ移って行く。
きらびやかなグラスと男女が視界に映る。どの卓でも男女が騒ぎ、睦み合っているように見える。
ちらりと視線を移すと、卓上に残した陶器のテディベアが机上に結露を濡らし広げていた。
ドン・キホーテ新宿店から西進した雑居ビルの3階にそのアフターバーはあった。
ビロード地めいた椅子に座った華奢な青年──天使レイは手元の画面を見つめながら、眼前の男に言い放った。
「もうお前のドンキーいいかげんにせぇや、赤甲羅ばっかりキショイんじゃ」
対面に座るナルミはニンテンドースイッチをにらみながら答える。
「はーい、俺の勝ち……えっいやなんでこのタイミングでキラーに当たるの、えぇ」
「いい気味じゃ。ほれ」
ゲーム内でナルミが操るドンキーはCPUによって一時クラッシュするも、なんとかレイの操るキャラクターを越したまま、四位でゴールを切った。
「クソが!次や次!」
「グランプリ走って順位差で賭けするのってやっぱ考え直さねぇかなぁ。二人にCPUでも運の要素デカすぎて賭けにならねぇって」
「ブレがでかくなる上に下っ端どもをえぇカモにできるんじゃ。任天堂も本望じゃろ」
「花札屋が元々らしいから祖業回帰だけどさ、上手い下手じゃなくて胴元にならないと運に左右されて金を吐き出すだけだって」
ぬぅ、とレイはしかめっ面をしながらストローを噛む。金勘定はナルミより一枚上手だ。こうして賭けの試走行に付き合わせるだけで、脳内のオッズ表が適正な解をもたらすだろう。
「普通に麻雀で巻き上げろよ」
「最近は警戒されてなぁ。呼んでもベタ降りばかりされてろくに稼げんくなった」
「雀鬼の末路じゃん」
黒烏龍茶を飲んでグラスを殻にし、おかわりをオーダーする。真剣にボタンを操作していたら知れずのどが渇いていた。
男二人だけでゲームに興じていたのは、レイが新しい金の巻き上げ方を考案するテストにナルミを誘ったからだった。つい先程まではレイのアフターに付き添った馴染みの姫も同席してプレイしていたが、グランプリコースを三周したところで嫌気が差したらしく、タクシーに乗って帰宅して行った。
マリオの声を聞き、何も考えずにボタンを押す。初心者向けのコース、キノピオサーキットを選択してスタート。キャラクターがシグナルを点灯させる。
「最近そこそこラスソン取れてるから調子乗っとるんちゃうか」
「今日はリキヤに負けたけど、まぁ最低週一でとれてるかな」
ブルーの点灯。スタートダッシュを決め込んでナルミの操作するドンキーコングが乗るカートは走り出す。
アイテムボックスを通過して得たものは一つだけの緑甲羅。カートの後ろに貼り付けて疾駆させる。
「今日もヘルプ使って調教してたじゃろ。なんとかってやつ使って何やらすつもりや」
「あゆは、ね。レイのヘルプにも付いたことあるんだから、いい加減覚えてあげなよ」
ドンキーの後ろについたピーチ姫が緑甲羅に接触してスピンし消える。指だけ動かしながら言葉は続く。
「再来月のバースディイベントに最低でもシャンパン卸させる。最高はタワー。最悪はプレゼントかなぁ。あゆはには他店で建てられたタワーをインスタで見せさせるよう指示出ししたけど、どれくらい響いたかなぁ」
「お前太客いまどんくらいや」
「さっきの証券にソープ、兼業デリ。あと同人AVだか」
「頭数聞いてるんじゃボケ。まあえぇけど、その女どうすんじゃ」
「どうって、通わせてシャンパン連打でしょ」
「歳はいっとるけど、デリ始めさすなら豊胸させた方が客つくやろ。ええクリニック紹介したるけぇ話挙がったら言えや」
「キックバックもらってる奴の言い方じゃん。昼食オンリーでボトル入るんだから夜を始めると稼ぎが逆回転しそうじゃね」
「それはそうじゃな。まぁしっかりしつけとかんと入れた時間分ドボンじゃ」
いつの間にかコースを周回し、ドンキーコングは三位で最終回をゴールしていた。ギャハハとレイの笑う声を聞きながら両肩を伸ばす。
「ゲームでも三位なら世話ないのう、ほれほれ」
「知らねえ。次いくぞ次」
「待て。キャラ変える」
レイがキャラクター選択を終え、ステージを決めるまでのつかの間、ナルミは店の片隅を見ながら放心していた。
終業直後の店であゆはが言っていた。ドレス姿の客とホストの写真にやたら反応していたと。その調子ならば帰宅後もインスタグラムで似たような単語を熱心に検索しているだろうが、果たして何を卸してくれるのだろうか。テディデキャンタと揃いのドレスなどあったかもしれない。
「おい、話聞いとるんか」
わるい、と返答し、エーボタンを押す。間もなくシグナルが光る。ナルミは走り出す。同じコースをくるくると。くるくると。
あゆは は原作キリカ編でビビがマイクパフォーマンスをする場面で名前だけ出ています。