ランチ、ショッピングと続き、練馬が最後に考えたデートプランは、モールに隣接されている水族館だった。
理由は二つある。一つは燈が生き物───特にペンギンのような海の生き物が好きだから。その点、水族館という場所はデートのシメとしては、正に打って付けだろう。
そしてもう一つ、この水族館には他には無い特徴が有る。それは……
「わぁ……綺麗……お魚、いっぱい……」
燈が精一杯首を挙げて、水で満たされた青い空を泳ぐ、色とりどりの魚達に感嘆するように声を漏らす。
───今、燈が見上げているのは、全面がアクアリウムとなったドーム状の通路。そこには小さな魚の群れが行き交っていたり、巨大なマンタがまるで翼をはためかせるように優雅に泳いでいたり、様々な海の生物がガラス越しの海の世界を飛び回っていた。
事前に下調べをしていた練馬でさえも、いざ来てみれば、さながら海の底を歩いているかのような不思議な雰囲気に見惚れてしまいそうになる。本来の目的も忘れて、思わず心の底から楽しんでしまいそうになってしまう。
「最近の水族館ってスゲェなぁ……こんな綺麗な展示があるなんて……ハッ!?」
しばしその美しさに見惚れていると、さながら閃きのように、この場で最も相応しき殺し文句が、練馬の脳に駆け走る───これは、『君の方が綺麗だよ』と少女漫画でしか聞いた事がないワードを言えるチャンスでは!?
「そ、その、き、き、きみの、ほぉ……!!」
「?」
「きれぇブフッ!?」
だが、意を決して言おうとするが、緊張しすぎで全身の震えが止まらずに、その勢いのままに、思いっきり舌をかみ切ってしまう。
「し、し、舌、大丈夫!? これ……!!」
目の前で突然挙動不審になられた挙げ句、いきなり舌を噛んで自殺未遂をされたとなれば、流石にアクアリウムに見惚れている場合ではなかったらしい。燈は慌てて肩に掛けたポーチから、未だ開けてないペットボトルを取り出すと、それを練馬へと直ぐに渡した。
「んんぅ……プハッ! あひがとぉー!!」
渡された水を一気に飲み干すと、口の中が血の味から薄い甘桃の果汁に塗り替えられる。わざわざ普通の水じゃ無く、女の子らしい桃水をチョイスしている辺り、何故だかドキッとしてしまう。
「……ねぇ、練馬、君」
「ん? ほうしたの?」
そして、ようやく舌の痛みが無くなって喋れるようになった矢先、燈が恐る恐ると言ったように練馬へ尋ねてきた。
もしかして何かやらかしてしまった!? ダサい所を散々見せつけられて遂に愛想が尽かされたとか!? 思わず燈に似合わないような罵倒の想像が浮かびつつも、練馬は覚悟して次の言葉を待っていると。
「どうして……わ、私の事……好き、なの?」
───やっぱり、そうだよな。
「……そりゃバレるよなぁ……」
あれだけ散々息巻いていたら、自分に好意を向けられていると誰だって分かる。それを自分は隠せないと分かっているからこそ、練馬は敢えて変に誤魔化そうとはしなかった。
「燈ちゃん、少し歩こうぜ」
先ほどまでとは打って変わり、自分でも驚くぐらい嫌に落ち着いた声が出る。おそらく、変に気張ろうとしていた肩の力が抜けたからだろうか。
「……うん」
燈はその誘いに従い、2人揃って仲良く海に囲まれた世界を歩き出す───だが、そこには先ほどまでのような甘い雰囲気は感じられない。
「やっぱ通路丸ごとアクアリウムとかスケールチゲェな! 流石は都心ど真ん中の水族館! 燈ちゃんもそう思うっしょ?」
「……」
試しに、わざとらしいくらい明るく接してみるが、視界一面に綺麗なアクアリウムが広がっているにも関わらず、燈はずっと自分の足下を見ながら歩いている。
「……燈ちゃん。俺の事、嫌い?」
「嫌い、じゃない……!」
そう強く言われると、思わず嬉しさに飛び跳ねてしまいそうになる───だが、今はその時じゃない事ぐらい、練馬でも心得ている。黙ってその続きを話そうとする燈の言葉を聞き届ける。
「でも……分から、なくて……どうして、私の事、好きなの、かなって。私、みんなみたいに、綺麗じゃないし……普通、じゃない」
───分からない、か。
「それでも、どうして、私を」
「ストップ燈ちゃん。そこまで」
耐えきれず、練馬はそこで口を挟んでしまった。幾ら燈自身の言葉であっても、好きな人が貶められるような事は聞きたくなかったからだ。
それに───伝えなければ、ならない事がある。
本当は言うべき事じゃないし、言ってしまえば重く感じられてしまう。下手をしたら、折角近づけられた距離が遠のいてしまうかも知れない。
でも、燈に取って、今それが必要だというのなら、練馬は喜んで言葉にしてみせる。
「……俺ってば、こんな感じだろ? 他の奴とはちょっと違っててさ……結構、本気になったりするんだよ」」
アクアリウムの海の中、群れを逸れた一匹の小魚に、ガラスに写る自分の姿を重ねる。
確かキッカケは部活で最初に組んだバンドが解散した時だったか。原因は音楽性の違い───なんて格好付けられるもんじゃない。
『なんでだよ! 一緒にプロ目指そうぜって言ったじゃん!!』
『ハッ? お前、マジで言ってたの?』
どっかの大手音楽会社のオーディションの最終選考まで残った時───練馬の夢に手が届きかけたその時に、バンドメンバーが抜けた。
『あぁマジだよ! どうして止めんだよ!! 後もう少しで!!』
『お前さぁ、本気でプロになれると思ってんの?』
忘れもしない───土砂降りの雨が、落としたマイクの音を消す放課後。突然に自分以外のメンバーが抜けると言い出した時。
『俺達がプロにとかなれる訳ねぇじゃん。それにプロとかなっても、この先食っていける保証あんの?』
『そんなんやってみねぇと分からねぇだろ! だから一緒に!!』
出来ると本気で信じていた。このメンバーならきっとプロにだってなれる。ずっとバンドを続けられるって思っていた。
だから一生懸命になっていたし、それにメンバーは付き合ってくれていた。だから、それが練馬だけじゃ無く、それは同じ夢だと思っていた筈なのに───
『現実見ろよ。お前。普通じゃねぇよ』
バンドメンバーが放ったその一言が、練馬の
「だからさ、普通って奴になった方が良いのかなーって考えたりする訳よ。本当の自分は心の奥底にしまって、みんなが思う普通って奴を演じたら、楽に生きれるかなーとか」
───その日から、練馬は普通になってしまったような気がした。何処にでも有り触れている、頭の悪い陽気な高校生。そんなレッテルを自分で貼り付けて生きていた。
それが悪いわけじゃ無い。普通に友達も居たし、普通に楽しくも過ごせていた───ただ夢も何も無く、自分を否定し続ける日々に、少し息苦しさを感じていただけだ。
きっとこの先もこんな風に、胸の奥で訴える行き苦しさを、無視したフリをして演じ続ける。そう漫然と考えながら、漠然と生きるだけの毎日。
それが普通。人から外れてしまった
そんな日々の中で、ふと聞こえてきた歌が、教えてくれた。
「でも……燈ちゃんが教えてくれた」
行きつけのライブハウスのスタッフに誘われて、見に来たステージに立っていたのは───何かを書き留めた自由帳と、マイクを持った少女一人。その少女がただ歌うだけの静かな空間だった。
───いや、それは歌じゃなくて詩だ。普通じゃない少女が、上手く伝えられない誰かへの思いを、必死に伝えようとする心のそこからの思い。
その姿はとても頼りないように見えて、シッカリとその足でステージに立っていて、震えたか細い声で、言葉を紡ごうと喉を枯らす。
そして、一つ一つ紡がれる詩は、あの時に言えなかった練馬の言葉に似ていた。
「燈ちゃんが知らなくても、俺は教えてもらった。普通じゃ無くても良い、諦めたくない物があれば、真っ直ぐになれって」
あの時、こんな風に言葉を素直にぶつけられていたら、何か変わっていたのかも知れない。普通じゃ無いからと、掌から抜け落ちてしまったもう一つの未来が有ったんじゃないか。
上手く伝えられなくとも、普通じゃ無くとも、諦めたくない物を諦めずに掴もうと足掻いていれば───あの少女のように叫んでいれば。
───そう思った時には、練馬という人間はもう一度息を吹き返していた。
「燈ちゃんはさ、もしかしたら自分の事が嫌いで、普通になりたいって思ってるかも知れないけど」
一度は心の奥底に蓋を閉じた本当の自分、それをこじ開けてくれたからこそ、練馬は今こうして自分らしく立っている。プロになる夢は叶ってなくても、何かを理由にして諦める事はしなくなった。
きっと、普通のままじゃ辿り着けなかっただろう。今の自分があるのは、手放さまいと諦めずに足掻き続けたからに違いない。
「俺は今のままが良い。燈ちゃんらしい今の姿が一番良いと思ってる』
だから、それを教えてくれた燈を───大事な人達や諦めたくなかった今を掴んだこの少女を、練馬は好きになった。
「……まぁ! 深く考えなくて良いけどな! つかごめん! こんな話聞いてもドン引くっしょ!!」
練馬は言いたい事全てを曝け出すと、途端に小っ恥ずかしい事を言っているのを自覚して、顔に焼けるような熱が集中してしまう。今にも身体から火が噴き出してしまいそうだ。
きっと、こんな話をされても重いだけだ───赤くなった顔を隠す両手の隙間から、燈がどんな顔をしているのかを覗くと。
「……ありがとう」
───泣いていた。まるで自分の事のように目尻から大粒の涙を流して、練馬の顔を見つめていた。
「ど、ど、どうしたの燈ちゃん!? やっぱり俺の話が重すぎた!? そんなつもりじゃ」
「違う……違う、の」
流れた涙を拭おうと、燈は何度も目を擦るが、それでも止め処なく溢れてくる。どうして泣いているのか分からない練馬は、ただその姿を前にして狼狽えるばかり。
すると、鼻を啜った後に、燈は涙の理由を教えてくれた。
「私の詩で、練馬君が、練馬君が、救われたのが、嬉しくて……」
「嬉しく……て?」
どうしてなのかと、練馬は首を横に捻ってしまう。救われたのは自分の筈なのに、どうして燈の方が嬉し涙を流すのか、とんと理解できない。
「私……諦めなくて良かった……」
ボソリと呟いた燈の声が、練馬の耳に届いた。
「みんなと、またバンドが出来て……それで」
───そう言えば、後になって知ったのだが。あの時の詩は、バラバラになったバンドメンバーに、自分の思いを伝える為に歌った物だという。
そして、その詩はやがてバンドメンバーを再び一つにし、今の『MyGo!!!!!』が生まれたと聞いている。言わば、燈が繋ぎ止める為に歌った詩だ。
───だから、人生を変えてくれたあの詩は、練馬の為にではない。諦めまいともう一度駆け出した自分の背中など、燈の目には映っていなかっただろう。
「私の……ううん、私達の詩が、誰かに伝わってくれて……!!」
でも、今はこうして見てくれている。そして自分達の詩で救われた練馬に、嬉し涙を流してくれている。
「燈ちゃん……」
こういう時に、どう応えれば良いのだろうか。折角、黒崎に教わった恋愛テクの数々も、その涙を前に全て吹き飛んでしまう。そうなると、恋愛ベタな頭じゃ、涙を流す少女の慰め方は思いつきもしない。
───もし、黒崎だったら、上手くやってみせるのだろうか。きっと憎まれ顔の親友なら、こんな時にどうすれば良いのか分かっている筈だ。
だから教えて貰ったアドバイスを一から思い出して……思い出して。
思い出して、どうする?
「……そろそろ、覚悟決めないと、か」
今まではアイツの言うとおりにしていれば、間違いなかった。でも、それじゃあ何も進まない。きっと誰かの言葉じゃ上手く伝わらないし、燈も多分それを待っていない。
ここから先は、自分で決めてみせる。
「燈ちゃん」
そして練馬は、燈の手を握った。
「ちょっと付いて来て」