「……」
「……」
まるで巨大スクリーンのような壁一面ガラス張りのアクアリウムを前に、俺と椎名は離れた位置のベンチに腰掛けて、無言のまま居座り続ける。
さっきからずっとこの調子だ。ショッピングモールを出てからずっと、何処かぎこちない空気が流れている。そんな空気に耐えきれなくて、俺の方から話しかけてみる。
「……なぁ、もしかして未だ引きずってんのか? いい加減忘れてくんねぇか」
「別に引きずってない」
嘘が下手で助かる。思いっきり引きずっている癖に、持ち前の強気を発揮して、目線を俺からワザとらしく反らす。
やはり試着室の一件が原因だろう───あの時、自分もどうしてか分からないが、柄にも無く似合っていると言ってしまった。そのせいで、認めたくも無いが、まるで初デートのような空気がいつの間にか出来てしまい、こうして気まずくなっている訳だ。
『立希ちゃんをよろしくね』
……いや、それだけじゃない。きっと、あの腹黒いゆるふわ少女の言葉のせいでもあるか。別れ際に残したその言葉は、まるで俺が椎名に恋愛感情を持っているかのような口ぶりだった。それが嫌に引っ掛かって、余計にモヤモヤしてしまっている。
「はぁ……アイツらも見失うし、これじゃあ来た意味ねぇじゃねぇか」
オマケに黒崎や高松までを見失っている───入り口までは追いかけられていたが、何分この薄暗さで、直ぐに見失った。なのでこうして二人仲良くアクアリウム鑑賞をしているのだが、そのせいで益々デートみたいになってしまっている始末だ。
と言うか、どうして此処に居るんだろうか。アイツらなら多分大丈夫だろうし、椎名の方も……まぁ、もう暴走はしないだろう。そうなると、益々こんな所に居る理由は無い。
「……一つ聞いて良い」
「ん?」
そろそろ帰ろうかと腰を浮かせたその時、珍しく向こうから尋ねられた言葉に、もう一度ベンチに座り出す。
「何で、アイツとつるんでるの?」
「んだよいきなり。興味でも湧いたのか」
「ハ? 違うし、勘違いしないでくれる?」
随分と真に受けてくれる。というよりは冗談だと分かっているからこその対応と言うべきか、どちらだろうとまぁ良い。
「まぁそうだな……お前なら話しても良いか」
俺も随分口が軽くなった。こんなのは語るモンじゃないってのに。だけど、コイツになら、何となく話しても良いって思えてしまえてしまう。
「昔、アイツに救われてんだ」
───確か今年の春ぐらいだろうか。何処からともなく、俺の噂を聞きつけたらしい馬鹿が、急に俺にすり寄って来やがったのは。
『なぁ、俺とバンドやろうぜ!』
『やんねぇよ。つかテメェ誰だ』
いや、すり寄るにしては率直すぎるやり方だ。急に俺の所にやって来ては、いきなり勧誘を仕掛けてくるとか、遠慮を知らないにも程がある。
『なぁなぁ! バンドやろうぜ! バンド!!』
『だからやらねぇって言ってんだろ。失せろ』
それにだ、コッチが幾ら断っても、ウンザリするぐらいに何度も誘ってきやがる。終いには
だから、俺は言ってやった。
『お前───本気で俺とやる気かよ』
『おうとも!! だからよ』
『じゃあ聞くぜ』
夕暮れの放課後、独りでドラムの練習をしている時にやって来たそいつに、俺は使っていたスティックを置いて問い掛ける。
───今まで俺を誘ってきた奴は何人も居た。自分で言うのも何だが、ドラムの腕には覚えがある。それでいて、どのバンドにも入っていない俺は大層都合よく見えただろう。
だが、そいつらも皆、この言葉を聞くと全員諦めた。
『お前は、一生バンド出来るのかよ』
一生バンドを続ける───つまりは、プロになって一生音楽だけで食っていく覚悟。それがどれだけ難しいのかなんて、高校生だろうと分かっている筈だ。
そんな事を軽々しく応えられる奴なんて居ない。そもそも期待すらもしていない───これから先をずっと音楽で生きていく覚悟を持った奴なんて、明らかに普通じゃない。
そんな事を考えている馬鹿なんて、俺ぐらいしか居ない筈だ。
『んなの当たり前じゃん!! 折角なら一生バンドやろうぜ!!』
───だけど、そいつは笑い飛ばしながら、俺の予想を超えやがった。それだけじゃ無く、俺の手を躊躇いなく握ってきた。
『俺、練馬って言うんだ! 今日から宜しくな、黒崎!!』
───とまぁ、その後何やかんや有りつつ、こうして今もバンド仲間として、この腐れ縁が続いていると言う訳だ。
アイツと組んでみて分かったが、とにかく行動力と夢はデカい癖に、大体どっか抜けていて空回りばっかしやがる。その度に俺が尻拭いをする羽目になり、
でも、だ。
「アイツが居たからこそ、俺は今の俺のままで居られた」
アイツが馬鹿真面目に自分の夢を語るからこそ、俺は俺の夢を諦めずに居られた。多分、練馬に出会わずに独りで追っていたら、きっと何処かで折れていたに違いない。
だから、俺はアイツの為に───出来る事はやってやりたいと思っている。
「……って、お前に言っても分からんよな。すまん、忘れてくれ」
多くは語っていないが、それでも昔の自分を思い出すのは、気分が良い話じゃない。それ以降は黙って口を閉ざす。
───すると何故か、少し離れたベンチに座っていた筈の椎名が、俺と同じベンチの延長線に座り始めた。
「……燈は、私を救ってくれた」
「……」
目の前に幻想的な海中の光景と、薄暗いムードが人を変えてしまうのか、俺も───多分、椎名もそんな気分になったんだろう。
「燈の詩が、私を救ってくれた……燈が居なかったら、きっと立ち直れなかった」
黙って続きを聞き届けてやる。真剣に喋っている時に茶化す程、俺も馬鹿じゃ無い。
それに何より───素直に聞きたいと思ってしまっていた。
「燈は普段から頼りなさそうで、見ているコッチが心配になるけど、大事な事はちゃんと分かってるし、絶対に手放さないように繋いでくれる」
大切な思い出のように語る椎名の言葉を聞く度に、俺の中に引っ掛かっていた言葉の数々が融けていく。まるで、その意味を理解し始めているような、そんな気がする。
「だから、燈の為に、出来る事なら、何でもしてあげたい……と、思ってる」
そして、最後に椎名の放ったその言葉が致命的だった。
「お前も、か」
「……お前も、な」
いつの間にか、俺達は互いに薄ら笑いを浮かべていた───そりゃそうだ、言葉に出さなくとも、同じ気持ちなのだから。
今だったら、この言葉の意味がようやく分かった気がする。
「似てるな、俺ら」
「認めたくないけど、そうかもな」
何の巡り合わせか知らないが、俺も椎名も似たもの同士。それが分かっただけでも、さっきまで立ちこめていた気まずさは何処かへと消えていってしまった。
その時だった。
俺のスマホに着信が入る。誰からかと確認してみれば。
『