魔法の絨毯   作:苗根杏

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天王橋のプペル


前編

「こんにちは。ヒロト」

 

 ここらでは一番大きい駅の前、その大きな時計の柱にもたれかかる俺の肩を叩くのは、待ち合わせの相手である弦巻こころだった。

 

「……やあ、弦巻さん」

「待ったかしら?」

「いいや、全然」

 

 俺は咳払いをして、普段より少し高い声で返事をする。確かおふくろも、学校からの電話に出る時はこのくらい声を作ってたっけな。

 

 アレよりはマシだな。アレは声を作ってるとかじゃあない。ボイチェンと言っても過言ではない。1オクターブ上がってたからな、俺を説教してた直後に出た時は。

 

 待ち合わせ時間のきっかり1時間前を示す懐中時計を見て、こころは微笑む。

 

「お互い、待つつもりだったみたいね?」

「ああ……はは、そんなとこ」

 

 さすがにこの時間に来るのは張り切りすぎたかな、と待っていた5分後にこころが来るとは思っていなかった。

 

 照れながらぎこちなく笑う俺の手を、こころさんは取って大股で歩き出す。

 

「なっ」

「行きましょ! 1時間前倒しのデート!」

 

 振り向いて笑うこころの解釈は、いつも通りポジティブそのもの。前倒しだなんて言われたら、気分もノってくる。

 

 俺は、彼女のそういう所を好きになったんだ。

 

 遡ること数ヶ月前、俺は彼女に出会った。

 

『危ないわよー!』

 

 いつも通り、部活終わりに帰りの通学路を歩いていたところに、彼女はいた。

 

 6月、日も長くなっていた中、そろそろ完全に暗くなるという夕暮れ終盤の中、こころは公園でこちらに向かって叫んでいた。

 

 俺から見たこころは、園内の木で半分身体が隠れていたが、間違いなくこちらに身体が向いていた。

 

『えっ? え……何が?』

『降りてきなさーい!』

『降りる?』

 

 何を? トランペット1stという栄光の座から降りればいいのか? 嫌だけど普通に。

 

 吹奏楽部の厳しい練習が終わった直後だったもので、頭の回っていなかった俺は、その場で数分硬直して意味を考えていた。

 

『こっちよ! こっちに来なさいっ!』

 

 なんの事だと彼女の方をよく見ると、何やら手招きをしていた。俺というよりかは、木の枝に向かって。

 

 その辺の枝や葉は、ガサゴソと小刻みに動いており、そこでようやく俺は、彼女が呼んでいたのは自分ではなく、木にいる何かしらの生き物であることに気づいた。

 

『あー違う、俺じゃない。めっちゃ独り言ブツブツ言っちゃった、恥ずかし』

 

 そう思うも、俺はそんな彼女の困っている状況が気になってもいた。

 

 半分野次馬、半分好奇心という、極めて不純な理由で近づいた。彼女にいい所を見せてやろうなんてのは思っていなかった。誰に対して不純なのかと言われれば、枝に捕まっている猫か何かに対してだった。

 

『どうしたんです?』

『あっ……』

 

 俺が余所行きの声で話しかけると、彼女は眉を下げながら、スポーティーな格好からのぞく細く白い腕を挙げ、木の方を指す。

 

『あの子が木から降りないの……』

『……あれは……?』

『ニシキヘビよ』

『ニシキヘビ!!?』

 

 後で調べたことだが、ニシキヘビはアフリカ・オーストラリアあたりに主にいるらしい。森林や砂漠にいるような種だそうだ。

 

 一番デカい種であり、俺らが出会った種でもあるアミメニシキヘビは、成長すれば6〜7mと、ヘビたちのみならず爬虫類たちの中でも最大級のサイズである。

 

 そんなサイズで相手を締めにかかってくるものだから、他の種のように毒こそないものの、普通に7mの巨体で1分と経たずに締め殺される。

 

 締め殺すと聞いて、首に巻き付くのを想像した方は多いと思うが、アミメニシキヘビの場合は身体全体を締めることで心臓を止まるのが死因である。

 

 心臓を止める過程で、全身の骨をバキボキに折られてショック死しないことが前提だが。

 

 して、その木にいたニシキヘビは、どうやら近所の動物園から脱走したものだったらしく、こころは、いや、こころ『たち』はそれを探していたらしい。

 

 さて、彼女の所属する『ハロー、ハッピーワールド!』は、ある種の地域密着型ガールズバンドとしての側面もある。

 

 度々街の困り事を解決しては、めでたしめでたしのいいタイミングを盛り上げるようにライブをして帰るという、水戸黄門とマクロスを融合させたようなバンドなのだ。

 

 今回もその困り事手伝いの一環だったらしく、ようやく見つけたそのヘビが手の届かない所から降りてこなかったので困っていたとのこと。

 

『いや、いやいやいや』

『ん? どうしたのかしら? 歯に挟まったものが取れないような顔をしているわ!』

『危ない……ですよ?』

 

 ずっと引っかかっていたポイントを、彼女に疑問、というか注意喚起のようなかたちで投げかけると、彼女は笑顔を崩さず当たり前のように言う。

 

『別に彼は、私たちを傷つけるために逃げ出した訳じゃないと思うの』

 

 あいつ、オスだったんだな。と別の点に気がそれそうな俺に、彼女は立て続けに言う。

 

『ただ、少し外の景色が見たかっただけよ! それか故郷に帰りたかったのかもしれないわ! 海外の映画で見んだことがあるの!』

『ハリーポッターと賢者の石……とか?』

『そう、それよっ』

 

 蛇語が話せるわけでもないのに、彼女はえらく前向きだった。傷つける意思がなくとも、傷つけられるなんてことは、生きていればごちゃまんとあるというのに。

 

 野良猫とじゃれようとしたら、思い切り噛まれたり。沈んでいる友人を励まそうとしたら、逆に嫌われたり。流石にこれはいけるかもと思ってホテルに誘ったら、別れを告げられたり。

 

 最後のやつはこの前、俺のクラスメイトが言っていた失恋話だ。

 

 彼女は人間関係においても、そういう面があるのかもしれない。困っている人を放っておけなくて、手の届く範囲のものはすぐに自分が守ろうとする。

 

 まるでヒーロー、それか神様。あるいは聖人だ。

 

 この例えは誇張ではなく、俺がなんとか手の届いたニシキヘビを、首を絞められかけながら動物園に届けた後の彼女の対応にも言えることであった。

 

『くっ……ああ……身体がバキバキだ……』

『どうしたの?』

『腕とか折られかけたじゃないですか』

『でも折られなかったじゃない』

『結果論……というか、それもありますけど、僕ってさっきまで部活で散々しごかれてですね』

 

 文化部随一の運動量と肺活量を求められる、吹奏楽部の地獄のレッスンを思い出し、俺は腰が痛み出した。

 

『そうなのね! 何部なのかしら? あたしと同じだったら嬉しいわ!』

『え、あなたは何部なんです?』

『天文部よ!』

『身体がバキバキになりようのない部活!』

 

 意外だな。快活さと身体能力から、運動部かと思っていたが。

 

『僕は吹奏楽部なんです』

『あら、あなたも楽器ができるのね?』

『金管楽器しかできませんよ』

『すごいじゃないっ! ねえ、あたしのバンドに来ない?』

 

 ルフィくらいあっさり勧誘してくるもので、俺はその場ですぐにその誘いを断った。そして、『身体が痛いならうちのスパに来るといいわ!』という誘いも、断るつもりであった。

 

『スパ……実家、温泉か何かなんですか?』

『ん? いいえ?』

『あー、健康ランドって感じですか?』

『行けば分かるわ! 一緒に行きましょ!』

『えっ、ま……ええ……』

 

 まさかヤクザに指でも詰められたりするわけじゃああるまいし、俺は彼女のそのアントニオ猪木みたいな強い誘いを断りきれず、というか断る暇もなく、家へと連れていかれた。

 

 なんの店だろう、という想像ばかりをしていたので、シンプル豪邸と何人ものSPたちが待ち構えているとは思わず、俺は彼女の家の前に着くなりへたりこんでしまった。

 

『はっ……え……?』

『さ、入りましょっ』

 

 彼女の通る道を守るかのように、玄関へと続く道の両端にはサングラスの黒服たちがいた。ヤクザというかマフィアだ。やっぱり指でも詰められるんじゃないだろうか。

 

 ああ、父さん。愛娘さんと馴れ馴れしくしてごめんなさい。目とか潰すのはやめてください。そう心の中で懇願していた俺は、彼女の家で受けた待遇に心底驚いてしまった。

 

『痒いところはありませんか』

『あ……つむじら辺……』

『背中、痛くはありませんか』

『痛気持ちいいです! もっとそこお願いします!』

『お口に合いますでしょうか』

『こんなの食べるの初めてなのでちょっとよく分からないです!!』

 

 身体を隅から隅まで洗われ、極上のマッサージを受け、なんの料理かもよく分からないものを食べ。まるで拾われた猫のように、俺は蝶よりも花よりも丁重に扱われた。

 

『あの』

『はい』

 

 俺は仔羊のステーキと呼ばれていた、なんだか美味しいタレのかかったよく分からない肉を食べながら、自分の隣に立つSPさんに声をかける。

 

『いいんでしょうか。こんな事されちゃって』

『全てはこころ様の命ですので。それに、来てくださったご友人は住みたいと言うくらいにもてなすのが弦巻家の掟です』

 

 そこで俺はようやく、弦巻こころという彼女の名前を知ったのだった。

 

 結局泊まりで世話になり、翌日から俺とこころは正式に友達となった。

 

『お世話になりました、弦巻さん』

『いいのよっ! また来てちょうだい! あっ、電話番号も交換しましょっ!』

 

 お察しの方もいるだろうが、俺は彼女と初めて会った時の余所行きの声、丁寧な対応、温和な人格。それを引きづったまま、彼女と仲良くなってしまった。

 

「ヒロトっ」

「な、なんですかなんですか」

「ふふ」

 

 距離は近くなっている気がするが。

 

 ただでさえ意識的に高くしている声が上ずり、村野さやかのような返答になってしまった俺を、こころはニヤニヤとしながら見る。

 

「ヒロトって、表情がコロコロ変わるから楽しいわ」と言い、微笑むこころを見て、俺は複雑になった。別に俺はアトラクションじゃないんだぞ。

 

 今や日本のみならず世界をも魅了するインフルエンサーにして稀代のエンターテイナーとまで言ってくれれば、そこまで悪い気はしないが、単に表情に感情が出やすい奴の俺には荷が重い。青学の駅伝のタスキくらい重い。

 

 というか、くそっ、いつもは冷静に振る舞っているはずだったが、ボロが出ていたというのか。こころ相手じゃあなかったら痛いところを突かれてとっくに正体がバレていたぞ。

 

 そこら辺のファミレスで適当に昼飯を済ませて、それから適当に入ったショッピングモールの中は、心做しか暖かかった。10月の東京には、北海道在住の方でも堪えるような鋭く刺すような風が吹いていた。

 

 こころはいつも動きやすいようにと薄着で過ごしているが、流石に季節柄もあるのか、今回はパーカーにジーンズ、キャップといった、ストリート系? のコーディネートだった。

 

 前にドレス姿やバンドでの衣装を着ている所も見たが、本当になんの服でも似合うんだな、この人は。スーツも着て欲しい。俺は男装の麗人が性癖だからな。

 

 都内でも有数の大きさを誇るモールで、こころは目を輝かせてあちこちを見て回る。俺はその後ろをついていくだけ。これがいつものデートのスタイルだ。最後には足が棒のようになることは珍しくない。

 

 こんな所よりもずっといい場所、たくさん知ってるだろ。と思いつつ、彼女は彼女なりに庶民のショッピングモールを楽しんでいるようなので、水を差すような言葉は口に出さなかった。

 

 ましてや、普段の俺なら軽口のひとつやふたつは叩いているだろうが、今は紳士でクールで二枚目のヒロト。いつものおちゃらけたバカのふりをしているヒロトではない。

 

 こころを幻滅させないよう、頑張らねば。そう密かに再決意した俺を置いて、件の彼女はいつの間にか2階から1階に降りようとしていた。

 

 ハッとした彼女は、こちらに小走りで戻ってきて俺の手を取る。来いということだ。

 

「仰せのままに」

「んふふっ」

 

 唇を閉じたまま、ささやかな笑いがこころの口から漏れ出す。

 

 1階に降りると、通路の途中にあるイベントスペースで、何か催し物がやっていた。そのイベントの名前が見えてきた頃、俺はこれが彼女の目的地だと一目で理解した。

 

「トランポリン……!!」

 

 子供、いや一部には中学生や高校生もいるような、空気をふくらませて出来たトランポリンのブースでは、若い男女が飛んで跳ねての大躍動を見せていた。

 

 中には、あまりのアクティビティさに、空中に放り出された途端に泣き出す子供も。結構飛ぶんだな。

 

 わくわくと、いや、わきわきと身体を動かすこころは、それを見てその場で足踏みをしながら鼻息を荒くする。

 

「やるんですか?」

「ええ! とっても楽しそうだものっ!」

「楽し……そう……か」

 

 自分に言い聞かせるようにそうつぶやき、俺は地味に高い1000円という入場料の書かれた看板を睨んだ。




鮭のハラス森大黒
センス『イクラの収穫』
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