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中世の騎士然としたフォルムを持ちながら、まるで飢えた肉食獣のような凶暴性。黒ずんだ銀色の鏡面装甲が巨躯を覆い、重厚な威圧感を放つ。巨大な籠手に守られた右手には、禍々しい紅色に染まった大剣が握られている。
何より最も目を引くのが、黒銀の騎士の頭部だった。
後方へと伸びる二本の長い角を生やしたヘルメットの形状は、竜の頭を連想させる。
加速世界の闇が生み落とした、破壊と憎悪の凝集体。
通常のバーストリンカーとは余りにかけ離れた姿だった。
あのアバターをリアルで動かしているはずの少年――チェリー・ルークの面影など、欠片も残っているようには感じられない。
圧倒的なまでの死の気配に当てられ、背筋を凍らせたニコが押し殺した声で呟いた。
「チェリー……、アンタそこまでおかしくなっちまったのかよ……」
親しい間柄のレギオンメンバーの、あまりに変わり果てた姿。ニコの胸中を深い後悔と絶望が満たし、思考をかき乱した。その場にいたほとんどのアバターが恐怖に縛られて動けなくなる中、クロム・ディザスターはガパッと口を開く。ぬらぬらと怪しく光る鋭い牙が、上下にぎっしりと突き出しているのが見えた。
――食イタイ。食ワレテ、肉ニナレ。
奇妙な声が頭の芯に響いた。抑揚の一切ない、機械の音声のような冷たさ。
何より恐ろしいのが、その声色自体はどう聞いても声変わり前の少年のものだったことだ。
「あれがクロムディザスター……、災禍の鎧を装着したバーストリンカーの末路……」
ブレイン・バーストというプログラムアプリが、ここまで精神に影響を与えることにハルユキは戦慄を隠せなかった。あれはもう、汚染か侵食というべき異常さだ。まともな思考……いや、自我が残っているのかさえ怪しい。
「ユルルゥ……」
じゃりっと音を立てて凶戦士が向き直ったのは、黄の王達が集う方向だった。
「グルゥォォォオオオ!!!」
爆音が空気を振動させる。獰猛な咆哮を轟かせて、手近な
誰もが狙われた不運なアバターの末路を予感し、たった一人の少女がその未来を覆した。
惨劇を阻止したのは、縦一文字に疾走した一筋の黒い影。
「あれは……、ブラック・ロックシューター!?」
ハルユキは確かに見た。破滅的な圧力を内包して突進したディザスターに対し、押し止めるように迎え撃った――蒼炎を右目に宿す
分厚い灰色の雲に覆われた、黄昏時の夕空を背景に。両者は絶え間なく交差する。
ディザスターは、ただ圧倒的だった。
丸太のように太い腕が、縦横無尽に振るわれる。薙ぎ払う一閃が旋風となり、振り下ろされる一閃が爆撃となって大地を砕く。
まともに直撃を受ければ、一撃で全体力ゲージを消し飛ばすには余り有る威力。それを正面から、渾身の剣撃を持ってBRSは対抗した。
あの小柄なアバターにどれだけの力が宿っているのか。一瞬先に死が訪れる空間の中で、少女はその結末を否定し続ける。
吹き荒れる爆風と共に、幾つもの青白いエフェクト光が火花を散らして両者を照らす。
力が違う。速度が違う。純粋な戦闘能力に、差がありすぎる。絶望的な死線の狭間に己の身を晒しながら、BRSは一歩も引かなかった。
剣を持つ手に痺れが走り、感覚が麻痺する程の衝撃。踏み込んだ地面が罅割れて砕け、浅くない裂傷が全身に刻まれていく。
「凄い……。どうして、あんな……」
呆然とした様子で、ハルユキが声を漏らす。
あの恐ろしい怪物を前に、何故怯むことなく立ち向かっていけるのか。敵はもう対戦格闘ゲームの域を逸脱した、悪意の化身ともいうべき存在だ。痛覚二倍の無制限フィールドで、あんな絶望の塊と戦うなんて考えただけで身体の震えが止まらなくなる。
目を奪うほど絢爛な二人の戦いが繰り広げられる中、次に動きを見せたのはつい先刻までその一人と対峙していた黄の王だった。
「飢えた犬めが、飼い主の恩も忘れて
叫ぶと同時に何らかの必殺技を使用したらしく、残存する黄のレギオン兵達の姿が半透明に薄まった。朧な影となったアバター達が、必死の様相でクレーターから離れ北西へと離脱していく。
「故意か、無意識か。何れにせよ敵である私達をわざわざ助けるような真似をするとは……、実に愚かですねBRS。その甘さ、傲慢さ、狂犬の餌となって食われながら後悔しなさい――」
冷徹に判断するのなら、黄の王達の撤退を妨害し囮にして、その混乱に乗じてクロム・ディザスターを奇襲するという選択もあり得ただろう。だが今もなお死闘を演じるBRSの姿には、僅かな後悔も未練も感じられず気迫と闘志だけがあった。つまらなさそうに一瞥した後、黄色い煙が噴出してアバター全身を覆い尽くす。その一秒後には、もうレディオの姿はなかった。
「グルルゥゥゥゥ……」
狙っていた獲物に逃げられたことに苛立ったのか、低い唸り声を上げてクロム・ディザスターが剣速をさらに加速させる。大剣が視認不可能な速度で振り下ろされ、受け流しきれずにBRSの体が大きく後退した。
「っ――――!!」
苦悶の表情を浮かべ、たたらを踏んで咳き込みながらもBRSは痺れる指先に力を込める。
今はまだ持ちこたえているが、劣勢は誰が見ても明らかだった。
「行かなきゃ、僕が……僕はその為に、此処にいるんだから――」
ニコと交わした約束を守る為にも、黙って見てるわけにはいかない。あの化け物を無力化し、断罪の一撃を撃つ手助けをするという約束を果たす為に、今すぐに動き出す必要があった。
援護を――BRSの援護をしなければと思考は訴えかけるが、喉がうまく動かせない。全身から力が抜け落ち、がしゃりと膝が地に突いた。両手を地面につき慌てて立ち上がろうとするが、がくがくと震える身体は鉛のように重く思い通りに動いてはくれない。
――何だ、これ。僕はどうしちゃったんだ。さっき先輩にあんな偉そうなことを言ったのに、なんで動けないんだ。
銀色のマスクの下で荒い呼吸を繰り返すハルユキの耳に、凛とした声が聞こえた。
「闘志なきバーストリンカーに、デュエルアバターは動かせない」
下を向いていた顔を導かれるように持ち上げれば、艶やかな黒水晶のボディを煌めかせて立つ。憧れの先輩――ブラック・ロータスの姿が視界に映った。
「……ついさっきまでの私と同じさ。私が二年前の裏切りを後悔し、己の心の内で沸き立つ勝利への闘争心を強く恐れているように。君はこの加速世界で敗北することを……。いや、負けることが己の価値を下げると思い込み恐れているんだ」
「それは……でも、だって……負けたら何の意味も……」
厳しい叱責を受けたハルユキは大きく目を見開き、震えた声で力なく反論しようとしたが。
「それこそが、君の勘違いだと言うのだッ!!」
黒雪姫は、強い怒声でその迷いを断ち切った。
「クレバーな撤退など、何の価値もない! そんなもの、そこら辺の薄気味悪いピエロにでも食わせてしまえ! 一度ダイブしたならば、どんな相手であろうとひたすらに戦闘あるのみだッ!!」
言葉を行動で示す為、ブラック・ロータスは戦場の渦中へと疾風となって駆け出した。
その背中を見つめながら、鉄槌を打たれたような衝撃がハルユキのアバターを駆け巡った。
同時に。加速の世界に足を踏み入れ、最初に敗北した戦闘の記憶が掘り起こされる。
あの時――、明らかな実力差を感じたあのBRSとの対戦で、自分はどう戦ったのか。
結果こそ負けはしたものの、最後まで諦めずに立ち向かっていったはずだ。無我夢中に、誰かの目を恐れることも、敗北に怯えることもなく。
今、まさにクロム・ディザスターという強者へと挑み続ける
「僕は……、本当に大馬鹿野郎だッ!!」
己を叱責して叫び、ハルユキは立ち上がる。背中の銀翼をありったけの力で振動させ、空気を引き裂いて飛翔した。限界を超えて、もっと先へと加速する為に。
次回で最終回です。