停止した世界がゆっくりと、しかし確実に動き出すのを感じながら、ハルユキは飛び退く瞬間を待った。黒雪姫に言われたとおりに、拳の威力を殺す為に首を限界まで横に回すのも忘れない。
――準備は整った。さぁ、殴れよ荒谷。いつもみたいに殴り飛ばしてみろ! それが、お前の最期になるんだ。
迫ってくる拳を見据えながら、ハルユキは心中で荒谷を罵る。これまでの借りを返せる瞬間を、じっと待ち――だが、その瞬間が訪れることはなかった。
「まずいですよ、荒谷さん。こんな所で手を出しちゃったら、ソーシャルカメラの映像記録に残っちゃいますよ」
そう言って、後ろで見守っていた手下達の一人がハルユキを殴り飛ばす手前で荒谷を止めてしまった為に。その結果――ハルユキの身体を殴り飛そうとしていた荒谷の拳は、手下からの警告によって頬に触れる数センチ手前で止まってしまったのだ。
――な、なんだって。
想定外の事態に、ハルユキは慌てた。せっかく先輩がお膳立てをしてくれたのに、このままだと荒谷達に逃げられてしまう。なんとかしないと、と頭の中で必死に考えるも、そう簡単には良い案は浮かんでこない。
「チッ、人の悪口を言うのは関心しないなぁ。ハルユキ君?」
忌々しそうに舌打ちをしつつも、荒谷は頭が冷えたのか手を出してくる様子は無い。普段の意地の悪い笑みを浮かべ、ハルユキにだけ聞こえる程度の声で囁く。
「覚えてろよ、豚。明日の昼休みを楽しみにしてるんだなぁ」
「ッ――!」
そう言い残し、荒谷はラウンジ内を去ろうと身体を翻した。手下達も入り口に向かう荒谷に続く。悔しげにその背を睨むハルユキだが、相変わらず妙案は思いつかず、打つ手はなかった。
二人の様子を黙って見守っていた黒雪姫も、この状況は想定外だったのか口を挟もうとはしない。
ハルユキと黒雪姫に、この場で荒谷達に対して取れる策はもう無い。去ろうとする彼らを再び挑発したとしても乗ってくるとは考えにくいし、あまりしつこく挑発しては暴言を口にしたことが原因で、いざこざで殴られたと思われるだろう。
だから、去っていく荒谷達を引き止めたのはハルユキでも黒雪姫でもない。
「ちょっと聞きたい事があるのだけれど、お時間良いかしら? あなた達」
全くの別人――第三者の手によって、荒谷達は呼び止められたのだった。
「な、何ですかね。俺達は別に、何もしてないですが」
優しげな笑みで近づいてくるも関わらず、荒谷達の背筋に悪寒を感じさせる一人の女性。彼らはその人物を知っていた。いや、知らされていた。
あさやけ相談室のスクールカウンセラーで、サヤちゃん先生と呼ばれ親しまれている。梅郷中に通う学生達の御意見番。
彼女――納野サヤは要注意人物だと、荒谷達は同じ不良生徒の上級生達から口を酸っぱくして言われていたのだ。
動揺する荒谷達の手前で立ち止まり、サヤは用件を告げる。
「先日、うちの生徒が捕まってね。それについて、聞きたいことがあるの」
「な、何のことですかね。初耳ですが」
その内容は荒谷達に取って非常にまずいものだったのか、平静を装うように努力しているのが見て取れた。
サヤは荒谷達の動揺に気づきながらも、話を続ける。
「実はね、捕まった内容っていうのが違法なデジタルドラッグの所持だったの。その生徒を尋問したところ、まだ他にもドラッグを所持した生徒がいるって自白してね」
サヤの口から、事件の詳細な内容が語られていく。
「その生徒が上げた名前の中に、あなた達が入っていたのよ。念の為、調べさせて貰いたいのだけどいいかしら?」
「俺達はデジタルドラッグなんて持ってない! 変な言いがかりをつけるのは勘弁してくださいよ」
「そ、そうだ。言いがかりだ!」
「デジタルドラッグなんて、俺達は知らない!」
じわじわと追い詰められながらも、必死に否定の言葉を叫ぶ荒谷達。しかし、サヤは不適な笑みを貼り付けたまま、さらなる追い討ちを掛けた。
「そう? まぁ、それは後で調べるとして、あなた達に見せたい物があるの」
「見せたいものだって……」
サヤは右腕を宙に翳すと仮想ウィンドウを操作していき、ある動画を表示し再生させる。荒谷達にとっては死刑宣告にも等しい、決定的な証拠となるそれを。
表示されたホログラムのスクリーンに映し出されたのは、屋上で荒谷達がハルユキに殴る蹴るといった暴力を振るう姿だった。
決め手となる証拠の映像を突きつけられ、荒谷達の顔が青ざめていく。最早言い逃れはできないだろう。
「有田晴雪君、この映像に覚えはある?」
呆然と成り行きを見守っていたハルユキに近づいて、サヤが問う。本人からの証言を得て、荒谷達の心を折るためだ。スクールカウンセラーという職に就いているわりに、彼女は結構サドスティックな性格だった。
「は、はい。映像の通り僕は屋上で彼らに殴られました、間違いありません」
「そう、ありがとう。……チユリちゃんに感謝しなさい」
「えっ」
耳元で小さく囁かれ内容に、ハルユキは思わず声を漏らす。何故チユリの名前が出てくるのか。ハルユキは一瞬うろたえるが、すぐに理解する。昨日、あさやけ相談室に訪れた際にチユリがサヤに相談したと。恐らく、映像はその時にチユリが彼女に渡したのだろう。
事実確認をした後、サヤはハルユキから視線を外して荒谷達に最終勧告を行った。
「此処だと人目につくから、場所を変えてお話しましょうか」
返す言葉は、荒谷達には残されていなかった。
結局、荒谷と手下達はその場で御用となった。サヤに連行されて静かにラウンジを出て行く。ハルユキと黒雪姫は次から次へと移り変わる状況の変化を前に、口を挟むこともなく荒谷達を見送る。
「まぁ、なんだ。よかったな、ハルユキ君」
自身の思惑が外れてしまったせいか、黒雪姫はバツが悪そうな表情だった。手の届かない高みの人である黒雪姫先輩でも、そんな顔をする時があるんだ。そう思ったハルユキはなんだか可笑しくなって、ぷっと吹き出す。
「む、笑うとは酷いじゃないか。いろいろと当ては外れてしまったが、君の為を思ってのことだったんだぞ」
「す、すいません。先輩でも、そんな顔をするんだなって思って」
謝罪しつつも、笑うのを止めないハルユキに黒雪姫はむっとした顔で口を閉じる。拗ねてしまったらしい。
「ふん、いいさ。君が私のことをどう思っていたのかよくわかった」
「ご、誤解ですよ。先輩」
ツーンと顔を背ける黒雪姫は機嫌を悪くし、結局昼休みが終わるまで直ることはなかった。チユリの機嫌を損ねた時もなかなか大変な思いをすることが多いハルユキは、女性と話す時は発言には気をつけよう……と胸に刻むのだった。
昼休みが終わってからの午後の授業は、つつがなく過ぎていった。荒谷達から呼び出しのメールが、何時また送られてくるのかと身構える必要もない。久しぶりに平穏な心持ちで授業を受けた後、放課後を告げる鐘の音と共にハルユキは校舎を出る。
「そうだ、先輩からローカルネットには接続しないように言われたんだった」
そうして校門の手前まで歩いたところで、黒雪姫に言われていたことを思い出す。明日の昼休みにまたラウンジで落ち合うまで、グローバル接続はしてはいけない。ときつく厳命されていたのだ。
何故接続してはならないのかはまだ説明して貰ってないが、とりあえず言われた通りにニューロリンカーからネットワークへのアクセスを切断し、校門を通り過ぎようとする。そこで。
「ハルー!」
不意に背後から声を掛けられ、ハルユキは振り向いた。振り返った先にいたのは彼の幼馴染のチユリ。
「チユ! ……げ」
だけだったらよかったのだが、彼女の他にもう一人居た。先日知り合ったばかりで、ハルユキの苦手な人物ランキングに名を残すことになった少女が。
「あれぇー。何でカガリの方を見て顔を顰めるのかな? ハルユキ君」
――あなたの事が大の苦手だからですよ、カガリ先輩。
破天荒な性格で、先日の昼休みに彼を散々振り回した梅郷中の二年生。カガリの姿が目に入って、ハルユキは思わず嫌そうな声が出てしまった。個性的な女の子の知り合いが増えていく辺り、彼には女難の相が有るのかも知れない。
「チユ、今日はもう帰りなのか?」
「うん。だから久しぶりに一緒に帰ろ、ハル」
「え、ああ。うん」
「おーい、カガリのことを無視しないでほしいんだけどー」
誤魔化す為にチユリに話を振ったハルユキだったが、普通に返されて一緒に帰ることになる。会話の輪から外されたカガリが横で文句を言っているが、ハルユキはとりあえずスルーしておく。チユリの方はハルユキに聞きたいことがあって、耳に入っていなかった。
「昨日はわざわざお弁当作って来てくれて、ありがとな。あ、後、荒谷達のことも」
「それなら聞いたよ。昼休みに色々あったんでしょ? あいつらは退学処分になるんだって。サヤ先生がそう言ってたよ」
「退学? そ、そうなのか」
「あのー、もしもーし」
違法なデジタルドラッグを所持していたのだ。そうなるだろうとは思っていたが、もし万が一学園に残ることになったらどうしよう、と心配していたハルユキにとって荒谷達の退学が確定したのは吉報だった。
内心で安堵のため息を吐き――次のチユリの言葉で、ハルユキは心臓が止まりそうになる。
「そういえば、二年の黒雪姫さんと直結したって本当?」
「うえっ!?な、何で――」
「昼休みが終わってから、校内はその話で持ちきりだよ。数多の男子生徒を振ってきたあの黒雪姫さんが、一年の男子生徒と直結したって」
「そ、そっか」
考えてみれば当然だった。学内で一番の有名人である黒雪姫が、何処の馬の骨ともしれない男子生徒と公共の場で直結したのだ。荒谷達のドラッグの件以上に学生達にとっては衝撃的だっただろう。
「で、どうなの? 本当にしたの? 直結」
「う……」
鋭い視線が突き刺さり、ハルユキは口ごもる。どうしたらいいかと周囲に視線を向け、その場に居たもう一人の人物――カガリに救いを求める視線を送るも、さっきから無視していたこともあってニヤニヤと不適な笑みを浮かべるだけである。退路は無さそうだった。
「う、うん。まぁ」
「ふーん、本当にしたんだ、直結。ふーーん」
ハルユキが頷いて肯定した途端、目に見えてチユリの機嫌が悪くなった。唇を尖らせて、スタスタと前を歩き始める。二人のやり取りを傍で見守っていたカガリが、面白そうな顔でここぞとばかりにハルユキへ声を掛ける。
「ほうほう、ハルユキ君は黒雪姫さんと直結しちゃったんだー」
「な、なんですか。べ、別に何も変な意味はないですよ」
「公共の場で直結したのにー? 怪しいなー、本当かなー?」
姿勢を低くして隣に立ち、下から覗き込むように詰問してくるカガリ。意地の悪そうな彼女の笑みが見えて、ハルユキはう、うざい……と思わずにはいられなかった。
しかし、今考えるべき難題は機嫌を悪くしてしまったチユリにどう弁明するかだ。心配を掛けておきながら、他の見知らぬ女生徒と直結していたなんていう事実をどう釈明すればいいのか。ハルユキには皆目検討がつかなかったが。
気まずい思いをしながらハルユキがチユリの後を追いかけていると、前方から聞き覚えのある声が響いた。
「おーい! ハルー、ちーちゃん!」
「タッくん!」
「タク!」
「……誰?」
三人の視線が、声が聞こえた方向に集まる。手を大きく振って走りながら姿を見せたのは、ハルユキの幼馴染でチユリの彼氏でもある人物――黛 拓武(まゆずみ たくむ)だ。
美男子といって差し支えない容姿に加えて、学年トップクラスの成績。所属する剣道部では、一年にして都大会優勝という好成績を残して見せた。まさに文武両道、才色兼備といった言葉がふさわしい少年である。
そんな彼――タクムはハルユキ達に駆け寄ると、意外そうな顔を見せた。見知った顔ぶれの中に、見覚えの無い子がいたからだ。
「あれ、君は?」
「私は出灰 カガリだよ。優男くん」
「や、優……」
カガリの毒舌が、早くもタクムを襲った。
初対面でも、相手がタクムでもお構いなしかよ、カガリ先輩って。ハルユキは心の中でツッコむ。まぁ、優男っていうのはプラスのイメージが多いから良い方なのだろう。カガリがどんな意味で言ったのかによるが。
「ちょ、ちょっとカガリ先輩。タッくんに向かっていきなり何言い出すんですか!」
「んー、一目見て思い浮かんだ単語が優男だったの。なんだか気の弱そうな感じがするし」
「そ、そう。それならまぁ、仕方ないかな。あ、あはは」
言葉のナイフが次々に飛んできて、乾いた笑いを漏らすタクム。とりあえず、中々に個性の強い子みたいだ。とカガリに対する第一印象をタクムは胸に仕舞う。
小学校を卒業して以来。久しぶりに幼馴染が全員揃っての下校は、第三者であるカガリのおかげで随分と賑やかなものだった。無論、良い意味でも悪い意味でも。
どちらの意味合いが強かったかといえば、きっと良い意味の方が大きかっただろう。ハルユキとチユリとタクム。三人の関係は、昔と違い複雑なものになっていたのだから。
次回やっとBBの対戦になります。
長かった……。
それにしてもタッくんは良キャラですね。
にしてもブラック★ロックシューターのキャラは喋ってる姿が想像しにくい。