空の最も高い位置で、街行く人々を見下すが如く太陽が照りつける。夏であればうだる様な、とでも表現されるような強い日差しだが、幸いにもこの冬木市の地はまだ冬とされる時期であり、むしろ過ごしやすいと言えるだろう。さらに、冬にしては比較的気温の高い冬木の土地柄もあって多少薄着でも平気な気温と言えるだろう。
そんな冬木の電車の駅構内に、不可思議な少年がいた。
かの少年の名前は蒼月潮。14歳という年齢にもかかわらず、日本を横断するような一人旅をしているその途上である。
「だってよ~、都会の電車とかいっぱいで何がどこに行くとかわかんねえんだよ……」
そのような少年を不可思議と称す理由としては、まず一つとしてその姿が問題だった。冬であるにもかかわらず薄着であり、長袖でこそあるものの布地は薄い。比較的暖かい今日のような日でなければそれだけで補導されてもおかしくない。
二つ目の理由は、彼の持ち物だ。彼が肩に担ぎ持つ、2メートルを超える長柄物。一応は布に包む形で誤魔化そうとしているが、傍目からもそれが槍であることは一目瞭然だった。彼を不可思議な少年として目立たせている一番の理由は、ほぼ確実にその槍が原因と言えよう。
「それにしたってもう少し人に聞きゃいいだろうが馬鹿もん」
「だってよ~……」
三つ目の理由としては、独り言。否、正確には独り言ではないが、周囲の人間から見れば独り言以外の何ものでもない。もっとも、独り言と見なされていない方がこの場合に限れば問題であることを考えれば、“幸いにも”独り言に見えているというべきなのかもしれないが。
「普段は無神経なくせに、どうしてそういうときだけ小心者になんだよおめぇは……」
「とらぁ~」
実際には二人――もとい、一人と一匹。
一般人に見られないように姿こそ消しているが、そこには確かに存在した。
蒼月潮がとらと呼んだそれは、人に仇成す妖。化け物と呼ばれる存在である。3メートルにも届かん巨体は全身が金色の体毛に覆われ、特に頭から伸びる毛は全身を覆うように長い。名前の通り虎を連想させる体躯に、長い爪と牙、強暴そうなその顔にはくまどりが浮かび上がっている。そんな彼は2000年を生きる大妖怪であり、伝説にもなるほどの存在――。
「気持ちわりぃなうしお!シャンとしねぇと喰っちまうぞ!」
――のはずなのだが、潮に対する粗暴な口調の中には優しさや面倒見の良さが見え隠れしている。
「いや待てよ……うしおがこの状態の内なら人間を喰い放題――っていてえいてえいてえって!喰わねえから槍でちくちくさすのをやめやがれ!」
「よし、折角来た街だしちょっと散策してみようかな。いくぞ!とら!」
「ったく、てめえはよぉ……」
一転して気分を変えた潮は改札を出て、駅を出て街中を歩き始める。先ほどまでの奇行を見ていた人達が避けて歩いているが気にする様子もなく、周囲のものを物珍しそうにきょろきょろと見回している。その様子がさらに周囲の人々に不信感を与えているようで、もし彼が14歳の少年でなければ即座に警察に呼ばれていたことだろうことは想像に難くない。
そんな頓着していないうしおに対して、いつも通りの言い合いをしながらも、とらはこの冬木の街に入ってから言いようのない“嫌な空気”を感じ取っていた。それは妖怪としての嗅覚であり、触覚であり、なにより長年生き続けてきた彼の経験によるものが告げていた。
「おい、うしお」
「うん、どうしたとら?」
「この街、嫌な感じがしやがる。さっさと出た方がよさそうだぜ」
「嫌な感じってどういうことだよ?」
「どうって言われても言い辛いが……この街に入った瞬間、急に空気が重苦しくなりやがった。こりゃあ、街全体で何か面倒なことでもやってやがるな」
「妖怪絡みなのか?」
「いや、どちらかといや人間っぽいが……どうも曖昧でわからん」
そんな会話の最中、唐突に、うしおの背負う槍が警戒を促すかのように鳴いた。
「――っ!?まさか、近くに妖怪が!?」
布から出すことこそしないが、槍を構え周囲を警戒する。気付けば周囲に人の姿はなく、同時に妖怪の気配すら感じられない。――ただ、その場所は冬木に住む者なら誰もが知っていて、極力近寄ろうとしない場所であるというだけだ。
中央公園。別名、冬木大火災跡地。そこは10年前に大火災が起きて多くの人が命を落とした場所であり、公園となった今でも人が寄りつくことはなく、未だに怨霊が彷徨っていると噂される場所である。
人気も無く閑散としたそこは、昼間であるにもかかわらず陰鬱な空気が漂っており、人が近づこうとしないのも頷ける。唯一、敷地内に作られた石碑は忘れ去られたかのように佇み、この場で何があったのかを主張している。
「ここで災害があったのか……」
「それでも間違っちゃいねえだろうが……ここの空気から察するにそんな生易しいもんじゃなさそうだぜ」
「どういうことだよ、とら?」
「さあて、人間がやったのか妖怪も絡んでいやがるのか……、まあ少なくとも普通じゃねえことは確かだ。それに……」
不意に、とらは辺りを見回す。毛を逆立て、傍目からもわかる程に警戒している。
「今この街で起こっていることと無関係じゃあなさそうだ」
「……見られてる?」
うしおも気配を察知して周囲を見回すが、霞みを捉えるような手ごたえしか感じられない。人間ではない。妖怪とも少し違う。普通の存在ではないことは確かだが、今までうしおが相対してきたどの存在とも違う何か。
「……ちっ、仕掛けてくるきはねえみたいだが、いやな気持ちにさせやがる。さっさとこの街から移動するぞ。何をしたいのかはわからんが巻き込まれるのは面倒だ」
「おい待てとら。ここで何が起こっているのかは知らんが、この石碑に書いてあるような大変なことが起きそうっていうなら、放っておけないぞ」
「まーたうしおの病気が始まりやがった!てめえにゃほかに目的があんだろうが!今までは妖怪絡みでいろいろやってきたが今回はそれすらわからんのだぞ!?てめえはてめえが持ってるもんが何かもう一度考えやがれ」
「俺は別に獣の槍を持ってるから妖怪と戦ってきたなんてつもりはねえよ」
「別にこの街に何か用があるってわけでもねえんだ。関わらなくていいならほっといて――ぐえッ!?」
とらはもう知らね、とでも言うように駅の方へ帰ろうとして、その瞬間に首元に槍の柄を引っかけられて首が閉まった。
「いきなりなにしやがんだ!」
「この街でなにがあるのかはわからないけど、それはもしかしたら、この場所で昔あったみたいに人が死ぬようなことなのかもしれないんだろ?」
そう言う潮の顔は、とらが今までに幾度も見てきたものだった。
面倒事に首を突っ込み、出会ったばかりの誰かのために戦う、そんな少年の表情。
「あーそうかいわかったよ!けどわしはなにもしねえからな!勝手にしやがれ!」
そう言って、とらは潮を置いて飛び立ち姿を消す。
「お、おいとら!?……ったく、仕方ねえ。とりあえずこの街を歩き回ってみるか。見てたやつもいなくなっちまったみたいだし、な」
先ほどまで感じていた気配がないことを確認しつつ、潮はその場を離れる。しかしこの街で何が起こっているのか探そうにも、とらほど街の異質な空気を感じ取れるわけでもなく、結局のところ槍の反応頼りとなってしまう潮としては、とらと別行動するのは正直辛いものがあった。
ともかく、と悩むより行動の潮は中央公園を離れ新都を歩いた。駅にビル街に商店街、そして橋を渡った向こう側には居住区。何が重要で何が重要でないか、判断のしようすらなかったが、もし槍が反応すればそれでわかるだろう――と、歩き始めて数時間。それが甘い考えだったことを思い知らされた。
「まじかよ……」
反応がない……のではない。どこに行こうと、ここは危険だと槍が常に警告してくるのだ。今まで、妖怪や妖怪の残り香に反応することはあっても、こんなことは一度もなかった。とらはこの街でおこっている、と言っていた。そして、恐らくは妖怪の仕業ではないと。槍は中央公園から鳴りはしないものの、しかしそれだけで、妖怪と相対したときのような明確な信号が発せられることはない。それもそのはずで、獣の槍は元より妖怪を屠るための槍であり、それ以外の事象に対する“興味”は薄い。今でこそある程度自由に扱えるように放ったが、最初の頃はよほどのことがない限り妖怪以外が相手では、力を引き出すこと自体が困難だったほどだ。
「どうすっかなー。そもそも泊まるところを探さないと野宿になるし……かと言ってお金もあるわけじゃないし……」
気付けばすでに夕刻に差し掛かっている。小遣い程度の持ち金はあるが宿泊施設に支払えるような額もない。今までは公園で睡眠だけとるというような生活をしているため、最悪それでも問題はないが極力避けたくはある。(警察に迷惑をかけるというのが主な理由である。今までに見つかって逃げたこと多数。)
少し迷って、新都の外れに見つけた教会に足を向けることにした。
また、潮はそれほど気にする方ではないが、それでも一応は寺に住む住職の息子である。厄介になるにしても、流石に全く違う宗教施設に行くのは抵抗もある。
「まあ、とりあえず行ってみるか」
新都のビル街を抜け、丘の上に見える教会を目指す。ひっそりと外れに佇むそれは、馴染みのないものにとっては異様な印象を与えることだろう。教会とだけあって明るい雰囲気でないのは当然だが、周りに墓地があるというのが行き辛さに拍車をかけていた。陰鬱な雰囲気を醸し出し、来るものを忌避させるような空気を纏うその場所は、本当に印象だけのものなのか、それともそれ以外の要因が何かあるのか――。
「すみませーん、おじゃましま……は?」
軋む音を響かせながら扉を押しあけると、豪奢なステンドガラスに十字架。綺麗に整列された木造りの長椅子。真っ直ぐに伸びる赤い絨毯と、教壇。そこは確かに教会で間違いはなかった。その凝らされた意匠だけで、初めて来た人間に息を呑ませるだけの完成された空間がそこにはあった。
――ただ、そこに立っている人間の姿がその場に似つかわしくないというだけで。
「あん?なんだ坊主、ここに何か用か?」
「いや、えっと……兄ちゃんはここの人?」
その青年はアロハシャツを着ていた。
教会でアロハシャツを着ていた。
アロハシャツと言えばハワイで優雅に楽しんでいる人々が来ているイメージのある花柄の散りばめられたシャツで有名だが、しかしハワイのイメージ強いが強いからこそ日常的に来ている人を見ることはほぼ皆無に近いし、着ようとも思わない。そんなある意味非日常の象徴とも言えるシャツを着てさらには、教会にいるその姿と言うのは形容し難いにもほどがある。
教会にアロハシャツでいてもいいのかどうかはおいておくとして、教会の荘厳な雰囲気を全て台無しにするようなその光景は、信仰する宗教の違う人間からしても冒涜しているんじゃないかと心配になる。
「いや、関係者っちゃ関係者だがここの人間ってわけじゃねえよ。エセ神父はまた別にいる」
エセ神父って……苦笑いしつつも、彼が教会の人間でないことに安堵する。というかいてたまるか、こんな神父。
「おい坊主、それ槍だろ?良いもん持ってるな」
「え?あ、ああ。兄ちゃん詳しいの?」
「詳しいも何も、オレを誰だと思っていやがる」
いや知らねえよ、と思いつつもさすがに口には出さない。ただ、彼の細かい所作や纏う空気から、只者ではないことは感じ取っていた。
「槍にしては珍しい形だな。柄に比べて刃の部分が厚いし幅広になってやがる。基本は突くことが主体の槍に対して、こいつは切ることが主体として作られている?いや、元は剣として作られようとしたのか?」
当然だが、槍は布に包んだまま出してなどいない。それでもそこまで見抜けるのは、彼の観察眼か、経験故か……どちらにせよ、槍に詳しい人間が怪しくないわけがない。槍の警戒などと関係なく、潮は普通に引いていた。相棒として獣の槍を扱っている潮ではあるが、特段槍に詳しいわけでもなく、むしろ獣の槍以外の槍を見たことすらほとんどない。
「しかしこいつは……なかなかに古いな。下手すりゃ俺より――」
「そこまでだ、ランサー。裏に戻れ」
アロハシャツの青年が獣の槍に夢中になり始めたその時、教会内にチューバの如き重低音な声が響いた。
「その少年はこの教会に訪ねてきた者だろう。そういう時はすぐに私を呼べと命じたはずだが」
現れた声の主は、その声に相応しい風貌を備えた神父だった。ただし、本当にただの神父なのか疑問を抱くほどの体躯と、彼を神父足らしめる荘厳さを備えていた。
教会内の空気がより一層重くなった気がしたのは、恐らく気のせいではない。
「ちっ、へいへいすいませんでした。……じゃあな坊主」
そう言って、ランサーと呼ばれた男は教会の奥へと姿を消す。
(ランサー?……槍?外国の人かな?さすがに名前ではないだろうけれど……あだ名、とか?確かに槍に詳しかったし……)
「うちのものが失礼した。して少年、君はここに何用かな?」
「ちょっと訳あって旅してるだけど、あまりお金もないもんで、泊まらせてもらえないかなー、なんて思ってきたんだけど……」
「ふむ……」
じっと、神父は品定めでもするように潮を見つめる。心の奥底まで見据えているようなその瞳と、直接圧迫されているかのような重圧。常人であれば贖罪を強いられている錯覚に陥らせるものであるが――。
「だめ?」
鈍感なのか神経が図太いのか、潮は特に気にする様子もなく会話を続ける。
「いや、まあそうだな。常であれば寝床を貸していることもあるのだが、如何せんここ最近は急務で忙しくてな」
「急務?」
「……少年、君はこの街の空気に気付いているか?」
少し躊躇した――かのように見せてから開かれた口から出たのは、そんな言葉だった。
「おっさん!この街で何が起こっているのか知っているのか!?」
「いや、現在どのようかことが起こっているかは知らん。……が、何かが起こり始めているということは知っている。私が関わっているのは一端だけでな。全容を把握しているわけではない」
神父の言葉には潮を試すかのような響きが含まれていたが、しかし潮は気付かない。
「関わってるって、あんたは一体何をしているんだ?神父が必要とも思えねえけど」
「否、このようなご時世、悩みや不安を持った人々の話も聞かねばならぬし、本業としても忙しいのは確かだ。が、関わっている部分は本業とは離れた業務となる。この地に身を置くものとして援助を求められれば対処しないわけにもいかんなくてな。この空気に当てられて、副次的にガス爆発や殺人事件など物騒な事件が多発しているのだが、それら事件の事後処理を請け負っている」
「神父さんいろいろできんだなぁ」
「昔取った杵柄というものだ。……まあ、そういうわけで、申し訳ないが他を当たってはもらえんか」
「そういうことなら仕方ねえさ。……ただ、ほかに当てがなくてさ、どっか泊まれそうなとことか知らないかな?」
「そうだな、新都から冬木大橋を渡った向こう側、深山町に柳洞寺という寺がある。そこならもしや泊めてもらえるやもしれん」
「わかった、さんきゅなおっさん。世話になった」
そうして、用は終わったとばかりに潮は神父に背を向けて扉に手をかけた。そのまま押し開こうとした直前――。
「ところで少年。この街の異様な空気に気付いていると言ったな?」
「うん?ああ、まあな。でもオレも何が起こってるのか全く知らないぞ?」
「それでかまわん。些細なことでいい、何か気付いたことがあれば話を聞きたいというだけのことだ」
「いいぜ、じゃあ何かわかったらまたここに来るよ」
今度こそと押し開いた扉の外、先程までは風前の灯の如く赤く染まっていた空には、既に闇の帳が下りようとしていた。
「言峰綺礼だ。少年、名はなんという?」
出ていこうとする潮の背に向けて、最後の最後に名前を尋ねられた。
「蒼月潮ってんだ、じゃあまたな」
“また”などないと拒絶するかのように音を立てて閉まった扉。
振り返るも、扉の向こうにあるはずの言峰綺礼の気配はすでに感じられない。
潮が今までに出会ってきた中で、言峰綺礼の様な人間は初めて見るタイプだった。暗闇に抱く不安ともまた違う、捉えどころのない感情。そこに形作り存在こそするが、いざ触れようとすれば不定形が如く崩れ去る。にもかかわらず、威圧されていると錯覚するほどの存在感を放つあの男はいったい何者何か。
ランサーと呼ばれた青年を警戒する以上に、
獣の槍は、言峰綺礼を信用するなと訴えていた。
*****
教会を出た後、潮は柳洞寺を目指して歩いていた。
あの神父の言った通りにするのはなんとなく不安もあったが、しかし実際に害のあることをされたわけでもなく、言葉だけを見ればただの親切な神父でしかない。今までずっと一緒に戦ってきた獣の槍のことは、もう一人の相棒であるとらと同等以上に信用しているが、かと言ってなんの理由もなく、言峰綺礼の言を疑うのは潮の性格上不可能であった。
結局、今は警戒しつつも助言に従うというところで自分の気持ちを整理していた。現状は何もわからないんだし、もし何かあれば手がかりになるだろう――なんて言い訳をしながら。
「いやー、しかし困った」
ところで、改めてになるが蒼月潮はこの冬木市に来るのは初めてだ。新都側はそれなりに歩き回ったものの、冬木大橋を渡ったこちら側、深山町に踏み入れるのも初めてとなる。そんな状況で当てずっぽうに歩き回れば……。
「迷っちまった」
当然の帰結と言えよう。
全く土地勘のない場所で人に道を聞こうともせず歩き回るその度胸は大物か大ばか者か。彼をよく知る人たちに聞けば、どちらが正解かはすぐに答えが返ってくることだろう。
すでに残り火すら消えてしまった空は黒く染まり、さすがにそろそろ寝場所を確保しないとまずいと思い始めたそんなときのことだった。
どっちに行くべきかと迷っていた交差路、その先から学生と思しき少女の姿が見えた。
「あのー!すみませーん」
ちょうどいいやと思い立ったが早いか、潮は少女に声をかけた。
「はい!……あれ?えっと、どちらさまでしょうか?」
「姉ちゃん柳洞寺ってお寺知らない?この辺にあるって聞いて探してるんだけど見つからなくてさ」
「えっと、迷子?」
少女は一瞬戸惑ったものの、その内容を聞いて少し緊張を緩める。潮の姿と手に持つ長物に多少の警戒を抱いてはいるものの、柳洞寺については知っていた。もし柳洞寺のお客さんということなら、その長物も奉納品か何かなのかもしれない、とわずかながら警戒を緩めていた。
「迷子って言うかなんというか……迷子、かな?」
「ふふ、柳洞寺はあちらですよ。私も向こうですから、もしよければ案内しますよ?」
「いいの!?ありがとなねーちゃん!」
「私、間桐桜っていいます。お名前を聞いてもいいですか?」
「蒼月潮だ、よろしく間桐ねえちゃん」
少女――間桐桜は部活動の片付けで少し遅くなってしまい、そのせいで帰りが遅くなってしまっていたらしい。現在、この冬木の街ではガス漏れ事件の多発や、殺人事件が発生している話は神父から聞いていた。その影響で、学校でも極力早く帰るように注意されているそうだ。同じ理由で近所の人々も暗くなるとあまり外を出歩かず、住宅街を歩いていても人とすれ違うことすら少ない状態だ。
「そんな物騒っていうなら、家の近くまで送ろうか?」
「ううん、大丈夫。柳洞寺の近くまで行けば家も近いし……。それより、蒼月くんはどうして冬木に?」
「この街に来た理由自体は特にないんだ。ちょっと訳あって旅をしててさ、その途中なんだよ」
「まだ中学生なのに偉いなあ……」
「いやいや、いろんな人に助けてもらってばかりだけどね」
「……私は多分、一生どこにもいけないだろうけれど」
最後の呟きは、隣に歩く潮にすら届かない小さなものだった。けれど、同時にわずかに翳りを見せた表情は、辛うじて見て取れた。
「どうしたのさ、ねえちゃん」
「ううん、なんでもないです」
しかし、その表情も気のせいだったのかと思うほど一瞬で隠れてしまう。
「あ、柳洞寺はこっちですよ。少し行ったら大きな階段が見えてきますから、それを登ったらお寺が見えるはずです。」
「そっか、さんきゅうなねーちゃん!助かったよ!」
「いいえ、どうせ帰る途中だったので気にしないで下さい。では、私はこっちなので」
「ああ、じゃあな!」
手を振るうしおと、お辞儀をしてから去っていく桜。ほんのりと拒絶されていたことがわかったが故に強くは送ると言わなかったけれど、せめてもと、桜が曲がり角に姿を消すまで見送ってから柳洞寺へと足を向ける。
彼女と話をしているとき潮は、壁を作り人と関わろうとしなかった、鬼に憑かれた少女のことを思い出していた。
桜「柳洞寺の近くまで行けば家も--」
家←衛宮家。本人の家とは言っていない。
あと、衛宮家と柳洞寺が地理的に近かったかは覚えてないです。
もし遠いのなら断るための嘘ってことで。