「――って、ただのお使いじゃねーかよぉ~!」
そんな愚痴を零しながら、潮は坂道を上っていた。キャスターが作ってくれた布に包まれた槍を担ぎ、その槍の先には風呂敷に包まれた箱が入っている。
時刻はもうすぐで正午となる。――つまり、中身はお弁当だった。
『私が届けたいのはやまやまですが、おいそれと学校に行けない理由があるのよ。だからとても、非常に、甚だ不本意ですが貴方に託します。貴方の身に何があろうとそれをとどけるのですよ』
なんて言われ方をするからどれほど重要なことかと思えば、葛木宗一郎に弁当を届けるだけという内容を聞いて肩透かしを食らったような気分となっていた。キャスター本人はむしろ大真面目なのだが、あいにくにも潮にその思いは通じていない。
「そんなに行きたいなら自分で行けばいいのによ」
『聞こえているわよ坊や。その腕輪には通信機の役割があると言ったのに、もう忘れたのかしら?』
「おわっ!?」
唐突に頭に響いた声はキャスターのもの。それは獣の槍を包む布と一緒に渡された腕輪の効果によるものだった。
「キャスターか……、あーびっくりした」
『テストのつもりで声をかけたけれど、念話に問題はなさそうね』
タイミングがいいのか悪いのか、潮が呟いたその寸前にラインを繋いだところのようだった。
「しっかしあんたほんとにすげえな。こんなの半日で作っちまうなんてさ」
『この程度の魔具で褒められても――と言いたいところですけれど、どうせ理解できないでしょうし、言葉そのまま受け取っておいてあげます』
「……嫌味言われてる様にしか聞こえないんだけど」
『そう言ったのよ。それすら理解できなかったかしら?』
「ひでえなぁ……」
キャスターとしては、魔術師の英霊として呼ばれたのだからこの程度当然だ、と言いたいところなのだが、先に察した通り、魔術師の存在すら最近知った潮にその意味が解ろうはずもない。しかし、キャスターがたった半日で作り上げたそれらは現代の魔術師が聞けば仰天してもおかしくない代物だ。時間をかければ同様の物を作り上げる魔術師はいるだろうが、半日で作り上げる者はまずいない。故に、その所業はキャスターなら当然ともいえるし、同時にキャスターだからこそとも言える。そういう意味では潮の賞賛は的外れではないのだが――、しかし再三になるが、潮がそこまで理解しているはずもない。
「ところでさ、ほんとにそんなに行きたいならどうして自分で行かないんだよ?」
『はあ……、私の存在がどういうものか、この街で何が起こっているのか忘れましたか?』
「さすがに覚えてるよ。俺のことどんだけ馬鹿だと思ってるんだよ失礼な奴だな。……理解してるかは怪しいけどさ」
『ならわかるでしょう?出歩けば襲われる可能性が高まる、それだけよ。もちろん隠蔽などで誤魔化すことは可能ですけれど、それも完ぺきというわけではありませんからね。あなたのその槍ではないけれど、どれだけ隠そうと残り香は消せない。ましてやサーヴァント同士となれば気付かれる可能性は格段に高くなるわ』
「ふーん、そういうもんか」
「そういうものよ。――まあ、それだけではないのだけれどね」
「他にも何かあるのか?」
「ええそうね……、行ってみればわかるのではないかしら?」
意味深に笑うキャスターは気になるがどうやら答える気はないようだった。いずれにせよ、行けばわかるというのであれば無理に聞き出す必要はない、と潮は学校へと続く坂道をのぼる。
住宅街の中を通るこの道は昼間ということもあり人は多く、また部活動か補習か学校へ行く生徒、帰る生徒がたびたび見られた。少々長い坂道となるこの通学路は毎日通う生徒にとっては憎らしい相手だが、初めて通る潮にはそれなりに新鮮な気分を味合わせていた。その一番の理由は、眼下に一望できる町並みだろう。ここまで通って来た家々立ち並ぶ深山町は当然のことながら、新都と住宅街を結ぶ冬木大橋、そして新都に立ち並ぶビルすら眺めることができるこの光景は、住み慣れた人ですら時折はっとさせられることがある程度には美しい。
そんな道のりの先に在るのが私立穂群原学園だ。生徒の自主性を重んじる自由さが校風であるためか部活動は一般の学校よりも活発で、特に弓道部が優遇されているようである。休日特有の響く部活動の掛け声と、まばらに聞こえてくる生徒たちの話声がそれらしさを醸し出している。そんな雰囲気に、潮は自分の通う学校を思い出し、そして友人たちのことを思い出していた。それほど長い間離れているわけでもないが、それでも懐かしさを覚えて「あいつらは今頃何してるかなぁ」なんて思いに浸る。
他校、しかも自分より年長の人達が通う場所とあって流石に潮も少し緊張しつつ、
「おじゃましまーす」
と誰にともなく声をかけて正門を跨いだ、その時。
――キイイィィィィィィン――
唐突に、槍が哭いた。
「うおっ!?」
『な――!?』
一瞬、近くにいた生徒数人に目を向けられたが、キャスターの作ってくれた風呂敷のおかげかすぐに興味を失ったようで自分のやるべきことへと戻っていく。変わらぬ日常。平穏な光景。先程と何も変わらぬ中で、唯一潮の纏う空気だけが変わっていた。
『蒼月潮、今のは何ですか』
「獣の槍が反応したんだ。近くに妖怪がいれば今みたいに槍が教えてくれるんだ。……つまり、この学校に妖怪がいるんだな?」
『正確にはサーヴァントよ。――けれど、同じサーヴァントである私やアサシンにそこまでの反応をしなかったところをから考えて、反応した相手のサーヴァントはそういう類のモノのようね』
「なんかねっとりするようなイヤーな感じがするんだけどさ、これってもしかしてなんか結界みたいなの張られてたりするのか?」
『そういうところは鋭いのね、坊や。結界の邪魔をしている子たちのおかげで大分薄れているのだけれど……。ええ、その通りよ。そして、私が直接行かなかった理由。誰彼かまわず隠す気もなく害意を醜悪に放つこんな結界の中に誰が入るものですか』
吐き捨てるように言うキャスターの言葉には苛立ちと嫌悪が滲み出ていた。
魔術師としての、このような隠す気もないお粗末な結界に対する苛立ちと、彼女の美学に反する唯喰いつくすことを目的とされた結界に対する嫌悪。それ自体は、むしろ『私ならもっとうまくやる』という意図すらこめられたもので、本来潮には隠しておきたい部分でもあるのだが、幸か不幸か潮はその言葉を『関係のない人を巻き込むようなことをするなんて』という正義感的言葉と受け取った。
「確かにゆるせねえな。……でも、あんたこれを知っててどうして葛木さんを学校に行かせたんだ?あんたなら止めそうだけど」
『止めたに決まっているでしょう。マスターがサーヴァントも連れずに一人のこの子で歩くなんて正気の沙汰じゃないわ。……でも、宗一郎様にあんなことを言われたら――』
「あー、なんかもうわかったからいいや」
うんざりした表情を浮かべながら潮は進む。
「もちろん、何もしていないわけはないわよ。学校内には監視用の使い魔も置いているし、何かあった時にはすぐに援護できるように――」
煉瓦敷きに施工された道に驚きつつ落ち着きなく辺りを見回す。葛木がどこにいるのかはわからないが、とりあえずは職員室に行ってみようと思うものの、その職員室がどこにあるのかさえわからない。それより学校内に自動販売機があるなんて贅沢すげーとか、ベンチが在ったりグラウンドとは別に広場が在ったり公園みたいだなーとか、すでに違うところへ興味が移り始めていた。
『目的を忘れてないでしょうね?』
「わかってるわかってる。――ん?」
と、そんなとき見覚えのある姿を見つけた。
「おーい、ねえちゃーん!」
「え――、蒼月……君?」
そこにいたのは柳洞寺に行く途中、道に迷っていた時に案内をしてくれた少女、間桐桜だった。
「どうしてここに?」
「この学校の葛木さんに弁当を持って行ってくれってお使いを頼まれてさ」
「葛木先生に?――ああ、そっか柳洞寺に泊まってるから」
「そういうこと。それより、間桐のねえちゃんは?」
そう言う潮の行く視線は桜の着ている袴。
「私はこの学校の生徒です。あとこれは弓道着。私、これでも弓道部なんですよ」
「へえー、弓道出来るってすげえな!」
彼女が言うには、どうやら今は休憩時間中のようだった。顧問の先生に頼まれて自動販売機に飲み物を買いにきたところで潮と出会ったということらしい。
「葛木先生に会いに来たんでしたよね?よければ職員室まで案内しますよ」
「案内してもらってばっかで悪いなぁ……でもありがと!助かるよ!」
「気にしないで下さい、職員室は弓道場に戻る途中ですから。――頼まれてた飲み物だけ買ってしまうので、ちょっと待っててくださいね」
そう言って、桜は自動販売機にお金を入れて目的の飲み物のボタンを押す。押す。押す。押す――。
「ってそんなに買うの!?」
「私の分も入ってますよ?」
「いやそうじゃなくって――、そうだ俺が持つよ。この前のお礼もできてないし、道場まで持ってくよ」
「いえいえ、そんなにいっぱい持たせたら悪いですし――」
「いいの!女の子が荷物いっぱい持ってんのに、男が手ぶらで横あるけっかい!」
潮は半ば無理矢理に買った飲み物を桜から受け取り、何本もペットボトルを持って歩き出す。多少乱暴にも見えるが、それが照れ隠しであることは会うのが二度目の桜にすらとてもわかりやすくて、思わず笑みがこぼれた。
「あの――」
「うん?」
「弓道場は反対ですよ」
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*****
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ずっこけてペットボトルを落っことしそうになっいたりはしたが、気を取り直して二人並んで弓道場へと向かう。
短い道中で話したことはそれほど多くない。弓道部はこの学校で一番力が入れられているだとか、学校の裏の森は柳洞寺の森と繋がっているだとか、そのくらいのことを話しただけですぐに弓道場へと辿り着いた。
「主将、ただ今戻りました」
「おう、おかえりー。悪いね、つかいっぱしりさせちゃって――、……その後ろの子、誰?」
「おっそーい桜ちゃん!私のどが渇いてもうひからびちゃいそうだよー!って、桜ちゃんがジュースと一緒に男の子買って来た!?」
「ちょっと藤村先生!変な言い方しないで下さい!」
弓道場の年季の感じられる木造りの扉を開けて、最初に桜を出迎えたのは大和撫子然とした、けれどどこか力強さを感じさせる顔つきの少女。続いて顔を出したのは一番年上に見えるのに一番子供っぽい雰囲気を醸し出した女性。弓道部の主将、美綴綾子と弓道部顧問の藤村大河だ。
見慣れない人物の姿に、美綴は単純に説明を求め藤村先生はしあさってな方向の感想を口走る。その言い方に桜は抗議の声を挙げながらも、二人に潮のことについて説明を始める。
「柳洞寺に居候している蒼月潮君です。この前、柳洞寺に行こうとして道に迷っているところを案内してあげたんですよ。今日は葛木先生にお弁当を届けにきたそうなんですけど、職員室を探しているところで偶然再会したんです」
「どうも、蒼月潮です」
「あー、なるほど。しかしまた面白い偶然もあるもんだね。いや、柳洞寺って時点でうちの学校に来る可能性はあるか。……でも、どうして荷物持ちしてるのさ?」
「柳洞寺まで案内してもらったお礼に、これくらいさせてくれってオレから頼んだけど――なんかまずかったかな?」
「いやそんなことはないんだけどね。珍しいというか……ふうん、良い子じゃないか。――もしかして間桐、乗りかえたのかい?」
美綴は少し思案顔で潮と桜の様子を見た後、にやりといたずらな笑みを浮かべてそんなことを言った。
「な――、なんてこというんですか美綴先輩!?乗りかえるというかそもそも私は別に――」
「?」
「ぬふう、桜ちゃん顔赤くなってるよー?」
「藤村先生!」
言われたことに気付いて焦る桜。対して何を言われているのかわからない潮は隣で戸惑うばかりで、――ただ、なにか言うとやぶ蛇になりそうな雰囲気だけは感じとって黙って成り行きを見守るだけである。
桜はテンパって周囲が見えなくなっていて、藤村先生は先生にあるまじきことに完全に煽る側に寄ってしまい、潮は会話の意図すら理解できておらず――という状況になって、閑話を休題させる人物が自分しかいないことに気付いた美綴が、
「まあその話は後にするとして、件の潮君を職員室に連れていかなくていいの?」
と、自分が話を逸れさせる発言をしたことはなかったかのように言った。
「そうそう!お願いしておいてなんだけど、できれば早くしてほしいなーなんて」
「あっ、ごめんなさい!じゃあ職員室まで案内しますね。主将、先生、少し行ってきますね。……あとでゆっくりお話ししましょう」
にっこり笑った桜の笑顔を見て二人はいらんこと言ったかなーと少し後悔するけれど後の祭り。いや、むしろ帰って来た後が祭りなのだがそれは潮の与り知らぬ話だ。
それぞれに挨拶をして、桜の案内に従い職員室に向かう。案内と言っても、職員室のある校舎は弓道場からすぐ近くの場所にあった。昇降口で来客用スリッパに履き替えて廊下に出れば、桜の案内通り廊下の少し先に職員室と書かれたネームプレートが目に入った。
「なあ――」
振り向けば、桜がちょうど上履きに履き替えるところで――袴姿という見慣れない格好だからということもあるのだろうが――仕草一つ一つが妙に色っぽく潮は一瞬見惚れてしまった。
「どうしました?」
「あ、ああいいやなんでもないなんでもない!」
「……?――多分、葛木先生はこちらにいらっしゃると思うんですけど……」
いいながら桜は職員室の扉へと向かい、潮はそのすぐ後ろをついて歩く。グラウンドは部活動でそれなりの人数の生徒もいて賑わっていたが、校舎内に入ると急に静かになった。もっとも、文科系の部活動で騒ぐようなところは少なく、特別音が大きいものなど吹奏楽部くらいのものだろう。その吹奏楽部は違う校舎となれば校舎内が静かになるのは当然だ。聞こえてくるのはグラウンドで部活動をしている生徒たちの掛け声と、わずかに響いてくる演奏の音程度のもので――少し、遠い場所まで来たかのような錯覚を受ける。
「失礼します。葛木先生はいらっしゃいますか」
桜が職員室の扉をノックし開けるとそこにいたのは数人の先生のみで、見渡せば答えが返ってくるよりも早く目的の姿が見つかった。
「間桐か、どうした。――む、一緒にいるのは蒼月か」
「間桐の姉ちゃんに案内してもらってきたんだ。キャスターからお弁当渡してくれって言われてさ」
そう言いながら、葛木へ近づいていき弁当箱を手渡す。
「そうか――、二人とも迷惑をかけたな」
「キャスター、さん?」
その声はまだ扉の前にいた桜のものだった。単純に名前らしからぬ名前に驚いたのか、それともほかの何かに対するものか。
その反応に、潮はあまり言わない方がよかったかと焦るが、対して葛木は全くの無表情のままで――。
「私の妻だ」
「へ――?」
『な――――!?』
「え――――」
さらなる爆弾を投下した。周囲で知らぬふりをして聞き耳を立てていたほかの教師たちはお茶を吹きだしたり椅子からひっくり返りそうになっていたり。ついでに潮のつけている腕輪から人の驚いたような声が聞こえていたが、幸いにも葛木の言葉に気を取られていて気付いたものはいなかった。
驚きはそれぞれ違う理由によるものだが、うち一人は普段の冷静な思考が失われて頭の中が混沌と化しているものすらいた。……いわずもがな妻扱いされたキャスター本人である。驚きは三者三様。うち一人は普段の冷静な思考が失われて混沌と化しているものがいたが……いわずもがな妻扱いされたキャスター本人である。
「公言しているわけではないからな。あまり吹聴しないよう頼む」
「は、はあ……」
『…………』
これ以上は聞くなという葛木の言外のプレッシャーに誰も何も言うことが出来ず、微妙な沈黙が流れる。
「ところで間桐、部活の途中だったのだろう。戻らなくていいのか」
そして、そんな空気の中で最初に発言したのも爆弾を投下した本人だった。
「――え、あ……ああそうでした。そろそろ戻らないと」
止まった時間が流れ始めたように、周りの先生たちも個々の仕事をするために動き出す。
「蒼月君はどうするんですか?」
「えっと、俺は――」
頼まれたことは終わったし、どうしようかな?と思っていると、葛木から声をかけられた。
「蒼月はここに残るといい。少し話したいこともある」
「そっか、わかったよ。――じゃあそういうことだから。間桐の姉ちゃん、道案内ありがとな」
「いいえ、こちらこそ荷物持ってもらってありがとうございました」
――失礼しました。
と桜は会釈をして、職員室を後にした。
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先ほどの職員室でのことを考えながら弓道場前まで戻ってくると、向こう側から見慣れた憧れの人が歩いてくる姿を見た。そう言えば藤村先生がお弁当を持ってきて欲しいって頼んでいたな、と今更ながらに思い出す。
「せんぱ――」
――と、声をかけようとして、その隣に見知らぬ少女が歩いている姿に気付いた。
「セイバー、もし誰かに呼び止められたら何も言わずに首を振るんだぞ。日本語はわかりませんって――」
そして、聞こえてきたその呼称に、思考が数分前と同じような驚きに染められた。
葛木先生とキャスターが籍入れてるというのはもちろん嘘です。
確か籍入れてるのはホロウ時点だったはず。
腕輪とか槍包んでる風呂敷とかに関しては、まあキャスターだしこのくらいはできんじゃないかなという程度で原作ではそんなのないです。
まあギルえもんほどじゃなくてもこれくらいはできるでしょうと。