キヴォトスに舞い降りた悪魔:プロローグ(前)
「……私のミスでした」
そうつぶやく少女の前に、一人の大男がだらりと座り込んでいる。
雑誌を顔の上に乗せ、事務所の椅子でだらだらと耽っている日々に差し込まれた突然の空間移動。日常の風景がふと入れ替わる瞬間は常人ならばパニックに陥るはずだが、彼は全く動じず、ただ眼前にいる少女を見つめていた。
「私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況」
少女の言葉に首を傾げる大男。
周りを見渡し、異常な空間にいる事だけを理解する。列車の走る音は静かに、けど沈黙を打ち破るには大きすぎる音で時を刻み。窓から差し込まれた光芒は車内の明暗を分ける程の輝きを放つ。
郷愁的、幻想的な光景とは裏腹に、少女の衣服は血に染まりきっていた。
何故。疑問を浮かべる大男。だが意識ははっきりしていても、状況を把握していても理解が追い付かないこの状況。普段なら非日常の危険因子には速攻で銃を構える筈の彼だが、どうしてかその少女には敵意を剝き出しにすることが出来ず、彼女の口が開くのを待つことしか選択肢が無いと判断せざるを得なかった。
「……図々しいですが、お願いします。先生。きっと私の話は忘れてしまうでしょうが、それでも構いません」
初めて言われる呼称に戸惑う大男。
銀色の髪の毛を搔きむしり、前のめりの姿勢で少女に口を開こうとする。が、ここで上手く喋れない事に気付いた大男は冷静に喉元を抑え、自身に起きている異変に気付き始めていた。
内包している魔力も少なく、普段身に着けている銃もホルスターに携えておらず、トレードマークのコートも羽織っていない。当然、魔剣を冠する「ダンテ」も内側に内包してない状況だ。
「私の手に負えない厄災が、キヴォトスに迫っています。あなたになら、この捻じれて歪んだ先の結末とは、また別の結果を……。きっと、あなたになら……先生」
大男は、今にも消えそうな少女に手を伸ばそうとする。しかし、それはあまりにも遠い思い出の様に時が緩やかになり、光の粒子が指の先から身体中を纏い、大男の意識をゆっくりと閉ざしていくのだった。
「ダンテ、きっとあなたになら──」
・
・
・
──い
──先生
……先生、起きてください
──ダンテ先生!!
……起きません。ビンタが必要でしょうか?
ぺちぺちと肌と肌がぶつかり合う音が男の耳の中で響くと、男は夢遊していた意識を一つにまとめ、瞼を開く。
深々と硬さを感じない如何にもな高そうなソファに座り込んでいた彼は、自分が眠っていたことに気が付く。
「ん……んん? まじかよ。天使か?」
自分は死んでしまったのかと冗談めかして喋る男の反応に疑問の顔を浮かべる少女。
「どうやら寝ぼけているみたいですね。では1から状況を説明します」
彼女の名前は七神リン。学園都市「キヴォトス」、連邦生徒会所属の幹部の一人だ。
整えられたまっすぐな黒髪には絵に描いたようなハイライトが差し込まれ、飾り付けの様な添えられるような知的な眼鏡。細めのフレームが顔面の統一さをさらに引き立てるが、少し視線を下げれば年齢には似つかわしくない双山が積まれている。
彼はそのギャップに凄いなという感想しか出てこなかった。離散していた集中力が一気に集約され。目覚めには丁度良いのだろう。
「あなたは……恐らくここに呼び出した先生だと思うのですが。すみません、あくまで推測系なのは、私も先生がここにどうやって来たか、経緯を知らないからです」
当然、彼も知らない。
さっきまで不思議な夢を見ていたかと思えば、そこから覚めたらまた知らない一室だ。
まずはここがどんな場所でどんな状況で、世界のどこにあるのかを問い詰めるつもりだったが、彼はその前に彼自信を呼称している呼び方の修正から入る。
「経緯はいいさ。その前に……先生って呼び方どうにかならねーか? どうも違和感がありやがる」
「ではなんとお呼びすればよろしいですか?」
「ダンテでいい」
「しかし、目上の方を下の名前で呼び捨てにするのは……」
「気にするな。俺はどこぞのガキからも近所のガキからも思春期のガキからも甥っ子からもダンテって呼ばれてるんだ。そっちの方がいいぜ、リンちゃん」
唐突な呼び捨てに戸惑うリン。だがあまりにも自然に発音されたせいか、下心も感じさせないその無垢さに思わず抗議の言葉を飲み込んでしまう。
「分かりました……ダンテ。とにかく今は緊急事態です。ダンテにお願いしたい事は、学園都市の命運をかけた重要なこと……ということです」
行きますよと一言置き、颯爽と部屋の出入り口まで歩くリン。
ダンテはまず状況とは考えたが、とりあえずここにいても埒が明かないと、まずは大人しく彼女の後を付いていく事にした。
エレベーターに乗ると、そこには目前に広がるビル群。似ている様で似ていない、自分が住んでいる街との違いに驚くが、それよりももっと驚愕の事実が彼を襲う。
エレベーターの窓ガラス越しに映る自身の姿。
毎日見ている鏡の中に映り込む自身の姿と酷似した、あの時の無鉄砲だった時の自分の姿。
「ん? え? 待って誰だこれ……いや違う、俺だ。あれ? どうしてだ? 若返ってる?」
「ダンテ? どうしました? やはりまだ夢の中ですか?」
「……夢の中? だが……まぁいいか」
「おかしな人ですね」
(俺は確か……そうだ、事務所の椅子で仮眠していたはずだ。それが急に眼を開けたら変な列車の中で……)
「前を見て下さい。このキヴォトスは数千の学園が集まる学園都市です。これからあなたが働く所ですが……聞いてます?」
「働く? 俺が? ここで働くのか?」
「ええ、そう聞いてますが……あの、お疲れでしたらまだお休みになられますか?」
(キヴォトスなんて聞いた事がねーな。このガキはおっぱいもでかいし、街もでかい。頭が混乱しそうだぜ」
「きっと、ダンテが居た街とは色々違って最初は苦労されるとは思いますが、慣れます。そういえば、ダンテは以前のお仕事は何をされてましたか? 内容によっては最初にお任せする仕事の采配も変わってきますので、参考までに教えていただければ」
「デビルハンターだ」
そうですか、と視線を風景に委ねるリンを見て、絶対信じて無いだろうなと悟るダンテ。
「構いません。あの連邦生徒会長がお選びになった方ですから、きっと凄い人なのでしょう。いきなり過去を掘り下げるような、探るような真似をしてしまい申し訳ございませんでした。気を付けます」
エレベーターのベルが鳴り、降りるとそこには複数人の生徒の姿。
やれ生徒会長に合わせろ、やれ風紀委員として状況の説明を求むなど、ワンクッション挟むことなく質問攻めする人たちを横目に、ダンテはとにかく黒髪の羽の生えた女性の胸部が凄いなという感想しか頭に思い浮かび上がらなかった!
(……やっぱり俺は死んだのか? あの時は腹いっぱいピザを食い過ぎて眠気に襲われただけだと思ったが。こんな美女ばかりの街なんてよ。まぁ、俺が居なくてもネロもいるし、バージルもいる。レディやトリッシュには悪いが……でももし死んでなかったとしたら……)
彼は思い出す。
あの夢は確実に起こった出来事の一つだと。
キヴォトスの厄災、血まみれの少女と、「きっとあなたになら」という蜃気楼に消えた言葉。
最後の力を振り絞ったのか、それとももう余力が残されていないのか。彼自身の中にある魔力は僅かに減っており、使用した痕跡はしっかり残っている。それが何よりの証拠であり、彼が自身は生きているという動かぬ根拠となり得ていた。
周りの会話が耳に入らない程集中し思考するダンテ。だが、出てくる結論はとくに複雑な物ではなく、いつもの「楽しむ」事を主軸にした彼の人生の答えのひとつ。
「刺激があるから人生は楽しい。そうだろ?」