ダンテ先生概念   作:3ご

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シュポシュポ

 キヴォトスは無垢そのものだ。

 恵みの太陽と戯れる子羊と、朝を告げる陽気な雀の鳴き声は黒を知らず白を語る。

 いずれ姿を現す全ての経験はまだ霧の向こう。

 子どもたちはただ制服の袖を引き、軽い冗談を手渡し合い、歩廊をもう一歩だけ前へ進める。可能性という名の白い羊は群れのまま丘を下り、大人たちは誰もそれを数えようとしない。今はただ、朝の光と同じ速度で胸がふくらみ続ける。

 天井のライトは出力を抑え、一条のやわらかい光だけで床を照らす。廊下から聴こえるのは制服の靴音ではなく、ドローン掃除機が絨毯をさまよう低い囁き。安全圏どころか、ここでは世界そのものがまだ輪郭を持たない。未処理の事件ファイルは山ほどあっても、フォルダ名はすべて「未調査」。未知は脅威ではなく、手付かずの贈り物だ。そんな山積みの書類を見ても彼は脅威とすら思わず、ただただ朝の喧騒を掻き消すトリニティからの贈り物の茶葉で鼻孔を満たし、袂に立てかけてある刀に指を這わせては物思いに耽る。

 可憐な朝の幕引きは、頭上を蒼い球が弧を描いて落ちてきた。玩具と見て取りながらも、彼の体は先に動く。鞘走りと同時に刀が閃光を放ち、空気が悲鳴を上げた。風鳴が遅れて届くころには、球体は縫い目ごと正中線で真っ二つ――首と胴を断つような無駄のない一閃だけが、静かな朝に爪痕を残していた……はずだった。

 彼は失念していた……ここはキヴォトス。無垢な声が跋扈する学生たちの世界。頭に降り注ごうとするボールなどただのボールではなく、そこには巧妙な罠が仕掛けられていると。

 真っ二つになったそれの中身を浴びた彼の頭部は濡れ、ティーカップの中身は冷水で溜まる。己の詰めの甘さと身に降り注ぐ脅威を読み間違えた彼の口から倦怠を孕んだため息が喉を抜けた。

 

「パヒャヒャ! まさか斬るなんて誰も思わないよね!」

「朝から……刺激的ー」

「言っとくけど、真っ二つにするとは思わなかったんだからね?」

「ふつー、キャッチするー」

 

 彼が眉間に皺を刻み、鋭い視線を送るや否や二人は早口で弁解を並べ立てた。

 過度な悪戯かと思いきや、反射的に反撃を選んだのは己だとその無垢な言い訳を斬り捨てる訳にもいかず、ノゾミが持って来たタオルで顔を拭っていると、ヒカリがもう一枚のタオルで頭をわしゃわしゃと無造作に髪に含んだ水分を拭いさった。

 

「貴様ら、朝から随分とはしゃいでいるな」

「もしかして……バージル先生怒ってる?」

「険しい顔してるー」

「ふん、そんなことでいちいち腹を立てるか。で? 今日は何をしにきた」

 

 その一言にぽかんと口を開けた二人の表情は、じわじわと曇り空に変わる。太陽に雲が差し込むように瞳が細まり、尖った唇が不満を告げ、肩は大げさに落ちる──まるで「やれやれ」と声にせず嘆息しているかのようだった。

 

「んもう、先生約束を忘れたの!? 運行中に悪質な乗客がいるから、一緒に対処してくれるって約束だったじゃん!」

「したじゃんー!」

「忘れてなどいない。ただ確認をしただけだ。既に準備は終えている」

 

 タブレットのスケジュール帳を開くや、画面一杯にびっしりと詰まった予定が目に飛び込む。その中で「ハイランダー鉄道学園──車内トラブル対応」の行が青く光り、記憶が急速に巻き戻った。──確かにうっかり失念していた。それでも、汽笛を鳴らしてはしゃぐ子どもじみたシルエットを前に、今さら素直に謝るのは癪だ。彼は胸の奥でため息を押し潰しつつ、取り繕うように肩を張った。

 

「絶対忘れてたでしょ……」

「お忘れさんー?」

「何を言っている。早くトラブルを解決したいのだろう? さっさと行くぞ」

「まだ状況も何も確認してないけど……大丈夫?」

「確認など必要ない。暴れ回る客には力を見せつけるだけだ。数度殴れば事は済むだろう」

「暴力で解決ー」

「ちょっとダメだからね!? 一応客なんだから、まずは会話から始めないと! で、それでも無駄だったら好きなだけ殴っていいから!」

「ふん、面倒な奴らだ。だが、まぁいい」

 

 彼は静かに立ち上がり、腰に刀を据えるとコートの襟元を指で整えた。秋の空気がほどよく冷え、クリーニングに出す前のコートからはお気に入りの香りがほのかに立つ。それは百鬼夜行のキキョウが選んだ服飾用の香水──彼女の独占欲がこめられているとは露知らず、今日も軽やかに纏う。その匂いをまとった彼がシャーレ当番の彼女と顔を合わせるたび、キキョウがご機嫌になる理由にも気づかぬままに。

 

「ねー先生、その刀必要なの? 怖いんだけど」

「きりきざむー」

「これは俺の一部だと言っても過言ではない。気にするな」

「本当に? ならいいけどさ、それでこの前みたいに列車をにんじんみたいに切らないでね?」

「約束はできんが、善処はしてやろう」

「でも先生ー。この前も同じこと言って列車切ってたー」

 

 返事もなく部屋を出ていく彼の背中を、ハイランダーの二人は小走りで追いかけた。不安が胸の奥に残っていても、世界でいちばん頼れる人が前を歩いている──それだけで問題は半ば解決したも同然に思えて、自然と顔がほころぶ。

 結末はぼんやり見えている。目的は必ず果たせる。火薬の匂いが充満するこの世界で、ただ一振りの刀で事態を収められる腕は間違いなく本物だ。ただ、合理の上にさらに合理を積み上げるそのやり方が唯一の難点。いつも「制圧」が先に立ち、「穏便に」は後回し──ノゾミが頭を抱える場面もある。だが五分もすれば「まあ、いっか」と肩の力を抜く彼女には、その豪胆さがむしろ心地よい。結局のところ、この先生との相性は抜群なのだ。

 

ーー

ーー

 

「ヒィっ! 命だけは……命だけはお助けを!!」

「命? まさか貴様自身の命のことを言っているのではあるまいな。再三の注意にも関わらず態度を改めないのはどちらの方かは一目瞭然。俺を怒らせたのは間違いなく貴様だ。つまり──死にたいというメッセージだと受け取っているが、貴様がどんな意図で俺に言葉を吐いたのか教えて貰おう」

「わー!?!?!?!?!?!? 先生それ以上はだめーーーー!!!! 約束したじゃん!? 超約束したでしょ!? まずは穏便な話し合いからだって!!」

 

 列車の座席はサイコロの目のように均等に切り裂かれ、原形をとどめぬ残骸が車内の至る所に散らばる。かろうじて椅子だったと分かるのは、ちぎれたカバーシートが布切れのように散っているせいで、そこにかつて座席が在ったらしいと推測できる程度だ。

 連結ドアの前では、スーツを着込んだ機械人が一人、腹を張り出して威圧的に立ちすくむ。巨体で道を塞ぎ、邪魔するものは弾き飛ばすと言わんばかりの構えだが、周囲の迷惑に頓着する様子はない。

 ──本来なら今日も勝手にグリーン車へ入り込み、空席にどっかり腰を下ろして窓外の風景を悠々と眺めるはずだった。だが運が悪かった。今、その首筋には鋭利な刀の切先が当てられ、目前には逆立つ銀髪と殺意を帯びた瞳。人を屠ることに一片の迷いも感じさせない、その眼光は刀身よりも冷たく鋭く、機械人を脅していた。

 

「言葉だって!? ちょっとうるさい黙れって言っただけじゃないか!? あんたは言葉も返さずいつの間にか席はバラバラに……ヒィィィィィ!」

「お前に教えてやろう。今まで俺にそんな台詞を吐いた奴らは……己の胴体が二つに分かれることに気付かずに天を仰ぐ」

「ま、待て待て待ってくれ!! ほ、ほらそこの生徒もまずは話し合いからだって言ってるだろ? あんたの言い分は分かったから、まずはその刀をどけてくれないか……な」

「お前は俺の言い分を理解したかもしれないが、俺はお前の言い分など理解はしない。愚かな奴だ、天国に行くことがあれば天使によろしく伝えてもらおう」

「く……う……! くそおおおおおお!!!!」

 

 男は懐から拳銃を抜き、引き金に指を掛けた──その刹那、彼の刀はいつの間にか首筋から離れ、静かに鞘へ戻っていた。事態を飲み込めぬまま男が引き金を絞ると、銃は閃く間もなく粉砕し、金属片だけが床に雨のように散る。

 静寂が、空を切る。

 風が車内に秋の香りを運び込んだその瞬間──男の服はまるでかまいたちにでも遭遇したかのように切り刻まれると、ベルトの紐が切れスラックスが地面にズレ落ちた。その光景に反射的に両手で顔を隠すノゾミとヒカリ。そして薄らと指の隙間から瞳を覗かせると、その時には既に男は呻き声と共に地面に倒れ、泡を吹きながら気絶。

  何が起きたのか理解が追いつかずとも、二人には既視感があった──威圧的な大人が、青の装いを纏った先生に一瞬で制裁される光景だ。そして彼らは次から決まって、にこやかながらどこか怯えた面持ちで、列車内の規律と礼節を守ることを。

 

「せんせー、さいきょー」

 

 空気を読まないヒカリの声が列車内の轟音を呼び戻すと、終点の汽笛が鳴り響いた。

 彼は男の身体を掴み窓から外に放り出そうとしたが、ノゾミが必死な形相で割入って止めると、ふんっと鼻を鳴らしまだ切り刻まれてない席に身体を預けながらタブレットで次のスケジュールを確認。

 勿論、他の乗客は騒動に巻き込まれない様にと、真逆の連結扉から脱出済みだ。おかげで快適な乗り心地だと口角を上げる彼を見て、細める瞳が二つ。

 

「ねぇ先生、列車の座席って高いんだよ? 一個10万以上はしたりさ」

「そうか。だが、既に過去の話だ」

「わぁ凄い理屈……」

「また始末書書くー?」

 

 列車が軋むブレーキ音を残して停車すると、乗客たちは蜘蛛の子を散らすようにホームへ雪崩れ込み、改札を目指して足早に去っていく。雑踏が遠ざかる中、三つの影だけが悠然と歩調を揃え、静かにゲートを抜けた。

 結果がどうあれ、騒動を収めたのは紛れもなく彼である。感謝を形にしたいノゾミとヒカリは「せめてお礼に」と昼食をご馳走すると宣言し、左右から腕を取って待合室へと引っ張っていった。

 

「先生ピザは好き? っていうかもう頼んじゃったけど」

「ピザさいこー、みんな好きー」

「嫌いではないが……少しは節制したらどうだ」

 

 熱々のペパロニチーズの香りが、箱を開けた瞬間に部屋いっぱいへ広がった。ノゾミはさっそく一切れを持ち上げ、糸を引くチーズを嬉しそうにのばしきる。ヒカリは生地をくるくると巻き、溶けたチーズをパンに絡めて濃厚な塩気を味わう。

 彼も続いて一口――焼けたペパロニの旨みが舌に染み、ふいに弟の顔が脳裏をかすめる。数々の記憶と共に、眉間の皺がひとすじ深く刻まれた。

 

「せんせい、機嫌わるそー」

「あれ? 先生ピザ嫌いだったっけ? もしかしてペパロニがダメだった?」

「気にするな。こういう食べ物は普段口にしないだけだ」

「食べ方がお上品ー。美味しそうに食べてるー」

「パヒャヒャ! バージル先生って基本素直じゃないよね! ま、そこが良い所なんだけどさ!」

「……余計なお世話だ」

「あ、照れてる照れてる! 可愛いなーもうっ!」

「キュートー」

 

 未踏の異界で口にする一切れは、故郷といまを結ぶ細い光──自然と頬がほころぶ。

 ここで出会う生徒たちの奔放な個性は風となり、こわばった心をそっと撫でていく。

 魔界で兄弟と刃を交わし、殴り合いの果てに胸を曝け出したあの日々が遠い。

 それでもキヴォトスの穏やかな日常は、次の歩き方を示す静かな羅針だ。

 ……生き方の答えは、まだ見えない。

 だが、彼はまだ生きており、時間はたっぷりとある。

 生徒と向き合い、そして己とも向き合いながら、いつかその答えを掴むために。

 

「でも先生、流石に窓から乗客を放り投げるのだけはダメだからね!」

「約束は出来んが、善処はしよう」

「絶対約束守らないパターンだよねそれ!?」

「また、きりきざむー?」

「パヒャヒャ! ま、いっか! そん時はそん時だよね!」

 

 

 

 

 




バージル先生概念は基本的に日常の一部を切り取る感じですね。

バージルの新しいお話を書くために最近ウィリアムブレイクの本を読み漁ってますが、まじで中二心を燻ぶられる……!
ちなみに、ユリゼンの元ネタの本なのでおすすめです。キンドルで安く落ちてるので、時間がある方は是非とも読んでみてください!
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