ダンテ先生概念   作:3ご

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HEAVEN OR HELL 1/2

「じゃあ先生、後はよろしく。……でも、今さらだけど本当にいいの?」

 

 校門前に白い吐息が揺らぎ、シャトルバスのエンジン音が低く震える。風紀委員長は小振りのスーツケースを片手にふり返り、不安げに彼を見上げた。彼は答えを言葉にせず、スーツケースを受け取ると無造作に床下のトランクへ滑り込ませる。それが「任せろ」という無言の合図。委員長はふっと笑みをこぼし、今度は振り返らずにステップを上り、深いシートに身を沈めた。

 粉雪が街を淡く塗り替えてゆく。ワイパーがフロントガラスを拭い、バスは静かに走り出す。窓越しの行政官が小さくウインクすると、彼は刀を携えたまま肩の雪を払って手をひらりと上げ、校舎へ戻って行った。

 

「心配し過ぎだ。──先生としての責務、全うしてやろう」

 

 ここはゲヘナ学園。「自由と混沌」を校是に掲げるこの学校では、突然の爆発騒ぎからパンケーキ由来の謎生物の徘徊、不法占拠やハイジャックまで、犯罪の見本市のような事件が日常茶飯事だ。

 当然、風紀委員会の仕事は尽きない。不良集団の鎮圧だけなら序の口で、破壊報告や賠償申請の書類が机を埋め尽くし、処理の最中にも新たな事件が舞い込む。

 委員長の空﨑ヒナは、その激務で心身を削りながらも責務に殉じてきた。睡眠時間を削りに削ったその生活習慣は年頃の少女にとってはあまりにも過酷で、時には一睡もせずに仕事に身を投じることもあった。

 そんな彼女が──ある日、倒れた。

 蓄積された疲労の影響なのか、それとも行政官の淹れるコーヒーがクソ不味かったのか定かではない。原因など心当たりがあり過ぎて皆目見当が付かない中、行政官はシャーレの先生を頼る事にした。大好きな空﨑ヒナが倒れたという事実は彼女の思考を極限まで追い詰め、成功報酬として首輪とリードをシャーレオフィスの机に叩きつける。だが──彼にとっては困っている生徒を放置することはあの男との「約束」を反故にすると同義。受け継いだ魂の咆哮と共に彼女の報酬提案を静かに受け取ると、善は急げと早急にゲヘナまで飛び出した。

 

「では、まず教室で授業を受けているか見回りをするか」

 

 声が白い吐息と共に空気に溶けたその瞬間──視界の端で奇妙な物体が、赤ランプをチカチカと点灯しながら鈍いノイズ音を放つ。

  視界の反対側で机を盾に、耳を塞ぎながら地面へとしゃがみ込んだストライプ柄のタンクトップを着用したヘルメットの集団。

 その光景はこれまで何度も目にしては気にはせず颯爽と歩き去っているだけであったが、今は風紀委員会の代理。

 

「早速か。世話の焼ける奴らだ」

 

 光の粒子が残像を残すと、彼の身体は既にその物体の前。

 無造作に手づかみ天へと放り投げると、深く腰を落としながら路面を滑るように後退。抜刀の動作はあまりにも俊足で、鞘から刀を出すことなく鍔の音が静かに空気を震わせると、放り投げられた黒い物体は紙屑のようにバラバラに切り砕かれていた。

 破片が床を跳ね、淡い火花のように散る。怯えた生徒たちは机の陰からおそるおそる顔をのぞかせた。──視線の先に立つのは、コートの襟で口元を隠し、眉間に深い皺を刻んだ男。その威圧の気配に一人が逃げ出そうと身を翻す──次の瞬間、男は無音のまま目前へ現れ、片手で顔を掴み上げる。生徒はつま先で床を探りながら見上げ、瞳を大きく揺らした。

 

「貴様、今何をしていた」

「えっと、温泉を掘ろうと……」

「こんな所で温泉が掘れる訳もなかろう。悪戯に校舎を巻き込もうとしたその罪は万死に値する」

「ちょっと罪が飛び過ぎてないか!?」

「黙れ。だが、風紀委員会の顔に免じて今回だけは独房にぶち込むだけで済ませてやろう」

 

ーー

ーー

 

 空は舞い散る雪の結晶を深く湛え、枯木の枝が墨で描いた網のように天へ伸びている。冬の静寂を抱いた小径は凍えた石畳を連ね、踏みしめるたび微かな霜のきしみを返す。両脇の照明籠が燠火のような橙を灯し、吐く息ほどの温もりを石と苔に滲ませていた。

 灯籠の笠に積もった霜は薄いガラスの膜となり、揺れる炎をぼんやり屈折させる。柔らかな光は隣り合う笹や椛の葉裏で金色に脈打ち、枯れた下草に細かな影絵を刻む。枝先で凍った雫がわずかに解け、ぽたりと落ちれば、石筋にひそむ薄氷がぱりんと小さく割れた。

 奥へと続く数寄屋造りの木戸は半ば開かれ、内側から漏れる灯が雪洞のように道を誘う。暖色の光が冬気に揺れ、わずかな香が漂うたび、凍えた空気の下にも人の営みが息づいていることを告げていた。

 

「ほう、風情がある外観だ。高かったんじゃないかアコちゃん」

「……正直に申しますと、結構奮発してしまいました。ですが、ヒナ委員長の折角の休日ですから、これくらいの部屋は用意するのは当然です」

「この温泉旅館、デザインもさることながらご飯も美味しいらしいですよ。楽しみですね」

「……いい香り。お香かしら?」

「外からでも風に運ばれお出迎え……良いですね。早速入りましょう」

 

 雪化粧の枯木の中、石畳を歩き戸を開ける。

 昼下がりの柔らかな日射しが木枠のガラス戸から差し込み、囲炉裏の煙突と梁組みの艶やかな古木を淡く照らす。真鍮色の行灯と竹籠のランプが揺れる光を落とし、帳場の黒い無垢板に昼の静けさと温もりを重ねていた。角のアイス冷凍庫さえ時代の余韻を帯び、ほの甘い風情が木の香とともにゆるりと流れている。

 帳場と書かれた木彫り看板から目線を下に向けると、天雨アコと書かれた受付書が置かれていた。彼女は店主と数度会話を交わした後鍵を貰い「こちらです」と一行の先方へと立つ。

 木造の渡り廊下から見える枯木の隙間から、真っ白な湯気が立ち上る。反対側には小さな東屋──苔むした庭に面した石造りの囲炉裏が切られ、吊り鉤に掛けた鉄瓶から細い蒸気が音もなく上がっていた。

 

「あそこでお茶を啜りたいですね」

 

 木造床の軋みと共にチナツの声が廊下に響き渡る。凍えてしまうと野暮なツッコミを入れたくなるヒナだが、風情に染められたのか「それもいい」と空返事。イオリが窓から外を眺めようと顔を近づけるが、吐息で真っ白に染め上げられ視界が塞がれた。気に食わなかったのか彼女は更に顔を動かして外を眺めようとするが結果は同じ。まるで子供みたいだと、ヒナはクスリと口角を上げる。

 

「お部屋、こちらですよ。早速荷物を置きましょう」

 

 戸の奥から漂う畳の香り。

 障子越しの柔らかな昼光が畳に方形を落とし、黒塗りの座卓を穏やかに照らす。卓の四方には同じ意匠の座椅子が四つ。淡い木肌に透かし彫りの花紋が入り、クッションには深緑と金茶が織り混ざった格子文様。襖の奥には床の間がしつらえられ、小ぶりの花瓶が静かに据えられている。

 彼女達は荷物を部屋に隅に固めると、店主から渡された浴衣に早速着替えだした。それぞれサイズの寸法も合わされていたのか、着心地は悪くない。だが、いつも側面から横乳を曝け出している行政官だけはどこか落ち着かなく、代わりに谷間の面積を広げるという解を見せて事なきを得た。

 

「なぁ、まず風呂よりもお昼を食べないか? もうぺこぺこだ」

「そうね、私もお腹減ったわ」

「ここら辺って買い食い出来る所ありましたっけ?」

「お任せください。準備は整えておきましたので、早速移動しましょう!」

 

ーー

ーー

 

「ハルナ、ジュンコ、アカリにイズミ。何故貴様たちが揚げパンを二つも所持している」

 

 お昼時、それは学生たちに与えられた唯一の至福のひと時。

 学生食堂は今日もごった返しのような賑わいだ。普段は荒れに荒れまくっている不良集団も、テロリズムを脇に添え街道を跋扈している部活動員もこの時間だけは腹を満たす為、大人しく椅子に座りながら目の前の食事にありつきながら、会話に花を咲かせる。

 そんな中、目を光らせておくべき者たちがいる。彼は早速彼女達の不審な動きを察知したのか、迷うことなく真っすぐに歩き詰め、彼女の皿に盛りつけられているそれを発見しては片手で顔を掴み直立に持ち上げるのであった。

 

「こ、これは……元から付いてきた物でして」

「今日の献立では揚げパン一つにサラダ、瓶牛乳となっていたはずだ。その揚げパンは誰かから貰いでもしたのか? そうではないな。その揚げパンを譲る程の器量など、ゲヘナの生徒が持っている筈もない。卑しい貴様ら美食研究会のことだ。大方他の生徒を脅しでもした、若しくはキッチンから盗んだ物だろう」

「ちょっと先生!? その言い掛かりはあんまりだよ! 今日は欠席者が出たから私達はそれを貰っただけ! 私達美食研究会は荒事はしても犯罪には手は染めないんだから!」

 

 ジュンコが立ち上がり机を叩くと、アカリとイズミも慌てて揚げパンを背後に隠す。彼はじっと視線をめぐらせ、やがて手を放した。ハルナは潰れかけた頬をさすりつつ胸を撫で下ろす。

 その安堵が喉を通る前──食堂の扉が勢いよく開き、金属が弾けるような怒声が飛び込んだ。入ってきたのは不良生徒四人組。

 

「おい美食研究会!! よくもやってくれたな!!」

 

 ずかずかと彼女らの元へと憤怒を足音で鳴らしながら突き進む彼女達の顔は、まるで般若。手元の銃を暴発させようと勢いよく出てきたはよいものの、隣にいる先生の姿に萎縮してしまい、銃を背中側に回す。だが、それでも彼女達の怒りは収まらず、美食研究会に向かって一つ二つ三つと文句の怒声が飛び交った。

 

「今日が揚げパンの日だからって待ち伏せして襲撃とは、良い度胸じゃねえか!! もう許さねえからな!!」

「待て、今──襲撃と言ったか」

「ぁあ!? 登校してたら急に影が四つ並んで鉛玉を乱射してきやがった──ん……です。はい」

「つまり、貴様ら卑しい美食研究会どもは、その手に持っている揚げパンを得るためにこいつらを襲撃したということで間違いないな?」

「へ!? あ、いやー……うん。ほら、えっと、私達にとっては日常風景というかなんかそのー……えっと」

 

 ジュンコの言い訳は、威勢のよい啖呵の割に中身がからっぽだった。彼の視線がテーブルの下や背後の柱に身を寄せ、事の成り行きを息を潜めて見守るアカリ・イズミ・ハルナの三人を一斉に捉える。刹那、彼は無言で拳を握りこみ、関節が鳴る微かな音だけが次の行動を予告した。

 

「ふ、俺も舐められたものだ。──余程死にたいと見える」

 

 揚げパンを握っていたジュンコたちは顔を見合わせ、次の刹那に皿を投げ捨てて四方へ散ろうとした。

 だが床板を蹴った瞬間、青い残光が通路を塞ぐ。壁際と入り口に同時に現れたのは、主と同じコートを翻したドッペルゲンガーの輪列。幻影剣が扉を十字に貫き、逃げ道は瞬く間に閉じられる。

 彼女たちは揃って肩を落とし、あえなく御用──現れた分身と先生の両脇にひょいと抱え上げられ、そのまま食堂の扉の奥へと連行された。

 砂糖の香りが残る列席を後に、食堂は再び賑わいを取り戻す。だが揚げパンの行方を巡る攻防は、これにて一件落着かに思われた。

 

 ガチャ―ンっ!

 

 質素な灰の石畳の通路の脇に並ぶ堅牢な独房は、校則違反者をぶち込むには十分すぎる程の機能を兼ね備える。

 逃げ道などどこにもなく、あるのは空気が通るノイズのみ。端に無造作に置かれている監査者の机のランプはチカチカと明滅を繰り返し、鉄格子が重なった小窓からは外の光が微かに盛れるだけ。

 美食研究会を迷うことなくその牢屋に入れた彼は急ぎ足でその場を去ると、数刻もしない内に舞い戻り再び彼女達の前へと立ち尽くした。

 

「先生、これはあんまりではないでしょうか! 私達はただ──揚げパンが食べたいだけですのに!!」

「そうよそうよ、横暴よ! 生徒を力でねじ伏せるなんて先生として──待って、いつものことかも」

「ここゲヘナは弱肉強食……弱者は喰われるのが校風ですから、私達は何も間違ったことはしていません☆」

「うわーん! 今日の楽しみだったのにー!! 先生の意地悪―!」

 

 石床に響く鎖の擦れる音と、四人の抗議が牢内で反響する。だが鉄格子の外側、コートの襟を立てた男の瞳は氷のように冷たく、まるで珍しい標本でも観察するかのように瞬きをすら忘れている。

 

「やかましい奴らだ。だが、その威勢も長くは持つまい」

 

 彼の手元には大きく膨らんだ布切れが一つ。彼はそれを勿体ぶらずに捲ると、そこには先程の揚げパンが一つ皿の上に盛り付けられていた。

 

「先生……! 鬼の方と思っていましたが、私達を憐れんで……!」

「わーい! 揚げパンだ!! でも、どうして一つなの?」

「せ、先生! 早くそれをこっちに寄越して! ほら、私があーんと口を大きく開けるからそこに突っ込んで!」

「一個じゃ足りませんが、腹の足しにはなりそうですね!」

 

 美食研究会の期待をよそに、彼はその揚げパンを見つめては手殴りで掴んだ。彼女達の瞳が輝きを帯びたその時──彼はそのパンを鼻に近づけ香りを嗅ぐと、彼女達とパンを交互に見比べる。

 

 ──力なくしては何も守れはしない。この揚げパンでさえもな。

 

 むしゃり、と乾いた音が牢内にこだまし、砂糖の粒が紺色のコートにこぼれ落ちるたび、四人の喉から掠れた悲鳴が漏れた。

 ジュンコは目を伏せて現実から逃げ、アカリの瞳は光を失い、イズミは震える指で耳を塞ぐ。ハルナだけが拳を握り、呟くように「あいにーどもあぱわー……」と力の無さを噛み締める。

 膝から崩れ落ちた四人の肩が震え、床に散ったパンくずが無言の侮蔑になって転がる。

 それでもなお、ハルナが震える膝を押し立てて立ち上がった。鉄格子へよろめき、両手で冷たい鉄を握りしめる。

 ──ガシャン。

 細い腕では格子一本揺らせず、響いたのは虚しい金属音だけ。それでも彼女は声を振り絞る。

 

「……先生っ!」

 

 怯えと悔しさの混じった呼び掛けが、薄暗い牢内に吸い込まれた。

 

「あの時あの瞬間……先生は私達と共に美食を探求してくださいました。食の大切さ、そして食の残酷さを共に共鳴し合った。あの時の先生は──」

「ハルナ、過去の話を持ち出すな。今の俺は先生でもあるが、風紀委員会の代理でもある。己が罪を悔い、今日の夜までそこで大人しくしているがいい。安心しろ、お粥くらいは出すそうだ」

 

 叫び声が反響する牢獄を背に、彼の足音が遠ざかる。

 最早彼女達に抵抗の意思は無い。

 この災厄が過ぎるまで、ただ身を震わせながら耐え凌ぐしか術がないのだ。

 

ーー

ーー

 

「見てくださいヒナ委員長、まだお昼だというのに屋台が出てます。この時期は火で焼いたスルメや飴を食べると風邪を引かないという言い伝えがあるそうです。小規模ですが、お祭りみたいなものですね。お昼には丁度良いと思われますが、いかがでしょう?」

「うん、アコが言うならそうしようか」

 

 燦燦とした太陽の下を流れる冷たい空気が、彼女の小さな声を浮き出させる。アコは彼女の手を握り積もった雪に足跡を付けると、店主に向かって4本のスルメを注文した。木札を受け取るとヒナを雪のベンチへ誘い、焼きあがるまでのわずかな時間、二人は広場の端で繰り広げられる彼女達の雪合戦を眺めて過ごす。

 最初は一方的に雪玉を浴びていたイオリだったが、瞬く間に雪壁を築き、射角を計算しながら反撃を開始。放物線を描く白弾がチナツのコートを淡雪のようにまぶしていく。勝利を確信した笑みがイオリの頬に浮かんだ、その瞬間——背後から飛来した硬い雪塊が彼女の額で炸裂した。

 衝撃の方向へ目を向けると、そこには分厚い防寒着に身を包んだ近所の子供たち。雪国育ちの軽やかな足取りでイオリを取り囲むと、四方から一斉に雪の霰を浴びせかける。雪煙に包まれたイオリの悲鳴が凍てつく空気を揺らし、アコはベンチで肩を震わせながら、思わず笑い声を漏らした。

 

「見てください! あんな雪塗れで……!」

「うん、楽しそうだね」

「委員長の混ざりますか?」

「ううん、私はいい。……どうせ、私が入ったら楽しく無くなるだろうし」

 

 さっきまで輝いていたヒナの目は、その自嘲気味のひと言で曇り、肩先ごとそっと縮こまった。

 彼女の視線は雪景色ではなく、もっと遠い虚空──頭から離れない過去へ滑り込む。ほんのささいな一幕だったのに、鋭い刃物で胸を突かれたかのような痛覚だけが今も残る。

 

 ──お前なんか、いなけりゃいいのに。

 

 風紀委員の任務で不良をねじ伏せた直後、担架に乗せられた生徒が投げつけた負け惜しみ。その一言が他の罵声と違う理由などわからない。けれど、夜更けに目を閉じてもその声は脳裏を巡り、螺旋を描いたまま眠りを細く削っていく。毎日毎日、夜目を閉じる度に浮かび上がる自己への疑問は螺旋階段を登り続ける。そして、頂きに達したその言葉は次第に彼女の精神を飲み込むと。

 

 ──気が付けば、病院のベッドの上。

 

 知らない天井の灯を仰いで、ベッド脇には涙ぐむアコとイオリ、そしてチナツ。

 イオリとチナツは安堵の息をつくと、力が抜けたようにその場へへたり込んだ。

 

「目が覚めた!」

「あ……れ? ここは?」

「うわあああああぁぁぁぁん、ヒナ委員長ーーーぉぉぉぉぉ」

「ちょっとアコ苦しい……!」

 

 診断は単純──極度の過労。

 だがヒナは医師の制止を受け流し、点滴を抜くと制服の前をきっちり留め、病室を背にした。体力が戻ったわけではない。以降の彼女は書類に向かいながらも焦点の合わない視線で、返事も遅れがち。

 その変化に胸を痛めた行政官は、堪え難い思いを押し隠しつつ、自らシャーレへ足を運ぶ決意を固めた。首輪とリードを持って。

 

 

 屋台の鉄板に並ぶスルメ焼きが陽を弾き、香ばしい煙を揺らす。

 アコは一本つまんでヒナに手渡した。空腹だったヒナはためらいもなく小さな口でかじり、磯の香と濃い旨味がじわりと広がる。二口、三口──頬張るたびに曇った表情へほのかな光が戻り、勢いよくかむ姿は子どものようだ。見守るアコの頬がつい緩む。

 ヒナが沈んでいる理由を、行政官のアコは知っている。けれど言葉で癒せる類いではないと悟り、ただ隣にいて休ませる旅を組んだ。うまい物を食べ、肩の力を抜く──それが今のヒナに必要なはずだから。

 これが正解かは分からない。それでも無邪気にスルメ焼きを頬張るヒナの横顔を見れば、少なくとも間違いではないと胸が温かくなった。

 

「美味しいですか?」

「うん、とっても」

「なぁ聞いてくれ。チナツがいつの間にか子供達を買収──あ! 先に食べてずるいぞ! 私もだ!」

「イオリに真正面から挑むなど愚かな事はしません。美味しそうな香りですね。私も一本頂きます」

 

ーー

ーー

 

「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! ゆるじでえええええええ」

「許す? 貴様の何を許せと、見当違いも甚だしい。一度頭のおかしなポスターは張るなと忠告したにも関わらず、性懲りもなくこそこそとネズミのように這い回り俺との約束を破った貴様を許せと?」

「だっでマコト先輩がああああああああ!!!」

「知らん。そういえば、変な像の設置もやめろと忠告したと思うが……忘れたとは言わまい」

「粉々に切り刻んでたからいいでしょおおお!? いやああああ牢獄はいやああああああ!!!」

 

 まるで見せしめのように廊下の中心を堂々と歩く先生。生徒──チアキの首根っこを掴み引きずるその様は一言で表現するならば「鬼」以外の何物でもない。

 あまりの構図に生徒達は道を開け、ある者は扉の隙間から、ある者は給水機の水を飲むふりをして横目でその残酷極まりない光景を見送る。目を合わせようものなら、飛び交ってくる言葉は「貴様、今何をした」という言い掛かり100点満点の圧のみ。銃で対抗しようにも何故か全てその刀に弾かれ、気が付けば背後に立ち手刀をお見舞いする彼の圧倒的な戦闘能力に、生徒達はひれ伏す以外の手段を持ち合わせていなかった。

 

 腰まで届く赤髪がふわりと揺れ、本を抱えたままのイロハが立ちふさがる。気怠げな目元の奥でわずかな同情がきらめき、重い腰を上げて声をかけた。

 

「何をしているのですか? もしかしてゲヘナを制圧するおつもりでしょうか」

「風紀だ」

「あの……風紀委員長でも生徒をそのような扱いはしないと思いますが。とにかく、彼女を離してください。大丈夫です。利用価値はあります」

「利用価値だと? ふん、話を聞いてやろう」

 

 彼が無言で手を放すと、チアキはよろめきながらもカメラを構えた。だが、抜かれるより速く伸びた鞘が首元ぎりぎりで動きを封じる。カメラのシャッターは切られず、冷たい空気が静かに張り詰めた。

 

「彼女の週刊万魔殿を利用するんです」

「……悪くない。早速準備に取り掛かれ。チアキ、動けるな?」

「へ? は、はい! 週刊万魔殿のことでしたら私にお任せを! あの、その代わり牢獄は……」

「貴様の記事の出来次第で考えてやらんこともない。懸命に働くがいい」

 

 およそ一時間後。

 ゲヘナ学園の各教室に薄灰色の新聞束が投げ込まれた。見出しはただ一行……──《週刊万魔殿・超速報》。いつもの毒舌コラムもグルメレビューも無く、残る紙面は雪のように真っ白だ。

 訝しんだ生徒たちは「隠し企画か」と騒ぎながらページをめくる。そこで目に飛び込んだのは、空白のA2見開き中央を貫く太い一文。

 

 ──貴様らに自由など無い。

 

 背筋を這う汗が制服を冷やす。今朝から次々と粛清され、牢獄へ運ばれる級友の姿が脳裏をよぎった。

 ざわめきはやがて金属の擦れる音に変わり、生徒たちは震える指で銃を握りしめる。己の「自由」を守るため──生徒達は結託し互いの手を取り合い、静かに戦闘準備へと傾いていった。

 

 時刻:16時20分 

 ゲヘナ学園──陥落。

 

 生徒会長である羽沼マコトは逃走を図るも失敗。美食研究会とは別の特別な牢獄に幽閉されたと同時に、冷酷な先生の声が放送を通じて学内に響き渡った。

 今日明日、このゲヘナの風紀はシャーレの先生が担当することとなった。歯向かう者にはそれ相応の罰がくだされるだろう。

 悪魔めいた無感情の通告に、戦意を削がれた生徒たちは席に着き、淡々と授業をこなすほかなかった。

 それはゲヘナの生徒らしからぬ従順さ──しかし生徒としては、むしろ当たり前の静けさでもあった。

 

「貴様ら、反省はしたか」

 

 ──牢獄の薄明かりの下、鉄格子の外側に立つ彼の影が、空腹に耐える四人を見下ろす。

 片手に抱えた大皿には、きつね色の揚げパンが山のように盛られていた。香ばしい匂いが漂うたび、美食研究会の面々はよだれをこぼしながら、懇願するように首を縦に振る。

 

「フウカの優しさだ。あまりにも可哀そうと特別に作った揚げパン。これを食した後もしまた風紀を乱すようなことがあれば──分かるな?」

 

 こうして風紀員代理としての一日目は幕を下ろした。

 素行は最悪でも、生徒は生徒。裁きと赦しを同じ天秤に掛けなければ“先生”の名は名乗れない。

 鉄格子を開放すると、檻の中の“猛獣”たちは山盛りの揚げパンに飛びつき、むさぼる音だけが牢内に響いた。彼はそれを背に、足音も立てず廊下を去る。

 

 その陰で、学園では大規模なクーデター計画が静かに動き出していた。

 

 そんな事実を知らぬまま。アコのモモトークに届いた「ヒナが少し笑った」という短い報告を確かめ、彼は淡々とシャーレへ帰投していった。

 

 

 

 

 

 




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