ヒフミが再度その話を切り出したのは、館内の大掃除が終わり、静寂に包まれた月夜に反射された、プールの水面が揺れ動いている時であった。
ダンテはカズサ達と通話しながら今回の補習の復習を行っていたが、集中力が切れたからと、その日の勉学は中断させ、彼女達が掃除した確認のついでにひと泳ぎでもしようと着替えを用意する。真昼間の草刈りからまともにシャワーを浴びてなかったからか、冷房が効いた部屋でもどこか暑苦しく、久しぶりのプールに心を躍らせていた。
「ここにいらしたのですね。部屋にいないから探しましたよ」
学生服とは違い、ジャージ姿のヒフミはトリニティの生徒とは思えない程親しみやすく、ダンテもそんな彼女を気に入っている。この世界に来てからという物の、まともに生徒と会話をしようにも皆ビビッて逃げていくばかりだった。主に七神リンの持ってくる依頼のせいだが、そんな事情は生徒達は知りもしない。
だからこそ、阿慈谷ヒフミとの巡り合わせはダンテにとって「キヴォトスの生徒」のイメージを塗り替える稀有な出会いでもあった。自称平凡を自称する可憐な少女は、あろうことかダンテの任務の後を付け、回収地点に到着する前にある「お願い」をしてきたのだ。そんな姿を、ダンテは今でも鮮明に思い出す事が出来る。
「寝ないのか?」
「あはは……眠れなくて」
「まぁ、ファウストは闇に紛れる悪魔だからな。狙い撃ちをしにきたんだろ?」
・
彼女特有の本題に入る前の微笑。その癖を知ったのは、主にヒフミの依頼をこなした後である。
その依頼とは、おもちゃのグッズを主体とした闇のオークション市場、その闇の組織に奪い取られた物を取り返して欲しいという内容だった。平凡な力を持つ自分には到底出来ないからと、ニュースで話題になった先生であるあなたの力を貸して欲しいという、平凡とは程遠い過激な依頼。きっと、おもちゃのグッズは隠語なのだろう。
ダンテは面白そうだしこの世界を知る足掛かりになるからと、リンに連絡もせずに受託する。
場所は市街地内部を歩いて30分程の、とある劇場。
広々とした緑の中に佇んでおり、直線的で幾何学的なフォルムを持つ外観は、シンプルながらも堂々とした存在感を放っている。
正面は大きなガラスが多用され、昼間は陽光を反射して青空と雲を映し出し、夜には内部の照明がガラス越しに柔らかな光を投げかける。灰色の壁面には微かに質感のあるコンクリートが使われており、近代的なデザインが一層際立っていた。
劇場前には大きな広場が広がり、整然と並んだ樹木とベンチが来場者を迎える。新緑の破片がアスファルトを転がり、静寂な雰囲気を作り出していた。周囲の高層建物に比べると、劇場は低く抑えられた高さで、自然との調和を意識した設計が見て取れる。
その隅っこの駐輪場の陰で、膝を曲げて座る影が二人。ヒフミは背中にあるリュックからいくつかの道具を取り出した。全体を俯瞰する地図と、大量のマガジン。そして顔を覆う程の大きなテンガロンハットと付け髭が二つ。最初から頼む前提だったのか、テンガロンハットは二つある。
「これで変装は完璧ですね!」
その大きな帽子は顔半分を包み、付け髭はいかにもな白髭。まるで魔法使いのおじいさんを連想させる長い付け髭は、ここまではいらないと半分ほどばっさりと切り始める。ゴミはリュックの中に詰め込み、残りのテンガロンハットはダンテの頭の上に乗せ始めた。無論、相手が巨悪な犯罪者集団ならば特に顔がばれても問題無いダンテ。だが、今のヒフミのノリに乗っている提案を無視することは出来なかった。それに、似合うと真正面から言われて悪い気はしない。思わずツバを下げる。
「あとは銃の調整ですね!」
ヒフミはライフルを風呂敷の上に置き、手際よく分解を始めた。ボルトキャリアを外し、部品を一つずつ点検する。汚れが目立つ箇所に目を留め、クリーニングロッドに布を巻きつけて銃身に通した。動きは正確で無駄がない。クリーニングオイルを数滴垂らし、布で汚れを拭き取るたびに金属の表面が鈍く光を反射した。全ての部品を清掃し終えると、今度は慎重に組み立てを始める。
最後にスリングを整え、銃口の安全装置を確認する。点検を終えた銃を手に取り、軽く重量を確かめると、ヒフミは静かにうなずいて次の作業に移った。
キヴォトスで見られる異質な光景。それは戦闘とは程遠そうな、雑誌の中にいそうな可憐な少女が、ダンテの世界にいるどの軍人よりも華麗に銃のメンテナンスをしてみせることだ。
作業を終えると、また別の場所まで移動する。
館内入り口から遠いベンチの影に身を潜め、どこかで入手してきたであろう館内図を頼りに話し合いを始めた。
事前に調査済みだったのか、今日この建物の表から入る観客は0だと言うこと。それはつまり、裏口でしか入れない輩が沢山いるということだ。それはファミリーと呼ばれるマフィアの集団であったり、また別の組織。
「なんとか潜入したい所ですが、想像以上にセキュリティが強固でして」
観客は勿論0。だが、至る所で警備ロボットが周囲を隈なく見回りをしており、ネットワークインフラにアクセスしようにも端末は館内の中。かといって無線を使い遠隔で操作出来る技術がある訳でもない。
「色々考えた結果ですけど、正面突破しか道は無さそうです。ですが、そうなれば目的の達成は困難になります。奴らに逃げられては物品の回収も……」
「物品..........ちなみにどんな物だ?」
「うぅ、どこか行ける隙間でもあればいいんですが。空でも華麗に舞えば屋上から従業員通路への侵入も……!」
答えたくないのか答えようとしないのか、聞こえてない振りをするヒフミ。
細かいことはいいかと、ダンテは背後から彼女に近づき、片方の腕でいきなり彼女を抱え始めた。一瞬の出来事だからか、ヒフミはまだ意識を脳内に向けているままだ。
刹那。
ヒフミは自身が宙に浮いていることに気付いたのは、飛び上がってから数秒後の事。ダンテに小脇に抱えられる形で空を舞い、いつのまにかお姫様の様に抱えられ華麗に着地。
降ろされたヒフミは一瞬何が起こったの理解出来ず、尻餅を着いたまま微動だにしない。そんな彼女を起こすように肩に手を掛け揺さぶるダンテ。
「屋上に来たぞ」
「は、はいぃ!? まさかこんな事が……! いえ、でも、ありがとうございます!」
「これからはどうするんだ?」
「これから? ……正面突破以外何も考えて無くてですね、すみません」
「なら、まずはそのオークションに参加してみるか。恐らくこういった手合いは入り口だけ硬いってのが相場だぜ。中に入っちまえばこっちのもんさ。っと、その前に管制室みたいなのがあれば抑えておきたいな」
ーー
静けさの中に広がる壮麗な空間が目に飛びむ。高い天井には、無数のライトが星のように輝き、柔らかな光をホール全体に降り注いでいる。音響効果を考え抜かれた壁面は、木材と吸音材が織りなす幾何学模様で覆われ、温かみと現代的なデザインが融合している。
観客席は赤いビロード張りの椅子が整然と並び、緩やかなカーブを描く段差が、どの席からでもステージを見やすく設計されていることを物語っていた。
正面のステージは、深い木目が美しいフローリングで、舞台袖に続く黒いカーテンが舞台裏の存在をほのめかす。上部には煌びやかなスポットライトが吊るされ、まるで訪れる者を特別な世界へ誘うかのようだ。
ホール内には微かに木材の香りと、長年使われてきた劇場特有の空気が漂っている。その周りでは似つかわしくない銃火器や爆弾などを携えている者が所狭しと席に座っており、ダンテはその中心に座り込んでいた。
劇が始まるまでの、いかにもマフィアらしい荒くれ者の喧騒。正体が割れぬように面を被った者もいれば、全身を黒づくめのコートに身を包み、大きなサングラスだけで顔を隠す者もいる。
その喧騒を利用し、今回の主役になる二人は強奪した無線機で連絡を取りあう。
「準備はいいかファウスト?」
「はい! 大丈夫です先生!」
無線機で連絡を取り合う際、本名で呼び合うのは如何なものかと考えた二人は、互いをコードネームで呼び合う事にした。
ファウストという名前の由来に些か疑問を持ったヒフミだが、どうせ一度しか使わない名前だからと、特に考えもせず受け入れる。
それが、以前彼が使用していた魔具の名前だと知らずに。
ホール内の照明が落ちると、壇上に一人の男が舞台袖から歩いてきた。
こつりこつりと、首元に装着しているマイクがその音を拾うと、さっきまでおしゃべりに夢中だったマフィア達は一斉に口を閉じ、今宵のメインディッシュに思いを馳せ始めた。壇上の男が両腕を大きく広げると、スポットライトの一つが点灯。いつの間にか男の隣には黒曜の台が浮き出てきており、これから始まるオークションの余興としては場の盛り上がりが最高潮に達する。
「今日皆様にお集まり頂いたのは、そう、世界に10個も無い珍しい品物が発掘されたからです」
「発掘」という言葉に、会場の至るところから笑いが漏れた。「強奪の間違いじゃないのか!」と誰かが声を上げると、それに続いてさらに笑いが広がる。壇上の男も堪え切れず、口元を手で覆った。
ダンテはその様子を冷めた目で見つめた。「闇のオークション」とはまさに名が体を表している、と内心で皮肉を込めて呟く。この場に集まる者たちは、どれだけ飾り立てた言葉を使っても、所詮は犯罪者集団に過ぎない。そして、彼女が望んでいるのは――この場の壊滅、その一点だ。彼はその意図をすでに理解していた。
「では早速ご覧頂きましょう。これが今回の目玉商品……──黄金のペロロトプスです!!!」
黒曜の細長い台座の中心から出てきたのは、黄金色に輝いた一つのぬいぐるみ。ダンテは目の前の光景に疑いを持ち、二度三度手で目元を拭った後、もう一度壇上に置かれている物品にピントを合わせた。そこにははっきりとぬいぐるみが置かれており、周りのマフィア達の口元から感嘆の声が漏れる。
「あれが今回の標的……黄金のペロロトプスです!!!」
ヒフミの上擦った緊張感のある声がイヤホンを通して耳に届くも、受け手側のダンテは拍子抜けといった表情で席にさらに深く腰を落としていた。おもちゃのグッズというのは隠語ではなく、本当におもちゃのグッズだとは思いもしない。しかも殺気立ったマフィアもいるとなれば尚更だ。
「では先生、手筈通りに……! ──待っててくださいね、ペロロ様!」
ヒフミの興奮した台詞を合図にしたかのように、壇上を照らしていたスポットライトが突然点滅を繰り返し始めた。次第にその明滅は不規則さを増し、最後には完全に光を失ってホール全体を闇が包み込む。
「なんだ、故障か?」壇上の男は戸惑いの声を上げ、辺りを見回しながら慌てふためいていた。ざわめく会場の中で、ダンテは静かに立ち上がる。その動きだけで空気が変わった。テンガロンハットの山部に指先を掛け、軽く持ち上げると、闇に沈んでいたホールに再び光が戻る。
だが、照らされたのは壇上ではなく、ダンテ自身だった。スポットライトの白い光が彼の肩口から足元までを鮮やかに浮かび上がらせる。光の中心に立つその姿は、まるで劇場そのものを支配する存在のように堂々としていた。
「……ファウスト様の逆鱗に触れたな。お前たちはここで死に、黄金は血の色に染まるだろう」
銃弾の空気を切り裂く音がホール内に響き渡ると、壇上の男は急に事切れた人形の様に倒れ、ぴくりとも動かなくなった。見事なヘッドショットに観客たちのざわめきは大きくなり始める。
「動かない方がいい。これはファウスト様の伝説の始まり。血の色に染まりたくなければ頭を下げろ、これは脅しだ」
一人、反抗的なマフィアがダンテに向かって銃を放とうとするが、ヒフミの精密な射撃に壇上の男と同じ結末になり、辺りの空気はさらにピりつき始めた。
今、頭を出せば必ず打ち抜かれる。どこの誰か知らないが、用意周到に準備をしていたのだろうと、長年マフィアをやってきた彼らにとって、その異常性は自身の命を落とす結果になると判断させるには十分な雰囲気であった。
「ファウスト様は黄金をご所望だ。頂いていくぜ」
ダンテは静かにテンガロンハットを手に取り、魔力を込めると、一瞬の溜めを作って前方に投げ放った。放たれた帽子は、魔力の奔流に包まれるように回転しながら宙を舞い、鋭い軌道を描いて飛んでいく。
ペロロトプスの頭上に到達すると、まるで引き寄せられるかのように正確に乗り、その瞬間に勢いを失うどころか、さらなる回転を得た。帽子は一瞬、宙で躍動するように舞い、そして弧を描くように戻ってきた。
ダンテは自然な動作でその帽子を受け止め、軽く手元で回すと再び頭に被せた。魔力が消えた帽子はただのテンガロンハットに戻り、何事もなかったかのように静かに佇んでいる。だが、ホールにいる全員が目撃したその一瞬は、間違いなく異様で、目が離せない光景だった。
目の前で奪われているのにも関わらず、何も抵抗が出来ないのは、闇に紛れる人物がいるからだ。
「この黄金はファウスト様に捧げる。安心しろ、命までは取りはしない。では……アディオス」
ファウストが一発の銃弾を撃つ。それは閉会の合図。
ダンテに降り注いでいたスポットライトはまたもや不規則に消え、ホール内は再び暗闇に染め上げられた。
誰かが非常用の電気を作動させたのだろう。ホール内に再び光が戻った時、既に彼らの姿は無く、ただ空っぽになった黒曜の台がぽつんと鎮座しているだけ。
彼らの記憶に刻まれたのは、深いテンガロンハットを被った人物と、ファウストという闇の人物の名前だけであった。
ーー
欲しい宝物を得てほっとした一息の、僅かな時間。打って変わって年相応の笑顔を見せるヒフミの顔に、この世界でも守るべきものがあると安堵を覚えたダンテは、すぐに次の仕事へと取り掛かることになる。
「あはは、今回は急なお願いにもかかわらず……ありがとうございました! シャーレの先生!」
「ダンテでいいぜ。まぁ少しは楽しめたかな」
「えっへへ、きっとまたどこかでお会い出来ますよね? またペロロ様グッズが出た時はよろしくお願いします!」
「勘弁してくれ……」
これが、ヒフミとの初めての出会いであった。
まさかこんなに早く再会するとは思ってなかった両者は、互いの近況を確認し合う所から会話の花を咲かせるのであった。
・
「あはは。あ、あの時はどうかしてたんですよ……どうしても欲しいグッズだったものですから」
「だからといって強奪の作戦に参加させられるこっちの身にもなってくれよ。俺まで犯罪者じゃねえか」
「違います! 悪いのはあいつらです!」
「お前あのカバのぬいぐるみになると人格変わるよな」
「鳥です!!!!!!!!!!!」
次回の更新は1月後半になります!
アディオス!